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8-14 鍵の秘密(1)

 翌朝、フレデリクをジュードの所へ連れて行ったリディアーヌは、城でアンジェリカと合流してから聖女書庫へ向かった。

 到着早々、疲れた体を癒すべくコップに聖水をくみ上げて、ごっごっと一気に(あお)っていると、アンジェリカに「相当お疲れでいらっしゃるんですね」と、何やら憐みの深い眼差しを向けられた。

 人目のほとんどない空間に、気が緩んでいた自覚はある。


「聖水もいいですが、お茶を淹れましょう。休憩用に焼き菓子を焼いて来たんです。根を詰めず、休憩を挟みながら調べ物をした方が効率的かと思って」


 なるほど、何やらアンジェリカが大きなバスケットを持っているなとは思っていたのだ。それに、何やらとてもよいバターの香りがしているなとも。まさか焼き菓子持参だったとは。


「いい香りだわ。まさかアンジェリカが焼いたの?」

「はい。ラジェンナ様と一緒に」


 罪科を(こうむ)った家の者として遠慮をしたのか、昨日の出迎えや謁見にラジェンナ嬢の姿はなかった。だがこの沢山の焼き菓子と軽食の山をみるに、随分と気にかけていただいたようだ。それにアンジェリカとも相変わらず仲良くしているようで微笑ましさを覚える。


「私、ほぼ平民出身といっても料理の類はほとんどやらせてもらったことが無くて、まだまだ初心者なんです。でも毒味は沢山クロード様にしていただいて、見た目はともかく味は大丈夫なはずですから安心してください。むしろ初めて作ったラジェンナ様の方が上手なんですよ」


 興味をそそられて、少し不格好な造形のクッキーを取り上げてひょいと口に放り込む。

 少し固めだけれどさくりと香ばしく、バターだけのシンプルな生地がとても好みだ。


「あら、おいしい」

「良かった!」


 アンジェリカが淹れてくれた紅茶もとても美味しかった。

 そういえば紅茶の淹れ方はヴァレンティンでマーサから教わっていたな。あの時よりはるかに手馴れているから、きっと何度も反復練習して、日々クロードに淹れてあげているのだろう。

 はぁ……羨ましい。なんとしても、この微笑ましいアンジェリカの今の日常を守ってあげたいものである。


「それで、調べ物は何と何ですか?」

「リストを作ってきているわ。まずは使徒に関すること全般の記録。そこから鍵関連の情報の収集。鍵が必要となる聖女の仕事の一覧もリストアップしたいわね。私もすべて把握しているわけではないから」

「使徒に関する記録は、昔の使徒だった王女様の記録ですか? それなら私、以前ご指示いただいた通り、一通り読みました」

「だったらアンジェリカはその頃の記録を見直して、鍵や儀式関連の記事を抜き出してもらえるかしら? それが済んだら、歴代の聖女の日記の中から鍵という言葉が出て来る箇所を拾ってもらいたいわ。聖女書庫は意図したことが具現化する機能があるから、鍵に関する記述、と願えば勝手にリストアップしてくれるはずだから」

「そんな便利な機能まであったんですか?」


 今までの私の苦労は、なんていう目で見られたが、思えば聖女ではないアンジェリカの意志ではこの部屋の造形は変わらなかった。もしかしたらそういうリストアップなんかもアンジェリカでは出来ないのかもしれない。その時は自分に声をかけるよう伝えておいた。


「私は上の階の方の、歴代の聖典の抽出や覚書のあたりを当たるわ」

「古語が多いところですね。そういえばお兄様からいくつか辞書を預かっているんですが、リディアーヌ様には必要ないですかね?」

「あら、ダリーは相変わらず気が利くわね。有難く使わせていただくわ」


 一階の机を二人分に大きく広げて、アンジェリカのための椅子も用意する。真ん中にダリエルが用意してくれたらしい辞書を積み上げ、さっそく二人で書棚に向かった。

 アンジェリカは二階の手記の棚へ。リディアーヌはもっと上まで上り、まだ過去にも読んだことのなかった類の棚から、使徒や鍵に関連する本を自動でリストアップしてもらい手に取る。思ったより大量にあるが、欲しい情報はこの中のごく一部であろう。


「前の使徒だった王女様の時は、やっぱり本当の聖女様の鍵をずっと使っていたみたいですね。使徒が鍵を持っていたという記録はなさそうです」

「こっちも同様ね。でも気になる記述はあったわ。アンジェリカ、ここの記述は読めるかしら?」

「うわぁ、古い文体ですね。えっと……クワルツ……ド、ロシュ。ロッシュ、かな。石の花……金の台座が、開いた蓋?」

「クワルツ・ド・ロッシュは石英よ。『石英の花は金の台座。王女の証に蓋を開ける』」

「石英の花って……もしかして、ロージェにあった聖女の髪飾りですか?」

「やっぱりそう思う? だったら王女の証は王女の印章ではないかと思って」

「髪飾りはとても古い物だと聞きましたが、印章もそうなんですか?」

「ええ。いつのものかは知らないけれど、ずっとロージェに収められているものよ。普通は印章というのは個人個人に作られるものだから、“すべての王女のための印章”なんていうものは有り得ないもので、どうしてそんなものが存在しているのかはロージェの番人も知らないの。ただ目録に“王女の印章”と書かれているだけで、勿論、過去にそれを使った王女がいるという話も聞いたことが無いわ」


 かくいうリディアーヌも、中指にはヴァレンティンで作られた自分の印章を刻んだシールリングを嵌めている。ベルテセーヌにいた頃も、幼い頃にはまだ指輪の形ではなかったが、王太子妃になった際に新調され、身に着けていた。その指輪は今はヴァレンティンの王女の空の棺の中に埋まっている。そうして、一代限りに作られ、埋葬されるものである。

 一人一人微妙に形も違っているし、そのすべては紋章省にて管理されているはずだ。


「ヴィオレット妃が盗んだ二つ……鍵の件と関係がありそうですね」

「アンジェリカは神問の時に一緒にいたから、ヴィオレットが落ち星だとかいう、別の記憶を持っている存在だという話は聞いたでしょう? どうにもヴィオレットはこの世界の、起こり得なかった別の未来のような何かに関する知識があるらしいのだけれど」

「……えっと。どういう意味ですか?」

「私もよく分からないわ。でもヴィオレットはそれを“ゲンサク”と呼んでいるようよ。私も不思議で仕方がないのだけれど、そのゲンサクとやらでは、私はアルトゥールに嫁いで皇后になり、ヴィオレットはリュシアンに嫁いで王妃になってめでたしめでたし、となるはずだったそうよ」

「……」


 アンジェリカの()(ろん)な眼差しに、「まぁ、そうなるわよね」とリディアーヌも苦笑した。

 神々の語る秘事にも関係することなので、今まで誰にもちゃんと明かせなかった話である。しかしすでにその秘事に片足を突っ込んでいるアンジェリカにならば語っても問題ないであろうし、今まで一人で抱えていた感情を共有してもらえたことがたまらなく嬉しかった。


「なんです、それ。有り得なくないですか?」

「ええ、有り得ないわよね。何をどう間違ったらそんな未来になるのか、私も色々と考えてみたけれど、ちっとも想像できなかったわ」

「そういえば私もヴィオレット様に、リディアーヌ様が未来を言い当てるようなことをしていないか、みたいなおかしな質問をされたことがありました。何を言っているのだろうと全く理解できなかったんですが、そういうヴィオレット様の方がそういうのに心当たりがあるのかな、っていう気はしていたんです。お伝えしようとしていたのに、そのあとの毒酒騒動で伝えきれていなかったかもしれません」


 思えば確かに、アンジェリカからはあの直前の奇妙なやり取りに関する報告を受けていた。あの時は細かなことにまで気を留めている余裕が無かったが、その後、ヴィオレットからリディアーヌもまた未来を知っているのではと疑われたことはまだ記憶にも新しい。


「ヴィオレットの知るゲンサクとやらが一体何なのかはいまだによく分からないけれど、とりあえず本人いわく、ヴィオレットが鍵を得たのは、ゲンサクで私がヴィオレットにその方法を教えたかららしいの」

「? でもリディアーヌ様は知らないんですよね?」

「ええ、知らないわ。だけどヴィオレットの知るゲンサクとやらがまったくこの現実と違うものというわけでもないようだから……」

「つまり、この書庫で調べられる範囲で、その方法がどこかに書かれていて、リディアーヌ様はそれを知ることが出来るはずだ、と」

「ええ、そういうことよ」


 ふむと考え込んだアンジェリカは、暫く沈黙したかと思うと唐突に顔を上げて、じいっと上の方の書棚を見た。


「リディアーヌ様、この書庫って、聖女が代々受け継ぐ品物に関する本とかってないんですか?」

「物品目録みたいなものならあるけれど」

「うーん……例えばリディアーヌ様はこの部屋が意志のままに変化することをご存じですよね? あるいは聖水の作り方とか、聖水の使い方とか。そういうのってどうやって学ばれたんですか?」

「どうやって?」


 ふむ。言われてみると確かに。その辺りは最初にこの書庫に連れてこられた頃の随分と幼い頃に知ったことだったから、どうしてといわれるとはっきり思い出せない。

 でも確かに、リディアーヌは当たり前のように奥の泉が聖水であることを知っているし、それを飲めば怪我や疲れが癒えることを知っている。願えばこの部屋が形を変えることも知っている。

 でも聖水の作り方の方は、ちゃんと何かの本を読んで試行錯誤した覚えがある。


「……あぁ、そう。そうだわ。うろ覚えだけれど、たしか初めてこの部屋に来た時に、机の上に本があったのよ。子供が読めるような薄い本」


 聖水の作り方はそこで学んだ気がする。

 はて? でもそんな本がこの部屋にあっただろうか。


「アンジェリカ、探すのを手伝って。多分、薄くて、大きな絵が入ったような読みやすい本よ。大きさも子供が扱える、絵本みたいな大きさだと思うわ」


 ガタリと席を立って階段に向かったリディアーヌに、「それなら私でも読めそうですね」なんて言いながらアンジェリカも着いて来た。

 試しに書庫の意志に、「子供向けの本ってどこかしら」と尋ねてみたら、にょきにょきと階段が上の隅っこの方へと伸びて行った。自ら足を踏み入れたことのない辺りだ。


「なんだか可愛らしい空間ですね」

「ここには来たことが無かったわ」


 アンジェリカと共に奥の一角に足を踏み入れると、天窓の着いた少し天井の低い空間があった。床にはふかふかの絨毯が敷かれ、天上から星の形をした可愛らしいランプが垂れていて、全体的に子供向けの雰囲気がある。

 だがこんな最上階に子供向けの部屋があるというのは奇妙でしかない。一体いつの時代のどの聖女がそんなことをしたのだろうか。


「わぁ。これ、全部絵本じゃないですか? あ、文字も読みやすい。うーん……でも文体はかなり古いですね」

「聖女アルベルティーナ……教会風の名付けね。名前の短かった帝国初期時代よりは後だけれど、それでも随分と初期の聖女よ」


 作者名を見てそう口にしながら、適当に手に取った一つを開いてみる。

 それは、随分と可愛らしい絵柄の聖女と思しき白い服の女の子が、きらきらと輝く星を抱きしめながら、神様から顕示を受け取るお話だった。






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