8-18 公子とベルテセーヌ
side フレデリク
それから何をどうしたのか、国王まで抱き込んだらしいフィリックは、昼餐の後、少し困った顔の国王の執務室へとフレデリクを連れて行き、ベルテセーヌの内情を知らしめさせた。さらにその晩にはこの国の傍系王族や貴族達の集まる晩餐会に招かれ、翌朝は折角姉の顔を見られる時間であったのに、何故かフィリックに「国王陛下と朝食でも取っておいてください」と放り出され、同行もさせてもらえなかった。
これもきっと、姉を言いくるめるための作戦の一つなのだろう。しぶしぶ受け入れて国王陛下と朝食をとっていたら、その陛下に、「何やら妙なことになっているようだが」と同情された。
顔立ちは兄弟方の中で一番険しいけれど、話をしている時の雰囲気は一番柔らかい印象を与える方だ。ただそう感想を述べたら、セザールには、「それは公子殿下が公女殿下の大切な弟君だからだと思いますよ」と苦笑された。
こんなところでも、自分は姉の努力と人脈に庇護されているのである。
二日目の午前は、護衛と称するジュードと案内役と称するセザールに、深い帽子をかぶせられ、城下町へと連れ出された。一体これの何がフレデリクが「ベルテセーヌに行きたいです」という切っ掛けの材料となるのかはよく分からなかったのだが、フィリックと違ってジュードは心からフレデリクに楽しんでもらいたいと思っているらしく、あれこれと面白い店などに案内してくれたので、退屈はしなかった。
ただあちらこちらを見て回り、喫茶店なるもので一休みをする中で感想を問われ、「ヴァレンティンでもこんな風に出歩いたことはないので、比較はできなのですが」と口にしたら、二人そろって目玉が零れ落ちそうなほどに驚嘆されてしまった。
「たかだか城下町だぞ? 王子公子だってお忍びくらいするだろう」
「そうなのですか?」
「まさかしたことないのか?」
「公務以外ではお城を出たことはありません。姉上もそうだと思いますが」
「……はぁぁ、そうか。まぁ、そうだよな。ディーが育てたらそうなるか」
「そもそも公女殿下も、昔からそういうことができるお立場ではありませんでしたからね」
「命の危険が常に隣り合わせだったからだな」
ふむ。どうやら普通の王子公子でも、こういうお忍び歩きくらいはするものらしい。初めて知った。だがそれを教える人がいなかったということは、本来は褒められたものではなく、またそれが出来ない事情があったからだろう。
「でもディーは何度か俺が連れ出したことがあるぞ。学生時代にだが」
「そうなのですか?」
「兄上……そんなことをしていたんですか? よく叱られませんでしたね」
「ばれるような連れ出し方をしていないからな。それに変装は徹底させた」
思わず頭の上の帽子をきゅっと握ったフレデリクに、気が付いたらしいジュードはくすぐったそうに笑いながら、「そうそう、そういう帽子とか。たまに男の子の恰好をさせたりしてな」と言う。
男の子の恰好をした姉上……想像がつかない。
「あの頃は随分と張りつめた毎日だったから……学生生活をしている間くらいは気晴らしが出来たらと思ったんだが、逆効果だったな。楽しそうな顔をさせてやることもできなかった。あまりこういうのは好きじゃなかったのかもしれないな」
「そんなことはないと思いますよ。聖都のカレッジに通っていた頃には、友人方と時折こうして散策をしたり、授業を抜け出したり、寮の門限を破ったり、悪いこともなさったそうですから」
「あのディーがか?」
びっくりとしたように目を瞬かせているジュードに、「大半が悪友の巻き添えだったと、姉上はため息を吐いていましたが」と苦笑する。でもそのため息を吐く面差しが、とても柔らかで懐かし気だった。だから多分このベルテセーヌでジュードが連れ出してくれていたという時間も、表情に現れなかっただけで、ちゃんと姉の息抜きになっていたのだと思う。
自覚が無かったとしても、おそらくは。
「もしいずれベルテセーヌを継ぐのなら、私もベルテセーヌのカレッジに行った方がいいのでしょうか」
何ともなしに口にした言葉だったけれど、これには二人がまたびっくりと目を瞬かせた。まさか外堀から埋めようとしていたところを、いきなり本人から率直な言葉が出て来るとは思っていなかったのだろう。
ただセザールは昨日もその手の話を耳にしていたせいか、少し戸惑いはしたものの理解は出来たようだった。
「ベルテセーヌの貴族の大半は、王都郊外の王立学院に通います。国内の貴族との繋ぎを得るという意味では、そうですね。六年間である必要はありませんから、一年か二年だけでも通っていただけるといいかもしれません」
「おい、セザール……」
「兄上、この件は何も言わないでいただけますか? あちらの、公女殿下の文官殿も承知していることですから」
「な、なに?」
ジュードはまだ混乱しているようだったけれど、フレデリクはそれをニコリと笑顔で諫めておいて、セザールの言葉の内容を吟味した。
「ベルテセーヌも、もっと聖都に学生を送り出せばいいのにと思います。少なくとも姉上は、あそこでの経験が最も大きな成長となったと言ってらっしゃいましたよ」
「それについては私も思う所がありますね。再び皇帝戦に関与する国としての地位を固めて行くのであれば、今まで以上に国際的な人脈や作法を培う必要性があります。いつまでもヴァレンティン頼みではなく、ベルテセーヌの王族自体が帝国の一角として意識されねばなりません。そういう意味でも、公子殿下の仰る通りです」
「同時に、国内での人脈づくりの大切さも分からないではないですね。ヴァレンティンは貴族の数がそう多くないですし、ほとんどが封領貴族ではなく封位貴族ですから、城にいれば勝手に人脈ができます。でもベルテセーヌのような大国ではそうはいかないでしょうし、同年代が一同に会する王立学院は重要な社交場でもあるように思います」
「仰る通りです」
「おいおい。それは八歳の考える話か?」
「私は姉上の育てた八歳ですから」
そう茶化すつもりで口にしたら、ジュードにはなぜか真剣な顔で「それはさぞかし大変だっただろうな」と同情された。はて? そんな顔をされる心当たりは無いのだが、何を想像したのだろうか。
それから一休みを終えると、馬車で王都の随分と外れの方へと向かった。
町は外郭近づくほど低い階級の住まいになる、などと聞いていたが、案内されたのは閑散地ながらも国の旗の立てられた大きな建物がいくつか連なっている場所だった。
「ここは?」
「一番手前は公共の治療院。奥は手習い所で、裏手に教会と孤児院があります」
「公共?」
聞きなれない施設名に首を傾げていると、馬車は二つの建物の前を通り過ぎて、道を曲がった先の孤児院を兼ねているらしい教会の前に停まった。
促されるままに馬車を下りる頃には、気が付いたらしい司祭様と思しき男性が教会から急ぎ出てきているところで、ほどなく温厚な面差しを微笑ませながら「ようこそお出で下さいました」と声をかける。
ストラを見る限りは司祭様という階級で間違いないようだが、王侯への接し方には随分と慣れた様子の司祭様だ。
「急な訪問となりすみません、テシエ司祭。こちらはヴァレンティン大公国公子フレデリク殿下です。殿下、こちらはつい先日こちらに赴任したばかりのテシエ司祭です」
「はじめまして、公子殿下。ご来訪を歓迎いたします」
子供相手でもきちんと礼を尽くしてくれた司祭様は、聞けば、王立学院で神学教師をしていたこともあったらしい。一年前と少しにとある事件に巻き込まれて、処罰という名目で一時国外に避難し本山にいたが、この秋、赴任してきたという。今はこの教会の管理と同時に、隣の手習い所なる場所で子供達に字や算術を教えているのだとか。
「ベルテセーヌは福祉施設が充実しているんですね」
「実はそうでもありません。先代の頃はむしろ行き届かず、国の退廃が進んでいました」
「え?」
「ここにある施設はヴィオレット妃の遺産でもあるんです」
「クロイツェンの?」
はて、それは昨今何かと養父や姉を悩ませている人物の名前だったはずだ。それが、こんなに国にとって良いものを残しているとなると、何やら頭がこんがらがる。
「勿論、そのままの運用はしていません。ヴィオレット妃は商会の利益を元手に、ここに私的な無料診察所を開設し、教会に下町の子供たちを集めて基本的な学問を教える教育機関の設立を行っていました。その発想自体は悪い事ではありませんから、今の治世もそれを引き継いで、こうして整備して再利用しています」
「発想自体、ということは、悪いこともあったんですね?」
「ええ。まず第一に、ヴィオレット妃はそれを婚約者であったクロードを通さず、私的に行ったということ。オリオール家の名を背負っていたヴィオレット妃の行動は、善行だと言われる反面、国の不甲斐なさに喧嘩を売るような、あるいは王権を蔑ろにするような挑発行為ともとられました。本来国がすべき事業を個人がしたのですから、ヴィオレット妃個人への国民評判は高まり、逆にそれに関与しない国に対して批難が巻き起こったわけですね」
「あぁ、それはそうですね。たしか先だっての事件の時も、そうしてヴィオレット妃に味方をして反乱軍についた平民が随分といたとか」
「ええ。目に見えて分かる功績に、平民達がヴィオレット妃を救いであると称えるのは無理もありません。問題はクロードの婚約者でありながら国にそれを相談することもなく、勝手に進めてしまったことですね。彼女の行動は貴族として、王太子の婚約者として、そして当時国内最高の権勢を握っていたオリオール家の長女として、あまりにも危険でした」
案内してもらった先の小奇麗な部屋で、テシエ司祭が「自家製です」といってハーブティーを淹れてくださった。隣接する病院に下ろす薬や、孤児院のための畑なども孤児院の区画内にあるらしい。
「それに彼女の説いていた思想も危険でしたね。人はみな平等であり貴賤はないから、誰しもが知を開き学を知り身を立て、物を言う権利がある、と。聖職者としては教義的にも咎めるものではない理想的な思想ですが……まるで反乱軍の扇動者のようだと驚いたものです」
テシエ司祭はどうやら学院時代のヴィオレットを良く知っているようで、本人を知る者からの率直な言葉には説得力があった。実際、ヴィオレット本人はそんなこと知らないとばかりに早々とこの国を出て行ったが、そのヴィオレットの“国外追放”に憤った民達が、南部とブランディーヌの反乱軍に加わり、不必要に命を落としたのだ。
どうやらセザールがフレデリクをここに連れてきたのは、最近この国に起きた出来事を知らしめるためだったようだ。
ヴィオレットと同じことはしてくれるなという意図か、あるいはベルテセーヌの王位を視野に入れたフレデリクに、隠すことなく、この国にはこんな弊害が残っているのだと教えてくれているのか。あるいはその両方だろうか。
「理想は理想です。ヴィオレット妃が国の改善点として、病人が医者にかかれずにいること、孤児が食うに困り困窮していること、彼らの貧しさが治安を悪化させていることというそれらに目を付けたことは間違っていないでしょう。しかし彼女はやり方を間違えた。公子殿下は如何思われますか?」
「そうですね。でも下から上へそういう発想を相談できなかった環境だったことについては、王族側の問題も大きいと思います」
「それについては言い訳もございません。ヴィオレット妃の場合は初めからクロードを信頼する欠片もなかったという事情もありますが、それでも自発的な行動をする彼女を諫め、議論として取り上げる王族が存在しなかったことは大きな問題です。王族をそこまで落ちぶれさせたのは、父シャルル三世の最も罪深い行いの一つでしょう」
だが何にせよ、当時の王も王妃も王太子も、あるいはその議論とやらを抑止し王権の失墜に利用していたブランディーヌ夫人も、今はいない。
「そういえばヴァレンティンにも、常設ではありませんが年に二度、無償で民達の健康診断を実施する公的な催しがありますよ。教会が多いので、孤児の養育も、そこで手習いのようなことも行われていますし、職を失った人に教会でボランティアをしてもらう見返りに糧を支給したり、職業斡旋をする役所もあります。すべて国が監督ないし商会委託して行っていることで、姉上もよく視察にいらっしゃったり、相談を受けたりなさっています。もしそれを個人が国を介さずにやるとしても、受け入れることは出来ると思います。でも国との連携は必須です。もし私が養父上や姉上に黙って個人的な誰かの支援を受けて同じことをしたなら、二人はきっと私の身勝手に怒って、そして悲しむと思います」
身内だと思っていた人が、相談もしてくれず、頼りにもしてくれずに独りよがりに国を糾弾し、名声を集める。それは国主として、家族として、一体どれほどの喪失感であろう。そんな裏切りを受けるような感覚は、姉上には決して与えたくないものだ。
「ヴァレンティンではそうした福祉関連に用いる特別な税の徴収があるのでしょうか?」
「いいえ、基本的には寄付ですね。教会への寄付金からも出ていますが、基本的には貴族と豪商達の寄付で行われます。参加する医師や孤児院の手伝いをしてくださってる夫人方などはほとんどボランティアです。大がかりな修理や炊き出しのような予算が必要になる場合は国の治安維持費から出しますが、長年の慣習であるせいか、今は町々が自分達で町会費として貯蓄し、それを国の指揮で運用してもらうという所もあると聞いています」
「それは随分と理想的な……完成形ですね。豪商が多いヴァレンティンの首都ならではでもありますが」
「商業の終着地点だからできること、みたいなことを姉上が仰っていました。竜の飛び交う北方を行商してきた者達は、ヴァレンティンという最果てで身軽になり、ヴァレンティンで新しい品物を入れて帰って行きたいと。だからヴァレンティンには見切り品や売れ残りの品が安く卸されることもあって、それらを流用しているのだとか」
「土地の特性を生かしているわけですね。まったく……成熟した体制に、頭の下がる思いです」
セザールはそう言うが、実際には制度の継続に困難が無いわけではない。毎年のように姉がそのために頭を悩ませているのは見て知っている。国政というのは結局はトライアンドエラーで、予測がつかないからこそ試行錯誤して、時には失敗もするものなのだ。
だが失敗した時に、民達から糾弾される王は王ではない。緩衝材と成りうる貴族をうまく楯にすることも時には必要であり、またそれができる貴族を育てることが王の仕事であって、味方もないまま王が表立って批難されるようでは君主制として、すでに病んでいるといっていい。
「君主制において、民というのはある程度無知で愚かであってくれた方が都合がいい。でも理性には学ぶ機会が、発展には大多数の知恵が必要で、無知が故に踊らされて謀反なんて考えられてはたまったものでもない。だからそのバランスには常に気を使うべき……でしたか。私が先生から教わったことです。姉上はこれをちょっと過激に解釈して、『上で圧政を目論み下で慈悲の顔をして微笑むのが国主ってことね』だなんて仰っていましたけれど」
いつぞやのマドリックの問う君主の在り方に堂々とそう答えた姉の姿を思い出すと、つい苦笑が零れてしまう。あれには姉の先生でもあったはずのマドリックが随分と悩ましい顔で天井を仰いでいた。勿論姉も半分くらい冗談のつもりで口にした言葉だっただろうが、必ずしも間違っていたわけではないのだと思う。
特権を持ち、民から税を取り国を回す実行者である以上、王侯貴族というのが疎まれるのはごく当たり前のことだ。それでも知ったことかとばかりにシビアに国を回す一方で、いざ民の前に出る時には、姉は最大限の女神の微笑みを張り付けて、人々の愁えに真摯に耳を傾け、真摯に対策を講じてみせる。真剣に寄り添ってくれる公女がいるから、人々も何があっても国を信頼してくれる。妙に国民人気の高い庶民派な養父も、国政の場では案外民に配慮しない国策を提示したりする。それがフレデリクの知っている国主というものだ。
「私が身に付けているのはすべてそんな養父上と姉上仕込みの教えですが。問題ありますか? セザール様」
「いいえ、まったく。公女殿下の仰りようとやらがあまりにも過激で一瞬言葉を忘れましたが、言わんとしていることは分かります。公子殿下とは気が合いそうで良かったです」
なるほど、それを見たくてこんなところに連れてきて、こんな話をしたのか。何ともまどろっこしいことをするが、誰でも彼でもズケズケと率直に意見を出し合うヴァレンティンのやり方の方が珍しいということなのだろう。
姉上も、外ではこうしてそれなりに言葉を選んだり遠回しに問うたりと、まどろっこしいことをしているのだろうか? ふむ。だとしたら今のフレデリクの返答は、ちょっと率直が過ぎたかもしれない。
「もう少し、オブラートに包んだ方が良かったですかね」
「……えぇ。まぁ……ですが何となく、リディアーヌ殿下を彷彿とさせました」
あぁ、姉上は外でもあまり言葉は選んでいないらしい。そういう所はやっぱり、養父上に似ている。
思わずくすくすと笑ったところで、ずっと傍観していたジュードが「俺にはもっと率直、かつ分かりやすい言葉にかみ砕いてもらわないとわかんねぇ」と言ったものだから、思わずセザールのため息と、フレデリクの笑い声が続いてしまった。




