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1-17 正餐会の後(2)

「明日は情報の収集と皇帝陛下の勅使への接触。午後からは予定通りに教会の下見に参りましょう」


 そう聞いて、ようやく自分の領分の話になったと、アルセールが聖職者のゆったりとしたローブの下からいくつかの書類と小さな小瓶を並べ置いた。

 書類は三枚。小瓶は二つある。


「アルセール先生、こちらは?」

「書類は、今回の儀式次第、ならびに儀式に参列する聖職者と王侯の名簿。小瓶は儀式で使用する道具の一部です」

「……」


 うん? んっっ?


「えっ?! 王侯名簿?! 手に入ったんですか?! 本当に?!」

「……さすが、聖都で枢機卿猊下の肝煎りと囁かれる司祭様ですね。情報の入手経路は……まぁ、聞かずにおくのが、礼儀というものでしょう」


 これは素直に驚いた。

 アルセールには正餐会の前に顔を合わせた際、今回参加する聖職者について聞かせてもらいたい、という程度にお願いをしていた。それがまさか、あれから正餐会の始まるまでのわずかな時間で、聖職者名簿ばかりか管轄外であるはずの王侯貴族の名簿まで手に入れてくるだなんて思わなかった。

 さすがのフィリックも驚いている。


「主な参列者は国王と王太子殿下、当人であるアンジェリカ嬢とその父エメローラ伯爵。儀式の全権は一応私が任されていますので、進行は私が行います。ただし実質的な儀式はアルナルディ正司教が担う予定です」

「アルナルディ正司教は、姫様ともよく知った仲である様子でしたね。どういう方です?」

「ベルテセーヌ教会で現在、第二位の地位にある方よ。昔から城にも出入りしていて……私の聖痕の聖別にも関与していた経験者で、王室の神学教師もしていたわ。つまり、“リディアーヌ王女”の最初の家庭教師の一人ね」

「なるほど……随分な大物のようです」

「平民の出身で、神殿の下仕えという低い身分から一躍大出世を遂げた異例の人物なの。それだけでも腹の底が知れないでしょう? 私と関わりがあった頃はまだ司教だったけれど、正司教となっているとはね」


 アルナルディは一見人の良さそうな顔をしているけれど、その笑顔が曲者(くせもの)で、他人を安心させ取り込むのに長けた実にベルテセーヌの聖職者らしい御仁である。

 聖別やリディアーヌの教師を勤めていたことからも分かるように、熱心な聖女信奉者だ。


「私という聖女を自ら育てたと思っているのでしょう。残念なことに、私がヴァレンティン家に籍を移すことになった際、最も激しい反発をした御仁だわ」

「どおりで。先ほどの正餐会での様子に色々と納得がいきました」


 やはりフィリックにも、リディアーヌを再びベルテセーヌに取り戻したいと思っているように見えたようだ。


「そのアルナルディ正司教が自分の補佐として連れてきたのが、あのテシエ司祭です。一応、反アンジェリカ嬢派として見込まれたようですね」


 アルセールの言葉に、正餐会の前に見た気の良い司祭の姿が思い起こされた。


「先生にはどれだけ感謝してもしきれませんね。あのようにテシエ司祭と語らえたことは幸いでした。それにとても物分かりのいい方だったわ」

「すっかり姫様の黒聖女ぶりに委縮(いしゅく)していましたからね」

「おだまり、フィリック」


 ピシリと(たしな)めておいたが、まったく効き目がない気がする。できる事なら従順な助祭を連れていたアルセール先生に、部下のしつけ方についての教えも請いたいものである。


「このあたりは聖別の儀の進行についてですね。専門用語が多く、私には想像しづらいです」


 フィリックが見ていたあたりに、どれ? と手を伸ばす。目の前に司祭様がいるのだから直接聞いてもいいのだが、リディアーヌも一応聖別の儀は一度受けているし、その時の様子は何度か兄などから話にも聞いたことがあったから、多少は分かるはずだ。


「聖別の儀は聖痕の目視による判別と、聖水による判別。それから神に問う、という三段階で行われるはず……合っていますか? 先生」

「ええ。相違ありません」

「聖水や神問に意味があるのですか?」

「私は物心つく前に聖別を受けているから覚えていないけれど、でも聖痕は聖水に触れると色が変わるそうよ。私の場合は混じりけのない白銀に輝いたのだとお兄様が言っていたわ。神への問いかけは、確かどこかの暗い部屋に一人で閉じ込められるのよ。これはちょっと覚えているわ。でも、そこで何かが起きた記憶はないわね。暗くて怖くておろおろしている内に扉が開かれて、気が付いたら聖女の称号を得ていた感じだわ」


 そうあけすけに裏話をすると、神聖な儀式を行っている側であるはずのアルセールが肩をすくめて笑った。


「始めてお聞きしましたよ。神殿では一応、聖女様と神々との対話が行われていて、これは秘儀であるため何も聞いてはならない、と教えられるのですがね」

「まぁ、先生。私こそそんな話初めて聞きました。私、神様の声なんて聞いたこと有りません。言ったでしょう? 聖女だからって、何か特別なことが有るわけではないんです」


 その辺、アルセールは司祭でありながら辺に夢見がちなところもない合理主義者だ。すぐに理解して頷いてくださった。


「では儀式は実質、この聖水の儀というのが結果を左右しそうですね」

「どういうものなのか見ておきたいわ。幸い、私の体で実験ができるもの」

「その物言いはいかがかとは思いますが……」


 でも、とフィリックが視線をやったのは、アルセールが書類と一緒に机に置いた二つの小瓶だ。すぐにアルセールも首肯して、「これがその聖水です」と仰った。

 教会の事情をよく知らないリディアーヌ達は、ふぅん、くらいのつもりで聞いたのだが、ただ一人隣でクロレンスが見たこともないような絶句顔で固まっている。どうやら、そう簡単に持ち出せるようなものでは無いようだ。


「えーっと……クロレンス姉様?」

「……っ、ぁ、っ」

「アルセール先生?」

「聖水は神脈を通る湧き水を清らかな乙女が汲み上げ聖遺物の水盤に満たし、聖職者達が昼夜絶えず祈り続け、満月の夜に月明りを取り込ませて自ら光を孕むようになったもののことです。本山の聖遺物から生み出される神秘の水ですから、教皇聖下(せいか)と三名の枢機卿猊下(げいか)が自ら管理をしている、教皇庁門外不出のものです」

「……じゃあ、これは……」

「こちらは儀式に使うために私が聖下から直接受け取り、本山から持ってきた物……を、少々拝借したものです」

「……」


 あれ。それって横領とか、横流しとかっていうんじゃあ……いや、何も言うまい。聖女様が欲しいと言ったんだから、何も問題ない。先生は何も悪いことなんてしていない。

 まだピンとは来ないが、クロレンスの様子を見る限り相当ヤバいものなのは確かなので、マクスにはくれぐれも人目に触れぬよう厳重に管理するようお願いした。

 有難く、一つは明日にでも自分の体での実験用に。もう一つは何かあった時のための備えとして預かっておくことにしよう。

 とりあえず聖水はこれでいいとして……あとはこのぎっしりと文字の詰まった王侯名簿の件である。いやはや、本当に有難い。

 一見したところ、思いのほか多くの参列者の名前が連なっている。ベルテセーヌの外で儀式を行うことにしたのにはベルテセーヌ貴族の介入を少しでも減らすためという意味合いもあったはずだが、まったく、ギリギリというほどに詰めかけているのではなかろうか。

 受け入れを担うリンテンには迷惑をかけてしまった。


「参列者の筆頭はオリオール侯爵夫妻と……マリシアン卿。マリシアンはオリオール家の三男の名前だったと思うのだけれど、何故三男が同行しているのかしら? それにファビウス侯爵、デフュイ伯爵、ギスカール伯爵……この辺りは皆宰相派の貴族達の名だわ。国王の護衛は第一騎士団長ではなくブルイエ第二騎士団長なのね……どういう意図かしら?」


 ひらひらと手を振って筆記具を要請したリディアーヌに、マクスがすかさず羽ペンとインクを盆にのせて差し出した。そのうちブルーのインクをペン先に吸わせると、宰相派として見覚えのある名前に丸を付けていった。次いでブラウンのインクでブランディーヌと関わりの深かった家に丸を付けてゆく。


「ベルテセーヌ王が選別しているのでしょうか。ブランディーヌ夫人派は多くは有りませんね」

「ええ。けれどマズリエ、ミルラン、リンザール……皆、クリストフ一世の庶子を生んだ女性達と関わりのある家柄よ。リンザール家の前子爵夫人は現国王の乳母(めのと)。乳母として王子宮に仕えている内にクリストフ一世の情けを得て庶子を生んだわ。子は二歳を迎える前に亡くなったけれど、子爵夫人はその後も王子の乳母という名目で長く後宮に住まわされていたとか。現子爵は現国王の乳母子ということになって……まぁ、色々と複雑な間柄ね。ちなみにリンザール夫人の子供はクリストフ一世の正妃……つまり私の祖母なのだけれど。そのレティシーヌ王妃に暗殺されたとの噂もあるわ」

「……頭が痛いです」


 生粋の一途なヴァレンティン男子であるフィリックの感想に、敬虔(けいけん)な聖職者であるアルセールが深く頷いている。つい口元が緩んでしまった。


「先王クリストフ二世が亡くなった当初は運が回って来たとばかりに乳母子である現国王を推戴(すいたい)する立場として振舞っていたけれど、その後ブランディーヌ夫人とひと悶着(もんちゃく)あって、夫人に頭を抑えられたという感じね。今では夫人の立派な手足よ。ブランディーヌ夫人の生母もレティシーヌ王妃とは色々とあったでしょうから、その辺の共感が二人を協力関係に結びつけたのでしょう」

「マズリエ子爵というのは宰相家の分家筋だったかと思うのですが、ブランディーヌ夫人派に入れるのですか?」

「子爵自身はオリオール候の陪臣だけれど、子爵夫人がブランディーヌ夫人の元侍女で、夫人の裏の腹心よ。伯爵家の出身だから家格で劣る夫の子爵は夫人に頭が上がらないわ。それにアルナルディ司教はマズリエ子爵領の教会で下積みを積んでいて、子爵の仲介で貴族と養子縁組し、王都の神学校に入っているの」

「……」


 じぃっとこちらを見る皆の視線に、ふと顔をあげたリディアーヌは首を傾げた。


「何か?」

「……姫様はもしや、ベルテセーヌ貴族すべての素性をご存知なのですか?」

「え?」


 あまりにも思いがけない言葉に、パチパチと目を瞬かせる。そんな驚くようなことを口にしたであろうか?


「たかだか二、三、貴族の繋がりを口にしたくらいで……」

「誰が誰の侍女だの、まだ名もない頃の司教がどういった人脈でのし上がったのかだの、そう簡単に知られる事情でもなければ、覚えていられるものでもないでしょう。もしや、この名簿にある貴族達の事情のすべてをご存知なのですか?」

「すべてではないわよ。精々半分……六割、かしら。私の持っている情報は古いものもあるだろうし、まったく知らない名前もあるけれど……国王派、教会派、ブランディーヌ夫人派に分けるくらいなら容易(たやす)いわ」

「……」


 フィリックの反応を見る限り、驚いているようだ。

 だがそれはリディアーヌが優秀であるとかそういう話ではなく、危機感と生立ちの違いのせいだろう。


「王宮で開かれる煌びやかな舞踏会や夜会が、無意味に開かれているとでも? 王侯は高い席の一角でただふんぞりかえって寝ぼけているだけだとでも? いいえ。彼らは上から、誰と誰が話していて、誰が誰を見ているのかを監視しているのよ」

「姫様だけではありませんか?」

「さぁ。少なくとも私の友人達も、そうだったわよ?」

「公女殿下と、公女殿下が優秀と称されるご友人方は特別です。王侯貴族であっても本当の意味でその大切さを理解している者は多くはありませんよ」


 その辺は学校という場所で多くの王侯貴族を見ているアルセールほどに詳しい人はいないだろう。彼がそう言うならそうなのかもしれないが、少なくともリディアーヌの周りではアルトゥールもマクシミリアンも、それにナディアも、皆情報というものの価値をよく知っていた。そのために割いた時間が他のどの課題よりも多かったはずだ。

 皆そういうものだと思っていたが、同じように優秀の聞こえの高いはずのフィリックが首を傾げるということは、それだけヴァレンティンが平和でのびやかな領地だということなのだろう。臣下達は善良で、まるで家族のように心地がいい。情報を武器に腹を探り計略を警戒し続ける必要がないということだ。

 できる事ならば、ヴァレンティンには今後とも是非そうあってほしいものである。


「ベルテセーヌは大国であり王権の強い専制国家よ。ちょっとした出来事が身を滅ぼす。だから誰もが息を殺し、耳を張り巡らせ、眼をぎらつかせながら行動するの。ただ一つの選択ミスが、一族郎党を処刑台に送る。そうならぬよう、すべての言葉に気を配り、誰と言葉を交わすのか、どの程度まで関わっていいのかを計算しながら慎重に振舞う。そして自らもまた選択を誤らぬために、情報という鎧を纏う。その情報は時に矛となり、罠となり、命そのものとなる。ベルテセーヌばかりでなく、王室というのは大体どこもそういうものなのではないかしら」

「私も情報の重要性は分かっているつもりでしたが、それほどに重く捉えたことはなかったかもしれません。それがアルセール司祭の言う“本当の意味で”というものなのでしょうね」

「誰と誰が繋がっているのか。誰がどんな思想を身に着けているのか。誰が、何を望んでいるのか。それを知り得なかったがために、私は目の前で“兄”を殺されながら、ただ無力に逃げ出すことしかできなかったの。私が“無知”だったがゆえに、私は今なお、最愛の兄を誰が殺したのか、考える事さえできずにいるのよ」

「……」


 具体的な話に、フィリックも随分と実感がわいたのだろう。「なるほど」と首肯すると、何やら深く考え込んでいるようだった。

 その間にも残りの名簿を確認し、気になる点をいくつか調べるように指示を出したり、アルセール先生に尋ねたりと、この後の計画を詰めていった。


「儀式にどう介入するかは教会の配置や流れを見てからにしましょう。マクス、貴方は明日の内に極力ブランディ―ヌ派の動きを調べて置いてくれるかしら?」

「かしこまりました」

「クロレンス姉様はここでの話と併せて女伯にお伝えください。詳細は明日」

「ええ、伝えるだけなら私にもできますからね」

「姉上……」


 う、うん……まぁ、アルセール先生が一緒に聞いていたから、大丈夫かな。


「あとは、エリオット。ベルテセーヌの王族がリンテンにやってくればフォンクラークの視線は自然とひきつけられるでしょう。もし私に接触して来ようとしているようなら止めなくていいわ。“フリ”だけしてちょうだい。それからフィリックは……」

「……」


 あれこれと指示を出している内に、いつしかフィリックがじぃっとこちらを見ていることに気が付いた。思考は終わったのだろうか?


「何かしら、フィリック?」

「……いえ。そういえば姫様はベルテセーヌの……“グリフォン”の家紋のお生まれだったのだな、と。ふと」

「……」


 な、なんだ? 突然。えーっとつまり?


「ですが蛇の生食という悪食はほどほどにせねば、お腹を壊します。よく加熱してください」

「……つまりそれは、フォンクラークにはちゃんと下ごしらえをしてから食らいつくべき、という忠言かしら?」

「はい? いえ、ごく普通に。生は体に悪いだろうな、と……フォンクラークを食らいつかせる件に関しては、かしこまりました。うまく釣ってみせます」


 最近ちょっと思っていたことだが、うちのフィリックさんは少々……いや、大分、思考回路が変なのではなかろうか。






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