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8-12 息子疑惑

 可哀想なほどにしょんぼりとしていたカルロス・ライム卿にはその晩のうちに(とう)(とう)とお説教をしたが、翌朝にはきちんとフレデリクのための防寒具を整え荷物に忍び込ませていた手腕を褒めて差し上げた。

 ただしフレデリクをリディアーヌ達女性陣の駕籠に乗せたのに対し、ライム卿にはフィリックの視線が恐ろしい男性陣の駕籠に乗っていただいたため、今頃あちらの駕籠の中がどんな気まずい空気になっているのかを思うと、こっちまで胃がキリキリしそうなほどである。


 そうして飛竜が山を越え、谷を抜け、空から見れば一層美しいベルテセーヌの城がみえるほどに近づいてくると、堅く閉ざしてあった風よけの板戸を薄く開き、フレデリクにその様子を見せてあげた。

 なだらかな稜線を描く高い連山の一角、高台の上に広々とした城が敷かれている様子は、険しい山峰に沿って聳え立つフォレ・ドゥネージュ城とは随分と違った印象を与えるだろう。周囲に広がる平野の広大さも山に囲まれたヴァレンティンで見られない光景で、冬でも凍ることなく王都を横断する大きな川の流れと賑わう物流、ぎっしりとひしめく建物に、上空にいてなおその繁栄ぶりがひしひしと伝わる。


「大きな町ですね」

「ヴァレンティンとは一つ一つの町の規模が違うから、驚くでしょう?」

「少し下って来ただけなのに、雪は積もっていませんね」

「チラつくことはあるでしょうけれど、この辺りだと積もるのはもう少し先ね。海の近い山向こうは積もっているかもしれないわ」


 説明をしている内にも竜はばさりと翼をはためかせて減速し、やがて王都の郊外、山際の開けた台地にゆるゆると降りて行った。飛竜には何度も乗っているが、高度を上げて行く瞬間と、この下りる瞬間の揺れと、何やら耳にキンと来る感覚だけはどうにも慣れない。

 幸い、昨日も今日もそんなに長距離を移動したわけではなかったので、駕籠が地面に下ろされるとすぐに調子は戻った。

 ベルテセーヌでは大型の飛竜は飼われていないので、ここは地竜のための牧場である。飛竜を恐れたのか、日頃なら放牧されているはずの地竜は見当たらず、代わりに竜が下りたった場所に次々と近衛兵が列をなし儀仗を掲げ、冬空の枯れ草地にも目立つ紅いマントの出迎えが並んだ。どうやら国賓待遇で出迎えてくれたようだ。

 なので疲れた顔を見せないようしゃんとして、先に後続の駕籠から降りたマクスが扉を開けてくれるのを待つ。


「デリク、出迎えが見えるかしら。中央が国王陛下よ」

「ユリウス一世陛下ですか?」

「ええ。隣がユリシーラ公ジュードとメディシス公セザール。クロードやアンジェリカはいないわね」


 フレデリクが窓の隙間から外を窺おうとしたところ、「お待たせいたしました」とマクスが扉を開けた。覗くまでもなかったようだ。


「ディー、お疲れ様」


 そんなマクスが駕籠から降りるための手を差し伸べるより早く、慣例を無視して駆け寄ってきたジュードが顔を出した。相変わらずの親しみやすさである。

 だがしかし、手を差し伸べるのではなく両手を掲げて、抱き下ろしてあげると言わんばかりの態度には、扉から顔を出そうとしていたリディアーヌもカチリと動きを止めてしまった。

 いくら竜駕籠は高さが高くて降りにくいといったって、二十歳の淑女に対しては無遠慮が過ぎる上に恥ずかしい。


「ちょっと、ジュード……」

「あ、駄目?」


 そう言いながらチラリと背後の兄を窺ったジュードに、もれなくリュシアンが深いため息を吐いたものだから、ジュードは仕方なさそうに一歩下がって恭しく片手を差し出した。

 うむ、宜しい。


「有難う、ユリシーラ公爵殿下」


 礼儀には礼儀を返すべく、丁寧に答えて手を借りて台を下りる。そのままジュードはリュシアンの元までリディアーヌをエスコートしようとしてくれたようだったが、生憎とその手をぱっと放したリディアーヌは、下りたばかりの駕籠を振り返って自ら手を差し伸べた。


「デリク、段差が高いから気を付けて」

「はい。有難うございます」


 そんなリディアーヌの手に乗った小さな手と、きちんとした様子で駕籠から顔を出した幼い少年に、たちまち出迎えの集団の中に動揺とざわめきが起きた。

 はて。昨夜の内に飛竜便で、幼い同行者一人と侍従が一人増えることは連絡していたのだが、どうしたのだろうか。


「ディ、ディー……君、まさかっ……」


 それにジュードまで。

 フレデリクはベルテセーヌが初めてなので、ここはベルテセーヌの格式があってきちんとしているところを見せてもらいたいのに、一体何をそんなに青褪めて……。


「まさか、兄上との間に子供が?!」

「ジュードッ!」


 あまりにも荒唐無稽なジュードの言葉に、もれなくリュシアンの(かつ)が飛んだ。

 彼らしからぬ、大声だった。


「い、いや、だって。え。だって、ディーの子だよな?!」

「……」


 何を言っているんだろう。

 もしかして(から)()っている? 挑発している?

 いや、さすがにジュードはそんなことしないだろう。

 じゃあ何か? もしかして本気で混乱しているとでも?


 何故そんなことにと首を傾げた先で、ジュードに声を上げたもののどうしたものかと困惑しているリュシアンを見て、次いでその斜め後ろで頭を抱えてため息を吐いているセザールを見た。

 セザールはフレデリクのことも知っているはずなのだが、兄達に伝えていないのだろうか。


「ちょっと、セザール。これはどういうこと?」

「いえ……その。私も、兄達の反応に驚いているところです」

「セザール?」


 どういうことだ? と慌てふためいているジュードに、歩み寄ってきたセザールが、「取り敢えず落ち着いてください」とその肩を抑えた。


「お、お前、知っていたのか? ディーに、兄上との子が……」

「違いますから。そうですよね? 陛下」

「あ、あぁ……な、ない」


 どうしたことか、耳まで赤くなって顔を手で覆いながら俯いてしまっているリュシアンに、臣下達の懐疑的な視線が突き刺さっている。

 まぁ、フレデリクは完全なる“お兄様似”だ。今まではずっとそうとばかり思ってきたが、リディアーヌとは髪の色もお揃いであるし、面差しも似ていないことはない。リディアーヌと一緒に並ぶと、なるほど、事情を知らない人には母子に見えるらしい。正直、悪い気はしないのだが、誤解は困る。


「ちょっと、ジュード。どうしたらデリクが私の子になるのよ。デリクは八歳。もうすぐ九歳なのよ」

「はっ、八歳ッ?! 年齢的にぴったりじゃないかっ!」

「……八年前って、私はまだ十二歳なのだけれど」


 十二歳で子供を産んだわけがないでしょう、という意味だったのだが、どうやらジュードには、八年前ということはやっぱり九年前に結婚していた兄との子なのではなどという誤解になったらしい。


「い、いや、有り得る。兄上に甚大な風評被害と幼女趣味疑惑をかけることになるが、だが有り得る……」

「有り得ないからな!」

「有り得ないわよっ!」


 思わずリュシアンと声が揃った。

 そんなやり取りをしばらくキョトンと見ていたフレデリクは、リディアーヌが深いため息を吐くのを見ると、ほどなくクスクスと肩を揺らして笑い始めた。


「姉上、皆様と仲が宜しいんですね」

「何を呑気にしているの? 貴方、今国王の隠し子だなていうとんでもない疑いをかけられているのよ」

「似たようなものです。それに姉上の子に間違えられるのは嫌じゃありません。私にとって姉上は母にも等しい……母以上の方ですから」


 ぐっ。かわいい。


「あ、あね……あねうえ?」


 まだ混乱しているらしいジュードがおろおろとフレデリクを見る。その視線に気が付いたのか、リディアーヌの手を離れてきちんと立ったフレデリクは、さっと胸に手を当てて八歳とは思えない実に様になった一礼をした。


「驚かせて申し訳ありません、ユリシーラ公爵殿下。私はヴァレンティン大公長男にして第一公子フレデリクと申します。公女リディアーヌ姉上の弟です」

「おと、うと……おとうと。弟?!」


 まだ驚いているジュードに代わって、しっかりと礼儀正しい一礼で答えたのはセザールで、ジュードよりも大人びた幼い公子に「お騒がして申し訳ありません」と詫びた。


「兄に代わり、公女殿下、ならびに公子殿下のご来訪を心より歓迎いたします。さぁ、どうぞ。城へご案内いたします」

「有難うございます、メディシス公爵殿下」


 しっかり者のフレデリクと、ニコリと落ち着いた様子で微笑んで見せたセザールのおかげで、出迎えの貴族達も何やらほっと安堵した様子である。誤解は解けたようだ。

 再びフレデリクの手を取り姉としてエスコートしながら、セザールの先導でリュシアンの前まで行くと、改めてリディアーヌもフレデリクと並んで王に対する礼を尽くした。


「この度は急な弟との来訪を受け入れていただき、感謝いたします、陛下」

「いや、驚いたが……長旅、ご苦労であった。着いて早々に申し訳ないが、今後の予定についてお伺いしたい。城に同行していただけるだろうか?」

「ええ、こちらからもお願いしたいところですわ」

「滞在先は前回と同じ離宮に。セビアン、同行の者達の案内と荷運びの指示を任せる」

「かしこまりました」


 さっと腰を折って慣れた様子でマクスの元に向かった男性には見覚えがある。


「昔見た顔ね」

「母上に仕えていた侍従だ。メディナ王太妃陛下が匿ってくださっていたのを、先日侍従長として引き取った」

「まぁ、メディナ様はまだまだ、随分と先王陛下に隠れて色々なものを隠していらっしゃったみたいね。貴方の周りの人材が充実してくれたようで何よりだわ」

「陛下とセザールには感謝している」


 そうわずかに口元を緩めて空気が緩んだところで、「私はただ放逐するには勿体ない人材をこっそり抱え込んでいただけですよ」なんていうセザールが城へ向かう竜車へと促してくれた。

 本来、国賓は国賓だけで一つの竜車を用いるべきなのだろうが、お互いに気心も知れているせいかそんなよそよそしさは必要なく、セザールが自ら扉を開けた王の竜車にリディアーヌもフレデリクも招かれた。

 レディーの作法としてフランカに同車するよう促したのだが、ここに国王とその弟殿下が二人加わるものだから、一人その中にぶち込まれたフランカの顔は真っ青になっていた。気を利かせて、フィリックを同車させておくべきだったかもしれない。


「はぁ、それで、ディー。君にそっくりなそちらの公子殿下は、本当に君の弟……あ、いや、そんなはずはないから……本当に、大公殿下のところの子?」


 言われてみれば大公にも似ているかも、なんて言いながら、先程よりさらに砕けた様子で問うたジュードに、「あ、いえ、その……」とセザールが困ったように兄を窺う。

 セザールは皇宮に勤めていた時期もあるし、長らく放逐されたり幽閉されたりしていた兄達よりも情報に通じている。それに以前ヴァレンティンを訪問した際に、きちんとフレデリクと会わせたりはしなかったものの、城内の噂だなんだで“養子”のことは耳に入っていたはずだ。それに察しのいいセザールなら、フレデリクの素性にも気が付いているかもしれない。だから今も、果たしてそれを口にしていいのかどうかと困惑しているのだろう。


「うちの大公様は独身よ」

「いや、それは知ってるけど……」

「デリクはお養父様じゃなくて、お兄様の子なの」

「大公に兄なんていたか?」


 ジュードはまだ混乱しているのか、そんなおかしなことを言っていたけれど、しかしじっとフレデリクを見つめていたリュシアンは程なく吐息をこぼすと、「あぁ、確かによく似ている」と言って顔をほころばせた。その様子を見て取ったのか、フレデリクはリップサービスとばかりにニコリと微笑んで見せる。


「まさか……エディ殿下の遺児……なのか?」

「だからそうよ。お兄様にそっくりでしょう?」

「……」


 すっかり黙りこくったジュードに対し、セザールは「やはり、そうなのですね」と呟いた。確信があったわけではないらしい。それを見ると、フレデリクを兄の子として隠す作戦は、この八年、驚くほどに上手く行っていたのだと分かる。


「まさか知らぬ間に、甥が生まれていたとはな」


 リュシアンが何気なく呟いた言葉に、ピクリとフレデリクも反応する。身の回りに身内というものが少なかったから、フレデリクにとってもその言葉は気になったようだ。

 正しくは、血筋の上では叔父と甥ではなく(いとこ)()()(いとこ)(おい)ということになるのだが、エドゥアールの妹を妻としていたリュシアンは叔父といっても間違いにはならない。


「私は生まれる前に父を亡くしていますので、あまりそういう感じは致しませんね。姉上はやっぱり、叔母上ではなく姉上という感じです」

「……亡くして……そうか。ディー、もしかしてあの時……その。あのタイミングで殿下がベルテセーヌにいらしたのは……」

「リンテンのルゼノール女伯の次女アンリエット様との間に御子がおできになったの。だから正式に籍を入れて、またアンリエット様と子供をベルテセーヌの問題にかかわらせないために、自分はヴァレンティンの公子として生涯を生きる。楽な道を行くことを許してほしい、と。父の遺言を胸にベルテセーヌに戻った私に対して、許しを求めにいらしたの」

「そうだったのか……」


 だがくしくもそのベルテセーヌで、兄は非業の死を遂げた。そこに、結婚を誓った女性とまだ顔も見ぬ息子がいたのだということを思えば、今まで以上の悲劇に思えたのか、リュシアンの面差しも複雑に沈んだようだった。


「ディーは確か、そのルゼノール女伯の縁者を仮の母として公女としての戸籍を作ったのだと言っていたな」

「ええ。デリクのご生母のアンリエット様に申し訳ないのだけれど……私達は戸籍上、ルゼノール女伯の妹の子、姪甥ということになっているわ。同母の姉弟扱いよ」

「大公閣下も女伯の妹君も、よくそんな話を受け入れたな……」

「まぁ、お養父様はね」


 そもそもうちの養父は自分のその手の話にまるで頓着しない。もとより大公妃を迎えるつもりが無いせいだろう。


「それと女伯の方は問題ないわ。そもそもそんな“妹”は存在していないから」

「……え?」

「女伯に妹君自体は何人かいらっしゃるけれど、私達の生母ということになっている方は実在しないの。だから不名誉なことなんて何もないのよ」

「道理で、噂になっていないわけですね」


 そうため息を吐くセザールを見る限り、どうやらセザールは皇宮にいる間にその手の調べ物をしたことがあるようだ。だがどれだけ調べたところで分からなかっただろう。何しろ、実在しない女性なのだから。


「だが、ディー……その。エディ殿下の子ってことは、つまり……」

「私以上の、ベルテセーヌの正当な王位継承権保持者になるわね」

「だよな……よくこのタイミングでこっちに連れてきたな。あ、歓迎しないとかいう意味ではないからな! まさかエディ殿下の遺児に会えるとは思わなかった。会えたのは本当に嬉しい!」


 そう慌ててフォローするジュードに「分かってるわ」と苦笑する。ジュードにそんな嫌味が言えるとは思っていない。


「私だって連れてくる気なんてなかったのよ。なのにこの子ったら……変な行動力を見せて、すでに飛び立ってしまった飛竜に乗っているんだもの」

「姉上、その話はもうなしですよ。姉上だって同行を認めてくれたではありませんか」

「くっ……」

「あぁ、分かった。ディー、もしかして弟にめちゃくちゃ弱い?」

「言わないで、ジュード。自覚はしているの……」


 素直に答えたら、ジュードにめっためたに笑われた。悔しい。


「別に、ベルテセーヌの王位を取りに来たわけではありませんよ? ただ存在の知られていない身軽な今の間に、父や姉上の生まれ育った国を見てみたかったんです。姉上が一緒だと私に対する目も逸れるかと思ったんですが……すみません、姉上。まさか姉上と国王陛下の子などという疑惑をかけられるとは私も思っていませんでした」

「それは仕方が無いわ、デリク。私だって、まさかリュスに幼女趣味疑惑をかけるようなおバカな弟がいるだなんて思っていなかったのだもの」

「わ、悪かったっ、悪かったってっ。兄上もっ、その目は止めろっ」


 ジュードはすっかりリュシアンに恨めしそうな目で睨まれてしまっているが、あれは自業自得である。助けてやる義理はない。


「あとでちゃんと、自分で噂を払拭しておいてちょうだい」

「分かっている」


 なら良い。


「あー、でも、なんだ……その。エディ殿下のことは、秘密なんだな?」

「ええ。ここにいる貴方達の胸の内だけに留めてもらいたいわ」

「分かった」

「あぁ」


 ジュードとリュシアンはそう頷いたけれど、じっとフレデリクを見ているセザールだけは静かなままで、そんなセザールにフレデリクがニコリと微笑んで見せると、ほどなくセザールも吐息をこぼしながら苦笑した。


「ええ、まぁひとまずは」


 どうにも気になる物言いではあったが、同意してもらえたのは良かった。

 しかし気心の知れている従兄達とはいえ、あまり油断ばかりもしていられない。ジュードの勘違いのせいで妙に気が抜けてしまっていたが、今一度きりっと気を引き締めなおしたリディアーヌは、それから城に着くまでの間、どれほどフレデリクがヴァレンティンにとって大切な子なのか、リディアーヌの宝なのかを滔々と語り聞かせ続けた。

 それが一体、何をどう間違ったのか。竜車を降りる頃には、三人が三人とも頭を抱えながら、「もう分かったから何も言うな」「もうお腹いっぱいだ」「すみません、私が間違っていました」と言われるに至った。

 ふむ。まだまだ言い足りないくらいだったのだが。

 分かってくれたのならいいか。






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