1-20 アンジェリカ・ヴィヨー(1)
side アンジェリカ
アンジェリカ・ヴィヨー、あらためアンジェリカ・ジャレット・エゼノールの転機は、十二歳の時。育ての親であった祖母が亡くなったことで訪れた。
祖母は口少なくマナーに煩い貴婦人で、跡取りの途絶えたヴィヨーの姓を未練がましく名乗っている人だった。
住んでいる町は伯爵領の中でも片田舎で、閉塞的な村の生活の中、他の村人達からは常々、生まれも育ちもド平民なのに騎士爵なんて過去の名誉に縋っていることを嘲笑われたものだ。そのこともあって、自分は爵位ある家の血を引いているのだという驕りを抱く以上に、ヴィヨーを名乗る祖母を疎ましく感じたものである。
だがそれでも、育ての親だ。
実の母は五つの時に亡くなっているし、父親は誰とも知らない。そんな中、騎士爵家の娘だということに並々ならぬ矜持を持っているはずの祖母は、自ら手を土に汚して畑を耕し、空いた時間を内職に費やし、村の人々に嘲られながらなお、微塵も態度を揺るがせることなく、孫娘を貴族の令嬢のごとく厳しく育て上げた。
それに感謝をしたのは、祖母が死んでしまってからだけれど……。
祖母が亡くなった時は、その空しさや悲しさより、これから自分はどうやって暮らしていけばいいのかという漠然とした不安の方が大きかったと思う。仕方がない。生活していける目途が無かったのだ。悲しんでいる暇なんて、なかった。
だがそんなアンジェリカの目の前に、その人は突然やって来た。
ボドワン・ブレスト・エゼノール伯爵――この土地のご領主様だ。
『会いたかった、アンジェリカ――私の娘』
その日、みじめったらしく騎士爵なんていう名誉爵位にしがみついていた祖母とは一転。私は一夜にして、伯爵家のご令嬢になったのだ。
無論、突然そんなことを言われたところで信じられなかった。
母は父のことは何も語ることをしなかったし、祖母はその話をひたすらに厭んでいた。それに今まで十二年間放置されていたのだ。みじめったらしい祖母と母の墓標を前に、どうしてそんな話をいきなり信じられようか。
だがその時初めて、目の前で奇妙な現象が起きた――。
ピロリンッ――。
『序幕:伯爵家の秘密の子<第一章>
貴女を迎えに来たのは、エゼノール伯爵。貴女の実の父親です。父親は貴女を利用するため、手元に引き取りたいと思っています。手を取りますか?
①はい ②いいえ』
意味が解らなかった。
目の前には見知らぬ立派な身なりのお貴族様。そのお貴族様と自分との間に、おかしな光る板が浮いていた。ぶんぶんと手で触ってみたが触れない。困惑気に辺りを見回してみたが、誰にも見えていない。これは一体、何なのか。
とりあえず、<はい>か<いいえ>か、選べばいいのだろうか?
どうやらこの人が父親であるのは間違いないようだけれど、変な板には明らかに利用するためだなんて書いてある。ただでさえ騎士爵なんてもののせいで村に馴染めなかったのに、折角祖母もいなくなって村に溶け込めるチャンスを不意にするわけにはいかない。
『あの、何かの間違い……』
だから答えは<いいえ>一択――そう思っていたのに、断ろうとした瞬間、光る板の<いいえ>が赤く光を帯び、『こちらを選択した場合、伯爵の好感度が下がり、伯爵家での生活が困窮したものとなります』という文字が浮かんだ。
なんだこれ。なんなんだこれ。
『間違いでは、ないのですか?』
『間違いなはずがあるものか。私はアレットと愛し合っていたのだ。まさか娘がいるとは知らなかった……』
ジィっと感慨もなくこちらを見下す伯爵の顔を見れば、断ったところでこちらに選択肢がないことが良く分かった。
『父さ……いえ……お父、様?』
『あぁ、そうだ。私が君の父親だ』
ピカンと、今度は<はい>の文字が光った。急いで目を凝らせば今度は、『こちらを選択した場合、伯爵の好感度が上がり、伯爵家での生活が楽になります。追記:好感度をあげればあげるほど、伯爵は貴女を大切にします。可愛がられるよう努力するのが良いでしょう』との文字が浮かんだ。
どこからどう見ても、こちらを選ぶしかない。
『う、嬉しい、お父様っ。私、ずっとお父様に会える日を待ち望んでいたんです!』
我ながら白々しいとは思ったが、再びピロリンと軽快な音を立てた光の音は、伯爵の好感度が順調に上がったことを報告してくれた。実際、居丈高だった伯爵は驚いたような顔を見せたかと思うと、ハッと耳を赤くしてたじろいだ。意外とチョロい。
何だか意味は分からないが、これはもしかすると昔神父さんが言っていた“神様の啓示”というやつなのだろうか。
そういえば祖母も昔から、厳しく作法をしつけるたび、口癖のように言っていた。“いずれ聖女様に会えば分かるわ”と。
一体何の事だかさっぱり分からなかったけれど、もしかしたら祖母も何か神様からの啓示を受けたことがあったのだろうか。
不可解なことは多かったけれど、伯爵の腕に抱き着いて住み慣れた粗末な家を出たアンジェリカに村人たちが顔を青ざめさせてヘコヘコと腰を折るのを見た瞬間、そんなことはどうでもよくなった。
祖母をのけ者にして村の片隅に追いやっていた村人たちは、二度とアンジェリカに石を投げることも暴言を吐くこともない。いや、領主様の娘に石を投げたのだ。いまや私は彼らに対し、どんな罰すらも与えられる。
報復を恐れてビクビクと逃げる姿が羊の群れのように愚かしく、愉快だった。
***
光の板は、いつでもどこでも現れるわけではなかった。
好きな時に好感度を教えてくれるわけでもなく、一体その好感度とやらがどのくらいあればいいのか、どのくらい溜まっているのか見えるわけでもない。ただ何か重大な決断をせねばならない時、突如として現れて、二択か三択かを突き付けてきた。
最初はおまけとばかりに選択した後のヒントを教えてくれていたけれど、それは次第に見えなくなり、だが見えなくても察せられるようになっていった。
それに光の板は、思いがけない情報を得る大きな手段にもなった。
父親がアンジェリカをどう利用しようとしていたのかを教えてくれたのも光の板だ。
『聖女への誘い<第三章>
父親は貴女を偽の聖女に仕立てようと考えています。聖女ベルベットの子孫にして先々王クリストフ一世の落胤であるアレットの娘である貴女には、神の使徒として特別な恩寵を得る資格も有ります。聖女を騙ることは大罪ですが、それでも聖女を名乗りますか?
①はい ②いいえ
追記、いいえを選択すると自動的に使徒となります』
迷わず、<いいえ>を選んだ。
よく考えるまでもない。<はい>を選べば貴女は大罪人として酷い目に合うでしょうと、暗に語りかけられている気がしたからだ。
そしてその情報から、自分がこのベルテセーヌ王国の王様の子孫であること。そしてどうして祖母が口数の少ない厳格な淑女であったのかを知った。母アレットは、王様の隠し子だったのだ。
まるで夢物語のような事実に驚きもしたし、浮かれもした。
だがその先々王陛下とやらが随分と多くの落胤を残していることで有名だと知った時には、がっかりもした。しかし母が王様の子であったことが、祖母亡き今頼る者のないアンジェリカを伯爵がちやほやと迎え入れてくれた最大の理由だったことは確かだった。
そうしてアンジェリカは神の使徒――本物の聖女となった。
胸元に自然と発現した刻印に伯爵は歓喜して飛び上がり、アンジェリカを王都へと連れて行った。
***
翌年、貴族が集まる学校へ入れられた時、伯爵からは何か指示があったわけではなかったけれど、光の板が自然といくつかの人物と親しくするようアンジェリカを導いた。
王太子クロード、宰相息マリシアン、騎士ヴェルノーに、レオニールとミシェル……今までであれば夢にさえ見ない、遠い雲の上の人物だった人達だ。
光の板は彼らがどこにいるのか、何をすべきなのかをすべて知っていて、適切な選択肢を選びつつ、父親にしたように笑顔を向けるだけでいとも容易くお近づきになれた。
とりわけ熱烈にアンジェリカに嵌ったのは、王太子クロード殿下だった。
はじめは光の板の言うがままに、ただ“お近づきになっただけ”だったのだが、夢のようなんて世界からは一転、苦渋と苦悩に押しつぶされそうな王子様は呆れるほど頼りなく、ちゃんとしなさいよと叱咤するつもりで爛漫に振舞っているうちに、自分の行動が光の板のせいなのか、ただの無意識なのか、分らなくなっていった。
彼に『君はとても努力している』『その努力に安らぎを感じる』と抱きしめらると、そのたびにこの胸はドキドキと高鳴り、逆に私の方が励まされ、慰められ……。
そして私はいつしか、恋に落ちた。
これは光の板が導いてくれた、私へのご褒美なのだろう。
いつも王子の側にいる侯爵家のご令嬢が、同じクリストフ一世の庶出の孫娘だと知った時は驚いた。自分と同じ生い立ちだ。
だったら、王子の許嫁が彼女でなく私であって悪いはずがない。それに何より、私は“聖女”なのだ。
王子はそれでも許嫁の侯爵令嬢の後ろ盾のことを気にしていたようだったけれど、だったらこの聖痕が助けにならないかと秘密を打ち明けた。途端、彼は跪いてアンジェリカに将来を請うた。それはまさしく、神様からの啓示……祝福に他ならなかった。
私は、愛する人にプロポーズされたのだ。
あぁ、なんという夢物語なのだろう。
きっとすべては神々の恩寵。聖女への祝福なのだ。
光の板に従ったことは、何ら間違ってはいなかった!
だなんて……あの頃は少しも気が付かなかった。光の板の言葉が段々と選択肢を与えるのではなく、アンジェリカの行動を“指示”し始めていたことに。
『ついにきたるべき時が来ました。悪女ブランディーヌの娘を追い詰め、王太子クロードとの婚約を破棄に持ち込んでください。そうすれば貴女が王子妃です』
婚約破棄の一件を計画したのは、クロード殿下と父伯爵だ。殿下は国王陛下も知っていると言っていた。だから安心して欲しいと。
計画が実行された日、唇に少し触れてしまった毒は死ぬかと思うほどにピリピリと痛かったし、暴れるメイドの持つナイフが肌を傷つけないことは知っていても折角のドレスを破られるのは恥ずかしく、怖かった。
けれどこの胸元の刻印に誰もがあっと固唾をのみ口を噤んで頭を垂れた様子は、かつて村で恐怖に引きつった顔をした村人達のそれを思い出させるもので、すべての恐怖を払拭するほどの愉悦の極みだった。
これまで庶子だなんだとアンジェリカを貶していた高貴な者たちがそろって顔を青ざめて蹲っている。自分が正しいとばかりに口うるさくうざったかったヴィオレット嬢が、真っ青な顔で震えている。
『Félicitations ! 貴女は神の使徒としての役割を見事に果たしました!』
光の板が、そうアンジェリカを讃えてくれた。
こうして私はこの国でもっとも高貴で、最も誉れ高い聖女となった。
だった、はずなのに――。
ピロリンッ――。
『最後のお仕事<第一章>
貴女は遂に、正聖女殿下と出会います。我が使徒として愛し子に跪き、共にベルテセーヌへと連れ帰らねばなりません。
①実行する ②実行しない』




