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8-17 公子とアセルマン家

side フレデリク

 フレデリクはその日、案内してもらった赤の回廊の一角で、一枚の肖像画をじっと見上げていた。

 昔養父が、フレデリクの父は母親似で、姉は父親似だと言っていた。けれどフレデリクはよく姉とも養父とも似ていると言われたから、きっと姉もヴァレンティン出身の母親似の間違いなのだと思っていた。でも違ったらしい。

 肖像画に描かれた祖父は明らかに姉とよく似ていて、祖母は養父に似ている。その隣に立っているフレデリクと同じ年頃の少年は、色合いは父親似なのだろうが顔立ちは母親似だ。これが、フレデリクの実の父なのだ。自分が父親譲りのヴァレンティン系の顔立ちなのは間違いないだろう。


「公子、その絵が気に入ったのか?」

「気に入ったとかではありませんが……姉上は本当に、父親似だったんだなって」

「クリストフ二世陛下か」


 隣に並んだジュード王弟殿下は、若く美しい王の肖像画に一つ嘆息を吐いてから、「もっと驚くものがあるぞ」と手招きした。


「レティシーヌ王妃陛下。ディーの……君の父君と義姉の祖母にあたる方だ」

「わぁ。姉上かと思いました」

「だろ? ベルテセーヌ王室の直系はほぼ王族傍系かヴァレンティン家としか婚姻しない。だから直系の顔立ちは大体変わらない。それにしてもレティシーヌ王妃は本当にディーによく似ている」


 なるほど。王族内やヴァレンティンとしか婚姻しないから、ヴァレンティン系の顔立ちらしい父やフレデリクも、ベルテセーヌ系の顔立ちのはずの姉と似ていると言われるのか。それでもこの肖像画を見ると、姉は明らかにベルテセーヌの血縁から受け継いだ顔立ちだ。


「その点、うちは違う。兄上はわりと王室系の顔立ちだが、俺は母親似だからな。ディーとは似てない。兄弟で一番似ているのはやっぱりセザールだろうな」

「私も初めてお見掛けした時すぐに、姉上の親戚だ、と思いました」


 そんな話をしながらジュードに促されるがままに向かった先の肖像画は、シャルル三世がいたであろう場所を黒く塗りつぶされた王室一家の肖像画だった。

 中央の椅子に、今の国王陛下と並んで幼い少女が座っている。その少女の何とも言えない深い瞳の描写には、姉が『私のは見なくていい』と言った理由を察した。とてもじゃないが、見ていて嬉しくなる絵ではない。

 なのにわざわざフレデリクにこの絵を見せたジュードの意図は何であろうか。


「姉上の笑っている肖像画は一枚もありませんね」

「ああ、ない。もっと言えば、先の皇帝戦からこの夏にディーに再会するまで、俺の記憶の中自体にディーが笑っている記憶がない」

「……」


 じぃっとこちらを見つめる瞳を見返して、やがてぱっと目を逸らして歩を進める。

 歴代の肖像画には随分と古い物もあったけれど、見ているだけでも、このベルテセーヌという国の風格や格式が変わらずに続いていることがよく分かった。この国は良くも悪くも時間を停滞させた閉塞的な国なのである。こんな場所で育っていれば、姉が過去の亡霊の妄執に足を引っ張られ続けねばならない理由も分かる気がした。


「今度、ヴァレンティンの養父上の執務室にある、私達が一番気に入っている肖像画を贈って差し上げます」

「ディーの肖像画か?」

「姉上と、私のです」

「……それはつまり、君の肖像画をこの赤の回廊にかけて良い、と?」


 そう問うたジュードに、意味ありげに形ばかりの笑みを浮かべて差し上げると、なにやらギョッと顔をして目を瞬かせたジュードは、ほどなく頭を抱えてため息を吐いた。


「未だに信じられなかったが……なるほど。エディ殿下の息子だな」

「私は父に会ったことがありませんので、分かりません」


 そうさっさと背を向けて歩き出したフレデリクに、やぶを突いてしまったと思ったのか、ジュードからの返答はなかった。

 別に、同情されたいわけでもないし、ベルテセーヌに責任を感じて欲しいわけでもない。フレデリクにとって実の父母がいないのは最初からで、親代わりとなってくれた養父と義姉の存在だけで十分に満たされてきた。それ以外の者が欲しかったと思ったこともない。だから申し訳なくされる覚えがない。

 でもベルテセーヌの者達にとってはそうではないのだろう。その彼らの罪悪感を見捨てられないせいで、姉は長く苦しんだのだから、このくらいの意地悪は許されるはずだ。


 そうして一通りギャラリーを見て回って回廊から外へ出ると、折よく、こちらに向かってきていたらしいセザールと鉢合った。

 こちらに来てすぐの頃から、いい機会が訪れたとばかりにフレデリクを目で追っていた人だ。その意図が何なのかくらいは聞かずとも分かる。


「こんにちは、メディシス公爵殿下」

「ごきげんよう、公子殿下。どうぞ、私のことは公女殿下同様、セザールとお呼びください」

「ではセザール様」


 満足そうな顔で頷き、フレデリクに恭しい様子で接する様を、通りすがりのベルテセーヌ貴族達がチラチラと窺っている。これも彼の意図したところであろうか。

 そんな中から、よく見知った姉上の腹心であるフィリックが顔を出す。

 一応、フレデリクを迎えに来たようであるが、フレデリクがセザールと接触して何かを話していたところで、フィリックがそれを煙たがる様子も止めに入る様子もない。むしろ足取りが一層緩慢なくらいだ。


 理由は分かっている。

 フィリックは姉上の忠臣であり懐刀であり、姉上が誰よりも信頼を置く側近だ。姉上は良くも悪くもフィリックを疑うことはないし、たとえフィリックが臣下として度の越えた行動をとったとしても、自分のためになることを信じて放置してる。

 フレデリクとて、小さな頃から自分の師でもあったマドリックにそれに近い信頼を持っているし、アセルマン家の忠誠心が疑いようもないことは知っている。けれどそれでも、実はこのフィリックのことだけは昔から少し苦手だった。

 それは多分、彼が自分に向ける、わずかな“わずらわしさ”を感じ取っていたからなのだと思う。


「フィリック、国王陛下とのお話は終わったのですか?」

「ええ、ひとまず。また午後からは別の会議です。公子様は……回廊を見て回られたようですね。目的の肖像はご覧になれましたか?」

「ええ。先々代の陛下や“伯父上”、昔の姉上の肖像画も。伯父上の肖像画はヴァレンティンにもありますが、ここにあるのは私と年の近い頃の絵なので、そっくりで驚きました」

「そうですね。ベルテセーヌの貴族達が先程から騒がしいのも、そのせいでしょう」


 さっと周囲を見回したフィリックの言葉に、覗き見ていた貴族達が慌てて視線を逸らして分散してゆく。

 なるほど。伯父……父の幼い頃の姿を覚えている人達が、ただヴァレンティンの公子と紹介されているフレデリクの姿に既視感を覚え、何者だろうかと探りに来ていたようである。


「それより公子様、国王陛下が昼餐にお誘いくださいましたよ。参られますか?」

「あ、それで呼びに来てくれたんですね。勿論、お伺いします」

「ジュード殿下も、陛下が急ぎお呼びなようでしたよ」


 そう聞くと、ジュードは客人に伝言をしてもらったことを詫び、すぐにここから離れて行った。セザールの方は、案内役のジュードの代わりであろうか、フレデリクとフィリックに着いてくるつもりのようだ。


「フィリック、姉上はまだ書庫から出ていらしていないのですか?」

「ええ。まったく、あの方は……いつも何でも自分一人でどうにかしようとなさる癖を直していただきたいものです」

「フィリックが、放っておいても期待通りの仕事をしてくれると思っているから、いちいち顔を出して下さらないのではないですか?」

「……ふむ」


 おや。案外簡単な言葉で機嫌が良くなったようだ。

 フレデリクはフィリックについてはあまり詳しくないのだけれど、感情の機微の変わり方はマドリックに面差しがよく似ているおかげで、わりとよく分かる。


「ですが定時定時には顔を出して報告、連絡、相談をするべきであると、そろそろ理解していただきたいところです。姫様は公子様の言葉が一番耳に届く様なので、公子様からもご注意していただきたく存じます」

「構いませんが、姉上はその瞬間しか反省してくれませんから、果たして効果があるかどうか」

「……はぁ。困ったものです」


 そんなことを言いながらも、中々手堅い主に手を焼くことを楽しんでいるのがこのフィリックという男だ。むしろフィリックのせいで姉上がそう育てられたと言えなくもない。姉上も、厄介な手合いに気に入られたものである。



 昼餐まではまだ時間があるようで、案内された応接間に入る。ここまで案内したところでセザールが一度席を外したけれど、フレデリクがソファーに腰かけると、当然のようにフィリックも前の席へと腰を下ろした。

 フィリックは礼儀も常識も持ち備えた本家傍流公爵家の跡取りだ。だからその行動も当然意図したものであって、いつもなら姉の臣下として頑なに主人と同席せず後ろに控える彼が、フレデリク相手にはフレデリクを主人とはみなさず、また了承も待たずに腰を下ろすのだ。明らかにフレデリクに察してもらうための意図した行動であると言えよう。

 それは今だけではなく、昔からだ。フレデリクの師という立場であるマドリックにもそういうところがある。同時に、相対する者の言動が自分に対する無言の認識であることを教えてくれたのはマドリックだ。だからフレデリクには分かっている。アセルマン家はヴァレンティンの筆頭分家として常に中立の立場を守っているが、その本心として、彼らは皆等しく“リディアーヌ後継派”なのだ。


 だからといって、フレデリクがどうと思うことはない。勿論、教わった当初は遠回しに自分の行動の意図を知らしめてきたマドリックのやり方にそれなりに驚いたが、フレデリクは元々あまり表舞台には出されずに育てられていたし、その教育が後継者教育に代わったところで、その時にはすでに姉が大公代理としての政務についていた。むしろこの状況の中で、どうして姉が“フレデリク後継派”であるのかが不思議でたまらなかったくらいだ。

 ただそれについては昨今、姉が自分の複雑な身の上と聖女というものの因子を気にしているせいであることを知った。あるいは姉はこのまま一生結婚もせず、表舞台から去ろうとしているのではと思うこともあった。だが周囲はそれを惜しみ、何とか姉上を表舞台に出そうとしてきたのだ。


 アセルマン家は、姉のいる前では徹底してフレデリクを姉と同じ扱いで遇してきたため、姉はその真意を知らないままだ。また姉は自分の差配でフレデリクの教育方針を変えたと思っているようだが、それ以前も、それ以後も、アセルマン家はフレデリクに対する扱いを大して変えてはいないし、しかしそれを知らしめて姉を怒らせたり身を引かせたりさせないためだけに、中立のふりをしている。それに気が付かせないあたりは流石、アセルマン家であるし、そしてフレデリク自身もまた、姉にそれを察されないよう振舞っているところがある。

 こういうのは割と外野にいた方がよく見えるもので、姉が気が付いていないところでの臣下達の動きは、フレデリクの方が詳しいのではないかと自負するほどだ。その最たるものが、アセルマン家なのだ。

 実際にフィリックは今回も、飛竜が飛び立って高度が安定した途端、分かっていましたとばかりに隠れ潜んでいたフレデリクに出てくるように促した。

 分かっていて密航を許したのだ。なのに姉の前では、『公子は送り返すべきです』という態度を貫いて見せた。一方で、フレデリクには自力でベルテセーヌまで同行してみせろと言わんばかりの圧をかけてきた。

 すべて、本人なりに姉を思っての行動だろう。


「フィリックは姉上と結婚したいんですか?」


 あまりにも重たい忠心に、何ともなしにため息何てこぼしながら問うてみたら、唐突な問いに一度目を瞬かせたフィリックが、「何を愚かなことを」と、心の底から呆れたようなため息を吐いた。

 むぅ。だってそうとしか見えないほどの、姉への信望ぶりではないか。


「私は野心あってあの方にお仕えしているわけではありません」

「それは分かっていますけど。でもフィリックは結婚もしていませんし」

「私は兄達ほど出来た人間ではないので、家庭などという余計なものに手を割きたくないだけです。仕えるにたる主に仕え、時にそれを手の平で転がし、時に思いがけず転がされるという日常が、何よりもまさる私の人生の楽しみなのです。できることなら自宅に帰るという間すら惜しいほどに、姫様のおられる空間にいたいと思っております。ですがまぁ……さすがにそうは参りません」

「姉上は本当に厄介な人に好かれてしまいましたね」

「誉め言葉でしょうか?」

「さぁ、どうでしょう」


 そう肩をすくめて、侍従の淹れてくれたお茶をいただく。目の前の狂気の人とは異なる穏やかな味わいが、平常心を思い出させてくれるようだ。

 こんな人と日々仕事をしている姉上を、心の底から尊敬する。


「ではフィリックは、姉上が婿を取る事には賛成なのですか?」

「賛成かどうかというより、外へ嫁ぐなどとふざけたことを仰らない限り、どんなことであれ姫様の希望を完璧に叶えてみせることが私の務めと思っております」


 うん……それについては、察している。多分、皆が察している。

 おそらくフィリックはどの国で姉に仕えるのかにこだわったりはしないだろうが、普通、女性は他国に嫁ぐとなると同性の侍女の一人か二人以外はすべて国許において行くことになる。独身の異性であり、またヴァレンティンにとって重要な立ち位置にあるアセルマン家の後継者が着いていくなんてことは絶対に認められない。だからフィリックが姉に仕え続けるには、姉がヴァレンティンに居続けなければならないのだ。

 そのことは、姉を得るためにと周囲に意識を張り巡らせていた“あの人”にも伝わっているはず。


「姉上は何も話してくれませんが……皇宮で、何かあったんですよね? ミリム様と」

「……」


 婿には賛成だと言いながらも、フィリックの面差しは不愉快そうだ。

 姉の夫になる気はないと言いながらも、姉が自分以上に誰かに気を割くことは嫌なのだろう。そして過去から今まで最も姉が気にかけていたのが誰なのか……それも分かっているから、その名前にこうも過敏に反応する。実に難儀な臣下である。


「フィリックは反対なんですね」

「……そんなことは申しておりません」

「でもできる事なら姉上には、自分以上に関心を持つような相手より、適当に手駒になって適当に姉上を立ててくれるような、より政略的で、より凡庸な、名目上だけの夫を迎えて欲しいと思っている」

「……」


 返ってきたのは無言だったけれど、その憮然とした顔が何よりも感想を露わにしているようで、フレデリクもつい肩を揺らして笑ってしまった。

 まぁ、その気持ちは分からないわけではない。

 姉は他人に対してさほど興味も持たない淡泊な人柄だが、懐に入れた者に対してはことさらに情が深い。その情はとても心地が良いものだから、自分以上に誰かに同じものを割かれると、嫉妬してしまうのだ。誰も、そんな厄介なライバルを増やしたいとは思わない。


「でも駄目ですよ、フィリック。姉上には、あぁいう人が必要です」

「……分かって、いますとも」

「だったら邪魔をしてはいけませんよ?」

「……公子様。もし本気でヴァレンティンにザクセオンの跡取りでいらっしゃる公子殿下をお迎えするとしたら、姫様は『跡継ぎの座なんて欲していません』だなどとふざけたことは言っていられなくなりますよ」

「ええ、当然です」


 姉は分かっているのかいないのか知らないけれど、さすがにそれはマクシミリアン殿下にも失礼だし、なくなく跡取りを失うであろうザクセオンからもどんな反発があるとも知れない。たとえ本人達が気にしなくても、そうはいかない。もしそれほどの婿を迎えるなら、用意する立場は公女配ではなく次期大公配でなければならない。

 きっとフィリックは、マクシミリアンという姉の心を独占しそうな厄介な婿候補を(うと)むと同時に、しかしマクシミリアンであれば姉が後継の座から逃れられなくなるのではという期待もしている。

 それが分からないフレデリクではないし、むしろフレデリクこそが、それを期待しているところもあった。


「私は以前、ミリム様がヴァレンティンにいらした時から、そうなるんだろう、そうなるといいな、と思っています」

「思えばあの時、随分と公子殿下と親しく密談されておいででしたね。何かお聞きになったのでしょうか」

「まぁ……あぁ、詳しくはヒミツですよ。そういう約束なんです」

「なるほど。公子殿下にはその時から、“計画”があったようですね」


 その反応だと、皇宮では計画として察せられるような動きがあったのだろう。

 となると、姉上が殿下とアセルマン家の圧力に落とされるのももう時間の問題か。だったらフレデリクも……早晩、自分の身の振り方を考えねばならない。本当ならもう少し、姉の愛情に甘えて、のらりくらりとしていたかったけれど、そうはいかないらしい。


「できれば、成人まではヴァレンティン籍でいたいんですけど」

「ほぅ……公子様にはすでに、具体的な考えがあるんですね」


 はなからそう誘導するつもりであっただろうに、そんな嬉々とした顔をしないで欲しい。まったく。


「私の存在が姉上の足枷になっていることは、分かっています」

「……」

「まぁ、だからって流石にベルテセーヌに、だなんて発想になったことは無かったんですが……やっぱり、来てみて良かったですね。思いのほか、私はこの国で望まれているようです」

「姫様はご存じでしたよ。昔から」

「……はい。だから必死に、遠ざけようとして下さっていたんですよね」


 でもこれもまた、フレデリクの選択肢の一つだ。

 姉がどう思うのかではなく、フレデリクがどう思うのか。もしフレデリクが本気でそれを考えたのであれば、姉とて聞く耳を持たないなんてことはなく、ちゃんと、真剣に聞いてくれるだろう。そういう人だ。アセルマン家よりよほど人情深い。


「でもフィリック。私だって、ただ理由もなく自分の未来を犠牲にしたいだなんて思わないですし、納得できる理由が無ければ姉上の庇護下から出たいとも思いません。私はまだ八歳ですから」

「そんなことを言う八歳がいてたまるものですか」

「姉上がいたじゃないですか」

「……はぁ」


 その通り。そしてその八歳だか九歳だかの姉の決断を受け入れ、ベルテセーヌに帰してしまったことへの後悔は、フィリックだけではないヴァレンティンの皆にある後悔だろう。


「だから、ちゃんと姉上と話をします。そのためにも、今日と明日を無駄にはしたくありません。フィリックは、私が着いて来たことを正直面倒だと思っていたでしょう?」

「……」

「でも後悔はさせませんよ。だから姉上が不在の間、私がヴァレンティンを出ていくと言いたくなるだけの策を全力で練るといいと思います」

「……はぁ。まったく。兄上は一体、公子様にどんな教育を?」

「それは自分で聞いてください」


 そう苦笑しながら顔を上げたところで、いつの間にか扉の前に立っていたセザールと視線が合った。

 フィリックは背を向けていたので気が付いていたのかどうか知らないが、フレデリクは会話の途中から、その人がそこでじっと黙って耳をそばだてていることに気が付いていた。

 今、どこか罪悪感を覚えたような顔で黙っている彼は、何を思っているのだろうか。

 どことなく姉と似た面差しの人であるから、あまりそんな顔はしないでもらいたいと思う所である。


「セザール殿下、何かいい案はありますか?」


 だから極力明るい声でそう問うたなら、フィリックがのそりと緩慢に振り返り、セザールを見て小さな吐息をこぼした。やはり気がついてはいなかったようだ。


「一体どこの誰です。声かけもせずに殿下を部屋にお通ししたのは」

「私にだって、腹心はいるんですよ?」


 そう言ったフレデリクの言葉に、フィリックは扉の隣で困った顔をして立っているカルロス・ライムをひと睨みした。

 彼をフレデリクが侍従にしたのはマドリックの推薦があったからである。怨むなら自分の兄を怨んでもらいたい。


「立ち聞きをしてしまったようで、申し訳ありません。ですが……とりあえず、公女殿下の周りが思っていたものとは随分と違う状況であることに驚きを隠せません」

「セザール殿下。殿下の希望を叶えたいのであれば、余計なことは姫様に囁かないでいただきたく存じます」


 席を立ち一見恭しくして見せながらも脅すような物言いをしたフィリックに、セザールは苦笑を浮かべながら、「そういたします」と首肯した。

 まったく……姉上は、困った腹心を抱えてしまったものである。

 少しだけ姉上への罪悪感を感じながら。でもきっとこれは姉上のためになることだからと、フレデリクは笑みを携えてソファーに深く体をうずめた。



 まだ、この国のことはよく分からない。

 姉のように、故郷などと肌に感じることもない。

 でも何となく、ここには姉のルーツになったものを感じている。

 かつて姉がこの国を諦め、ヴァレンティンの公女としての矜持を築いていったように……自分もあの国を去り、この国で新たな自分の在り方を築いていくことが出来るだろうか。

 それはまだ分からないけれど。

 でも姉上の愛した国なら、それは決して嫌なことではないと思う。

 ただアセルマン家のやり口は気に入らないから……何か少しだけ、仕返しが出来たらいいのにな、などとも思うのであった。






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