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6-12 シュシュ・ロズレ(1)

「お茶をお淹れなおし致しましょうか?」


 すぐにエステルがそう声をかけてくれたが、さて……お茶はいただきたいが、これ以上王の応接間にいるのも(いか)()なものか。


「外の空気が吸いたいわ……リュス、ロズレに出てもいいかしら?」


 ふとこの窓の外に広がる禁苑の存在を思い出し口にしたところで、リュシアンの視線もまた窓の外を見た。


「シュシュ・ロズレは昔と違って、今は一般に開放されている」

「そうなの?」


 シュシュ・ロズレと言われる小さな庭園は、この大広間の奥に隣接する美しい薔薇園だ。何代か前の王女が夜会の休憩用にと作らせた庭で、四つの区画にそれぞれ季節ごとの薔薇が植えられている。

 王族専用の薔薇回廊から直接出る扉があり、そこから王族専用の門にかけての区域にある庭なので、使うのも王族だけだったのだが、どうやら知らぬ間にそうではなくなっていたようだ。


「でもわざわざ秋の寒空、王族の出入りする門の前を通って裏の薔薇園に休憩に来る人なんていないでしょう? 少しロズレを歩いたら、反対の庭から貴賓門に出て、離宮に戻るわ」

「……」

「リュス、私、もう十歳の子供ではないわよ?」


 そう念を押したところで、「悪かった」とリュシアンも苦笑した。

 一人で人の少ない庭に下りて迷子になったり行方不明になったりする予定はないし、そもそも一人で抜け出すような幼稚なことをするつもりもない。現に今後ろにはぞろぞろと侍女と侍従、騎士達が付いてきているのである。


「私も行こう」

「貴方はここで休んでいていいのよ? 夜道の庭園は難儀でしょう?」

「私の足が不自由だからか?」

「まぁ。ただ純粋に歩き辛い場所は疲れるでしょうからと忙しい国王陛下を気遣ったのに」

「ふっ。だったら遠慮しないで欲しい。私も久しぶりにロズレを見たいだけだ」

「貴方はよく夜会をさぼってどこかへ消えるジュードを追いかけて、ロズレを探し回っていたものね」

「……ジュードを探すわけないだろう。ジュードが頻繁に連れ去る君を探していたんだ」

「はいはい」


 確かに何度かジュードに連れ出されてロズレで一休みしたこともあったけれど、大半は真面目かつ真っ当に薔薇回廊沿いの休憩室で一休みしていた。夜会を抜け出すなんて“無作法”はほとんどしていない。

 なのにいなくなるたびにリュシアンは真っ先にロズレを探すのだから、あれはリディアーヌではなくジュードを探しに行っていたのだと思っている。

 だがそんなことを言いながら、階段を下り、一階の通用路の庭へ下りる隠し扉に向かっていると、リュシアンにはこっそりとため息を吐かれた。


「“言うな”と言われていたことなんだが……今更だから白状しよう。私が毎度ロズレに探し人に出るようになったきっかけは、ジュードではなく“エディ殿下”なんだ」

「んっ?」


 扉に手をかけたところで、びっくりと目を瞬かせてしまった。

 今、エディ殿下とか仰いました?


「エドゥアールお兄様?」

「あぁ。そもそもジュードにいらぬサボり方を教えたのもエディ殿下だ。あの人はしょっちゅう式典を抜け出しては薔薇園でのんびりと寛いでいらしたから、そのたびに私がクリストフ陛下から“探してこい”と命じられた」

「……それ、本当にお兄様のお話し?」


 あの完全無欠の、突っ込みどころのない完璧な?


「君にとっての兄は相変わらずソレか」

「お兄様っ子の贔屓目であることは自覚していてよ」


 そうは言ったものの、本当に兄がそんなおさぼり常習犯だったのかというとまだしっくりこず、思わずくるりと振り返り、昔の兄を知っているはずのエステルに「本当かしら?」と問うてみた。

 王侯の会話には口を挟むものではないので、エステルは少し躊躇した様子を見せたが、リュシアンが言ってやってくれと言わんばかりの顔をしているのを見るとくすりと苦笑をこぼした。


「ええ、有り得るかもしれません。ですがおさぼりというより、上手く息抜きをなさっていたのではございませんか? ヴァレンティンでも、急に姿が見えなくなったかと思うと気が付いたらもうそこにいらっしゃるということがよくあり、マドリック様がよく呆れた顔をなさっておいででした」

「まぁ。私の知らなかったお兄様だわ」

「姫様の前では、絶対に姫様からお目をお放しになりませんでしたから。姫様の前で行方不明になられたことは一度もないはずです」

「ん?」


 な、なるほど。うちのお兄様もかなりの妹過保護だったからな。ちょっと恥ずかしい。

 そう言っている内に短い階段を下りて足を踏み入れた薔薇園は、昔と変わることなく、背の低い薔薇がぎっしりと並んだ素敵な庭園だった。

 秋薔薇の区画に足を踏み込めば思った通り、この季節の薔薇が見事に咲き誇っていた。

 人はいないが背の低い場所に等間隔に灯りが入っていて、それに今宵は二つの月が丸く輝いているので夜でも明るい。その秋薔薇の小道を抜け薔薇のアーチをくぐると、ほどなく小さくて可愛らしいガゼボにたどり着いた。庭の四方に同じように置かれている、見慣れた白亜の休憩所である。

 思わず懐かしくなって歩み寄ったところで、リュシアンについていた侍従が「冷えますので、お茶をお持ちいたします」と言って下がったものだから、ただ送ってもらうだけのつもりだったのにこの場を離れられなくなった。腰を据えて話し込むつもりでガゼボに向かったわけではなかったのだが。


「勘違いをさせたかしら」

「私の意を汲んでくれたのだろう」

「……」


 話すことがある、という意味なのだろう。

 どうしたものかとは思ったが、まぁ確かに、明日からはまたお互い忙しくなり、こうして話す時間もないだろう。ゆるりと頷くと、「少し離れていてちょうだい」と側近達を遠ざけた。

 エステルは未婚の淑女の行いとしてどうかと逡巡したようだったが、お茶を淹れると、「あまりお体が冷えるほどはおられませんように」と遠回しに長居しないよう言ってから、あまり声は届かないが目の届く距離へと下がった。


「気が利かなかったな。寒くはないだろうか」

「ええ。今宵は風が随分と冷たいわね。でもヴァレンティンは今の季節、もっと寒いわ」

「あぁ……そうだな。雪はまだだろうか」

「山の方はもう積もっているでしょうね。でも道に困るほどになるのはもう少し先よ。あちらに帰る頃には町にも初雪が降っているかもしれないわ」

「そうか」


 はっきりと本題を切り出せない理由は、リディアーヌも分かっている。

 ポツポツといくつか他愛のない言葉などを交わしたところで、ひときわ強く吹いた風にゆらりとテーブルの真ん中のランタンの中で火が揺れた。


「今は少し……ヴィオレットとの面会に君達を同席させたことを、後悔している」

「……リュス」

「昔から、無邪気な子ではあった。だがあれほどまでに恥知らずであっただろうか」

「貴方達はヴィオレットとは随分と親しかったのね?」


 それはリディアーヌが直接知らない関係であるから何ともなしに問うてみたのだが、リュシアンはそれに答えることに随分と躊躇いを見せてから、小さく頷いた。

 彼とて、どうして自分達がヴィオレットと親しくさせられていたのかは分かっているのだ。だからそれをリディアーヌに知られたくはなかったのかもしれない。


「そんなことで口を(つぐ)む必要はないわ。私だって分からず屋ではないのだから」


 それは即ち、リディアーヌや兄がペステロープ家の子供達と親しくしていたのと同じなのだ。それが政略のためであったと言われたところで、否定する気も咎める気もない。そういうものである。


「ん? でもヴィオレットとは年が離れているわよね? 一体いつからヴィオレットは登城していたの?」

「シャルル三世が即位してからだ。まだヴィオが五、六歳くらいの頃だな。それまでも兄達がしょっちゅう王弟宮に来ていたが、シャルルの即位後にはほぼ毎日のようにブランディーヌが娘を連れてきて、後宮に預けていっていた。私も学院に行っている間は顔を合わせることはなかったが、それでも一、二年ほど、長期の休みには毎日のように見かけていたな」

「私がいなかった頃のことね」

「君達兄妹がいつもお茶をしていたグリシーヌのガゼボがあるだろう? 私はそこを遠くから眺めるのが好きだったんだ。だがヴィオレットが来るようになってからはあそこに行けなくなって、うっとおしく思っていた」

「あら、隠す必要なんてないわ。ヴィオレットは貴方の婚約者候補として連れてこられていたんでしょう?」

「……ハァ」


 リュシアンはため息を吐いたけれど、そのくらいは分かる。

 ただ思いのほかシャルル三世への貴族、あるいは教会からの風当たりが強く、結局すぐにリディアーヌ元王女を連れ戻すべきだとなった。そして後宮にリディアーヌという住人が現れたことで、牽制されたブランディーヌは滅多なことで娘を後宮に預けられなくなり、リディアーヌもあそこでヴィオレットに遭うことはなかったのだ。


「正直……心が揺れたこともあった。簒奪者の王太子などと言われ鬱々としていた頃に、無邪気にそれを喜び、それでいいのだと言わんばかりのオリオールの娘に、彼女を大切にしておけば、いずれ自分は批難されなくなり、楽になれるのだと」

「ええ……その気持ちはよく分かるわ」


 でもそうならず、リディアーヌが戻ってきてしまった。

 それはリュシアンにとって幸いであり、同時に不幸でもあった。そのまま覇権を得たオリオールの傀儡になってしまえば、汚名など気にもしなくていい楽な道になっていたかもしれない。だがそれではいけないのだという引っ掛かりが残る中で、リュシアンは正統の王女を王にするという、より正しく楽になる手段を手に入れてしまった。

 そしてそれこそがオリオール家の敵視を呼び、私達は日常を失ったのである。


「マリシアンの先程の言葉は、まったくその通りだった。だが、仕方がないのだろうとも思った。あの子にとっては、すべてが最初から用意されていた道で、誰を捨てるも拾うも自由であり、元より王の権威を立ててやらねばならないなどと考えたこともないのだろう。オリオール家というのは、シャルル三世の治世中、それだけの力を持っていた」

「そうね……好き勝手に商売をしたり、公の場でクロードを(おとし)めたりできたのも、ブランディーヌがそれを放置していたからなのでしょうし。そして彼女にとっては物心がついたころからそういう物だったから、それが母のおかげであることを知らず、あたかもすべて自分の力なのだと思い込んでしまったのね。まぁ実際に、商品開発の類では結構な才を発揮したと聞いているわ。私は……好きではないけれど」

「だろうな。ここ数年の流行とやらを私も一通り確認したが、君は嫌いそうだなと思った。君は濃い味付けより、良質な塩とハーブだけのような優しい味を好む。パンは良質なバターを使った表面に硬さがあるシンプルな物やコンポートを添えたデニッシュ。菓子は小麦の物が好きだが、生果かドライフルーツを一番好む。日常のドレスは凝った形より、楽だが色味にこだわった物が好きで、夜会のドレスは肩が開いているものすら嫌がっていたな」

「まぁ、よく覚えているわね」

「実は、君がベルテセーヌに戻る直前にエドゥアール殿下からの手紙で教わったんだ。君が不自由しないようにすべてそのように整えて迎えるように、と」


 知らなかった……。


「ドレスわね……ほら、聖女はいつも聖痕を見せる形でなければいけなかったでしょう? でも凹凸のない幼児体形にはそういうドレスって似合わないし、ずり落ちそうで動き辛いのよ。だから昔から何となく、そういうドレスが嫌いだったわ。そのせいかしら」

「今着れば、君は美しいと思う」


 思わず驚いて目を瞬かせてしまったが、その様子にほどなくはっとしたリュシアンは、「含意はない」と取り繕った。


「すまない。何か他意があったわけではなく、ただ単純にそう思っただけだ。神々も言っていたが、ベルテセーヌの至宝であるし、何より美しい紋様だからな」

「今はもう隠すことに慣れてしまって、胸元が開いていると気恥ずかしく感じてしまうわ。これはもう、好みがどうとか以前の、慣れの問題ね」


 そう肩をすくめて見せながら、一口、紅茶を口に含む。

 今更ながらと思う昔話は沢山あって、あれはどうだった、これはどうだったという話をしている内にも、思いがけずに知ることが多かった。

 私達は意外とお互いのことをよく見ていたようで、「それも知っていたの?」と驚くことも、「そうだろうと思った」と納得することも沢山あった。今となってはどうしてそんな当たり前の会話さえ九年前にはできなかったのかと不思議なくらいだった。

 きっとあの頃はそんな当たり前の会話が(はばか)られるほどに、互いに互いを気遣い、慎重になっていたのだろう。


「ディー。先程の夜会の途中、一日早く着いたらしい皇帝陛下の勅使と顔を合わせた。君にも目礼していたな。見知った顔だっただろうか」

「ゼーレマン卿ね。皇帝陛下に代々仕える禁書庫の守り人の家系で、今は皇帝側近の一人だわ。ヴァレンティンにも勅使としていらしたことがあるの。中々話の分かる御仁だけれど、安易な言葉には惑わされてくれない忠実な陛下の臣よ。“クロイツェン七世の”というよりは、“皇帝陛下の”なのが救いだけれど」

「なるほど。私も話していて、悪い印象はなかった。ただ、なるほど……禁書庫の守り人か。ということは、王籍簿の管理の経験があるのだろうか」

「私がリディアーヌ王女を王籍簿から抹消した際に立ち会った人でもあるわ。その秘事に立ち会ったからこそ、今の皇帝陛下が傍に置いているのよ。ゼーレマン卿にはその私の秘事に関する何かを言われたようね」

「あぁ。ベルテセーヌは皇帝陛下とヴァレンティンの密約を侵し、亡くなられた王女殿下を白日の下に引きずり出されるおつもりなのか、と。回りくどい言い方をしていたが、およそそういうことを問われた」

「まぁ、そうなるでしょうね……」


 いかに今回のベルテセーヌの内乱でリディアーヌが“ヴァレンティンも無関係な話ではないから”と理由を付けて介入をしたと言っても、それが少々度の過ぎた介入であったことの自覚はある。無論、そうならないようありとあらゆる理由を付けたが、リディアーヌの素性を知っている皇帝からしてみれば、どの理由も後付けたものにしか思えなかっただろう。実際、そうである。

 そして皇帝陛下は、かつて王女の夫であった王子の復権を耳にし、すぐに危惧を抱いたはずだ。『リディアーヌ公女は、王女と聖女の存在を明るみにし、帝位を狙うのでは』と。


「ゼーレマン卿とはまた皇太子が訪れれば、話をせねばならないだろう。ディー……その前に、私は君にどうしても聞いておかねばならないことがある」


 ひときわ真剣な面差しをして言い辛そうに告げたリュシアンに、リディアーヌも自然と背筋を伸ばして目を細めた。

 何を聞かれるのかは……分かっている。


「“リディアーヌ王女”。君は帝位のことを、どう思っているのだろうか」






グリシーヌ:マメ科フジ属落葉蔓性木。藤。

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