1-18 翌朝
翌日、朝早くよりなくなくベッドから出たリディアーヌは身支度の支度に駆け回るフランカを横目に、昨夜のうちに届けられた報告書をパラパラとめくった。
さすがにうちの従者たちは優秀で、ブルッスナー家に入り込んだ諜報員がフォンクラークの王太子の動向を詳しく報告してくれていた。
これまでは曖昧に密貿易なんていう言葉を使っていたのだが、どうやらフォンクラークがブルッスナー家と取り引きしたがっているのはフォンクラークの国家専売品である一部香辛料類を指していたらしい。王太子が自ら持ち込んだ木箱の中身が事細かに報告されていた。
一体、どうやって調べてきたのか……さすがに箱を奥深くまでほじくり返すわけにはいかなかったようだが、ざっと見ただけでもアニス、マスケード、クローブにケッパーと、およそフォンクラークやフォンクラークが領有する諸島群、こと“香辛諸島”の名産品ばかりだった。
近年、帝国最南端のセトーナ王国でもこれら香辛料類の生産が増加していて、これまで専売によって莫大な利益を上げていたフォンクラークは痛手を受けている。セトーナとの競合も激化し、商船の小競り合いも絶えず、帝国議会でも国家専売制の見直しを求める議題は恒例になりつつあると聞いている。
しかしその要求は今年もフォンクラーク王によって棄却されており、少なくとも今なおフォンクラーク産の多くの香辛料が国によって専売され、他国との貿易上の優位性として利用されているはずである。いや、むしろ現国王こそが頑なにそれを王家で独占したがっている第一人者であるはずだ。なのにフォンクラークの王太子ともあろう人がそれらを国を介さず北方諸国に持ち込み私的な利益を得ようとしているとなると、大問題だ。
なるほど、ナディアが取り急ぎ“国とは関係ない”などと言ってくるはずである。ナディアはおそらく専売制緩和の改革派だろうが、王太子の勝手な密貿易を摘発することで、国王と王太子との関係を拗らせるつもりなのではなかろうか。
いうなればリディアーヌはそんなナディアに利用されてようとしているわけだが、リディアーヌにとってもこれは悪い話ではない。現王太子が失脚すれば、どのみちバルティーニュ公が次期有力王位継承者だ。現王太子と懇意らしいクロイツェンより、バルティーニュ公をはじめとする改革派に恩を売っておきたいという思惑もある。
また調べてもらった中に、一つ気になる報告もあった。荷の運び入れをしていた人達がこそこそと葉巻をこしらえて妙に酩酊した様子を見せていたものだから、その様子からよもや麻薬でもやっているのではないかと葉巻を盗み取って調べたところ、かすかにパヴォの匂いがしたというのだ。
パヴォはやはりフォンクラークでは特産の香辛料となる実なのだが、その種子は何十年も昔に帝国議会で麻薬指定された物だ。パヴォの実自体を輸入禁止にしている国も多いが、禁止されていない国でも種子を含んだ状態で輸出することは禁じてあり、実を粉末化し香辛料化された物のみが取り引きの対象になっている。
種子の輸入を行っているのは特殊な薬品の管理が許されている教皇庁だけである。もしパヴォの実を加工することなく種子を含んだ状態で取り引きするとしたら、それは明確な帝国法への違法である。
ただその点、このリンテンはちょっとしたグレーゾーンだ。
なにしろここは本来、教皇庁直轄領……教会が管理をしている土地である。勝手な種子の取り引きは当然教皇庁として看過できない事態だが、取り引きが認められている“教皇庁”との取り引きだと言われると怪しくなる。
現状、どの国でもパヴォ種子の密輸と中毒の問題は起きており、フォンクラークはそのあたりで国際社会から目を付けられている。リンテンという新しい拠点で、教会を利用して密貿易を行おうとしているのだとしたら……実に大胆かつ危険なやり方だ。
そしてこれは、リンテンに直接船をつけることを許されるという、クロイツェン皇国の協力無くしてできなかったことである。
まぁ流石にアルトゥールも、麻薬密輸に利用されるつもりは毛頭なかったはずだが……アルトゥールの予想以上にフォンクラークの王太子がド悪党だったということだ。
ふふふ、ざまぁない。
とはいえリンテンを拠点に麻薬が精製さればらまかれるとしたら、隣接する北方諸国群とその先にあるヴァレンティンだって他人事ではない。
「でもまさか王太子が自ら現物を持参してのこのこやって来るかしら? もしそうなら想像以上のポンコツぶりで、ある意味助かるけれど」
「あるいはフォンクラーク国内で王太子に分かりやすく罪を着せようと傍でそそのかしている密偵でもいるのではありませんか?」
「あー、有り得るわね。ナディアだもの」
「私は別に、姫様のご友人が黒幕とは言っておりませんが」
ひらひらと手を振ってフィリックに書類を返してから、ようやくベッドから立ち上がり、衝立の影へと入る。
待ち構えていたフランカの手で身支度を調え、夜着を放り出し、今日はそれなりに威厳は損なわないけれど動きやすいドレスを選んでもらって身に着けた。
シンプルな素材そのものの色に多少レースをあしらった程度のもので、あとはぎっしりと刺繍の入った立派な肩掛けでも纏えば外ではそれらしく見えるであろうものだ。
勿論、部屋の中にフィリックがいようといまいと、気にすることはない。お客様へのお手伝いにと駆り出されてきたルゼノール家のメイドは随分と気にして顔を赤くしているようだけれど、関係を誤解されたところで何ら問題はない。実際にフィリックは国内では一番の公女配候補なのだ。お互いにそれを利用している点は多々ある。
現に今こうしていかにもな態度を取ってみせるのも、このメイドから噂が広がり、アルナルディ正司教の耳にまで噂が届くことを目論んでのことである。
リディアーヌはヴァレンティン国内に特別な相手を作っている……それは、リディアーヌがベルテセーヌに帰るつもりがないことを暗に示す一助になるはずである。
そんな目的でもなければ、さすがにリディアーヌだって“わざわざ”深夜や朝っぱらから異性を部屋に留め置いたりしない。
「フィリック、背中の編み上げを引っ張ってちょうだい」
「……」
だがさすがにこの注文には戸惑ったのだろうか。一瞬反応が遅れた気がした。
それでもやれやれと衝立の影に入って来て言われるがままに振舞ってくれるところは律儀だ。
意趣返しのつもりなのか力の限り引っ張られたが、正直、主を美しく見せることに余念のない侍女達に比べれば可愛らしいものである。
「やりすぎでは? 姫様」
「しっかりと噂にしてもらわないと困るわ」
「後々、大公殿下の苦言を被るのは私なのですが……」
「特別手当を弾んであげるわ」
案の定、フィリックがそのまま結ぼうとした編み紐はすかさずフランカが奪い取り、フンヌッ! と気合を入れて倍ほどに締め上げられてしまった。それはもう、フィリックが顔色を濁すほどに。
「フランカ、お願い……もう勘弁してちょうだい」
「まぁ、今日はこのくらいにしておきましょう」
「……」
いや、もう……これ以上絞ったら内臓が飛び出すから。
朝食は勿論、睦まじくフィリックと部屋でいただいて噂作りに邁進しておいた。それから皆に一通りの指示を出し、情報の収集と整理に時間を当て、やがて程よい時間からルゼノール女伯と諸々の情報のすり合わせと計画の調整を行った。
いわく、女伯がリンテンの港湾で貿易権を揮うようになったの偶然で、関係深い交易商がルゼノール家を名指しで取り引きを始めたのが最初のきっかけだったという。
付き合いが長く縁戚関係もある商家なので裏があるとは思いにくいとのことだったが、同じ頃にブルッスナー家が港で失態を犯したのを機に、皇帝直轄領からも元々皇帝の信任厚いルゼノール家を介して取り引きを求める商会が増え、必然的に今の状況へとなっていったらしい。
ブルッスナー家はそれに焦りを見せて何度も挽回を図ろうとしていたようだから、やはりそこからブルッスナー家の計略であったとは考えにくく、ブルッスナー家の自業自得が招いた結果だったのだろう。
だがルゼノール女伯いわく、別に貿易権をブルッスナー家から奪っているというわけではなく、あくまでも一部の懇意にしている商会がルゼノール家を窓口に指名しているだけの状態であって、港湾管理は一応今もブルッスナー家が責任者なのだとか。
元々リンテンの教会と三伯家は独自のルールで港を利用する権利があって、個人的な取り引きについては管理者であるブルッスナー家を介さずに行えることになっているらしい。その“ルゼノール家の個人的な取り引き”が、今はブルッスナー家が公的にリンテン統治領主として担う物よりはるかに大口になっている状況なわけだ。
なるほど。ブルッスナー家が挽回すべく腐心しているところに漬け込んで、フォンクラークはクロイツェン皇国に働きかけ、“リンテンの正式な交易窓口”であるブルッスナー家との交易ルートを築くに至ったわけである。
ブルッスナー家は密貿易の協力者というより、利用されただけなのかもしれない。そしてフォンクラークを足掛かりに利権を取り戻そうとしている今、禁制品の密貿易を知っても取り返しがつかないところまで来てしまっていることが考えられる。
そのあたりの情報の整理ができたところで、リディアーヌ側からも私見を交えて、クロイツェン皇国がヴァレンティン選帝侯家にかけようとしている計略に関してを説明した。
「ヴァレンティン家とベルテセーヌとの間を絶つ……ですか……」
「従来、ベルテセーヌ王室とフォンクラーク王室はどちらも教会派閥からの支持で皇帝戦に臨んでいた家門。それが今はそろって教会派閥から厭われていますから、教会派と縁の深いヴァレンティン選帝侯家の票をどちらが取り戻すのか、そういう水面下での争いが激化しているのでしょう。ただフォンクラークはそこをクロイツェンに利用されているようね」
物品を齎すのがフォンクラークの商会であっても、実際に流れてきている品は東大陸の物品が多い。クロイツェンは派手に船を乗り付けるフォンクラークの往来を隠れ蓑に、西大陸への影響力を伸ばしているのだ。実にアルトゥールらしい。
「それに、パヴォですって? それが本当なら、とんでもないことでございます。しかしフォンクラークとて、そのような物を皇帝直轄領や選帝侯領に流せば心証が悪くなることは分かっておりましょう」
「ええ。だからフォンクラークの標的はベルテセーヌでしょうね。ベルテセーヌで麻薬が流行したなどとなれば、これまでベルテセーヌに多くの品を頼ってきたヴァレンティンにとっても、関係を考え直さねばならない重大事になるわ。リンテン経由の北方交易路はさらに活性化するでしょう。ただ麻薬の密売は帝国法にかかる断罪品。あのアルトゥールがそんな悪手をわざわざ利用するはずがないから、フォンクラークの独断でしょう」
「発覚したところで、ベルテセーヌに麻薬が流れても、フォンクラークの王太子が断罪されても、クロイツェンにはさほど打撃にはなりませんね」
「いっそ共倒れすれば私が泣きつくとでも思っているのかしら? まったく、いやらしいこと」
アルトゥールがどこまで掴んでフォンクラークを放っているのかは分からない。実際に貿易を行っているのもクロイツェンの一介の役人や商人であり、フォンクラークの商会だ。アルトゥールの意図を超えて個人の利益のために協力している人達がいる可能性もある。もしいたなら存分に利用させていただきたいところだが……いや、下手にアルトゥールを引っ張り出すことになったら、逆に厄介か。
できることならクロイツェンには手を出さず、納めたいものである。
「なので今回の標的はフォンクラークのグーデリック王太子ただ一人です」
リディアーヌはバルティーニュ公からのお墨付きを持っていることと併せて、このリンテンで少々越権のすぎた捕り物をする羽目になるかもしれないことを先に謝罪しておいた。
無論、越権と言われぬよう、行動力のあるクロレンス姉様には大いにこちらに協力をしてもらうことにする。
そう言えばクロレンスは大層喜んだし、女伯は深いため息をつきながらも、この件は小伯爵に任せるので、よしなに使ってください、と申し出てくれた。
ルゼノール家に公的な協力者が出来たことは幸いである。




