6-19 二日目と三日目
即位の二日目の夜は、国賓達を招いての晩餐会がある。即位式自体は身内の催しだが、祝いを述べに駆けつけてくれた使節達をもてなすための儀であり、当然、ヴァレンティン大公家からの使節という形でここにいる養父やリディアーヌもこれに招かれている。それにヘイツブルグ大公だけでなく、クロイツェンの皇太子夫妻にザクセオンの公子までやって来たとなると、今頃厨房も緊張が高まっていることだろう。
どこからかそんな噂を聞き付けたのか、他にも王族相当の人物が向かっているなどという話も聞こえてきているから、ベルテセーヌ王の戴冠祝賀は帝国内でも稀にみる賑わいになり始めている。くしくもアルトゥールをきっかけにそうなったというのは、中々皮肉なものであるが。
その夜は正式な晩餐の席とあって、深い青と白のスレンダーな高襟のドレスにレースのショールを被き、髪もすっきりと結い上げ、八重咲きの白と一重咲きの紫紺のクレマチスをあしらった。
幸いにして晩餐会は決められた席で食事と文化を嗜むものであるから、リディアーヌの周りはジュードやマクシミリアン、セネヴィル侯爵夫妻などがいるばかりで気負わずに食事を楽しめた。
アルトゥールやヴィオレットは完全に反対の席であったし、あちらは養父とヘイツブルグ大公に挟まれていて何やら可哀想だ。あちらを任されているセザールはさぞかし食事が美味しくない思いをしていることだろう。
その後も一部の王侯が談話室などに移動するのを横目に、リディアーヌは早々と退席したため、煩わずに済んだ。
***
だがいつまでもそうしているわけにはいかない。こうした国内の催しは十日間続き、諸国の使節達のためにも五日目までは行事が詰まっている。
三日目には、クロイツェン・フォンクラーク・ベルテセーヌの三国間で今回の事件に関する情報共有と処分に関する話し合いの場が設けられたことを聞いた。ヴァレンティンはあくまでも偶然的に助成しただけという扱いであるため、三国間の会議には出席しない。
ただリュシアン達が気を使い文官を寄越すよう提案してくれたため、あまり顔の知られていないケーリックと養父の所の文官が一人が出席し、傍の控えの間で養父とフィリックが傍聴をしていたことは秘密である。
その間、リディアーヌはいい加減のらりくらりともしておけず、精力的に社交をこなした。
べランジュール公との面会はフィリックもいる内に早々と切り上げ、午後からは夫人達の茶会に出向いた。
最初は大量の招待状に苦慮していたのだが、それを聞いたメディナ妃が王太妃の茶会という形でひとところに集めてくれたおかげで一度で済んだ。それに主催者がメディナ妃であるおかげで、夫人達もリディアーヌに突っ込んだ話は聞けず、比較的おしとやかな表面上の探り合いに終始した。
それにこの王太妃の茶会にはラジェンナやアンジェリカも招かれており、彼女達がちゃんと王家に庇護されていることを知らしめる意図もあったらしい。とりわけラジェンナは今朝も議政府で事後処理の手伝いをしてきたようで、罪を償うばかりか懇親的に雑務に携わり、また事後処理を担っているエメローラ伯の実妹であるアンジェリカがここぞとばかりに兄がラジェンナの手際を褒めていることを口にしたため、皆もラジェンナに対する視線が柔らいだかのようだった。
正直、ラジェンナはそのままセザールにでも嫁いでくれれば、だなんて思っていたのだが、アンジェリカが時折揶揄うように兄との関係をラジェンナに問うている様子を見ると、もしかしなくてもダリエルと良い関係になりつつあるのだろうか。
ダリエルは陞爵こそ断ったものの、大領地と国王補佐という近侍職を賜った伯爵位の上流貴族階級で、今後も出世が約束されたような立場だ。後ろ盾を失い遠縁の子爵家の厄介者という肩身の狭い立場になっているラジェンナを任せるには十分な肩書きであるし、アンジェリカにとっても良い友となれそうだ。応援することも吝かではない気分であった。
そうして昼下がりまでを女性達の社交場で過ごしたリディアーヌは、茶会が解散になってすぐ三ヶ国会談の行われていた城の内宮へ向かった。フィリックから、会談の報告をしたい旨の連絡を受けていたからだ。
すぐにでも今夜の夜会の準備を始めたかったらしいエステルとフランカには眉をしかめられたが、諦めていただくしかない。それに報告を受ける程度ならすぐに済むだろう。
だなんて、思っていたのだけれど……。
「はぁぁぁぁ……」
部屋に入った瞬間、ぐったりと椅子に項垂れている男達を見たリディアーヌは、一人涼しい様子で養父の後ろに立っているフィリックがいなければ、すぐに見なかったことにして踵を返していたことだろう。
「ちょっと、何事ですの? お養父様?」
きょろきょろと疲れ切っている皆の様子を見渡しつつ、ひとまず養父の傍に近づいたところで、「聞くんじゃなかった」なんて呟かれて困惑した。この養父がこんなに疲れ切っているだなんて、尋常じゃない。
「リディ、君の友人はなんて悪辣なんだ」
「ちょっと、いきなり私のせいにしないでくださいませ。トゥーリが悪辣なのは私のせいではなく、ただの天性、生まれつきです」
「だが少なくともこの会談で三度は、君を敵に回すとこんな感じだろうかと錯覚するほど似ていたぞ」
「とんだ誹謗中傷でしてよ」
取り合えずどういうことかしら、と、唯一平然としているフィリックに視線を寄越す。
「中々面白かったですよ。皇太子殿下はまずフォンクラークとの間にあった密約を完全に清算させた状態で来ていらしたようで、グーデリック元王子の件と合わせてクロイツェン側が被った損害を報告すると共に、先の国境での一件も、ヴィオレット妃に慮ろうとしたヴェラー卿の独断であったことを完全に証拠を揃えて提出いたしました。その上でヴェラー卿に対して断固たる処分を下そうとしたが、それを留めたのは“ベルテセーヌが育てたヴィオレット妃”であり、その心情に慮って処分を止めたが、しかしクロイツェンに対して損害を与えたブランディーヌ夫人に対してはより厳しい処分を求めてもよいほどだと」
「ヴィオレットとは真逆ね」
「もとより、皇太子殿下にブランディーヌ夫人を庇う理由はありませんからね」
しばらくはセネヴィル候も上手く交渉して両国間に現国王ではなくバルティーニュ王叔殿下を挟む形で融和的な関係を結ぶ形に持って行っていたらしい。だが先のグーデリックの失態によるクロイツェン側の損害を理由に、後半では随分とフォンクラーク側に不利な状況で交渉が進められ、たまらずセネヴィル侯も持ち帰り検討を申し出るに至ったという。
アルトゥールもバルティーニュ公当人との交渉を望んでおり、この場でまんまと新たなフォンクラークの支配者候補との誼を繋げることに成功したようだ。
「ベルテセーヌとの交渉に至っては、断固たる処分を歓迎する立場を取られたせいで、まずはベルテセーヌ側に揺らぎを与えてきました」
「ディーからの情報で警戒はしていたが、まさかあれほどまでに淡々と自分の妃を切って捨てて来るとは思わず、足元をすくわれかけた」
ハァとため息を吐くリュシアンには、なぜだかリディアーヌがごめんなさいと言いたくなってしまった。もうちょっと上手くアルトゥールの非道っぷりを説明できていればよかったのだが。
「切って捨ててきたのですか?」
「あぁ。実にあけすけに、自分は商才という利害あってヴィオレットを迎え入れたが、彼女がベルテセーヌに持つ個人的な感情に関心はないと」
「それどころか、妃殿下のベルテセーヌにおける言動は一切クロイツェンの意志とは関係ない個人的なものであるため取り合う必要がないとまで」
「……」
相変わらず、思い切りのよすぎる悪友である。先だってアルトゥールと面識があったはずのセザールですら、困った顔になっている。
「それでも言動の管理責任はあるはずと追及したかったが、『ベルテセーヌが育てた妃の性格矯正には苦慮している』と言われてしまった」
「性格矯正……」
「そこまで罰則的な物言いをされては、こちらも『罪人の身内を庇うような真似は』といった類の反論もできなくてな」
「まったく庇っていないものね……」
「それに思った通り、皇帝承認のないままの即位式であったことについても突いてきた。予定通りに、春を待っていられないことと選帝侯家と教会の承認という手順を踏んでいることで反論したが、はなから責める材料にする気はなかったのか、遠回しに、むしろ自分が取りなしてやったから問題はない。そのかわりヴィオレット妃をベルテセーヌの問題から切り離すように、といった条件を付られたように思う」
「はぁぁ……」
まぁそういうこともあるだろうかとは思っていた。アルトゥールが今回持ってきた一番の手札が、皇帝承認というものだ。それをどう使うかと思っていたが、思いのほか、皇帝の為ではなく自分のために切ってきたようだ。
彼は先んじて皇宮で皇帝に面会していたはずだが、あるいはすでに皇帝が弱っており指示など仰ぐまでもないと判断したのか、はたまたただ威を借りただけの独断だろうか。
「皇帝でもないのに偉そうですこと……って、逆に責めませんでしたの?」
「……」
「……」
あれ? 何で皆、そんなじっとりとした目で見るのかしら? 揚げ足取りは基本中の基本でしてよ?
「ひとまずヴィオレット妃の言動を取り合わないことと引き換えに、兄マリシアンの言葉を理由にあげて、ヴィオレット妃を完全にベルテセーヌの関係者という立場から切り離すことで話が付いた。こちらからの要求として、二年間のリベルテ商会の立ち入りの厳禁と王籍簿からのブランディーヌの名の削除を飲ませたが、一切痛手ではないといった様子だったのがまた、なんともな……」
「私がそこにいたのなら、リベルテ商会の名で起きた事件を理由に賠償請求と、ヴィオレット派の実態次第によってはその点のみ、ベルテセーヌとは無関係との条件を適応しないことを条件に出すわ」
思わず口にしたところで、肩をすくめたセザールが「ええ、そのようにケーリック卿を通じてフィリック卿のご助言をいただきました」と言われ、うむ、と頷いた。さすが、うちの子達は優秀である。
「そんなことを言って煽らないかとも心配したが、杞憂だったな。むしろ実に楽し気に、裏に公女が控えているのかとほくそ笑まれたので、以後、堂々とフィリック卿に同席していただいた。が……正直、その後の方が冷や汗をかかされた」
フィリックが一人涼しい顔をしていたのは、どうやらその後の会談で国王達をも置いてけぼりに、忌憚なくアルトゥールと舌戦を繰り広げたからだったようだ。
「まぁ、私も色々と口を挟ませていただきましたが、しかし陛下も初戦にしてはとても良い成果であったと思いますよ。あのように癖の強い皇太子殿下を前に、よく好き勝手させずに抑え込めたかと」
「そう言われると多少は気力も甦るが、いささか自信を無くしかけている」
「当然でございます。アレは皇帝陛下鍾愛の、長年時期皇帝候補として育てられた皇子ですよ。経験が違います」
「……」
「ちょっと、フィリック……」
「事実でございます。しかしそんな皇太子相手に、十分な成果であったと言っているのです。姫様は、あの殿下と初対面で十分な成果を上げられる人をどれほどご存じで?」
「……うちのお養父様と、ミリムくらいじゃないかしら」
「ええ、そういうことです」
なるほど。これはフィリックなりの誉め言葉なのか、とため息を吐いた。
なんだかこういう物言いはアセルマン候やマドリックによく似ていて、養父も呆れた顔になっている。どうやら養父が疲れ切った様子だったのは、後から参戦したフィリックのあまりにも物怖じしない皇太子への態度に間接打撃を被ったせいだったようだ。
「フォンクラークは如何でしたか?」
「あちらは最初からニコニコと、自分達は使者であって決定権を持たない存在です、と言わんばかりの態度で逃げ切った。あれはあれで肝が据わっている」
「セネヴィル侯爵はうちの姫様とアルトゥール殿下のご学友であるセリヌエール公爵夫人のご尊父でいらっしゃいますからね。おそらく公爵夫人からも助言を得ていたのでしょう」
「『私は良く存じませんから』『そういうのは上に聞いていただかないと』は、ナディアの得意技だものね。下手にトゥーリと駆け引きをしたところであちらの手駒をポンポンと出されても、いち侯爵に国をかけた対応策は出せないわ。最初から最低限の条件の証印だけを目的とするやり方は間違っていないし、セネヴィル候は元よりそういうのを得意とされる方だと聞いているわ。ナディアも、上手いのよね」
「あちらは最初から、現国王の不正関与を全く隠す気もない、といった態度でしたね。また現国王と関わりのあったクロイツェンのことは一切追求せず、かわりにクロイツェンには新港での交易や先に定められたリンテン港使用権の継続のみを求め、皇太子殿下を現国王ではなくバルティーニュ公爵殿下派に取り込むことが目的であったようです」
「それはさぞかし上手くいったことでしょうね」
もとよりアルトゥールもいい加減フォンクラークの現国王派の限界は感じていたはずだ。新たなまともな指導者を求めていたのは間違いないので、フォンクラーク側からそれを提案されてきたことはむしろ大きな利益であったはずだ。上手くやったものである。
ただその代わり、フォンクラークはベルテセーヌとクロイツェンとの揉め事には関与しない立場を取ったということだ。無論、ベルテセーヌの問題に関与していた者達は正しく裁いていただき、その件については別途バルティーニュ公との間で調整も済んでいるが、それ以上の関与はしないとすることで、かつて不正手形を用いてヴィオレット妃が国境を越えたことについては完全に黙秘することを選んだわけだ。
まぁ、そうするしかないだろう。
その他、この会談で決まったことの詳細を聞く代わりにリディアーヌからも女性達の茶会での情勢を説明したところで、情報共有は終わった。
まだこれから三日間の祝いの席が続くことになるため、この結果もどう変わるとも知れない。心してかかりましょう、という共通認識を得たところで、「さぁお支度を!」と飛び込んできたフランカに取っ捕まったのは、もう日が傾き始めた頃だった。