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8-13 墓所と雨

 ベルテセーヌ城に着くと、正式に謁見の間へと通された。

 こちらにはクロードとアンジェリカも居並び、まだ未成年であるザイードもその隣にいた。アンジェリカはヴァレンティン滞在中に十分フレデリクとも既知を得ているので、リディアーヌがフレデリクを連れて謁見の間へやってくると、思わず「まぁっ」と嬉しそうに声を弾ませた。

 そこで改めて来訪を歓迎する言葉と滞在の許可に感謝をする言葉とを取り交わし、皆の前で“大公家の第一公子”であるフレデリクを紹介した。代わりにリュシアンもユリシーラ公ジュード、メディシス公セザール、それからアンジェリカの縁からグレイシス候クロードと、ジュード預かりになっているザイードのことも紹介していただき、また国の聖女という称号を持っているアンジェリカとも再会を喜ぶ挨拶を交わした。


「久しぶりね、アンジェリカ嬢。変わりないようで何よりだわ」

「公女殿下に公子殿下も。久しぶりにこうしてお顔を見れて嬉しいです」

「私もよ。グレイシス候も、随分と快復なさいましたね。安心いたしました」

「体調不良のため御礼が遅くなりましたことをお詫びします、公女殿下。私自身についてもですが、アンジェリカが随分と世話になりました」

「アンジェリカ自身の人柄に(ほだ)されてのことです。貴方に手を貸したこともね。礼などいらないから、代わりにアンジェリカを大切にしてくださいませ」

「はい。それについては言われるまでもありません」


 以前、リンテンで見かけた時よりもぐっと大人びて、落ち着きが出てきた気がする。ブランディーヌの手に落ち捕らわれていた時間に負った心の傷が、そうさせたのだろう。だがその表情にひどい陰りはなく、アンジェリカの懇親的な支えが功を奏したことが分かった。

 クロードとは大して年が離れているわけではないけれど、何となく教え子の成長を見たようなとても良い気分である。


「ところで公女殿下……その。弟、とのご紹介でしたが……そちらは、公女殿下の御子ですか?」

「……」

「……」

「……クロード、貴方もなのっ?!」


 思わず頭を抱えて叫んだところで、飛んできたジュードがあたふたと「すまんっ!」となだめようとする。


「す、すまない。何か悪いことを……」

「この子、八歳なのっ。私は二十歳! なのに私の子に見える?!」


 その真摯な訴えに、ジュードやクロードと同じよからぬ勘違いをしていた貴族達がわざとらしい咳ばらいをしながら気まずそうに視線を逸らした。


「ふふっ。公女殿下と公子殿下、そっくりですもの。仕方ありませんわ。でも言っていいことと悪いことはありますよね。リディアーヌ様、後は私に任せてくれませんか? クロード様には、私からキチンと言い聞かせますので」


 お、おぅ。なんだかアンジェリカがものすごく成長している気がする。一気に毒気を抜かれた。


「ア、アンジー……」

「クロード様にはあとでお仕置きです」

「……」


 お、おおおぅ。


「ごほんっ。さて……挨拶も無事に……無事に、済んだようだ」


 少し締まらない空気の中で、なんとか収集してしまおうと口を開いたリュシアンに、是非そうしてもらうべくリディアーヌもため息を(こら)えて向き直る。


「公女殿下、続きは別室で伺おう」

「はい。それと本件には聖女の助力をいただきたく存じます。アンジェリカ嬢のご同席をお願いしてもよろしいでしょうか」

「あぁ、勿論だ。アンジェリカ嬢、クロード。良いだろうか」

「はい、喜んで」


 クロードに伺うこともなくそう自ら進み出たアンジェリカに、クロードもすっかりと肩をすくめている。すっかりと尻に敷いているようである。


 そうして謁見の間を離れて応接間に入ったところで、ふぅぅ、と皆そろって深いため息をこぼした。まさかクロードにまで誤解をされるとは思わなかった。

 後ろから入ってきたアンジェリカもその部屋の空気に肩をすくめ、「本当に申し訳ありません」と再び謝罪した。


「貴女は悪くないわ、アンジェリカ。貴女達の関係が微笑ましくて、なんだかどうでも良くなってしまったし」

「ふふっ。そう見えたなら嬉しいです」


 公子様にも本当にお久しぶりですね、と再び(ほが)らかに挨拶するアンジェリカのおかげで、随分と部屋の空気が良くなった気がする。

 ここにリディアーヌの側近であるフィリックと、最も若いが最も信を置かれている国王補佐であるアンジェリカの兄ダリエルが入室してきたところで、「さて」と本題に入った。

 皇帝戦の開幕が迫っている今、だらだらと滞在できるわけでもない。仕事はさくさくとこなして行かねばならないのである。


「まずは選議卿への選出にお祝いを申し上げる。まだ公にはなっていないことだから、ここで述べさせてもらう」

「ええ、有難う。そちらも、皇帝候補としての選出をお祝い申し上げます。書類は届いていたかしら?」

「ああ、受け取って、先んじて皇宮のヴァレンティン離宮に充てて返書を送った」


 そのことはおよそ手筈通りなので、こくりと頷いた。


「ひとまずこちらで最低限の票は取れたことになるわ。それで、こちらでの滞在中の予定についてなのだけれど」

「聖女書庫に用があるとか。ヴィオレット妃の事か?」

「ええ。調べたいことがあるの。アンジェリカ、書庫に入れる貴女にも協力をしていただきたいのだけれど、いいかしら?」

「勿論です。お手伝いいたします」


 アンジェリカの同意が得られたところで、初期の準備を整えていたフィリックが机の前に一枚の紙を広げた。まだ空白ばかりの、これからの予定表である。


「滞在できるのは最大で三日。調べ物ができるのは二日間です。書庫に入れるのは姫様とアンジェリカ嬢だけですので、その間、国王陛下には私と皇宮での動きに関する予定の調整を行っていただきたく思っております」

「願ってもない。こちらの方でもセザールが企画を詰めている。確認してもらいたいと思っていた」

「セザール? リュス、皇宮にはセザールを同行させることにしたの?」


 それも今回確認しておかねばならなかった議題の一つだ。

 セザールは皇宮にも慣れているし、まだ身の回りに信頼できる臣下の少ないリュシアンにとっても、皇帝戦の補佐として最も頼りになる人材であろう。しかしセザールを連れ出すとなると、国内をどう統治するのかという問題が出て来る。

 そのことに懸念を抱いていたなら、すぐにリュシアンが「いや、セザールは置いて行く」と答えた。まぁ、そうだろう。


「これについては正式に報告したいと思っていたが……ディー。皇帝戦の結果は分からないが、私はもし王位を離れるとなった場合、王位をセザールに譲るつもりでいる」


 まぁ、それが妥当なところだろう。リディアーヌはそう思い頷いたのだが、当のセザールの顔色は悪く、不満気である。


「セザールにその気はないようね」

「……私に王の指名を断る権利はありませんよ。しかし私は長らく庶子であった立場で、兄上のように帝王学を学んだこともなければ、内政に親しんできたわけでもありません。それでいて権力を持つ外戚が多いのも厄介で、到底、王になど……」

「そんなことを言ったらセザール。私とて元は王位とは程遠い分家筋で、お前が国内で経験を積んでいる間、青の館に閉じこもって本を読んでいただけの未熟者だ。権威ある外戚も、お前なら上手く扱えるだろう」

「そんな簡単に……」

「簡単ではない。だがジュードではなくお前を選ぶのにはそれ相応の理由がある」

「まぁその理由は聞くまでもないよな」


 そう他人事といった様子で笑うジュードには、セザールが呆れたため息を吐いた。

 まぁ気持ちは分かる。


「何も私だって、(わが)(まま)で嫌がっているわけではありません。ただ……そう。自信が、ないんです」

「セザール、お前には私が自信があって王位を継いだように見えるか?」

「当然です」

「だとしたらとんだ買い(かぶ)りだ。私はディーに許しを請うためだけに、何の重責も考えずに引き受けた。それに比べると真剣に悩んでいるお前は、十分、私より向いている」

「はぁ……そんな言葉で言いくるめようだなんて、卑怯ですよ」


 セザールの返答は冷静だけれど、昔から兄の背を追いかけてきた三男だ。悪い気はしていないようだ。


「ですが、まぁ……少なくとも皇帝戦の間、兄上方が何も心配しなくていいように、国内はお任せください。そのくらいは頑張って見せます」

「あぁ、ひとまずそれでいい」

「ですがその先は……」


 思わずセザールの視線がチラリとリディアーヌの隣に座るフレデリクを向いたものだから、リディアーヌも咄嗟にぎゅっとフレデリクを自分の背に隠した。

 こんなところでフレデリクに目を付けるだなんて有り得ない。断じて拒絶する。

 それについては先程竜車の中でも散々説いたはずなので、セザールもすぐに肩をすくめて、「まぁ、それはおいおい」と言葉を濁した。どうにもまだまだ、油断ならなさそうだ。


「え、えっと……それで、リディアーヌ様。聖女書庫で調べるのは何の事なんですか?」


 空気が不穏なのを見て取ったのか、アンジェリカが言葉を軽やかにしながら問うてくる。あえてここで説明しなければならないような内容ではないのだが、話題の転換は有り難い。


「取り敢えず“鍵”のことね。アンジェリカ、貴女、神々から鍵は授からなかったのよね?」

「え? はい。だからいつもリディアーヌ様の鍵をお借りして……」

「そうよね。でもどうやらヴィオレットは鍵を持っているらしいの」

「えっ?!」


 アンジェリカが驚くのも無理はない。リディアーヌも、何故そんなことが可能だったのか不思議でたまらないくらいなのだ。


「正直、鍵を模倣できるのであれば貴女にも持っておいてもらって、皇帝戦の間何かあった時に聖女書庫で調べ物をしてもらったりしたい、なんて思わないでもないわ。それに聖女として、国の助けになる手段も増えるから良いと思うのだけれど」

「私も、それは勿論、私の鍵があればと思いますけど」

「あとは皇帝戦中、起こり得そうな鍵関連の事柄についても調べておきたいわ。あらかじめ対策が練れるものがあるようなら練ってきたいし、教会関係者に対して開示できる手駒はいくつも用意しておきたいの」

「え、えーっと……頑張ります」


 心配せずとも、何をしたらいいのかわからずおろおろしているアンジェリカにはリディアーヌからしっかりと指示を出すつもりだ。

 元より聖女書庫の本には古語が多いので、アンジェリカには本の出納や指示した内容を書き留めたりといった雑務を手伝ってもらうことになり、本を読むこと自体はリディアーヌの仕事になるだろう。


「本当なら今夜からでも籠もってしまいたいのだけれど……」


 だけど、と背に隠したフレデリクを見る。

 こんな予定はなかったけれど、でも意を決して折角こんな遠くまでやって来たフレデリクをずっと放っておく気もない。


「デリク、これから一緒に行って欲しいところがあるわ」

「私がご一緒していいのですか?」

「ええ。貴方がいないと意味が無いわ」


 どこだろう、と首を傾げているフレデリクをひと撫ですると、ぱっとリュシアンに向き直る。


「リュス、王家の廟の鍵を開ける許可をいただける?」

「あ」


 すぐに気が付いたフレデリクが、きゅっと袖を握る。


「勿論だ。ただ今からだと飛竜を使っても、帰りは夜遅くなるが」

「ちょっとした強行軍にはなるけれど、聖女書庫には聖水があるから疲れは問題ないわ」

「すぐに準備しよう」

「ついでに今後の予定は移動中にできれば時間の短縮になっていいのだけれど」

「あぁ、どのみち同行するつもりだった」


 そう言うリュシアンがすぐに席を立って指示を出しに行った。自ら席を立ったということは、お忍びという形で用意してくれるのだろう。


「姉上……」

「お兄様のお墓はヴァレンティンにあるから、ここにあるのは貴方のお祖父様とお祖母様のお墓よ。せっかくここまで来たのだから、きちんと、お二人にもデリクのことを紹介しないとね。お兄様に子がいたと知れば、きっとお母様はヴァレンティンのお養父様とそっくりなお顔で喜んで、貴方を抱きしめてくださったはずよ」

「そっくりな顔でですか?」

「私も両親のことはあまり覚えていないのだけれど……でも多分、似ていらしたと思うわ」

「ふふっ。私もお会いしてみたかったです」


 正直、母が子供達をどう思っていたのかはよく分からない。国の跡継ぎと聖女を生んで責務から解放されたことは間違いないだろうが、皇帝戦により子供達を国許に残してゆく決定をしたのは母も父と同じであったであろうし、どれほど愛されていたのかと言われてもピンとこない。けれど記憶の片隅に、確かに養父とそっくりな腕に抱きあげられてあやされた記憶はある。あの養父が今なお忘れられないほどに愛おしんでいる姉なのだから、きっと、愛情はあったのではないかと思う。ただリディアーヌは、それを覚えていられるほど長く、母と過ごせなかっただけだ。

 その胸中には複雑なものがあるけれど、それをフレデリクに押し付ける気はない。そこに眠っているのは間違いなくフレデリクの祖父と祖母であり、もしかしたら永遠にフレデリクとは会わせてあげられなかったかもしれない人達なのだから、この機会を逃す理由は何一つなかった。


「あの……嬉しいですが、私のせいで姉上のお仕事をお邪魔していませんか?」

「話し合いなんてどこでもできるわ。ちょっと移動は大変だけれど、我慢してくれる?」

「当たり前ですっ」


 興味が無かったらどうしようなどとも思ったのだが、フレデリクの顔を見れば純粋に喜んでくれているのが分かって安堵した。


「ディー、公子は滞在中、特に予定はないんだろう?」

「えぇ、そうだけれど」

「だったら公子、明日は俺の所にこい。赤の回廊を案内してやる」


 ジュードがニッと笑って提案するのを聞いて、リディアーヌも顔をほころばせた。


「赤の回廊?」

「ベルテセーヌ王室代々の肖像画を飾っているギャラリーよ。そうね、あそこならお二人の肖像画もあるわ。それにお兄様の昔の肖像画も」

「姉上のもありますか?」

「ええ、あるわ。でも……あまりそちらは見てくれない方がいいわ」


 フレデリクは首を傾げたけれど、それは実際に目にすれば分かるだろう。

 残念なことに、家族を描いた肖像画ではリディアーヌはまだ誰とも分からないような赤子でしかなく、それ以外の肖像画に描かれたリディアーヌは、両親を亡くし、自ら窮地に戻って来たばかりの冷め冷めとした顔の王太子妃の肖像画になってしまう。あまり楽しい絵ではない。

 でも家族の肖像画に描かれた兄は、今のフレデリクと同じ年頃で、とても可愛らしく描かれている。祖父母の顔を知るのにもちょうどいいだろう。


「ジュード、変なものは見せなくて良いからね」

「そんなものは今の赤の回廊にはないから安心していい」


 あぁ……つまり、シャルル三世の肖像画は歴代王の肖像以外飾られていないわけだな。理解した。

 そう話している内に飛竜を準備させたと連絡が来たので、お忍びらしく、フィリックだけを連れた少数で竜牧場へ戻った。


 墓所に着く頃には日が陰り始めていて、北の山際に近いせいか、雪とも雨ともいえない冷たい小粒が降り始めていた。

 空は暗く、地面は冷たい。

 そんな場所の、ひんやりとした灰色の墓石を見つめながら、一体フレデリクが何を思っていたのかは知らない。

 けれど長く長く、何をするでもなくじっとそれを見つめ続けていた透き通るような眼差しが、嫌に大人びているようで。

 冷たく降りしきる雨のように静寂とする兄によく似た面差しが、何故か少しだけ不安を感じさせた。






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