8-22 前夜祭準備
「直轄領はヴァレンティンよりは暖かい場所とはいえ、やはりお寒うございますね。厚手に仕立てたのは正解でございました。あぁ、メリル、ブローチはそちらではなく二段目を。フランカ様、御髪に結わえる花にはこちらのレースと、揃いの髪飾りをお添えくださいませ」
前の滞在ですっかりと自分の部屋として馴染んだ離宮の一室で、されどこの場所には馴染みの無いマダム・フロレゾンがてきぱきと指示を飛ばす。
「マントスリーブは縫い付けでございます。少々お背中が縛りにくくなっております」
「マダム、マントを持ち上げてくださいませ。一気に締めます」
「……」
なされるがままになされつつ、いつにないフランカの剛腕にふらふらとよろめく。今宵のフランカの気合の入り様がすごい。
「メリル、針を」
「はい、マダム」
「公女殿下、動かないでくださいませ。さっと肩をお直し致しますので」
てきぱきと布を摘まんで形を整えてゆくマダムの手で、肌から浮くほんの僅かな布すらぴったりと調整され、持ち運んだせいでボリュームの落ちていたスカートの裾もあっという間にシルエットを取り戻す。さらに別に持ち込んだ繊細なレースがその場で縫い付けられて行く。
遠出をするとどうしても動きのあるドレスの型が維持できないが、マダムが同行してくれたおかげでいつにない華やかな着付けになる。
「まぁ、なんて素敵なんでしょう。やっぱりうちの姫様に、このマントを縫い付けた上品な仕立てはとてもお似合いになります」
「金の刺繍が綺麗に出ておりますね。それにドレスの白から紺へのグラデーションも見事に出ましたわ。これほどに着こなしていただけるなど、職人冥利に尽きます」
ドレスを着せるのも重労働で、ふぅと息を吐いて作品を眺めたマダムは満足そうに顔をほころばせた。
今宵は選帝議会開会前夜。前夜祭の開かれる日。すでにすべての皇帝候補と選帝侯、選議卿達が皇宮入りしているが、それが一堂に会し顔を合わせる大切な日だ。それに併せてマダムも今宵のドレスには格別の手間暇をかけて仕立てたらしく、着付けられたドレスの肩に縫い付けられたマントを摘まんでくるりと一回転してみれば、実に美しく水晶の縫い付けられた裾が豊かな円を描いて揺れた。
正面から見れば嫋やかで上品なドレスだが、背中を見れば繊細な刺繍のあしらわれた深い色のたなびく布がきりりと気高い。お姫様というよりは女王陛下のドレスのようだ。
「確かに、上品でいいわ。シルエットも綺麗で、レトロな刺繍のデザインも好みよ」
「公女様は何といってもスタイルが抜群でいらっしゃいますから、こうしたスレンダーなものが一番魅力的でいらっしゃいます。流行りのごつごつと骨を仕込んだようなスカートは折角のお腰の魅力を損なってしまいます」
そう言いながら、くるりと回った時の布の流れが気に入らなかったらしいマダムは再び針を手に摘まみ上げた裾の一部を縫い留めて行く。
「公式な場で必ず必要になる選帝侯家の暗い色のマントは、若い女性である公女様にはどうにも重たくなってしまいます。冬場でならばそれも悪くはございませんが、やはりこのタイプが正解でしたね」
「マントを肩に縫い付けてしまうだなんて斬新だと思ったけれど、軽やかで着心地もいいわ。それに冬場の分厚くてやぼったい袖と違って華やかね」
「ただしそのやぼったい袖にも寒さから身を護るという重要な役目がございます。公女様、今宵のドレスは見栄えを重視しましたから、少々肌寒くなっております。お気を付けくださいませ」
「ええ……うっかりふらふら外へ抜け出さないよう気を付けるわ」
それからも、歩き方はこう、裾の捌き方はこう、と散々指導を受け何度もお直しをされながら、ようやく解放されて部屋を出た。
長らく外で待たされていたフィリックが「ようやく終わりましたか」と口にしたのも仕方がないというもので、すでに宴の半ばというほどにぐったりとしたリディアーヌには、階下で出迎えた養父も「大丈夫か?」と心配そうに苦笑を浮かべていた。
マダムをこちらに連れて来ると決めた時から覚悟していたことである……。
「今宵は格段に美しいな。公女というより公妃様だな」
「大公様……それは冗談でも娘に言ってよい誉め言葉ではありませんよ」
「んっ? あ、そうか。ははっ」
これでも一応養父は未婚である。別に他意のある言葉だったわけではないだろうが、フィリックの指摘に自分の言葉の不味さに気が付いたらしい養父は少し気まずそうに頬を掻いた。だが、周りに年若く未熟な公女と侮られないだけの気品があるという誉め言葉だと思うので、リディアーヌは有り難く受け取っておいた。
今宵のマダム渾身の作は、決して奇をてらうほどではないが、今までにない斬新な試みをしたドレスだ。だから養父からの評価が良いドレスであったことは素直に喜ばしい。
「お養父様こそ、いつになく素敵ですわよ。これまでこんなにきちんとした格好でいらしたことがあったかしら」
「パトリックに睨まれながら着せられたからな……早速あいつを連れてきたことを後悔し始めているぞ」
そう言う養父がさりげなくリディアーヌの手を取りエスコートをしてくれる。今日は一段ときちんとした格好をしているせいで妙に様になっていて、おもわずときめいてしまいそうだ。
こういう恰好をすると、うちのお養父様はまだまだ男盛りであると実感する。今宵もまたエリーザベト様をはじめ、多くの女性達がうっとりすることだろう。そんなことを口にしたら養父はこの大切な前夜祭すらボイコットしかねないので言わないが、会場では少し離れておいた方がよさそうだ。
養父に連れられて離宮の門を出たところで、外で指示を出していたらしいパトリックにも合流した。きちんとしているというよりも一部の隙も無いといった様子の装いは、多少着崩して目立たないよう装うフィリックとは真逆だ。同行しているスヴェールト小侯爵夫人エレイーズが古典的で貞淑な冬のドレスに身を包んでいるのと併せて、よく似合っている。
「お待たせしたわ、パトリック。小侯爵夫人も、お寒くなかったかしら」
養父もフィリックも未婚なので、こういう夜会で侍女以外の女性が同行するのはとても珍しい。それに新鮮味を味わいつつ真っ先に寒空で待ってくださっていたパトリックの夫人に歩み寄ったところで、童顔小柄で若々しさを感じさせる夫人がニコリと微笑みながら、逆に薄着のリディアーヌの手を包み込んでくださった。
「私は大丈夫でございますよ、公女殿下。殿下こそ、すでにお手が冷とうございますね。さぁ、馬車へ。火鉢を焚いておりますから、暖かいですよ」
やはり女性は気が利く。養父の視線に許しをもらいながら、先んじて馬車に乗り込ませてもらった。確かに、とても暖かい。
いつもなら同じ馬車には侍女のマーサか、話し合うことがある場合はフィリックなどを同車させるのだが、今宵は二人とも後続の馬車だ。代わりに、養父に次いでパトリックとその夫人が同車した。
帝国には、付添人制というマナーがある。本来貴婦人は夜会の場でも一人でうろうろすることはなく、若い女性であればことさら縁戚の経験豊富な夫人が付添人として共に行動し、不用意に異性が近づいたりしないよう監視、ないし仲介したりする慣例があるのだ。リディアーヌも未婚である以上、本来は付添人と行動せねばならない。
ただこれまでは立場柄、女性達の集まりよりも大公家の後継者としての役割を求められることが多かったため、コルベール伯爵夫人の肩書きを持つマーサをそれっぽく行動させるか、マーサがいない時はまだ未婚で付添人としての資格を持たないはずのフランカを代役にするなど、適当にしていた。だがさすがに皇帝喪中のような華やかさを慎む場でもない今宵の宴には、それ相応の格式が必要なのだと周囲に説得させられたのだ。
むしろ今まで父とリディアーヌの二人が色々となぁなぁにしすぎてしまっていたようで、その現状には今回新たに皇宮に来たパトリック含む選議卿の侯爵様方に揃ってため息を吐かれた。
だが仕方がないといえば仕方がない。何しろヴァレンティンには位の高い女性が少なく、公女の付添人を務められる夫人がいなかったのだ。
本来は母やオバなど親族の女性が務めるのだが、養父は未婚であるし、親戚筋に当たるアセルマン家もすでに夫人が亡くなっている。なので今のヴァレンティンでリディアーヌに次いで身分の高い女性は、アセルマン家出身のマドリックの夫人、次いでパトリックの夫人となるのだが、どちらも出産などの慶事が続いていたので、連れ回すわけにはいかなかった。おかげで、すっかりと付添人の同行をさぼる癖がついてしまった。
だがそれを聞いた小侯爵夫人は随分とショックを受けたようで、「皇宮では私が付添人を務めます」と名乗りを上げた。よもや自国の公女殿下がそんな状況だとは思ってもみなかったらしい。
「公女殿下、今宵はたとえご面倒でも決してエレイーズから離れませんように」
今まで付添人をおざなりにしてきたことについてはパトリックも保護者である養父に散々文句を言ったと聞く。馬車の中でも、養父がいかに淑女教育を見誤っていたのかを滔々と説かれた上、離れないようにと念を押された。
「もう分かったわ、パトリック。反省したわ」
「決して姫様の行動を妨げるものではございません。会話に交じらせねばなどという配慮もいりません。ただ未婚の淑女の貞節を守る夫人が傍にいるという事実が重要なのです。エレイーズが口を挟むこともありませんから」
「夫の言う通りでございます、公女様。不埒な殿方を寄せ付けぬための付添人でございます」
不埒な、って……と呆れた顔をしたのだが、なぜか養父はつい先ほどまでの面倒臭いと言わんばかりの表情とは裏腹に、「それはいいな」などと目を輝かせている。
はぁ、困った。それではあれやこれやとひそかに接触して話をしたい殿方達に接触できないではないか。いや、接触するにしても気にしなければいいのか? だが間違っても前回の夜会の時のように、マクシミリアンと二人で大広間のルーフバルコニーで密談するようなことは起こり得ないだろう。いや、それは別にいいのだが。
そもそもリディアーヌは昔から養父と共に上座にいることが多かったので、夫人や令嬢達の集まりには不慣れだ。だが養父に夫人がいない以上、そちらの社交をこなすのがリディアーヌの役目の一つになる。いささか億劫ではあるが、女性達の社交というものも学ばねばならず、その点、慣れているであろう小侯爵夫人エレイーズの存在があることは頼もしいと思わねばならないのだろう。
「いっそ夫人には独自に女性達の社交に交じって情報収集などをおこなっていただいた方が有益だと思うのだけれど」
正直まだ付添人なんてものがちょっと面倒だと思っているリディアーヌが本音をこぼしたところで、「その気持ちはよく分かる」と、自分もパトリックというお目付け役を付けられてしまった養父が同意してくれた。
「だからこそ、小規模な催しへの参加には付添人の同行は強制しない。こういう大きい夜会の時だけだ」
「まぁ、そのくらいでしたら……」
仕方がない、と息を吐いたところで、エレイーズ夫人も苦笑交じりに肩をすくめた。
これまであまり積極的に関わりを持ってきた人というわけではないが、子育てがひと段落すれば、ヴァレンティン筆頭分家筋から婿を取った家の夫人として、これからのヴァレンティンの女性達の社交を率いていくべき立場の方だ。その時、女性達の頂点である公女の覚えがめでたいかどうかは重要である。
マドリックの夫人はベルテセーヌ王室の分家べランジュール公爵家から迎え入れられたリディアーヌ王女の再従姉妹だ。ヴァレンティンに縁があるわけではなく、あまりヴァレンティンの社交界を牽引しようなどという性格の夫人でもないが、公女との縁という意味ではむしろリディアーヌの王女時代からの既知とあって強みがある。
その点、エレイーズは根っからのヴァレンティン貴族である。おそらくパトリックとしては、皇宮にいる間にリディアーヌときちんと縁を築かせ今後の夫人の立場を作らせるつもりなのだろう。そう考えれば、まぁエレイーズを伴うことも吝かではない。おそらくエレイーズもそういう夫の意図は分かっているのだろう。
「姫様はエレイーズを足枷にしていただく必要はありません。姫様がただの姫君ではなく大公家の政治的役割を担った後継者であることは妻も分かっておりますから、むしろそんな姫様の傍で少しでも学べればと思っております」
「後継者云々はともかく……言わんとしていることは理解したわ。貴女もそれでよろしいのね? 小侯爵夫人」
「はい。私もアセルマン家から婿をいただいた身です。そのつもりで、公女殿下のお傍で学ばせていただかねばと思っております」
リディアーヌは、向上心のある人間が好きだ。エレイーズの言葉はくしくもその的をついており、これには苦言も思いつかなかった。
「では遠慮なく、いつも通りに過ごさせていただくわ。分からないことがあれば説明は吝かではないから、聞いてくださって構わないわ。それと呼び方も、もっと気楽に読んでいただけたら嬉しいわ。パトリックは私の再従兄で、その夫人である以上、貴女もそうなのですから」
「まぁ……」
どこかほっとしたような面差しで吐息をこぼしたエレイーズは、「では私のことももっと気楽に、エレイーズとお呼びください、姫様」と告げた。




