1-22 アンジェリカ・ヴィヨー(3)
side リディアーヌ
「出迎え痛み入る、アルナルディ正司教。まずはリンテンの大司教閣下に……」
「いえ、陛下。実は……」
「お久しぶりですわね、シャルル王」
はっとこちらを見上げた、憎たらしくも忌まわしい簒奪者……だがそんな色を見せぬよう、最大限の社交的な笑顔を張り付けながら大聖堂の厳かな扉をくぐった。
心なしか、エスコートをしてくれるフィリックの手がぎゅっとリディアーヌを強く支えてくれていて、そのまま階段を降りようとしたリディアーヌの足を止めさせた。
“ヴァレンティン”として、その必要はないとでも言わんばかりに。
気まずいのはあちらも同じなのだろう。見上げた国王はすぐには返答せず、やがてしかめていた顔をぐっと取り繕うと、「おぉ、これはこれは、公女ではないか」と大手を振って階段を上がってきた。
まずは目線をそろえるのが先、といった様子だ。
「神殿には滞在していないと聞いていたが。到着早々、まさか出迎えていただけるとはな」
「“偶然”ですわ。明日の儀式の場を先んじて案内していただいていましたの。陛下のご到着の時間だと知っていれば、ご遠慮しておりましたのに」
「いやいや、出迎え感謝する」
ギスギスと言葉の攻防をしている内に、奥からトレモントロ大司教もやって来た。
ベルテセーヌ王室の滞在場所はどうやらこの大聖堂内の宿舎になっているらしい。ついてきた貴族達の応対はフォルタン伯爵家が担当しているはずだから、幸い、教会の門前に付けられた馬車は五つだけ。国王の馬車と、あれは……王太子か。最後に見たのは八歳ほどの頃だったから、すっかりと青年になっている様子に時間の流れを感じる。後ろの三つは侍女や侍従、それに荷物などを積んだ馬車だ。
一体、何ヶ月滞在する予定の荷物なのだろうという量だが……まぁいい。とりあえず、いきなりブランディーヌ夫人と顔を合わせずに済んだのは有難い。
「オリオール候は? ご一緒じゃありませんでしたの?」
「あぁ。宰相家はこっちに縁戚がいる。滞在はそちらだ。子息は一人ついてきている。王太子の側近でな」
そういう王の視線の先の王太子を見ると、後ろに隠れるようにしてピンクのドレスの少女、それから見覚えのある髪の色をした青年が目に入った。
あれがアンジェリカ嬢と、オリオール家の三男マリシアン卿か。随分と親密そうな距離ではないか。
親の滞在先ではなく王太子の馬車に同乗してきたということは、どうやらマリシアン卿はアンジェリカ嬢側の人間であるらしい。母親のブランディーヌとは反対派閥ということだ。ということは、ヴィオレット嬢は実の兄に裏切られたわけか。ははん。同情する。
「何をしている、王太子。早く来なさい」
声をかけられたクロードは、随分と件のアンジェリカ嬢を気遣う様子で声をかけながら、階段を登ってきた。
眩い金色の髪……どことなく懐かしい、顔かたち。彼は母親似だから、彼の“異母兄”とはあまり似ていないはずなのに、妙に懐かしさを感じる……。
「久しくお目にかかります、義姉上」
「……」
彼に会うのは例の事件の断罪以来だ。それまでクロードは国王の庶子という扱いであって、正式な王子ではなかった。だから正真正銘のベルテセーヌの直系であったリディアーヌとはほとんど口もきいたことがなく、勿論だが姉などと呼ばれたこともない。何と呼ぶべきか……おそらくクロードの方も、迷った結果の“義姉上”なのだろう。
だが生憎と、そう呼ばれるのは不本意である。
「私は貴方の“義姉”などではなくってよ、王太子殿下。ですよね? 国王陛下」
「あぁ……そうだ。王太子、改めて“公女”に挨拶を」
そう言われて、逆にクロードはほっとしたようだ。
「失礼、公女殿下。久しぶりだ」
さすがは閉鎖的なベルテセーヌでチヤホヤされた王子様。義姉ではなく公女だと言われた瞬間、可愛らしい安堵の顔とは打って変わった不遜な物言いだ。だったらこっちも、丁寧に答えてあげる必要はないな。
「ええ、お久しぶりね、クロード殿下。大きくならせられましたこと」
本当はシャルルの子……それもクロードを相手に腰を折るなど屈辱でしかないのだが、一応仕方がない。白いドレスの端をつまんで略式の礼を尽くしてやれば、チラリと後ろの聖職者達の目を気にしたクロードも簡易ながら立礼を返してきた。その程度の礼儀は知っているようだ。
「それで、そちらが?」
中々表に出てこずもじもじとしている令嬢に視線をやると、どうすべきかと一瞬クロードが彼女を前に出すのを躊躇った様子が見えた。噂に違わぬ溺愛ぶりだ。
「紹介しよう。この度聖別を受ける、エメローラ伯爵令嬢アンジェリカ嬢だ」
それを引っ張り出すかのように言った国王陛下の言葉には、さすがに逆らえなかったらしい。しぶしぶとクロードが後ろを窺うと、白とピンクの、日中には不釣り合いなほどにばさばさとしたドレスを纏ったピンクブラウンの髪の少女がチラリとこちらを見た。
エスコートを受けるというよりは、おびえたようにぎゅっとクロードの腕に抱き着いている。それに伯爵令嬢という紹介を受けながら、すぐにこちらに礼を尽くす様子もない。これでは自ら紹介をするという破格の待遇をした国王に対しても、礼を受ける側の公女に対しても失礼だ。
「大丈夫だ、アンジー……」
そんなアンジェリカ嬢を宥めるような物言いをするクロードの言葉に押されて、ようやく一歩踏み出してドレスをつまんだ令嬢のカーテシーは、ふむ、聞いていた通り、やはり一応の教育は受けているらしい。
「あの……お初にお目にかかります、公女殿下。エメローラ伯爵家の長女、アンジェリカと申します。どうぞアンジェリカとお呼びください」
「初めまして、アンジェリカ嬢。ヴァレンティン大公家長女リディアーヌよ。遠いところご苦労でしたね」
「い、いえっ。公女殿下こそ、私の聖別のためにわざわざいらしてくださったとかっ」
「皇帝陛下のご下命ですから」
そう口にすると、ピクリと国王が眉をしかめた。
リディアーヌが聖別に参列することは、教会側の働きかけによるものだった。ゆえに国王もリディアーヌが聖別を妨害することを懸念していたはずだ。だがそれが“皇帝の意思”であったと聞けば、おそらく別の意図を察知したはずだ。
皇帝は、リディアーヌという聖女の死に加担した側だ。
「ほぅ? 皇帝陛下が?」
「お互い思う所はございますけれど……神事のことに俗世は介入せぬもの。私心はありませんわ。どうぞ安心して、神事に臨まれるとよいかと存じます。分かったかしら? アンジェリカ嬢」
一応アルナルディの目もあるからと言葉を濁した。これで伝わってくれるなら見込みもあるのだけれど。
「も、勿論です……聖女様……」
うん? う、うん? どっちだろう??
なんだか私、怯えられていないだろうか?
「そのように怖がられるとは……一体ベルテセーヌで、私の噂がどう広まっているのか気になる所ですわね」
「ッ、邪推するなっ。アンジーはただ少し、緊張を」
「あぁ、結構ですわよ、クロード殿下。ご年齢からしても、まだ外交の場には出たことのないご令嬢なのでしょう? 気にしないわ」
「ッ……」
本当に気にしない。ちょっと想像していた反応と違って驚いただけである。
「さぁさぁ、立ち話もなんでございます。長旅のこと、お疲れでございましょう。国王陛下、王太子殿下、そしてアンジェリカ様。お部屋にご案内いたしましょう」
場の空気を察してか、そうトレモントロ大司教が促すのに合わせて、リンテンの聖職者達がにこやかに「さぁ」「さぁ」と皆を中へと誘導し始めた。リディアーヌもそれに合わせて、「また後程、聖餐でお会いいたしましょう」と声をかけて見送った。
まだチラリチラリとアンジェリカがこちらを窺っているように見えたけれど、やがてビクリと何もない空中を凝視したかと思うと、再び王太子の影に飛びつきながら、扉の中へと消えていった。
ふむ?? 一体、何なのだろう?
「いかがなさいましたか? 聖女様」
「いえ、ちょっと考え事を。トレモントロ大司教様、中を見せていただき有難うございました。先ほども申した通り、聖餐には私も参加させていただこうかと持っているのですが」
「勿論、心より歓迎いたします。リンテンにとってもまこと、名誉なことでございます」
「感謝いたします、大司教様。それでは仕度を調え、またお伺いさせていただきます」
「お待ちしております」
恭しく頭を下げた大司教様に見送られながら、ちょうど国王らの馬車と入れ替えに入ってきたルゼノール家の馬車に乗り込んだ。
さすがに、教会の門前でフォンクラークと接触することは出来なかったか。
「マクス。少し観光でもしながら、ルゼノール家に帰ることに致しましょう」
「承知しました」
正直、シャルル王の顔を見て冷静でいられるか自分でも自信がなかったのだけれど、案外何とかなった。思ったよりも、激しい感情が湧いて出なかった。
私は知らず知らずのうち、ヴァレンティンでの時間に癒されてきたのだ。過去を過去として割り切れるだけの愛おしい思い出が、ちゃんと蓄積されているのだ。
それが少し嬉しく。
だが忘れるべきではない恨みを思うと、恐ろしくもあった。




