1-21 アンジェリカ・ヴィヨー(2)
side アンジェリカ
『最後のお仕事<第一章>
貴女は遂に、正聖女殿下と出会います。我が使徒として愛し子に跪き、共にベルテセーヌへと連れ帰らねばなりません。
①実行する ②実行しない』
「は……? 何よ、これ……」
ガタンッと揺れた馬車の中。呟いた言葉に、「どうした?」と目の前の王子殿下が問うてくる。それに慌てて「何でもありません。ちょっと長旅に疲れてしまって」と誤魔化した。
「もうリンテンに入ったから、あと少しだが……肩……いや、膝を貸そうか?」
そう前のめりに手を差し伸べてくださる気遣いは乙女にとってのトキメキポイントだが、今ばかりはそのせいで光の板が遮られてしまって邪魔でしかない。慌ててパッと光の板が見えるところまで引き下がった。
それが不自然だったのだろう。困惑気に眉根を寄せたクロード王子に、慌ててチラチラと王子の隣の側近……マリシアンを見やり、肩をすくめてみせた。
「クロード様……マリシアン卿が見てます……」
「ふっ。気にするな」
気にしているわけじゃないけれど。でもとりあえずニコリと微笑んでみせて、「気分転換に窓を少し開けてもいい?」と気をそらしながら、馬車の窓を開けた。
光の板がそれに合わせてヒュンと目の前に動き、ちょうど窓に重なるように移動する。どうやら選択肢を選ぶまで、消えることはないらしい。
だがこれは一体……どういうことか。
最後の仕事? 聖女と出会う? 正聖女殿下、とは何だろうか? 聖女は私、アンジェリカのことじゃなかったのか。
そう思わず胸元の聖痕を指先で撫でると、「不安か?」という王子の問いに思考を妨げられた。まぁ確かに、聖別の儀へと向かう道中だ。そう見えたのも無理はない。
「勿論です。だって私、自分が聖女だなんて言われてもそんな自覚はちっとも……」
「何も臆する必要なんてない。アンジェリカは紛れもない聖女だ」
そう力強く言い切ったのは、自分の妹が婚約破棄されようというのに微塵も躊躇いなくアンジェリカに味方をしたマリシアンだ。彼を味方につけたのは光の板にそう指示されたからであったが、彼には宰相オリオール家の協力を取り付けるという意味で大いに世話になった。
貴族としての選民意識が高い男だから正直あまり親しくなりたい相手ではないのだが、敵に回すと厄介な上に王子の腹心だ。光の板にもくれぐれも機嫌を損ねないよう言われている。
だから苦笑いでご機嫌だけは取っておいたが、正直それ以上取りなす気にはならず、返答は曖昧に濁しておいた。
それが益々不安そうにしているかのように見えたのか、クロードがぎゅっとアンジェリカの手を握った。
色々と考えることは多いけれど、あぁ、やっぱりこの美形の王子様にのぞき込まれるのは何とも言えない眼福だ。
「心配はいらない。聖痕は本物なんだ。確かに不安要素はあるが……だが大丈夫だ」
「不安要素?」
そんな話は、国を出る前には聞かなかった。いつもなら適当に聞き流してしまったかもしれないが、その言葉に引っ掛かりを覚えたのは、光の板の不穏な指示のせいだろうか。
“我が使徒”――、“愛し子”――。どういうことだろうか。
「クロード様……それはもしかして、“正聖女”のことですか……?」
誰のことかなんて知らない。ただ何かが隠されているのだと察し、鎌をかけただけだ。
だが思いのほかビクリと過剰な反応をしたクロードは、「知っていたのか?!」と驚きの声をあげた。
いや、知らないのだが……一体何事なのだろうか。
「正聖女……そんな物言いをするのは教会の連中だな。気にするな。君とて紛れもない正しい聖女なんだ。不安になどなる必要はない!」
「……」
だが、光の板はそうは言っていない。それにその様子だと、教会の誰かが正聖女と呼んでいる人がいると? それはまるで、アンジェリカが正しい聖女ではないと言っているも同然ではないか。
だけど……本当はいつも少し、引っかかっていたのだ。
この光の板は、アンジェリカのことを“聖女”と呼んだことはない。その言葉はいつも、“使徒”であり、そして過去にその選択肢を選んだのはアンジェリカ自身だ。だがその光の板が今初めて、“正聖女”という言葉を告げている。まるで、お前は偽物だと言わんばかりに。
いや、違う! だって私は偽物を選択しなかった!
「ッ……」
でもまって。まってまって。もしかして、教会にもこの光の板が見えている人がいるのでは? その人はずっと、アンジェリカが“偽の聖女”にはならなかったけれど、聖女ではなく“使徒”になったことを知っているのでは? なのに今、私が聖別の儀で聖女を名乗ったりしたら、どうなるの?
光の板の指示はいつでも的確で、その通りにしていればこの通り、幸せな未来がやって来た。人々は次期王太子妃様とアンジェリカに恭しくし、あるいは聖女様と呼んで大切にしてくれる。それに何よりそのおかげで、クロードという素敵な王子様とも結ばれた。
なのになんだろう。この言いようのない不安は。
もう一度光の板に視線をやると、隅々まで何度も何度も読みこんだ。
この光の板が何なのかは未だ知れない。だが何をすればどういう未来になるのかを知っている、何か超越した存在であるのは確かだ。その何かが、アンジェリカのことを“我が使徒”と言っている。
我が……我が?
はっと息をのんだ。この光の板が、“自分”という存在を明らかにしたのは初めてだ。
この板は無機質なものではない。何かの意思が介在している物ということだ。
その使徒として、これから愛し子とやらに会うことになり、そしてアンジェリカはその愛し子とやらをベルテセーヌに連れてゆかねばならないらしい。
どういうことだ? もしその愛し子とやらが聖女なら、アンジェリカはたちまち偽りの聖女だったのだと断罪されかねないではないか。冗談じゃない。
だが光の板は、これまでは少なくともアンジェリカにいい未来を示唆してくれていたはずで。
「アンジー……君が誰に“彼女”のことを聞いたのか知らないが、そんな顔はしなくていい。心配せずとも、彼女がベルテセーヌの聖女になることは絶対にない……」
は? なんですって? ベルテセーヌの聖女? 待って。王太子であるクロードが、すでにベルテセーヌの聖女として認識している存在が他にいるということ?
駄目だ。頭の中の処理速度が追い付かない。
「クロード様、“彼女”とは……一体、どんな方なの? リンテンに、いらしているのですか?」
「うん?」
少し言葉を濁しながら情報を集めようとしたが、少し不審がられたか。
だが隣でマリシアンが、「確かに、ちゃんと説明しておくべきです」と言ってくれたので、そうそう、と全力で頷いて見せた。ついでに、「私には教えられない秘密なんですか?」と可愛らしく首を傾げてウルウルして見せれば、チョロイいもんである。
手と首を必死に振ったクロードが、「そんなことはない!」と叫んだ。
「そんなことはないが、ベルテセーヌ国内ではすでに口に出してはならない名前で……だから君にもちゃんと説明できなかったんだ。いや、君が“彼女”のことを知っていたことにひどく驚いているくらいだ。特に彼女が今回の儀式に参列することは、父上と教会、それに宰相とブランディーヌ夫人くらいしか知らないはず」
チラリとその宰相とブランディーヌの子であるマリシアンを見やったクロードに、マリシアンもコクリと頷いた。どうやら王子にその情報を伝えたのも、マリシアンであるようだ。それほどに硬く秘密にされていた何かがあるということである。
「アンジーは一体どこで?」
「私は……」
父から、というわけにはいかない。国王様……いや、重要機密を王子様より先んじて教えてもらえるはずなんてない。アンジェリカを目の敵のように睨んでくるブランディーヌ夫人なんてもってのほかだ。宰相とも特に親しいわけでもないし……。
「神様からの……啓示が、あったのです」
苦し紛れの言葉だ。いくら何でも荒唐無稽すぎるかとも思ったが、アンジェリカを聖女と信じてやまない彼らは全く疑う様子もなく、「そうか! さすがだ!」「素晴らしい!」と、勝手にはしゃいだ。
まぁ……まったくの嘘では、ない。
「神は何と? 何と啓示があったのだ?」
「……」
先にその彼女とやらのことを知りたいのだが……いや、こう見えてクロードも王子様だ。アンジェリカの言葉の真意を探っているのかもしれない。
「よく分かりません。でも、リンテンで“もう一人の聖女に会うだろう”と」
「それから?」
「それだけです……」
ふむ、と唸ったクロードは少し不満そうだったけれど、まぁ隠していたはずの人物の存在を知っていたというだけで、啓示があったこと自体は信じたようだった。
「そうであるなら、もう隠しておく必要もない。今回の聖別の儀には、“亡くなった聖女”が臨席する予定になっている」
「……」
「……」
「へっ?」
な、亡くなった? お、おばけ?!
「あ、違う。生きている。いや、生きていないが。いや、死んでいるというのは語弊だ」
「は? えっ?」
「あぁ、くそっ。色々と誓約があるせいで、言葉にするのが難しいんだ」
誓約とは神に誓うもの。一体彼は神に何を誓約しているのだろうか。
「アンジー。君も先王の歴史は知っているだろう? 学校で習ったはずだ」
「え? えぇ……クリストフ二世陛下。殿下の伯父君に当たられる王ですね」
「生前にお目にかかったことはないがな。先王には子が二人いたが、先王が亡くなった時まだどちらも幼かったため、王弟であった私の父が後を継いだ。先王の王子も私達が幼い頃に亡くなっている」
「知っています。その……前の王太子様が……犯人だったのでしょう?」
「あぁ、そうだ。さしずめ、先王の嫡子である従兄に地位を脅かされるのではと先走ったのだろう。よくもまぁ恐ろしいことをと私も幼いながらに恐怖したものだ」
「おかげで教会とは随分と仲がこじれてしまったと習いました。先王の王子女は随分と教会と親しかったのだとか」
「その理由が、先王のもう一人の子……リディアーヌ王女だ」
「リディアーヌ……」
名前を呟いた瞬間、ピロンッ、という軽快な音と共に、目端でチカチカしていた光る板の文字が増えた。『愛し子』という所が、『愛し子リディアーヌ』へと変わっている。
「……聖女、リディアーヌ……」
だからそう呟いたなら、「知っていたのか」と言われた。
あぁ、なんてことだ。先王女というのは確か、そのクロードの異母兄である前王太子が毒殺を試み、兄王子と一緒に死んだはずの王女の名前だ。だが光の板は、そのリディアーヌこそが愛し子……聖女だと言っている。
生きているのだ。聖女であることを既に教会に承認されている、先王女が。
「そんな……その亡くなったことになっている王女様が、いらっしゃるんですか?」
「アンジー、言葉に気を付けねばならない。リディアーヌ王女は亡くなったのだ。あの件に関わった我々は皆、教会でそのように神に誓約している。だから口には出来ないのだ」
驚いた。まさか授業で死んだと教わっていた人が生きていたこともだが、聖女信仰の厚いベルテセーヌで、よもやその聖女が国の外にいようだなんて。
あぁ、そうか。この光の板は、だからその聖女様を国に連れ戻そうと……“アンジェリカをけしかけている”のだ。
なんてことだ。もしかして私は、この光る板に……“神”に、踊らされているのか?
冗談じゃない!
「皆……そのリディアーヌ様が国に戻ってきてくださることを願っているのですね。私ではなく……」
「違うっ! 誤解するな、アンジー。そうじゃない! それにベルテセーヌを捨てて出て行ったのは、そのリディアーヌ姫当人だっ」
「え?」
つまり、聖女は自ら国を出て行って……でも神はそれを快く思わずにいるのか?
国を出ていく……そのことに、思わず“ヴィオレット”の後姿が重なった。
違う。ヴィオレットは聖女なんかじゃない。本当の泥水もすすったことのないようなあの甘ちゃんは、ただの偽善者だ。散々クロードに付きまとっていたのに、ある日突然そっぽを向き始めたかと思うとあけすけに殿下に手ひどい態度を取ったり、アンジェリカを振り払ったり、あるいは婚約破棄を言い渡されて『喜んで!』なんて満面の笑みを浮かべて出て行った。
あの顔は絶対に、強がりや負けん気なんかじゃなかった。考えれば考えるほどに、光の板と同じほどに奇妙な人だ。
そのおかしな行動に、一度は彼女も光の板が見えているのではと疑ったこともあった。だがどうやらそんな素振りはなく、その代わり妙に聡いというのか鋭いというのか、光の板に従ったはずなのに肩透かしを食らうことも何度かあった。まぁそれでも光の板の指し示す通り、彼女は断罪され国外に追放されたのだけれど。
ともあれ、彼女だけは絶対に聖女ではない。だってこの光の板が追放した人物なのだから。
「亡き王女は今、ヴァレンティン大公家の公女と呼ばれている……たとえ過去が何であれ、今はヴァレンティン公女殿下だ。そのように接すればよい」
「ヴァレンティン……北の奥にある小国ですね」
「くれぐれも態度には気を付けるようにしなさい。ヴァレンティンは選帝侯家だ」
「選帝侯……あ」
そういえばそんなものを授業で習ったことを思い出した。あまりにもピンとこない話だったから忘れていた。なんだったか……王達の中から皇帝を選ぶ権限を持っている特別な家、だったか。
ふぅん……。
「わざわざ私の聖別の儀にいらっしゃるだなんて……やはり、私のことを認めてはくださらないのでしょうね。きっとブランディーヌ夫人も……教会、も」
「そんなことは関係ない! アンジーは紛れもない聖女だ。教会は嘘をつかない!」
なんて純粋な王子様なのか。信心深いといえばその通りだが、いささか人間を知らなさすぎだ。聖職者だって、欲にまみれた人間だというのに。
「それに、公女だって……ベルテセーヌに戻るつもりなどないはずだ」
「でも神がそうお望みになったら……」
「いや、有り得ない。ベルテセーヌに戻ったりすれば、彼女は……」
ハッと口を噤んだクロードに話の続きを促したかったが、馬車の隣でゴンゴンと扉を打った護衛騎士に、会話は噤まされてしまった。
「失礼いたします、殿下。もう間もなくリンテン大聖堂に到着いたします」
まぁいい。理由なんてどうでもいい。今はそれよりこの光の板にどう答えるかだ。
もはや、最初から選択肢は<はい>しかないようなもの。だが果たしてこれを信じていいのかどうか。無事に指示通りにしたら、これまで通りアンジェリカの将来は安泰なのか。それともまさか、自分で自分の首を絞めろと言われているのか。
分からない……分からないが、いずれにしても聖別の儀で“聖女である”と認められることが先決だ。じゃないと、そもそもクロードの許嫁として認められない。罪人扱いはまっぴらだ!
「クロード様……私、怖いですわ。本当に、ちゃんと認めてもらえるのでしょうか」
「何も心配いらない。私が必ず君を守る」
「約束……約束してくださいね、クロード様」
「神に誓って」
神……あぁ、果たしてその誓いに、どれほどの効力があるものか。
誓うなら、竜か死神かに誓ってもらいたいものである。
***
ギシリと停まった馬車に、緊張が募る。
どうしようか。まだ、光る板に答えを出せていないのに。
「殿下」
扉を開けた従者が、チラリとアンジェリカを気にした様子を見せたかと思うと、こそこそとクロードに何かを耳打ちした。
なんだろう……嫌な感じだ。
間もなくぎゅっと眉をひそめたクロードは、「分かった。問題ない」と答え、アンジェリカに手を差しだす。大丈夫……私は、“王子”に守られている。
「アンジー……大聖堂に、“義姉上”がいらっしゃるらしい……」
姉上? 一瞬ピンとこず。だがすぐにはっとした。
今話題に出たばかりの人……聖女リディアーヌのことだ。
「あ……」
「大丈夫だ。何の心配もいらない。私から離れないように」
「……はい」
エスコートを受けて降り立った地面が、いやに乾いて感じられる。
不安のせいか、いつもよりぎゅっと王子に抱き着いて、その背中の後ろから周囲を窺った。
先に馬車を降りた国王様が、誰か聖職者と挨拶をしている。
その後ろから……聖堂の中から、なにか揺蕩うようにして、“銀の光”が現れた。
日の光にきらめく長い髪。何一つ奇をてらわない白一色の古風なドレス。聖職者を従え、麗しい青年にエスコートされながら、凜と佇みながら階下を見下ろした玲瓏とした立ち姿。まるでこの場に神が降臨したかの如く視線をひきつけた美しい人。
あぁ、そうか――あれが、“本物の聖女様”だ――。
見た瞬間に悟った。やはり私は、聖女ではなかったのだ。
ピロリンッ――。
『制限時間をオーバーしました。自動的に<実行する>を選択いたします。貴女が聖女に害をなした場合、貴女には死よりも辛い未来が訪れる事でしょう――』




