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6-21 一つ目の事件(1)

side アンジェリカ

(いつまでも、リディアーヌ様に頼ってばかりでは駄目だ)


 アンジェリカがそんな奮起をしたのは、昼間の茶会が原因だった。

 こちらに来てからこの方、国の根幹に関わるような会議と話し合いに引っ張りだこなリディアーヌは、王太妃陛下の茶会においてはいつもの毅然と威圧的な公女様の顔とは裏腹な柔らかい面差しと物腰で、次々とベルテセーヌの女性達の心を溶かしていった。

 日頃はあまり見かけないパステルカラーの柔らかな色のドレスに、それでいて洗練されて気高い様子はまさに生まれながらのお姫様というやつで、その振る舞いにぽうっと見惚れた令嬢は一人や二人ではない。

 いつもは輪の中心で人々を率いている公女様が、この日は王太妃様を立てた様子でそのサポートにまわり、最近のベルテセーヌの流行りの事や昔懐かしい風土のことなどを織り交ぜながら、王太妃様の世代にも、あるいはアンジェリカの世代にも等しく話題を振って楽しませるものだから、皆嘆息が止むことはなかった。

 そんなリディアーヌに多少なりとも免疫のあったアンジェリカは、ことさらリディアーヌの気配りの深さを、常に“考えて行動をしているのだ”ということを実感した。

 自分やラジェンナが令嬢達に受け入れられるように擁護されていることにもすぐに気が付いた。だからそれを真似するようにラジェンナを褒めそやしてみれば、よくできましたと言わんばかりにリディアーヌ様が微笑んでくださるのだ。

 そのお褒めの笑顔がまたなんとも(くせ)(もの)で、自然と奮起させられる。


 そうしてテンションが高まっていたせいだろうか。夜会が始まってほどなく、いつになくお美しいリディアーヌ様にふらふらと引き寄せられてすぐお忙しいリディアーヌ様が他に呼ばれると、すぐに「任せてください」と己の胸を叩いてしまった。

 いや、だが自分だってあれから成長したのだ。いつまでもリディアーヌ様を頼っているわけにもいかない。ヴィオレット妃のことくらい自分で何とかするべきである。

 それでも一応警戒はして兄の姿を探してみたのだが、見知った顔の侍従を見つけて問うてみたら、国王陛下と共に奥に参られたと言われるではないか。うむむ……確かに、新たな人事で国王に政務補佐の文官として登用された兄だ。仕事の邪魔をするわけにはいかないし、兄もいつまでもアンジェリカには構っていられないだろう。

 しかしそう不安になっていたところに、「アンジェリカ様」と先程の茶会で話をしていた令嬢達が声をかけに来てくれた。

 二年前までは考えもしなかった出来事だ。それがどれほど嬉しかったことか。


「私も公女殿下にご挨拶したかったですが、勇気が出ませんでしたわ」

「一緒においでの殿方はどなたですか? とてもお似合いで、素敵でしたわね」


 すっかりとリディアーヌファンになったらしい二人のほぅっとした言葉に、そうでしょうそうでしょうと満足気に頷く。


「あちらの殿方はザクセオン大公家のマクシミリアン公子殿下です。リディアーヌ様とはカレッジ時代からのご学友だそうで、あの通り、とても仲が宜しいんです」


 皆より少しだけリディアーヌについて詳しいことに、優越感を持ってしまう。ベルテセーヌにおいて、あの二人が特別に親しくしている様子を目にした者はアンジェリカの他に早々いないだろう。


「まぁ。高貴なお二人のラブロマンスっ。気になります!」

「まるで物語の主人公達のようですわ」


 うんうん。分かる。だなんて頷いている内に、ざわざわと令嬢集団が近づいてくるのが視界の端をよぎった。その嫌な予感に、すぐにも警戒心が高まり身を硬くする。


「ヴィオレット様は久しぶりにお顔を合わせるアンジェリカ嬢にも物申したことがございますのではなくって? あちらにいらしてよ?」


 そんな警戒心も無意味に、輪の中心にはヴィオレットを連れて嬉々としてこちらに向かって(はず)んでくる令嬢が一人いた。

 マリエール・フォブクレイ伯爵令嬢……アンジェリカの義母の出身家門である伯爵家に連なる家の令嬢だ。つまり、アンジェリカと非常に仲が悪い。そのせいで学院時代から何かとヴィオレット派として振舞っていた厄介な令嬢である。

 正直、ヴィオレットはアンジェリカとなんて話したくはないのではなかろうか。アンジェリカが眉をしかめるのと同じく、あちらも気まずそうな視線を寄越したが、しかし現状、ここにはクロイツェンの皇太子妃に親しんでくれるような客は少ない。結局ヴィオレットはマリエール嬢の“親切”をきっぱり断ることは出来なかったようだ。


「ええ、そうね……でもアンジェリカ嬢は私のせいで迷惑を(こうむ)ったのだから、私はともかく、アンジェリカ嬢は会いたくなんてないでしょう」


 今、アンジェリカのせいで顔を合わせられない、みたいな断り文句が耳に届いた気がするのだが、気のせいだろうか。そんなことを言われると、むしろ受けて立ってやろうじゃないかという気になる。


「そんなことありません、妃殿下。先日は通りすがりに無作法を申し上げてしまい申し訳ありませんでした」


 ふんぬと胸を張り、中途半端な場所で止まったヴィオレット達に自ら歩み寄り、丁寧に礼を尽くして見せる。そうすれば明らかに去年まで前とは違うアンジェリカの様子に、マリエール嬢が眉をしかめた。


「……いえ。お兄様……オスブレイユ伯の言葉にも教えられることはありましたし。アンジェリカ嬢もとても変わったのですね。こんなことを言っては何だけれど、今のようになられた貴女がクロード様と変わらぬ関係であることに安堵するわ」


 こんなことを言っては何だけれどと思うのなら、言わないでもらいたい。ヴィオレットに言われる筋合いのないことであるし、むしろ上から目線なようで気分が悪い。


「塔へは行かれたんですか?」


 だからつい意地悪なことを聞きたくなってしまった。黒の塔までは早くとも半日がかかる距離なので、そんなわけがないことは分かっているのだが。


「いいえ……残念ながら。でも許可はいただいていますから、どこかで立ち寄りたいと思っています。私がリュシアン兄さまの身に起きたことをこの目で見ていないのは確かですもの」

「クロード様もです」

「……えぇ」


 クロードだって、ブランディーヌの手で罪もなくそこに収監されていたのだ。それを知らぬふりされたくはなかったので、すかさず口を挟んでおいた。


「まぁ、アンジェリカ嬢って相変わらずですのね。新王陛下はともかく、クロード殿下は罪がおありだったのから仕方がないではありませんか」


 だが挟んだ言葉にすかさず嬉々として反論したマリエール嬢には、ざわりと取り巻きの令嬢達の何人かが顔色を濁してざわめいた。

 さもありなん。それはあまりにも危険すぎる発言だ。

 あるいは昔の自分も、このマリエール嬢みたいな程度の浅はかな認識で社交を綱渡りしていたのだろうか。それを思うと、怒りや憤りよりも恥ずかしさの方が勝る。大公家で過ごした一年がなければ、きっと自分もこんな頭足らずな言い合いしかできなかっただろう。


「口をお(つぐ)みになっては? マリエール嬢。クロード様が不当に捕らわれていたことは、すでに国王陛下の御前裁判で認められていることです」

「陛下が情け深かっただけですわ。真実を隠すことなんてよくある事です」

「ッ……」


 悔しいことに、相手の発言を咎めて良いことは分かっているのに、それを咎める上手い言葉が思いつかない。口を開けば感情的に相手を責め立ててしまいそうになる。だがそれでは駄目なのだということは、すでにリディアーヌ様の傍で存分に学んでいるのだ。

 分かっていても、上手く言葉を返せない未熟な自分への悔しさにギリリとこぶしを握っていたら、様子を見かねたらしいラジェンナ嬢がやってきて、そっとアンジェリカの背に手を添えてくれた。罪人の身内である彼女にとってはこうした場はまだ随分と気の重たい場であるはずなのに、アンジェリカのせいで迷惑をかけてしまった。


「ラジェンナ様……」


 こんな場ではむしろラジェンナの方が心配だとばかりに声をかけたのだが、さすがに元侯爵令嬢だ。場馴れという意味ではアンジェリカよりはるかに経験があるものだから、ラジェンナ嬢は視線だけでマリエール嬢を(おのの)かせてみせた。


「くれぐれも言葉にお気を付けなさいませ、マリエール嬢。事情も経緯も関係ありません。クロード殿下はこの度、グレイシス侯爵殿下として叙爵されています。その侯爵殿下を誹謗する発言は控えるべきです。ましてや、他国の妃殿下の前で、みっともない」

「なっ……」


 なるほど、そう言えば良かったのか。たちまち言葉を無くしたマリエールに、アンジェリカも少しほっとした。


「生意気ですわよっ、ラジェンナ嬢! っ、いえ、ラジェンナ! たかだか子爵家の厄介者の分際でっ」

「言葉には気を付けた方がいいわ、マリエール嬢。私の中でラジェンナ様はすでに次期エメローラ伯爵夫人になる予定なんですもの」


 それについてなら反論できるとここぞとばかりにアンジェリカが口を挟むと、マリエールばかりかラジェンナまでぎょっと目を丸くした。

 いささか申し訳ないが、思わず口を突いて出てしまったのだから仕方がない。それに、決して嘘じゃない。


「ア、アンジェリカ嬢っ」

「お兄様だって満更ではなさそうですし。いえ、お兄様でなくたって、ラジェンナ様はとても素敵な方ですもの。お兄様の周り……つまり新王陛下のお傍近くに仕える殿方達にもとても人気があるんですよ。マリエール嬢は、ご自分の心配をした方がいいのではなくって? あぁ、そういえばマリエール嬢は以前、うちのお兄様から婚約を断られたんでしたね」

「ッ、貴女っ!」


 ふんっ。何も怖くなんてないんだから。


「貴女達、こんなところでお止めなさい……」


 そんな喧嘩を、どこか昔と既視感を感じさせる様子でヴィオレットが仲裁の声を上げた。昔より少し躊躇した様子を見せているものの、すぐに首を突っ込んでくるところは相変わらずだ。


「失礼しました。他国の妃殿下の前で、ベルテセーヌのみっともない光景を晒してしまいましたね」


 アンジェリカはすぐに謝罪の言葉を上げてヴィオレットをベルテセーヌ内の問題から爪弾こうとしたが、それでは溜飲の下がらなかったらしいマリエールがまだ口を開こうとした。だがそれをすかさず制したヴィオレットが「そうね、あまり大声で話すことではないわ」などと言うものだから、マリエールも顔を真っ赤にして、すぐにフンッと粗放を向いた。

 ヴィオレットが敵も味方もなく自分の正義に合わせて言葉を選ぶのは相変わらずだ。こんなことだから、かつては周りからどんどんと味方が減って行ったのに、今もそれには気が付いていないらしい。

 きっと彼女は今も変わらず、他人の顔色を窺うなんて馬鹿らしいと思っているのだ。そうしなければ生きていけない人達がいるのがこの社交界という場所であることを、社交界暦の浅いアンジェリカよりも分かっていない。それはきっと彼女が、他人の顔色を気にする必要のないブランディーヌ夫人の娘だったからであるのに、それにすら気が付いていない。

 今なおクロイツェンの皇太子妃という肩書きが彼女を擁護している。だがそのせいで猶更、ブランディーヌ夫人が罪人となったことも、自分が好き勝手に言葉を選ばなくてよい理由も、彼女はまだなんら本当の意味で理解できていないのだろう。

 そんな様子にアンジェリカが眉をしかめる傍らで、相変わらずだわとばかりにラジェンナが小さく息を吐いた。そのため息に気が付いたのか、ヴィオレットがチラリとラジェンナに視線を寄越す。


「ラジェンナ嬢。私、本当は貴女に、一緒にクロイツェンに来ないかと誘いをかけようと思っていたの」

「ヴィオレット様?」

「この国では生き辛いのではと思って。でも私は貴女が優れた政治的な才覚と商才を持っていることを知っているわ。だからクロイツェンで、また私と一緒に商会の経営をしてくれないかしらって」

「……」


 ラジェンナはぎゅっと口を噤んだだけで、返答をしなかった。

 才能を認められることが嬉しくないわけではないだろう。この国が生き辛いものになってしまったことも。けれどラジェンナはすでにそれに向き合って、自分なりに立ち直ろうとしているのだ。そんな誘い文句は、甘美だが逆に決意を(くじ)かせるような物にも聞こえたであろうし、それにラジェンナはすでにヴィオレットに対する不信感を抱いてしまっている。


「ええ、そうね。その顔を見て分かったわ。貴女はこの国で生きてゆくつもりなのね」

「……はい」

「見れば、貴女を想ってくださる人達もいるようだから、安心したわ。それでもどうしても辛くて逃げ出したくなったのなら、その時は私を頼ってくれる? 今までは私も余裕がなかったけれど、でも私はもう二度と私の親友が辛い目に合わないよう、手を差し伸べたいの」


 耳触りの良い言葉だ。頼れる身内を失ったラジェンナにはさぞかし胸に響く言葉なのではなかろうか。アンジェリカは少なくともそう思ったのだが、意外にもラジェンナはその言葉をしばし噛みしめた後、はっきりと首を横に振った。


「いいえ、どうかお構いなく」

「ラジェンナ嬢……」

「私だって、今回の事件にヴィオレット様が直接関わっていたわけではないことは分かっていますわ。でもそれでも、オリオール家の(たくら)みに我が家が加担していたのは事実です。なのにそのオリオール家を捨てて自ら地位を築いた貴女の傍に私がいたのでは、いらぬ疑いを呼びます。仮にも貴女は昔私の背を押してくれた恩人の一人ですから、そのようなご迷惑をおかけするわけには参りません」

「迷惑なんかじゃないわ! 私はただ、貴女の才能が勿体無いとっ」

「皇太子妃殿下。私は、ベルテセーヌで生きたいんです」


 声色を変えてきっぱりと告げたラジェンナに、思わずヴィオレットも口を噤んだ。

 きっと、恩人だの迷惑をかけるのはだのというのは(たて)(まえ)だっただろう。ヴィオレットを大人しく納得させ引かせるための、ヴィオレットにとって耳触りのいい断り文句だ。アンジェリカの耳にそれはただの皮肉として聞こえたのだが、ヴィオレットにはそうは聞こえなかったのだろうか?

 あぁ、そうか。それが、昔と今の違いだ。アンジェリカにはそれが分かるようになった。そしてラジェンナも。


「……だったら、ラジェンナ。私がベルテセーヌに帰ってくれば、貴女はまた私と友達になってくれる?」

「ヴィオレット様?!」


 ただあまりにも思いがけない方向に振りきれた話の(ほこ)(さき)には、さすがにラジェンナもぎょっとした顔で目を瞬かせた。






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