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8-21 到着

 どうやら書庫に籠もっている内に、何かあったらしい。

 雪雲にけぶる朝日の下で、わいわいと何やら妙に仲良くなっているうちの子達とベルテセーヌの子達に、何事だろうかと(どう)(もく)する。

 とりわけ、フィリックに任せたフレデリクの身がすこぶる心配だったのだが、何故か二人の距離が妙に近くなっている気がする。とてもじゃないが、いい距離感ではない。


「ちょっとフィル。デリクに何か変なことを囁いたんじゃないでしょうね?」

「心外ですね。私が姫様の意に反する行動を取ったことがありましたか?」

「気が付いていないだけで、意外と沢山ある気がするわ」


 本当はそんなに思い当たるわけではないけれど、でもこの狂臣はリディアーヌの知らぬところであれやこれやと画策するのが得意なので、全くないとも言えないことを知っている。今回は一体何をしていたのだろうか。


「デリクはこの二日、不自由なく過ごせたかしら」

「はい。色々と見て回ることが出来て、とっても楽しかったです」

「そう……」


 とっても、などと言われては逆に不安なのだが、この笑顔に偽りはなさそうだ。


「できる事なら詳しく聞きたいところなのだけれど」

「そんな時間はございませんよ」


 すかさず口を挟んだフィリックに、だろうと思ったとため息を吐く。


「ふふっ、心配なようでしたら、私が後ほどお話しますよ。昨夜の内に、公子様やジュードお義兄様からこの二日間のことを色々と窺いましたから」


 そんなリディアーヌを慰めてくれたのはアンジェリカだったが、くしくもアンジェリカの言葉自体に「ちょっと待って」と頭を抱える破目になってしまった。

 何やら看過できない言葉が沢山聞こえてきた気がした。


「後ほど? お義兄様? アンジェリカ、一体書庫を出てたった一晩の間に何が起きたのかしら?」

「大したことではありません」


 そうニコニコと幸せそうに微笑むアンジェリカを見渡し、一見代わり映えしないはずなのに妙な変わりように眉をしかめる。これは、大したことがあった雰囲気だ。


「リュス」


 だから一番何でも話してくれそうな国王陛下を窺ったところで、リュシアンが困った顔で苦笑を浮かべながら、「道中できちんと説明をする」と答えた。

 つまり今ここでは言えないと? 言ったら、リディアーヌが何かするから?


「はぁぁ……何やら色々と察しがついてしまったわ。どうしてたったの二日でこうも色々と起きるのかしら。やっぱりフィリック、貴方が何かしたのではなくって?」

「濡れ衣です。ただのごく純粋な公子様の疑問とごく単純な意識確認の結果です」

「デリク?」


 チラリと窺ってみたところで、ニコニコとしている弟の顔からは何も窺えない。隠すの上手な子だから、口を割らせようとしても無駄だろう。はぁ、まったく。


「取り敢えず……待っていればアンジェリカにまたすぐに会うことになって、ついでに驚かざるにはいられないであろう報告を聞かされることが決定しているわけね?」

「わ、すごい、リディアーヌ様。鋭いですね」

「アンジェリカ……」


 再び呆れたように頭を抱えたところで、おろおろと困惑気にアンジェリカの後方に控えているクロードを見やった。

 あちらには何か特段代わった様子は見えないのだが、その視線がいつになくじっとアンジェリカを追いかけている。二人の睦まじさに何か問題が起きた様子はないようだ。だとすると……。


「まぁいいわ。とりあえず……おめでとう、グレイシス候」

「え」

「で、いいのかしら?」


 ぱっと頬を染めて慌てふためいたクロードに、ほらやっぱり、と思う。


「姉上、何で分かったんですか?」

「二人の様子を見て。それにデリク、私はうちの身勝手な狂臣を放置しているけれど、その狂臣が何を考えているのかを私なりに考えて、それなりに転がされるだけにならない努力をしているのよ。フィルにとって今一番気に入らないことが何なのか、何を望んでいて、何を望んでいないのか、何を我慢していて、何を放置しているのか。あぁ、それと一体何をして私を試そうとしているのかもね」

「わぁ……」

「……」


 フレデリクは素直に感心してくれているが、もしかして、自分もマドリックに対しての心得にしようだなんて思っているんじゃなかろうか。うぅん……学んでほしいようなほしくないような。複雑な姉心である。


「それで、フィリック。私の目がない二日間で、一体どれほど貴方の目的は達成されたのかしら?」

「……まぁ、六割、といったところでしょうか」

「あら、思ったより低いわね。二日もあったのに」

「貴女の育てた弟君と貴女があれこれ吹き込んだアンジェリカ様が中々思ったように動きませんでしたから」


 あぁ、アンジェリカに対する敬称が変わっているな。なのにまだ六割だなんて。やれやれ、一体これ以上何を考えているのやら。


「ですがおおむね、目的は達せられました」

「一番聞きたくなかった言葉ね」


 そう言いながらも、フィリックの目的とやらはリディアーヌのためにならないことではないのだという確信がある。リディアーヌのためという言葉に対する認識の()()はあるかもしれないが。

 そう話している内にも出立の準備は整い、竜牧場へ向かう馬車が並んだ。まずは先にリディアーヌがリュシアンと共に皇宮へ出立することになる。


「それじゃあデリク、私とお養父様は皇宮へ行くから……寂しくなるけれど、年の瀬までヴァレンティンを任せるわね」

「はい。姉上、どうかご無理をなさらず。無事にお帰りになって下さいね」

「貴方も、ヴァレンティンまで気を付けて」


 ぎゅっと長い別れの時間を惜しむように、知らぬ間に少し大きくなったフレデリクを抱きしめた。

 いつもの雪と森の香りとは違う、ベルテセーヌの土地の香りがする。それが少しばかり、ざわざわと心を騒がせるようだ。


「公子は俺が傷一つなく国境まで送り届けるから、安心してくれ、ディー」

「ジュードが?」


 顔を上げた先でドンと胸を打った信頼できる従兄に、フレデリクも「ええ、だから心配しないでくださいね」と言う。確かに、ジュードが送ってくれるのであれば心強い。


「そう。有難う、ジュード。デリクをお願いね。あ、でも道中、おかしなことを教えては駄目よ?」

「ははっ。おかしなことって?」

「間違っても女の子の恰好をさせて市場を連れ歩いたり、馬に乗せてちょっとそこまで、だなんて散歩をしたりしないでちょうだい」

「あ……」


 え、何ですか、フレデリクさん。その顔。もう手遅れとか言いませんよね?


「ちょっと、ジュ―ド?」

「え? いやいや、違う違うっ。してないよ、まだ」

「まだ?」

「大丈夫ですよ、公女殿下。ジュード兄上には私の腹心も同行させますから。公子殿下に変な真似はさせません」


 この状況を落ち着かせてくれたのはセザールで、その後ろで見知った顔の男性が頷くのを見ると、リディアーヌも仕方なく息を吐いた。まぁ、文句を言ったところでフレデリクを皇宮に同行させるわけにはいかないのだから仕方がない。


「貴方はまだ八歳なんだから。大人に甘えていい年頃なんだから。あんまり無茶をしないで……ちゃんとヴァレンティンで、待っていてね」

「ふふっ。はい、姉上。ちゃんとお帰りを待っています」


 そう言って貰えたことに安堵をし、もう一度だけフレデリクをぎゅっと抱きしめてから、待ってくれていたリュシアンの手を借り、馬車に乗り込んだ。

 呑気に手を振る見送り達を見つめながら、そこはかとない不安にため息が零れたのは、きっと仕方のない事だったのだと思う。


  ***


 それから数日をかけて竜を飛ばし、養父の指示通り、リュシアン達一行とは一度シオス公国で別れ、先んじて皇宮へと向かった。

 リディアーヌが皇宮の竜牧場に降り立った時も、帝国中のあちらこちらから竜を用いた貴顕らの到着が相次いでおり、牧場もいつになく混雑していた。

 約ひと月ぶりの皇宮内も、皇帝葬送の色とは打って変わって、まだ何の紋賞も入っていない真っ新な皇帝旗が並び、真冬の景色に色を添えた賑々しい様相に様変わりしている。まるでそぼ降る雪をも降った傍から溶かすような熱気である。

 離宮に着いたらまず先にこちらに向かった側近達との情報交換をして、すでに到着しているはずの養父や他の選議卿達と、今後のスケジュールの最終確認だ。それから時間があれば茶議棟の確認をして、留守の間に内皇庁から割り振られた選帝侯家の仕事の方も確認して予定を組み始めておかねばならない。

 それから、それからと、沢山の予定を考えながら、やがて馬車は離宮に到着したのだけれど……。


「待っていた、リディ」


 出迎えてくれた養父のあまりにも深刻な面差しが、揚々と馬車を下りようとしていたリディアーヌを躊躇させた。


「お養父様……? 一体、何事?」


 あるいはフレデリクのことでお怒りなのかしら、なんてことを考えていた私は、きっとまだ皇帝戦というもののことを理解しきれていなかったのだろう。


「先程、すべての選帝侯家と選議卿が出揃ったところで、禁事棟に各選帝侯家が擁立した王家の旗が掲げられた。およそ旗の紋章は想像通りで、ヘイツブルグはフォンクラーク旗を掲げた。ただ……」


 ぐっと深く眉をしかめた養父のその先の言葉を、一体誰が想像できただろうか。

 一体、皇帝戦の何が先の時代のような狂気を生んだのか。

 危険を冒してまで誰かを殺し、蹴落とそうとする、その原動力が何だったのか。

 私はまだ、それを知らなかった。


「皇帝候補として挙げた名は……」


 だが養父がその名を口にした瞬間に、理解した。

 殺したい。殺さねばならないと思うほどの、強烈な不安。思うがままに行かない未来への、どうしようもないほどの憎悪と焦燥。

 こんなぎりぎりの精神状態では、なにかちょっとしたことで緊張の糸が切れて、暴走しかねない。そんな、漠然とした恐怖。


「挙げた名は、国王ギュスターブ。亡き我らの皇帝候補を死に追いやった先王の元で甘い汁を(すす)り王の座を得、そしてまだ記憶にも新しい去年、卑劣な手段によって君を危険に合わせた男の兄。いつどんな凶行を犯すともしれない、最も危険な王だ」


 選帝侯達は、その人物に皇帝たる素質と魅力があるからといって、その人を皇帝候補に立てるわけではない。そこには国の利害と国と国の関係、常人には考え知れない数多の思惑と打算がある。

 リディアーヌとて、リュシアンを皇帝候補に立てた理由を問われたところで、万民が感嘆して納得するような素晴らしい理由は大して上げられないだろう。そういうものであるし、それについては理解していたはずだった。

 だが、まさか……。


「ッ、ヘイツブルグ大公は、元クリストフ二世派だったはずですッ! ヴァレンティン同様、フォンクラークに(すい)(たい)すべき王を殺された選帝侯家だったはずッ」

「……あぁ、そうだ。そうだった」


 なのに人は今というこの瞬間のために、こうも容易く手の平を返すことが出来るのだ。

 一体、彼らが何を考えているのか。何を、願っているのか。

 皇宮に到着したその日、最初にもたらされた情報は、少なくともリディアーヌを絶望と憤慨の(うず)に突き落とすには十分すぎるものだった。


 昨日の味方は今日の敵で、許せぬ敵を明日の味方にする。

 それが、皇帝戦なのである。






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