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1-23 フォンクラークの王太子

 教会からの帰路は、観光という名の遠回りをしながらゆっくりと時間をかけた。

 ルゼノール家の馬車を用いているから、時折は馬車を折りて、乗っているのがルゼノール家の者ではないことを周知する必要があった。おかげでお土産探しがはかどった。

 ルゼノール家の紋章をよく知っている領民達は馬車から見知らぬ女性が下りてくることに首を傾げているようだったけれど、それはまぁいい。

 そうして存分に目立ってみせれば案の定、そろそろ本格的に戻らねばならない時間が近付いたところで、「よろしいでしょうか」と馬車の外から声をかけられた。

 ようやく、目的の人物のお出ましだ。

 取次に来たのは侍従のような恰好をした男性で、リディアーヌの代わりにフィリックが窓を開けると、チラリと奥を気にする様子を見せた。心配せずとも、ちゃんとリディアーヌもいる。


「恐れながら、ヴァレンティン公女殿下とお見受けいたします。主が、是非ともご挨拶をしたいとのお申し出ございます。お時間を頂戴できませんでしょうか」

「姫様、いかがいたしましょう」


 分かり切ったことながらもったいぶって見せるフィリックに、「どこのどなたかしら?」と尋ねるよう指示する。


「我が主はお忙しい。時間を割くに値する方からのお申し出であろうか」

「はっ。恐れながらお声をおかけしておりますのは、西の内海よりいらせられました赤く小さき御旗の最も貴き御方にございます」


 ほう。昨夜は随分と旗を喧伝しながら騒々しくブルッスナー家に入ったようだが、従者の方はわりとまともだ。お忍びの馬車を用いている人物を相手に、気の利いた物言いをしている。

 それにわざわざいくつもある隠語の中から“西の内海”という言葉を使うだなんて……何やら頭の中に、昨夜懐かしの友人から受け取った可愛らしい手紙がよぎったのは気のせいだろうか。


「お会いしましょう。時間がないのはまことだから、こちらの馬車でいいかしら?」


 今度は自ら答えた。そのことに深く礼を尽くした紳士は、「感謝いたします」と答えて、丁寧に下がっていった。

 ふむ。反対の道に、今日はちゃんとお忍びらしいブルッスナー家の紋章の馬車が停まっている。降りてきたのは……あれが、フォンクラークの王太子か。

 せっかく馬車は偽装してあるのに、豪奢な飾りの白の衣装と派手な紅紫のマントは、七王家の直系であることを微塵も隠していない装いだ。


「姫様。あちらの騎士が周囲の人払いをしております」

「構わないわ。貴方達は馬車の周りに待機してちょうだい」


 エリオットが馬車の外から声をかけてくれた通り、じろじろとこちらを不思議そうに見ていた民達の姿が無くなっている。フォンクラークの騎士というより、ブルッスナー家の私兵が必死に人目を遠ざけているのだろう。

 そうしている内にも、ド派手な王子様が扉の前でコンコンと戸を叩いた。

 礼法に則るというよりは、まるで浮気相手の貴婦人を訪ねるみたいだ。

 同じ感想を抱いたのか、リディアーヌがどうこうする前に、しかめ面をしたフィリックが率先して扉を開けた。あちらも、現れたのが人男性であったことに少し驚いた様子である。


「これはこれはリディアーヌ公女。そちらにおいででしたか」

「ごきげんよう、紅き衣の殿下。どなた様かと思いきや、おかしなところでお会いいたしましたわね、グーデリック殿下」


 御年三十半ばとなる王太子グーデリックには、帝国皇城の成人式の折に一度会ったことが有ったはずだ。正式な挨拶を交わしたわけでもなくただ声を掛け合った程度の顔見知りだったが、あちらもそれは覚えていたようで、「成人式以来ですね」と乗り込んでくるとその場に身をかがめリディアーヌに手を求めた。

 何を求められているのかくらいは分かるので大人しく手を差し出すと、グローブに包まれた手がぎゅっと握られ、手の甲にキスが送られる。まるで東大陸の殿方のような作法だ。


「どうぞお掛けになって」

「では」


 目の前に座った王太子は、そのままチラリと隣のフィリックを伺った。

 同席させるつもりか? と聞いているのは明らかだ。


「あぁ、こちらは私の近縁であり側近であるフィリック卿よ。私も一応未婚の淑女だから……いえ、殿下に対して無粋ですわね。フィリック、出ておいていただけるかしら?」

「……姫様」

「フィル」


 フィリックはまだむっと少し警戒した様子を見せたけれど、「そういうことだ」とフォンクラークの王太子にまで言われては、歯向かうわけにもいくまい。


「かしこまりました。すぐお傍に控えております」


 そうわざとらしくリディアーヌの手をぎゅっと握って挨拶のキスを上書きするようなことをして出ていく様子には、普通に驚いてしまった。

 あの子……まったく、どういうつもりなのか。


「これはもしや……お邪魔をしてしまいましたかね」


 グーデリックのにやにやとした顔には一つ反論でもしたいところだが、これはフィリックの余計な演技を利用した方が得策か。お説教は後にしておこう……。


「お邪魔だなんて言えないだけの楽しい時間を殿下がご提供くださればいいだけですわ」

「ほう。光栄ですね、公女殿下」


 そういえば以前得た情報に、この王太子は女遊びも激しいという物があった。神の呪いを被ったと噂されるほど跡継ぎに恵まれていないフォンクラークの現王室だから、それをどうにかするための手あたり次第なのかとも思っていたが、これは単純に噂の通りの人物なのだろう。

 まさかフィリックめ……それが分かっていてこんな余計な煽りをしたのか? 相変わらず主を女と思わない、使える物は全部使ってくださいと言わんばかりの仕打ちである。


「グーデリック殿下はどうしてリンテンに? そういえば昨夜、ブルッスナー卿が正餐会の最中に飛んで帰られたのですけれど」

「あぁ、申し訳ありません。まさか正餐会が、それも公女殿下がいらっしゃるとは思いにもよらず。伯爵も気の利かぬ無礼を」

「私は宜しいのよ。堅苦しい正餐にちょうど飽き飽きしておりましたもの」


 そうあどけなく笑って見せれば、わはは、と気をよくしたように笑った殿下が、再びリディアーヌの手を掴んだ。ゾッとして思わず引こうとした手が、そのまま強く掴み止められる。

 この人……ほんと東大陸の色男なみにぐいぐい来るな……。

 気持ち悪いことこの上ないが、今は王太子の気をよくさせておきたい。


「実は昨今、リンテンと我がフォンクラークとの間に交易路が開かれておりましてね。貴国にも随分と便宜を図っておりますが、ご存じでしょうか」

「ええ、存じていますよ。北方諸国を通して、長らく絶えていた東の物や貴国の香辛料が安価に入ってくるようになりましたわ。どうやら、トゥーリが……失礼。クロイツェンの皇太子殿下が、ご協力なさったようね。先日そのことでお手紙を書いたばかりです」

「ほぅ……? そういえばクロイツェンの殿下とは既知の間柄でいらっしゃいましたね」

「今回リンテンを訪れたのは別件ですけれど、後日港の方で是非フォンクラークの品を扱う商会など訪ねたいと思っておりますの」

「おや。先触れもなく公女がいらっしゃるとなると大変な大騒ぎになりかねません。宜しければ私にご案内させてください」


 ちっ。紹介状だけくれれば楽で良いのに。


「まぁ、嬉しい。でも私はもう数日、別件でこの領都を離れることができませんの。殿下にそれまで待っていただくというのも何ですもの」

「ブルッスナー伯に伺いました。聖別の儀が行われるとか? いや、驚きました。聖女選別の大事な儀式だそうではありませんか。一体どうしてリンテンで?」

「さぁ? 皇帝陛下の思し召しなのです」


 そう堂々と吐いた嘘に、さすがに皇帝と言われてはそれ以上突っ込めなかったのだろう。なるほど……と、グーデリックも口を噤んだ。


「どうして公女殿下が?」

「あら、お聞きになるんですか? “ご存じの通り”の理由かと存じますけれど」

「ほぅ?」


 フォンクラークの現王とこの男は、先の皇帝戦の折、ベルテセーヌ王クリストフ二世の暗殺を命じた先王ジュドワールの異母弟だ。ジュドワール王はその後不審死を遂げており、現王は例の一件とは無関係だとされているが、そんな言葉を信じるほどお人好しではない。それにジュドワール王の死で現王ギュスターブも同母弟のこの王太子も恩恵を受けていることを思えば、先の“ベルテセーヌ王暗殺”に彼らが無関係であったとも言い切れない。

 あるいはグーデリックも、暗殺されたクリストフ二世の娘が聖女であったことは知っているだろう。その聖女と同じ名前の、突如として大公家に現れた公女のことも、勘付いているはずだ。

 この辺りは変に隠した方が警戒されるだろうから、知っていてなお、リディアーヌは何の憂えもなくそのフォンクラークの王族と狭い馬車で膝を突き合わせて話ができるのだと、そう思わせねばならない。


「そういう殿下は、どうしてこちらに? ブルッスナー伯とは親しいようでございますね」

「何、そんなことはありません。ただリンテンの貿易はブルッスナー家の管轄なのですよ。ご存じないか?」

「そうなのですね。私がルゼノール家と縁があるというのはただの表向きで、実際のところ、リンテンの内情には詳しくありませんから」

「あぁ、やはり……いえ、“そうでしょう”ね。ですがその割に、ルゼノール家とは懇意な様子。それにベルテセーヌの聖女の件にも参列しているというのは……」

「ルゼノール家は、ヴァレンティン家の遠縁だそうで、学生時代から行き来の拠点としてお世話になっていましたのよ。先ほどのフィリックは、私の縁戚であると同時にルゼノール女伯の従甥なのです」

「ほぅ?」

「それに、ベルテセーヌの聖女のためというのは少し語弊がありますわ。私……あまり大きな声では言いかねますけれど、あの国にはちょっとした恨みがございますもの」

「恨み? ふむ……あぁ。そうか。そういえば、そうですね」


 何やら勝手に納得したらしいが、おそらくグーデリックの中では、リディアーヌにとってはかつて両親の命を奪ったフォンクラークより、兄が殺され、自分も表向き殺されることになったベルテセーヌの現王室の方が憎んでいる対象なのだという解釈になったのだろう。それでいい。


「でもなければ、アルトゥールと“良い関係”なんかになっておりませんわ。一応、皇帝陛下のご下命だからとこんなところまで参りましたけれど。こうして観光を楽しむことがせめてもの慰めというものです」

「なるほど。それはそうでしょう」


 少々頑張って言い訳をしたかのようになった気もするが、むしろそう必死にフォンクラークと(よしみ)を結ぼうとしているかのように見えてくれたくらいでちょうどいい。極めつけに、ニコリと笑ってリディアーヌの手をつかんで離さない王太子の手を、逆にこちらからも握って差し上げた。

 隠しもせずにんまりと調子付くのを見ると忌々しいことこの上ないが、これも必要なことである。


「そんなことより殿下。ブルッスナー家との商談ということは、そのおかげで益を得ている私達ヴァレンティンも無関係ではございませんわね。ちなみに殿下も、交易品などを持ってきていらっしゃるのですか?」

「私は商人ではないのですが?」

「まぁ、私ったら。失礼を! お国のお話が聞きたくて、言葉が()いて出てしまいましたわ」

「ふっ。ですがまぁ……そうですね。少しは手土産程度に持ってきておりますよ」

「やはり香辛料でしょうか? ポワブルも沢山あるのかしら?」

「はっはっ。フォンクラーク産のポワブルは最高ですからね。そうだ、後日私の招きをお受けいただけるなら、是非最高級の白と黒のポワブルをお贈りいたしましょう。他に欲しい物はありませんか?」

「まぁ、ずるいお誘いですこそ。でも、そうですね……そういえばアルトゥール殿下はカネルがお好きなんですよ。殿下の料理人が作って下さるカネルを沢山入れたポムのパイが大好きで、お茶会をするたびによくせびっておりました。また食べたいものですわ」

「ほぅ……」


 カネルが好きなのは、本当はアルトゥールじゃなくてマクシミリアンなんだけど。まぁ、このくらいの嘘はなんてことない。アルトゥールと親しいという事実を目にしたことのあるグーデリックは、きっと真正直に信じたことだろう。


「でもどうせなら、中々世には出ない、もっと珍しい物が見たいものですわね」

「珍しい物、ですか?」

「珍しくて、刺激的な物。ありますかしら?」

「……」


 さすがに、そう簡単には目的の物の名は出てこないか。

 仕方がないと諦めようとしていたら、手が一層強く、ぎゅっと掴まれ、引っ張られた。

 前のめりになった体がぶつからぬよう咄嗟に握られていない方の手で押し止めたけれど、どうにもいかがわしい体勢になっている。それに不意に成人男性の胸に触れたリディアーヌの手に、グーデリックの目が嘗め回すような嫌な目をしている。うぅっ、ぞわぞわするっ。


「どうやら……好奇心が旺盛なお年頃でいらっしゃるようですね」


 だが視線如きに脅されるリディアーヌではない。これでも王宮育ちなものでして。


「私、学生時代に悪い遊びを教えてくれた友人達と中々会えなくなってしまって、退屈をしているの。そんな私の快楽と好奇心を満たすようなものを、貴殿はお持ちなのかしら? 私、半端な物には興味がありませんわよ?」

「エスコートする栄誉をいただけるようでしたら……何か刺激的なお遊びでもご用意しておきましょう。ちょうど、公女のお気を晴らせるようないい趣向も準備している所です」


 ニコリと微笑んで見せると、自らグーデリックの耳元に唇を寄せ、「楽しみだわ」と囁いた。

 それに気をよくしたのか。グーデリックの手がリディアーヌの身体に触れようとした瞬間、コンコン、と扉を打った音が、はっとして二人の間に距離を取らせた。

 扉の外に見えた顔に、チッと舌打ちをしたグーデリックもまた大人しく引き下がる。

 控えているのはフィリックと、それに先ほどのフォンクラークの従者だ。


「邪魔をするな、フォール」

「失礼いたしました。ただ殿下。姫君はこの後、ご聖餐に参られねばならないとのこと。そろそろお時間が迫っていらっしゃるようです」

「聖餐? なんだそれは」

「明日の神事の(みそぎ)ですわ。そういえば私、準備に戻る所でしたの」


 口を挟むと、チラリとこちらをみたグーデリックが、ふんと機嫌悪そうに鼻を鳴らした。

 だがこういう男の機嫌の取り方は、よく知っている。だてに面倒な男友達を二人も宥めてきたわけじゃない。


「残念ですけれど……でも次にお会いする楽しみが出来ましたわね」


 うっとりとこちらから手を添えて覗き込むように囁けば、ほら。男というのはすぐに機嫌をよくする。うちの友人達は分かっていて騙されてくれる一筋縄ではいかない人達だったけれど、こちらの王太子様は案の定チョロかったようだ。

 気をよくして逆に手を伸ばそうとされたけれど、それはハラリとあしらい、さらにフィリックがすかさず扉を開いて退出を促した。

 それにムスリとしつつも、「では後日を楽しみに致しましょう」と再び手を取って挨拶のキスを送ったグーデリックには、愛想よく微笑んでおいた。


 はぁぁ……疲れた。


 一応最後まで気を抜かずに、ヒラヒラと笑顔で手を振って見送る。

 そうしている内にもテキパキとフィリックが乗り込んできて、パタン、と扉が閉められると……瞬時に馬車が動き出した。

 びっくりした。御者が出していいかと伺いすらしなかったではないか。


「ちょっとフィリ……」

「申し訳ございません、姫様……大変な屈辱を……」


 ギュッとリディアーヌの手を握ったフィリックの思いつめたような言葉が、リディアーヌに口を噤ませた。

 これでは文句が言えないじゃないか。まったくもう。


「はぁ……貴方ったら。自分でけしかけておきながら、何です、その顔は」

「失策でした」

「いいえ、あの王太子にはこの上ない良策だったわ。あれは多分、今年の帝国議会の間に流れていた“私とトゥーリの噂”を信じているわね」


 さぞかしリディアーヌが不貞で奔放な少女に見えていたことだろう。


「そういうフィリックこそ、打ち合わせもなくあんな風にふるまったということは貴方の目にもあの王太子が結構な色好みに見えたようね」

「初対面から姫様のことを嘗め回すように御覧になっていましたから」


 そう言いながらも、フィリックがテキパキとグーデリックに撫でまわされていたグローブを抜き取り、その上直接触れていないはずの手の甲やら何やらとハンカチで拭い始めた。

 これでは本当に、嫉妬している間男ではないか。多分そんなつもりは毛頭ないのだけれど周りに見られたら誤解されかねない。妙に気恥ずかしくて、適度なところで「もういいわよ」と手を引っこ抜いておいた。


「おかげで有益な時間になったわ。後ほど招待状が届くでしょうから、予定を組むようマクスに言っておいてちょうだい。そこでの成果次第だけれど、その後、皇帝陛下への面会の申し出もしておきましょう」

「かしこまりました……」


 まだどうやら落ち込んでるのか、声に覇気がない。

 まったく、仕様のない部下だ。

 慰めがてら、ポンポン、と、その膝を叩いてあげた。

 使える者は主でも使え。彼はただ、リディアーヌの言葉を忠実に守っただけのことである。


 それにね、フィリック……正直、東大陸側の作法だと、あの程度の接触なんて全く大したことじゃないんだよ。アルトゥールやマクシミリアンに比べたらあのくらい……だなんて。

 うんっ、さすがに言わないけれど。






カネル…クスノキ科ニッケイ属系香辛料。シナモン。

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