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8-24 選帝議会1日目(1)

 スレンダーラインの白いドレスにぴったりと肩と袖を覆うレースの上衣は高襟で、前身頃に連なるくるみボタンと女性風にアレンジした上品なクラバット。肩に縫い付けられた狼の刺繍のロングケープが厳粛で、一際映える青い選議卿のブローチと銀の飾緒がキリリとし、低めにやんわりと結い上げた髪には小ぶりだが華やかな髪飾りをあしらう。

 いつにないそんな粛々とした装いに身を包み選帝侯議会棟に向かったところで、棟内はすでに前回の皇宮滞在期とは比べ物にならないほどの人の多さと慌ただしさを感じた。

 今回は選帝侯やその縁者が集会し、それぞれの側近が集まっている上に、一部こちらに出入りをしている選議卿達もいるせいだろう。現にヴァレンティンの区画でも養父やリディアーヌの連れている側近がずっと増えているし、パトリックやサリニャック候、彼らが連れてきた側近などもいるので、部屋がぐっと狭くなったように感じるほどだった。

 選帝侯達は下の会議室に集まり今後の日常政務に関する話し合いをしていたが、昼の鐘が鳴る頃には解散し、午後からは禁事棟へと参会する。


「会議、長かったですね、お養父様」

「仕事の分配以外の所で揉めた。まったく……」


 初日からため息の絶えない養父と昼食を取り、リディアーヌには再び書架棟での仕事が与えられたことなどを伺い、それから選帝侯議会棟の渡り廊下から禁事棟へと向かう。選帝侯議会棟とは二階同士が繋がっているのだが、禁事棟の本棟は二階が事実上の一階に当たるようだ。

 禁事棟には選帝侯と入棟許可を与えられた選議卿のほか、一部聖職者と禁事棟付の皇宮侍従とメイド、担当の騎士以外立ち入ることは出来ない。扉の前には皇宮近衛の制服を(まと)った騎士が二人、物々しい様子で立ちはだかっており、フィリックをはじめとする側近達に留守中の指示を出して別れると、「開門しろ」という養父の声で恭しく扉を開けた。

 侍女の一人も連れずに出歩くのにはさすがに慣れていないので、不思議な感じだ。


「慣れなくて、少しそわそわします」

「禁事棟ではパトリックをフィリックと思うといい。パトリック、いいな」

「はい。承知しております」


 そういうパトリックがいつもフィリックのいる位置に立ってくれた。後ろに誰かがいるというだけで、安心感がある。


 初めて入った禁事棟は、書架棟の雰囲気によく似ていた。元々皇宮中央はすべて統一感のある作りなのだが、建物の中の廊下の意匠や燭台と扉の形、柱の雰囲気などが特に似ている。同じ時代に造られたものなのだろうか。

 入ってすぐのホールがあまり大きくないシンプルな作りなのも同じで、しかし暗い(しん)(ちゅう)のシャンデリアと橙色の灯りに包まれた重たい空間であるところも似ている。


「暗いですね」

「この建物は窓が少ない作りだからな。たまに外に出ないと時間を見失う」


 そういう養父に連れられて、中央の大きな扉ではなく脇の階段を上った。三階は廊下の先に小さな窓でもあるのか、下の階よりはまだ若干明るい気がする。


「この階は二階のドレンツィン以外の選帝侯家の控えの間が並ぶ。ヴァレンティンは一番東。隣がザクセオン。廊下を折れた先、西側にヘイツブルグ、一番奥がダグナブリク」


 いずれにせよ三階は他の棟には通じていないので、階段を上ってすぐのホールに面しているヴァレンティンの選議卿が他の廊下をうろうろすることはないということだ。

 禁事棟のヴァレンティン区域は選帝侯議会棟のような実務的な作りではなく、入るとすぐに皇宮風に設えられた広々とした茶話室のようなものがあり、奥にいくつかの扉がある作りだった。ここはあくまでも議会などの間の休憩室的な場所だそうで、仕事をするための場所ではない。

 先んじて禁事棟の東棟に向かっていたレヴェイヨン候とダリュッセル候もこの部屋で待っており、他に見慣れないメイドと侍従、騎士が二人ずつ立っていた。このメイド達は胸元に他の禁事棟付の者達とは違う狼を象ったピンを指しているから、元々皇宮に勤めているヴァレンティン系出身の者達である。


「レヴェイヨン、ダリュッセル、待たせたな。東棟はどうだった」


 席を立って出迎えた二人に座るよう促しながら上座に向かった養父がまず問うたのは、そんなことだった。東棟の方には選議卿達が個々に使える部屋があると聞いているが、選帝侯議会棟に執務席のある選帝侯家はあまり使う機会のない部屋だ。逆に選帝侯議会棟に出入りする必要のない選議卿は東棟で過ごすことが多くなるのだとか。


「東棟ではすでに部屋が割り当てられ、使いやすいよう整えられておりました。今回のヴァレンティンの区域は前回同様、三階の北西でございます」

「個々の部屋が与えられているのよね?」

「はい、公女殿下。殿下のお部屋もございましたよ」


 ふむ。一度見てみたい気がしないでもない。


「それから一階に、食堂や茶話室、会議室など。選帝侯議会棟とは違い、禁事東棟内には皇宮の料理人などが在中しており、特に部屋付きなどはおりません」


 選帝侯議会棟にも立派な晩餐会場と調理室があるが、そちらは各家から連れてきた料理人が調理を行う場なので、禁事棟とは違う。あくまでも選議卿達の日常を補佐するのは皇宮所属の人間であり、議会棟と禁事棟では管轄がまったく異なるのがよく分かる。


「まぁ、毒が怖いんで滅多に使わないがな。お前達も案じることが無ければ使えばいいが、不安があるならこっちでヴァレンティン専属に割り当てられているメイドに用意させろ。それでも不安なら選帝侯議会棟の方へ来るといい」

「なるほど、かしこまりました」

「そのように致しましょう」


 さらっと養父の口から毒だなんて言葉が出てきた。まぁ確かに、どこの所属でもない皇宮の人間だからといって、どこかに加担していないとも限らないわけだ。皇帝候補ならまだしも選議卿を狙うにはリスクがあるが、養父がわざわざ口にするということはまったく有り得ないことでもないということなのだろう。


「それで、お養父様。そちらの者達は信頼のおける者達なのかしら?」


 壁際でじっと控えているメイド達を見やったところで、養父はすぐに「ひとまず問題ない」と答えた。


「禁事棟には専属として各職二人ずつ推薦できる決まりだ。ヴァレンティンの外務官室付の中から選ばせた者達だから、まぁ安心できるだろう。基本的にこの部屋の内外での仕事に当たるが、必要ならメイドと侍従はこの区域内なら連れ出していい。リディは議会が長引くと身支度を整えなおしたりすることもあるだろうから、右の赤い髪のメイドを専属的に使っていい。えーっと……名前は、何だったか」

「リオと申します」


 さっと腰を折った肩口で切りそろえた赤い髪の若い女性は、顔をあげるとニコリとリディアーヌに微笑んで見せた。見知った顔ではないのですぐに信頼できるわけではないが、隣のきっちりと灰色の髪を結い上げたメイドが老婦人であるのに対して若いメイドを選んだのは、リディアーヌの付き合いやすさを考えてくれてのことなのだろう。


「それは助かりますわね。リオ、後ほど選帝侯議会棟との通用路で私の侍女に引き合わせますから、必要な申し送りがあればしてちょうだい」

「かしこまりました」


 他の面々についても紹介を受けたところで、ついでに奥の部屋にも案内してもらった。

 奥には三部屋と奥に水回りがあり、水回りから近いやや小ぶりな部屋は貴婦人の身支度に適した部屋として整えてあるからと、リディアーヌ専用としてもらった。実質、リディアーヌの個室である。他の二部屋も休憩室といった雰囲気の部屋で、部屋がいくつかに分かれているのは選議卿内の派閥に配慮しての事だそうだ。なので手前の部屋を北方派のレヴェイヨン候とダリュッセル候に。奥の部屋を養父とパトリック、サリニャック候とが中心に使うことを暗黙のうちに確認し合った。

 ヴァレンティンは内部に二派閥があるとはいえ、互いにギスギスとした関係性ではない。なので休憩室が並んでいたところで(いさか)いになる気配もなく、部屋を確認するとすぐにまた皆大部屋に戻ってきて机を囲んだ。

 まだ他の家の選議卿達の雰囲気は掴んでいないが、これほどにまとまりがあって穏やかな雰囲気の控えの間はヴァレンティンの他にはないのではないだろうか。


「カラマーイ司教はこちらにはいらっしゃらないのですか?」

「大部屋に顔を出すことくらいはあるだろうが、聖職者は選議卿といっても異質な立場だからな。基本的に聖職者で固まっている。西の小聖堂にいるか、あるいは二階の選帝侯議会棟から渡ってすぐにあった扉の先が、我々が勝手に聖職者区域と呼んでいる場所だ。選議卿だけでなく禁事棟での議会に参会する聖職者も大体そこに控えている」

「聖職者達は聖職者達で、私達の知らないところで情報を交換しているわけですね」


 それは何やら少し恐ろしい気がしないでもないが、もとより政治的な介入をしない立場の聖職者達を政治家である他の選議卿達から隔離しておくという思惑は分からなくはない。こちらも部屋にカラマーイ司教がいないとなると少し肩の力が抜ける気がする。


「この後はひとまず議場で顔合わせだな。議場は二階から出入りするが、中一階から上まで吹き抜けだ。実際の選挙は小聖堂であるから、こっちはただ選議卿らが集まる会議用の部屋になる。中央の円卓が選帝侯席。二段目が選帝伯席と選議卿聖職者席で、三段目が選帝卿席だ。だだっぴろいわりに参加人数が少ないから下の段で略式にしてしまうことが多い。それから皇帝候補を招き入れたら西棟の小聖堂で宣誓式を行って、北棟のバルコニーで開会宣言と皇帝候補のお披露目を行う。基本的に庭先まで外部から人が入るのは今日と最終日だけだが、他にも禁事棟で決まったことの告知がある場合はそこでおこなわれる。北棟は東棟のさらに奥で遠い上に古臭い場所だが、まぁそんなに使わない棟だから我慢しろ」


 禁事棟には見取り図の類もないらしいので、養父と、前回も皇帝戦に参加していたレヴェイヨン候の説明を頼りにおよその構造を理解した。そんなに大きな建物でもないので、構造も簡単だ。


「どれも古い建物だからな。特に本棟は所々に意味もない扉があったり閉鎖された使用人通路があったり、隠し扉の部屋があったりする。そういう扉は基本的に施錠されているが、誰が潜んでいるとも知れないから近づかないように。それから不用意に開けないように」


 これだけは気を付けろ、と念を押した養父に、「分かりました」と首肯した。

 確かに、選帝侯議会棟からわたってきて目の前の階段を上りこの部屋にやって来ただけなのに、柱なのか扉なのか分からない場所や、扉に見えるのにその上に何故か絵画がかけられ塞がれている所などを見かけた。何度も改装などが施されたせいだというが、禁事棟が唯一皇帝戦の為だけに用いられる建物であることを思えば、昔の誰かがわざとそういうものを増やしたのではないかと疑いたくなる。あまりこの部屋と議場以外は出歩かない方がいいかもしれない。


 そういう話をしている内に、昼二つの鐘が鳴り出した。今日予定されている議場の開始の鐘でもあるので、鐘の音と共に皆で席を立ち、部屋を出た。廊下の先で同じように扉の開く音がしているが、ヴァレンティンの部屋はもっとも階段から近いので、鐘が鳴る前に議場に入っていたらしいザクセオンの次に議場入りすることになった。


 二階の大扉から入った議場は、養父の言う通り、大した人数が集まるわけもないのに無駄に天上が高く広々とした空間だった。

 入ってすぐ中一階ほどまで下りる立派な階段があり、正面には天まで突き抜けるような大きく厳かなステンドグラスと薔薇窓が配置されており、一見教会の聖堂のような雰囲気を感じさせる。中央には美しい大理石のタイルで紋様を描いた空間があり、そこに重々しい色合いの大きな円卓があって、一番奥の議長席含め等間隔に六つ、無駄にごつい椅子が並んでいた。そこから少し段上がりになった机が選帝伯、もう一段上が選帝卿の席。なるほど、聞いていた通りだ。

 その周りにも段々と議席があり、上の方には傍聴席のような回廊も巡っているが、その辺りはすべて無人だ。この大きさや無意味な三階席をみるに、元々は皇帝戦の為だけに使われていた場所ではなく日常的な議会の場として使われていた場所なのではないかと思わされる。

 ヴァレンティンの席は一番北西。およそ国の立地的に近い形で配置されているらしく、隣にヘイツブルグ、一番入り口側に聖職者の座る書記席がある。東側は一番北がダグナブリクで、次いでザクセオンが先にあり、入り口側がドレンツィンだ。


 ザクセオン大公はすでに席におり、「ちゃんと遅刻せずに来たな」と言われた養父が悪態を着きながら立派な椅子を乱暴に引いて席に着いた。それを横目に、リディアーヌも案内してくれた若い司祭に言われるままに二段目の一番北側の席に座る。隣のカラマーイの席はまだ空席だ。その後ろの段にレヴェイヨン候、ダリュッセル候、サリニャック候と、次いでパトリックが座った。特に席順に決まりはないようだが、一番若手のパトリックを下座に、自然と派閥ごとに並んだようだ。

 それからチラリとすでに席に入っているザクセオンの席に視線を向けたが、二段目はまだどちらも空席だ。三段目は皆そろっているようだが、はて、二段目にいるはずのマクシミリアンがいないのはどうしたのだろうか。


 そう思っている内にもぞろぞろと他の選帝侯達もやってきて、「やぁやぁお揃いだね」と相変わらず呑気に手を振りながら入ってきたダグナブリク公に続き、仏頂面のヘイツブルグ大公がやって来た。最後はドレンツィン大司教で、どうやら儀式を進行する教皇聖下とご一緒だったらしく、ドレンツィン大司教と各家の聖職者枠の司教達が席に着くとすぐにも書記や手伝いの聖職者達を連れた教皇聖下がいらっしゃった。そこまで揃ったところでようやく、「遅くなってすみません」というマクシミリアンがやって来た。

 良かった……ちゃんと、選帝伯にはなっていたようだ。


「揃ったようですな。さて、それでは第四十九代ベザ大帝国皇帝選出議会をはじめましょう」






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