1-19 聖堂の下見
女伯との話し合いが終われば、早速行動の開始である。
今日は教会で儀式の準備の様子を巡検し、あわよくばベルテセーヌの新聖女様とやらも一見したいと思っている。色々と情報は集めたが、やはり自分の目以上に頼れるものはないからだ。
あとはベルテセーヌの王族がリンテンに来ることを知ったフォンクラークの王太子の動き次第だ。どこかしらのタイミングで直接接触して、その本心を自ら耳に入れ、できれば密輸入品の一部を王太子から自ら贈っていただける関係に持ち込みたいところである。
明確な証拠さえ出揃えば、ブルッスナー家のことはルゼノール家に。フォンクラークの王太子の件は……ふむ。折角皇帝直轄領の隣にいるのだし、皇帝陛下に自ら献上に出向くのも悪くない手か。皇帝に自ら会うなど断じて気の乗らない話であるが、アルトゥールのせいで直轄領が脅かされかけたとなれば、皇帝もアルトゥールを叱責せざるを得ないだろう。
それで素直に叱られてくれるアルトゥールではないだろうが……アルトゥールに親切をして直接密貿易の件を教えてやるよりははるかにいい。
もっとも、アルトゥールがフォンクラークの王太子の愚かな行いをまったく知らずにいるはずもないと思うのだが、一体今頃何を考えているのか……それを知ることが出来ない事だけが、今後の計画における問題点である。
「ひとまず、この件に決着をつけるにしても時間がいるわ。今は明日の聖別の儀に力を入れておきたいところね」
「教会に参りますか?」
「ええ。ベルテセーヌ側に監視されながら行動するのは避けたいから、アルセール先生に案内をお願いしましょう」
「先触れは出してあります」
優秀な側近たちの手際に満足しつつ、昼下がり、早速行動を始めた。
足の速い竜車は町中をゆっくり走らせるには向かないから、ルゼノール家が出してくれた馬車で明日の聖別が行われるリンテンの大聖堂を目指した。
教会の直轄領らしく、リンテンには大小様々な教会が領地中に散らばっているのだが、やはり大聖堂というだけあって、領都中央にそびえる聖堂は本山の教会にも負けぬ劣らぬ建物である。本山よりも北方の教会らしい分厚い作りをしており、屋根が高く、窓が細い。教会の多くは石造りだけれど、寒さ対策で内部は多くのカーペットとタペストリーに覆われており、金糸銀糸の装飾が金属の装飾とはまた違った荘厳さを醸し出している。
リンテンの大聖堂を訪れるのは数度目だけれど、いつもは学校との行き来の際に訪れるばかりで、つまり学校のオフシーズンとなる冬の終わりから春先にしか訪れたことがなかった。今はその季節とは打って変わった薄手のタペストリーが目立ち、絵柄も全然違う。新緑や華やかな柄の堂内はとても新鮮なものに感じられた。
出迎えてくださったトレモントロ大司教がどれほど今回の儀に関与しているのかは知らないが、先んじてアルセールが上手く根回しをしてくれていたのか、大司教様は迷うことなくアルセールへと案内をするよう命じてくれた。
どうやら昼餐の時間だったらしいアルナルディ正司教達が奥から出てくる時にはもうそう命じられた後で、さらにトレモントロ大司教はベルテセーヌの聖職者達に「準備を続けましょう」などとさりげなく仕事を割り振ってくれた。
トレモントロ大司教様は一見すると温厚で凡庸で、政治には関わり合いになりたくないと望んでいらっしゃるような根っからの聖職者といった雰囲気の人柄だ。信者や聖職者達からの信頼も非常に厚い人徳者でもある。だからこそどう振舞うのかが読めなかったのだが、アルセールの手腕なのか、それともさりげなく事情を察して、“聖女リディアーヌ”の意のままに動いているのか……まったく、腹の底の読めない御仁である。
「こちらが儀式のおこなわれる大聖堂になります。明日の席次ですが、殿下はこちらに」
すでに上座に誂えられていた椅子の一つに案内され、コクリと首肯する。
さりげなく側に控えるフィリックがエスコートを担っていることについてはアルセールがチラリと視線を寄越したけれど、すぐに見なかったふりをして「次は」と歩を進めた。
思う所はあるが、リディアーヌが意味もなくフィリックとベタベタしているわけではないことはどうやら昨日からこの方、察してくれているようである。
「聖水の水盤が置かれるのはこちらですね」
「聖水はずっとアルセール先生が管理をなさっているのですか?」
「いいえ。今夜の内にも聖別の場の清めの儀を行いますが、その際に私からこの場に捧げて、一晩、この聖堂内に安置されます。それから儀式までは、監視の者がつきます」
「監視の者というのは、リンテン教会の者かしら?」
「三交代の予定です。今宵がリンテンのアンザス司祭、夜間がオンバーリ助祭、夜明け前から儀式が始まるまではベルテセーヌのラントーム助祭。ラントーム助祭についてはベルテセーヌ教会側からの強い推薦です」
ということは、もしも聖水に何か細工をするとしたらラントーム司祭ということか。
「今宵の内にも皆の目にも分かるように聖水をあらかじめいくつか小瓶にとっておく、みたいなパフォーマンスを見せる機会はありませんか?」
そう尋ねると、すでにリディアーヌの中で何かしら計画の全貌があることを察したのだろう。少し考えたアルセールは、「できなくはありませんね」と頷いた。
「それからもう一点。トレモントロ大司教様は、“どちら”かしら?」
「大司教閣下は、ただ極めて公平なお方だとだけ申し上げます」
どうやらアルセールとしても、大司教を巻き込むことは避けたいようだ。
まぁ確かに、温厚な閣下が統治者であるからこそ、リンテンの三伯爵支配制は成り立っている。ルゼノール家としても、大司教様には迷惑をかけられないのだろう。
だが同時に、極めて公平であるという言い方は、やはり大司教様が敬虔な聖職者であることを意味している。敬虔な聖職者ということは……どうやら教皇聖下にも比肩して“聖女”への信仰は厚そうだ。
ほうほう。つまりアルセールからはどうしようもないが、“聖女”からの指示であれば受け入れてくださるということだろう。
「それは大変、信頼できそうな御方ですね」
おかげで大体の計画が整った。
「アルセール司祭。その今夜の清めに、私も参列できるかしら?」
「勿論です。そうでなくともお声がけをしてはというお話は方々から上がっていましたから、ベルテセーヌ、リンテン、どちら側からも喜んで受け入れられることでしょう」
よし。であればそれまでに少し、細工はしておきたいな。
「清めはいつ?」
「今宵は晩餐に代わり、聖職者たちは神前での聖餐を行います。なのでその時間にあわせて清めの儀も行われる予定です」
「でしたら私も聖餐の儀から参加しましょう。聖餐は自室で行う予定でしたけれど、たしか儀式への参加資格はあるはずですよね?」
「勿論です」
聖餐は食事とは少し違う。神々に儀式のための供物を捧げて、神事の中で、その供物から切り分けられたものを少しずつ口に含む。そうして神々の使徒として神々と一体となる、みたいな意味合いがあるらしい。およそ大切な神事の前には、夜と朝、儀式に参列する聖職者たちはその捧げられた供物の一部しか食すことができない決まりになっている。
聖女というのは非公式的な称号でありながら、教皇に比肩するものという位置づけであるため、儀式に参列する際は“聖職者”として聖餐を行う必要があり、当然聖餐会にも参加する資格がある。うろ覚えながら、確かベルテセーヌで聖女と呼ばれていた時分には、国が行う儀式の前にはリディアーヌも聖職者達と一緒に聖餐を行っていたはずだ。
お腹を空かせている幼い妹に、『僕も何も食べない』と一緒に断食してくれた兄と、それを微笑ましく見守ってくれた両親のことが、今も記憶に残っている。
儀式への主要な参列者も聖餐で清めを行うはずだから、アンジェリカ嬢と儀式の上座に参列することになるベルテセーヌの国王らも聖餐には参加するはずだ。それだけ人目がある中でなら、計画も信頼性が増す。
「神問の部屋も見せていただけますか?」
「ご案内します」
大聖堂には準備のためのベルテセーヌの聖職者達もうろついている。あまりおかしな動きを見せるわけにもいかないので、一通り見学だけして次の案内を請うた。
神問が行われる部屋は大聖堂を形作るすべての建物の中でも一番高い塔屋の一階にある。聖堂の脇からぐるりと廊下をめぐった先の、聖堂のちょうど裏側に当たる場所だ。
雪の多い土地であっても日差しの強い土地であっても、この神問の間の作りだけはどこの教会でもそう変わらず、最上部まで狭い螺旋階段が二重に巡っている以外は吹き抜けで、やや段上がりの部屋の奥に主神像と、両脇に三体ずつの副神像、さらにその脇に眷属神の小さな像がひしめき、主神像の前の書見台に聖典が安置されている。階層の低い場所には窓がなく、最も高い場所に細い装飾の凝らされた窓があるだけだ。窓の位置は高く灯りらしい灯りもないから、一階にいると日中でもかなり薄暗い。
「配置は同じですね」
「神問の儀の間は上の窓にも帳が下ろされ扉も固く閉ざされますから、真っ暗闇になります。そのあたりは先日仰っておられた姫様の記憶と同じですね」
「そうね。聖典の辺りにある小さい青い灯りだけが唯一の光だったわ」
「え?」
「え?」
アルセールが疑問の声を上げたのが逆に疑問で首を傾げてしまった。
「灯り、ですか。そのようなものを用意するようにとは聞いていませんが」
「そうなの? じゃああれはベルテセーヌでの神問特有のものだったのかしら。いえ、私の記憶がうろ覚えで、闇に目が慣れてそう見えただけなのかもしれないわ」
聖典には固く鎖と鍵がかけられており、金具の装飾も施されている。真っ暗闇ながらもどこからか漏れ出た光が反射していたのかもしれない。生憎とそのあたりはうろ覚えだ。
「姫様が聖別を受けたのは幼い頃だとか。幼子のための配慮だったのでは?」
「それも有り得るわね。神問の間中、聖女が真っ暗闇に泣き喚いては外聞もよくないでしょうし」
そういえば、随分と暗かったはずなのに泣き喚いたが記憶がない。そういう話を誰かから聞いたこともない。はて、一体あの時、あの部屋では何が起きていたのだろうか? よく考えると、随分と記憶が曖昧である。だからこそ、“何も起きなかった”という記憶になっているのだと思うが。
「ところで、どこの教会でも同じ作りということは、この聖典台の下はやっぱり“宝物庫への隠し扉”になっているのかしら?」
「……ハァァ……何故そんなことをご存じなのです?」
チラと神聖な部屋の隠し事情を口にしたら、アルセールが頭を抱えてため息を吐いた。
そういうアルセールは当たり前のように存じているようだ。本来、宝物庫のことはその教会を預かる者……つまり大司教クラスの人物しか知り得ないことなはずだが。
「昔、教区長様に連れて行かれたのよ。ベルテセーヌの大聖堂の宝物庫は三つあって、ここに納められている物は聖女の遺品ばかりだと。納められている物はベルテセーヌ特有の物で、普通は神殿の貴重な聖物を納めている場所だと教わったわ」
「なるほど……さすがは、そのあたりはベルテセーヌですね。私も存じませんでした」
暗に、聞いてはならなかった話である気がします、なんて言いつつ、アルセールは聖典のおかれた書見台をわずかに撫でた。
「ですが、宝物庫への扉は聖典の鍵に連動しています。鍵を持つ大司教様以外には決して開けられぬ扉ですよ」
「それも存じているわ。私も“持っている”もの」
そしてリディアーヌは知っている……その宝物庫。実は内部に、隠し扉があるのだ。
宝物庫は緊急用の外部への抜け道にもなっていて、教会に万が一のことが起きた場合、外から宝物の遺物を持ち出すためのルートにもなっている。そしてもし本当にどこの教会でも配置が同じになっているのだとしたら、その隠し扉の道の先がどこになるのかも……リディアーヌは知っていることになる。
「……すみません、“聖女様”。その先は、私には漏らさないでください」
「アルセール先生。流石に私も、敬虔なる聖職者に本当に不味い情報漏洩は致しませんわ」
でも暗に、リディアーヌはいざとなれば神問の部屋に侵入できるのだという意は伝わったかと思う。
「ちなみに、そのこと、アルナルディ正司教は……」
「宝物庫の秘密は教会を預かるただ一人しか知り得ないこと。私が鍵を持っていることも、使っている所を見たことがあるのも、ベルテセーヌの教区長様だけ。アルナルディ正司教は知らないわ。当然、ここに扉が有ることも」
今でこそ教区長の権威は弱まっているようだが、本来、アルナルディとは反りの合わない御仁だ。彼は、聖女の称号を返上した際、リディアーヌが置いていこうとした鍵を突き返し、“これは貴女様の鍵です”と頑なに受け取らなかった。だからあの宝物庫はリディアーヌが去って以来、教区長様以外誰一人として空けることができない開かずの間となっている。なのにアルナルディがその内部のことを知っているとも思えない。
「“鍵”とやらは、どこの教会も同じものということですか?」
そう問うたのは興味津々らしいフィリックで、「私は聞きたくありません」と耳をふさいで見せたアルセールと違って、いかに利用するかの方に意識が傾いているようだ。
なので実に簡潔に、「聖女の鍵は特別性なの」とだけ答えておいた。
そうして案内を終えて大聖堂へと戻ってきたところで、神問の間へは同行せずに待っていたエイデン助祭がアルセールへと、「グリフォンの赤き御旗が領門をくぐりました」と報告してくれた。
ついに、その時が来たらしい。