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6-16 王家の肖像(2)

side アルトゥール

「是非拝観させていただこう」


 行く先を廊下に向けたアルトゥールに、案内役としてついていた男性がすぐに廊下側へと向き、「ご案内いたします」と先導した。

 止めるつもりはないようであるから、やはりそこへ行くことが、暗にベルテセーヌ王の示したものなのだろう。それは一体、どういう意図の物なのか。


 謁見の間の傍の廊下から一つ、美しいフラスコ画に天井を彩られた広間を抜け、赤い薔薇の装飾が埋め込まれた白亜の扉をくぐる。

 広々とした天井の高い長い回廊には数人の貴族と聖職者らしい先客がいたが、貴族達の方は新たな客が紅のマントを纏う人物であるのを見ると深々を礼を尽くし、足早に回廊を出て行った。

 聖職者の方は……あぁ、変な場所で会ってしまった。


「おや、アルトゥール殿下ではありませんか」

「フィレンツ。お前も来ていたのか」

「ベルテセーヌの即位式は帝国で最も古い形式で行われて、見ごたえがあるんですよ。観覧権を勝ち取るのに、柄にもなく少々頑張ってしまいました」


 奥から引き返してくる形でやって来たのは学友でもあるドレンツィン大司教領の聖職者である。いつも聖職者らしい穏やかな笑みを浮かべているが、腹の底で何を考えているのか分からないという意味ではマクシミリアン以上だ。今も、いくら一般に公開されているとはいえ、聖職者がこんな王城の内側で呑気に絵画観覧など、フィレンツィオくらいしかできない大胆な所業ではなかろうか。

 だがその考えはいささか間違っていたようで、「先程まで猊下もいらしたんですが」と言われたものだから、素直に驚嘆した。猊下ということは、即位式に招かれていた本山の枢機卿猊下であるはず。そんな方までもが、城で絵画観覧をしていたと?

 それはよほど変わり者の枢機卿なのか、あるいはそれだけの価値がここにあるのかだ。


「ここは赤の回廊というらしいな」

「ええ、素晴らしい宝物殿ですよ。奥もう一間あって、あちらは古い時代の肖像室だそうです。何しろこのグラン・ベザの創建当初に描かれた貴重なものばかりですから、古いものは奥で、日の光に当たらぬよう厳重に管理されていて、生憎と公開されていません。ですがこちらの間にある物も、十分に古い物が並んでいますよ」


 そういうフィレンツィオが見上げたのは、並んだ宝物類ではなく、入ってすぐの壁に掲げられていた大きな肖像画だ。

 いささか古びた額縁に鮮明な色遣いのままに残っているその肖像画には、白い獣の毛皮と竜の鱗の装飾をあしらった豪奢な紅のマントを(かず)いた男性と、椅子に腰かける美しい白金の髪に青いマントの貴婦人、そして三人の男子と一人の女子が描かれていた。

 王と王妃、その子供達なのだろうが、だとしたら王妃が青い選帝侯家の色であるマントを(かず)いているのがいささか不思議だ。夫婦であったなら、赤いマントを着ているべきではなかろうか。


「これは後世書かれたものですが、奥の間にある初代皇帝陛下の肖像の模写だそうですよ。隣の貴婦人の胸元に聖痕が描かれていますから、ベルベット・ブラウ妃ですね」

「青いマントなのは?」

「この時代はまだ王家も選帝侯家もなかった時代ですからね。この後、第三代陛下の御世に帝国制が築かれたのはご存じですよね? その時に象徴色として定められたとか。ただベルテセーヌはその後もヴァレンティン選帝侯家から度々王妃様をお迎えになっています。どんな慣習だったのかは知りませんが、肖像の中には青いマントを被いていらっしゃる女性が時折おられますよ」


 そう歩き出したフィレンツィオに続いて歩を進めたところで、隣の肖像画には今より十代前のベルテセーヌ王であることの説明書きが小さく壁打ちされていた。王一人の肖像だけでなく、隣には家族の肖像と思われるものもいくつか並んでいて、そこに描かれている女性が確かに青いマントを被いていた。そこから進んで、四代前の王の肖像も、隣に立つ王妃が青いマントだ。


「この王妃もヴァレンティンの?」

「あぁ、そちらは先日リディアーヌ殿下に教えていただいたんですが、今の大公閣下の三代前の大公の妹君だそうです。この隣のクリスティアン二世陛下の肖像に書かれている妹姫様は、大公のお祖母様なのだそうですよ」

「こうして見ると、ヴァレンティンがベルテセーヌと深い血縁であったといわれるのが目に見えてよく分かるな」


 ただ青いマントの貴婦人達を見ても、リディアーヌとの既視感はあまり感じなかった。あえて言うなら、初代皇后ベルベット・ブラウ妃の白金の髪と琥珀色の瞳の方がリディアーヌと同じだ。

 そう思いながらいくつもの肖像画を眺め歩を進めていた先で、ふと、思わず足が止まった場所があった。先程、フィレンツィオが佇んでいた場所と同じであることに気が付いたのはその直後の事で、そしてフィレンツィオが何を見ていたのか……自分の視線の先にあった一枚の肖像画に、たまらず息を飲んで目を見張った。


 それは美しい……とても美しい、肖像画だった。

 これまでの王家の肖像画の雰囲気とは違い、白い石材で整えられた人工的な温室の一角で、長椅子に腰かけゆるりとこちらを見ている貴婦人がただ一人描かれている。

 白金の長い髪に、静かだが威圧的な視線を投げかけている瞳の色は金色で、その美しい姿態を禁欲的な(たか)(えり)の上品なドレスに包み込んだ情景は、いっそ艶めいて見えるほどだった。

 だが目を引かれたのはその絵の美しさや構図の美しさなんかじゃない。


「……リディ?」


 思わずそう口にしてしまうほど、良く知る友に瓜二つであったせいだ。

 はっとして隣の説明書きに目をやり、『シャルル二世陛下皇孫にしてクリストフ一世王妃レティシーヌ陛下』との名があるのを見た瞬間、思わずほっと安堵の吐息が零れ落ちた。

 そうだ。当たり前だ。色鮮やかであっても絵のタッチは古く、明らかに何十年と昔の絵だ。これがリディアーヌであるはずがない。


「恐ろしく美しい方だ。そういえばこのレティシーヌ妃という名には聞き覚えがあるな。東大陸にまで聞こえた美貌の姫だったはずだ」

「この代は王妃様ばかりでなく国王陛下もお美しいことで知られていて、帝国議会ではベルテセーヌの両陛下のお出ましに皆が湧きたったと言いますからね」


 そうフィレンツィオが足を進めるのに合わせて次の絵に向かったところで、そのクリストフ一世とやらが一緒に描かれた肖像に大いに納得した。温厚そうだが威圧的で、どことなく優し気にも感じる。しかしさらりと着こなした深い紅の衣が馴染んでいて、実に王らしい王だ。

 こうしてみると、先程玉座で見た新王は、このクリストフ一世によく似ている。


「新王は祖父似か?」

「そのようですね。あぁ、ですがこちらを見ると、そもそも先王シャルル三世陛下が父親似だったことが分かりますよ」


 シャルル三世が? まさか、なんて思いながら隣を見たのだが、どうしたことか、その家族の肖像らしい絵には母親に瓜二つの女性と見まごうような(せい)(えん)とした青年と、それよりは男性的な整い方の父親によく似た、体格は良いがどこか気弱そうに微笑んでいる少年が描かれていた。


「これは、シャルル三世……なのか?」


 この絵はちょっと、誇張が酷いのでは? などと思ったのだが、「小さな頃は大層お可愛らしかったようです」などといったフィレンツィオの言葉に口を噤んだ。

 まぁ確かに……少々面差しに卑屈さがあり、頬と腹回りに(ぜい)(にく)的な余裕があったものの、シャルル三世も不細工の類というわけでは決してなかった。いや、むしろ整っている方だった気がする。こんな両親の間に生まれているのであれば、それもそうか。


「だとしたら、こちらの母親似の方がクリストフ二世か……」


 先の皇帝戦で()(ごう)の死を遂げた王だ。

 もうほどなく回廊の終わりが見えてきた。残る絵画は三枚だけ。歴代の王の肖像が家族の物と共に五枚も六枚もかかっているのに比べると、二代分には少なすぎる。


 クリストフ二世の御世の最初の肖像は、王の肖像だった。歴代の威厳高い王の肖像とは違い、玉座に深く腰掛け薄い笑みを浮かべながらこちらを眺めている肖像はいっそ威圧的なほどで、その面差しが母レティシーヌ王妃とよく似ていて美しい。いっそ美しすぎるがゆえに、歴代の王達とは違うスタイルがひどくあっているようだった。

 お祖父様は、こんな人と皇帝戦を戦ったのだ……。

 その隣は家族の肖像だった。一体いつ描かれたものなのだろうか。王の肖像より少し年を重ねて落ち着きを見せた王と、その前に嫋やかに立つ長い髪をキリリと結わえた王子。そして椅子に腰かけて小さな子供を抱きかかえている青いマントの王妃。


「あぁ、これはすぐに分かるな。ヴァレンティン大公にそっくりだ」

「アンネマリー王妃陛下ですね。目元のキリリとなさっているところなどが弟君でいらっしゃる大公殿下にそっくりですよね。こちらの王子様も」


 確かに、よく似ている。この子供が九年前、オリオール家の画策で亡くなったという王子か。だとしたら、王妃が抱きかかえているこの赤子が“リディアーヌ王女”だ。


「……」


 ふと隣の最後の肖像画を見たが、そちらはシャルル三世個人の肖像画だった。まだ奥に空間があるのに家族の肖像がかかっていないのは、恐らく今の国王が取り外させたせいなのだろう。

 シャルル三世の最初の王妃は王のせいで孤独な死を迎えている。リュシアン王は生母が父と共に描かれているそれをここに置くことを好まなかったのだろう。ましてや次の王妃は大罪人として処刑されている。ここに肖像画がないことは不思議ではなかった。

 だが……。


「クリストフ二世の王子女の肖像は、これだけか」

「これから程なく、皇帝戦で両陛下が崩御なさり、王子女様がヴァレンティン家に亡命なさったからですね」

「亡命……」

「きっと成長されてからの肖像画はヴァレンティン家にあるんじゃないでしょうか」


 その言葉に合わせたように、ガタリと奥の間の扉が開いた。

 薄暗い奥の部屋からゆるりと現れたのは、深い紫紺のマントに身を包んだ目の前の肖像画の王妃によく似た面差しの人物で、まるで肖像画から抜け出してきたように端正な面立ちをたちまちぎゅっと嫌そうにしかめた表情は、よく見知った顔だった。


「ヴァレンティン大公閣下」

「……なんでこんなところにいるんだ、クロイツェンの小僧が」

「回廊が公開されていると聞きましたから」


 思い出したように後付けで礼をしたところで、そんなものはいらんとばかりに手を振る相変わらずの大公に、アルトゥールもすぐに身を起こした。

 クロイツェンにとっては何かと扱い辛く、傍若無人とも名高い大公であるが、アルトゥールはこの人が嫌いではなかった。リディアーヌを育てた人だと言われて納得するほどに、この人の瞳の奥は考えが計り知れない。

 傍若無人だというのも、彼が真剣に動く際の恐怖心を(あお)る物としてよくよく利用されていて、なかなか本心を見せない上に他人に配慮なんてしない人であるからこその、独特な権力者階級の雰囲気というものを纏っている。

 正直なところ、理想とし得る君主像を持つ一人だ。

 そんな大公の視線がチラリとアルトゥールの立っている隣の肖像画を見て、ほどなく小さく息を吐いた。


「お前のところのジジイが死に追いやった家族の肖像か。そいつを呑気に鑑賞とは、悪趣味だな」

「死に追いやったとは失礼ですね。皇帝戦というものを戦った先人に敬意を払い、ご尊顔を目に刻んでいただけです」


 その言葉に軽く鼻で笑い飛ばした大公は、お前とのんびり会話を楽しむつもりはないとばかりにヒラヒラと手を振り回廊を戻って行く。

 だがその後姿に思わず、「大公閣下」と声をかけて足を止めさせた。

 ピタリと足を止めた大公の隣にあるのは……レティシーヌ王妃の肖像だ。


「閣下こそ、奥の間で何をご覧になっていたんですか?」

「……」


 すぐに答えは返ってこなかったが、ほどなく嫌そうに振り返ったその視線に、思わず苦笑が浮かんでしまった。

 不思議なことに、その表情はリディアーヌとよく似ているのだ。


「奥の間は一般公開されていないからな」

「ええ。ですから、何をご覧になっていたのかと。いえ……閣下は、何をご覧になるのを許されているのかと、気になりまして」

「……」


 あぁ、やはり。何か特別な思い入れのある絵が、この奥にあるのだろう。

 それは……あるいは。


「リディですか?」

「……」


 あぁ、ほら。嫌そうな顔。

 ただ静かにこちらを見ているだけなのに、ぞくりとしそうなほどに冷たくて、凄艶としている。時折リディアーヌが見せる面差しであり、そして今そこに掲げられているレティシーヌ王妃の面差しによく似た表情のようでもある。


「お前をここに寄越したのは、リュシアンか?」

「いえ。ですが、閣下が西の方においでかもとの助言はいただきました」

「……ハァ」


 おもむろに一つのため息を吐いた大公は、カシカシと頭を掻くと、踵を返してきた。


「私が許可しよう。ついてこい。あぁ、そこの聖職者と側近は連れて来るな。お前だけだ」


 そう奥の間に向かう大公には正直驚いたのだが、こんな機会は二度とない。デッセル達を軽く手で留め置き、すぐにその後ろを追った。

 奥の扉の前には間違って奥に入る客がいないようにと監視する騎士が一人いたようだが、彼は大公が客人を連れて扉をくぐることに文句を言う様子はなかった。

 これが、この城におけるヴァレンティン大公というものの地位なのだ。大公の祖母はベルテセーヌの王女であり、姉は王妃であった。他国の国主であるという以上の価値をこの国で持っている。ベルテセーヌがどれほどヴァレンティンと深い間柄にあるのかが、こんなことからもまざまざと分かる。この情景を見知っていたならば、きっと自分は去年のヴァレンティンとベルテセーヌに対する計略を仕損じなかったであろう。


 奥の部屋は薄暗く、すべての絵には暗幕がかけられていた。ただその中のいくつかだけはすでに暗幕が払われていて、最低限のシャンデリアの明かりの中でぼんやりと絵具を輝かせている。

 そんないくつかの絵画の中の、一番奥の絵の前で足を止めた大公の隣に並んで視線を寄越す。

 寄越した瞬間、言葉にならない言葉に、思わず硬くこぶしを握り締めた。


「ッ……」


 上等な額縁。大きな家族らしきものの肖像。しかしそのもっとも異質であるのは、右の奥に立っていたはずの王の姿が黒々と塗りつぶされていたことであろう。それはひと目からして深い恨みや憎しみを感じさせる、悪質な意図によるものだった。

 ただいささか色褪せ傷んだそれ以外の場所に、その手の悪意はない。消された王の隣には清淑とした貴婦人が描かれ、その隣にはよく似た濃い金髪の青年が。そして中央の椅子には、腰かけた金の髪の男性と一人の少女が描かれていた。

 恐ろしく白い肌。年不相応に嫋やかに結われた白金の髪。先ほど見たレティシーヌ妃のような清純とした白いドレスに深い紅色のマントと白い薔薇のブローチを付け、まるでその肖像画の中で異質であるかのように冴え冴えと冷たい眼差しでこちらを見つめる金の瞳。

 一瞬、レティシーヌ妃の幼い頃の肖像なのだろうかと思った。

 だが違う。そうじゃない。

 この肖像は……。


「……リディ?」

「良くその目に(きざ)んでおくといい。そこに描かれているのは、皇帝戦に紛れ王位を奪った男の家族と、亡き父の意志を継ぐためだけに簒奪者の子に嫁ぎ、命を落とした。そんな、憐れなベルテセーヌの王女だ」


 冷たい目をしていた。

 何一つ信じてなるものかと言わんばかりの、凍えた目を。

 お前も共に不幸に落ちろと言わんばかりの、深い闇を帯びた目を。


 ベルテセーヌ王とヴァレンティン大公は、何故アルトゥールにこれを見せようと思ったのだろうか。

 何故、それを伝える気になったのだろうか。

 いや。それは多分……。


「その絵をとくと脳裏に刻んだら、ここを出て行け。そして二度と、私の愛しい姪にこんな顔をさせた者の身内を近付てくれるな」

「ッ……」


 そう。これは多分、忠告だ。

 リディアーヌは決してお前に心を許すことはないのだという。

 そんな、警告だ。






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