6-9 一日目の夜会(2)
「ごきげんよう、フィレンツィオ卿。お久しぶりね」
「春ぶりですね、公女殿下。ご挨拶をさせていただきたく、お話の途中に失礼します」
「会場に入って来た時からずっと、熱い視線を感じていてよ」
差し出された手に応えるように手を重ねれば、さっとその手を額に掲げる礼を尽くした聖職者の装いの友人がニコリと顔を上げた。
アンザス候としては、その見慣れない若い聖職者が誰とも知らないものだから訝しそうにしているが、ほどなくフィレンツィオの後ろから今回の即位式を挙行した本山の枢機卿猊下がやってくると、おっと、といった感じで身を引いた。さすが、信仰心篤いベルテセーヌの貴族である。
「フィレンツィオ助祭、私にも挨拶をさせていただけますかな」
「勿論ですわ、テスティーノ猊下」
先んじてリディアーヌがそう歓待の言葉をかけると、猊下はニコリと微笑んで聖職者らしく袖を合わせて深く一礼した。東大陸育ちのフィレンツィオと違う、ベルテセーヌ系の聖職者らしい所作である。しかし枢機卿猊下が自ら頭を下げるというのも目立つことなので、リディアーヌも軽くドレスを摘まんで礼を返した。
聖女に礼を尽くされては困ると言わんばかりにテスティーノ猊下は眉尻を下げたけれど、体面という物もあるので受け入れてもらいたい。
「この度は素晴らしい儀式を挙行していただきまして、有難うございます。とてもやりやすく、良い儀式でした」
同じく挨拶をしたアンジェリカも、「沢山フォローしていただいてしまいました」と恥ずかし気に肩をすくめる。そんな微笑ましい少女達にニコニコと微笑む様子は、いわゆる聖職者スマイルというやつだ。
叩き上げのアルナルディ元正司教ですら、いつもこうしてニコニコと温厚そうに微笑んでいた。今はまだ助祭という立場にあるフィレンツィオもだ。きっとこれが教会で教わる聖職者というものの標準装備なのだろうが、正直、本心がよく分からなくて苦手だ。
「とても良いタイミングで来てくれたわね、フィレンツィオ助祭。見計らっていたの?」
だからつい、馴染みがあり、笑顔の裏を察しやすいフィレンツィオに話しかけてしまう。
「ええ。でもこのタイミングで声をかけてしまったのは、思わずですよ。何やら面白話が聞こえてきましたので。ちなみに今私の頭に浮かんでいるのはマクシミリアン殿下です」
奇遇ね。私もよ……。
「いらないことを友人に告げ口するんじゃありませんよ、フィレンツ」
「あははっ」
ここではっきり答えないところがフィレンツィオだ。まったく、食えない。
「これこれ、フィレンツィオ助祭。聖女様にあまり失礼をしてはいけませんよ」
「これは失礼しました、猊下。ですがこれは忠心からの助言でございますよ。聖女様のご友人はとても嫉妬深いですから、気を付けていただきませんと」
「ごほんっ」
否定はできない。
「それよりも私は、即位奉告の儀になぜか貴方が参列していたことについてをお伺いしたくってよ」
「裏も表もございません。私はドレンツィンからも一人使者を出すと聞き実力でその座を勝ち取り、全力でテスティーノ猊下に近づき、参列への同行者の座を射止めたのです」
「まったく……貴方の師は若き前途ある神の僕にどんな教育をしているのでしょうね。聖職者とは思えぬ手法に随分と驚かされましたよ」
「そういう猊下こそ、本山では今回の役を得るため随分と熱心な手回しを為されたとか。アルセール先生が、エティエンヌ猊下が悔しがっていたと笑っておいででした」
「まぁ。エティエンヌ猊下も立候補なさっていたのですか?」
「ええ。ですが何の縁もゆかりもないエティエンヌ大司教にはご遠慮いただきました」
そうにこやかに答えたテスティーノとて、出身がベルテセーヌというだけで本山育ち本山所属の大司教様だ。それでもベルテセーヌに縁があるというのが、どうやら今回の役目をもぎ取る大きな一因になったようである。
エティエンヌ枢機卿猊下はアルセール先生の師にも当たるお方で、次期教皇候補の聞こえも名高い本山指折りの大司教様だ。さすがにそんな方が一国の王の即位式に来るわけにはいかないだろうが、しかしそれでも名乗りを上げたというのは、やはり本山で“聖女による即位式がある”という情報、ないし噂があったせいなのだろう。
「ところで聖女様……あぁ、いえ。公女殿下。実はそのエティエンヌ卿のご提案で、一人、ベルテセーヌに赴任させたいと思っている司教がおりまして。ご意見をお伺いしたいと思いお声をかけさせていただいたのですが」
「司教様ですか? あの、私に?」
ベルテセーヌの教区長や国王ならまだしも、どうして? と首を傾げたのだが、「名を、ロドリード司教と申します」と言われた瞬間、理解した。
それは先だって皇宮の教会国教局を解任され本山に送還されていた司教様の名だ。どうやらリディアーヌも無関係ではないリンテンの一件のせいで、アルトゥールの標的になり利用される形で職を追われたらしく、実直な方であったのに勿体ないと、アルセール先生宛てに助けてあげられないものかという相談をしていたのだ。
アルセールはエティエンヌ猊下の愛弟子であるから、猊下の口利きということはつまりアルセール先生がそうなるよう取り計らってくれたのだろう。
「願ってもないことです」
なのでに率直に喜びの声を上げた。本来はヴァレンティンの人間であるリディアーヌが判断することではないが、元々厳格な仕事をするロマネーリ教区長と実直な仕事ぶりだが少々融通の利かないロドリード司教は相性も悪くないだろう。ロマネーリの傍にはすでに温厚で人の輪に入るのが上手い補佐役の司教が付いているそうだからバランスもいい。
「私からも是非、教区長様にお勧め申し上げますわ」
「それは宜しゅうございました。このような口利きをいただけたことを、当人もとても感謝しておりましたよ。元々ベルテセーヌに縁のない出身ですのに、声をかけてもらえるとはと恐縮しておりました。私としましても、あのように実直な者を私の派閥からベルテセーヌに送れましたら、どれほど喜ばしいことでしょう」
水面下では着実に枢機卿同士の覇権争いもあるようだが、そもそもがエティエンヌ猊下の差配であるなら、そのエティエンヌと親しくしているリディアーヌとしても問題はない。ここで今まで馴染みの薄かったベルテセーヌ系の枢機卿猊下に好印象の誼を作っておくのも願ってもないことだ。
そんな話がひと段落したところで、少し離れた場所でタイミングを見計らっていたらしいジュードが「公女殿下、ちょっといいですか」と声をかけてきた。対外的な目を気にしたらしくない丁寧な口調に逆にびっくりしそうだったけれど、そこはいつもの対外向けスマイルで誤魔化しながら「お呼びがかかったようですから、これにて失礼いたしますね」と猊下達に挨拶をして、さりげなくアンジェリカも伴ったままその場を離れた。いつの間にかアンザス候もいなくなっている。
「ジュード、アンザス候は?」
「少し前にセザールが引き取って行ったぞ。それより、ヴィオレット妃が滞在先の迎賓館を出た旨の連絡があった。まもなくこっちに来る」
それはゆっくりしていられない、と、足早にジュードに並んで上座の近くに向かった。
いつの間にかリアーヌの姿もなくなっているが、どうやら一足早く会場を後にしたらしい。それだけでなく、ヴィオレットと接触させたくない貴族は先んじて休憩室などに連れ出されているようだ。残っているのは……あぁ、ラジェンナはまだいる。
「ラジェンナ嬢は?」
「今世話になっている子爵家の縁者に引き合わせられているらしくてな。すぐには出られない。落ち着いたら早めに出られるようダリエルに頼んであるが」
そればかりは仕方がない。
「アンジェリカはどうしましょう」
「ザイードの未成年を理由に今のうちに退出させよう。アンジェリカ嬢、構わないか?」
「はい。むしろ私だけ、申し訳ないです」
「そんなことはない。本当はもっと夜会を楽しんでもらいたいのだが、すまないな」
上座のすぐ傍まで来たところで、すでに話を聞いていたらしいザイードがやってきて、「んっ」とアンジェリカに手を出した。相変わらず生意気で、でもなんだか微笑ましい。
「ふふっ。あと少し、よろしくお願いしますね、ザイード様」
「いいからさっさと手を取れ。兄上が待っているんだろ?」
「はい」
ニコニコしながら手を取ったアンジェリカは、今一度リディアーヌとジュードに挨拶し、ザイードと一緒にリュシアンにも挨拶をしてから、薔薇回廊に向かう上座の扉の方から退席した。ザイードが王族だからこそ使える、ヴィオレットとは絶対にすれ違わない出口だ。
その判断は正しかったようで、アンジェリカ達の姿がなくなってすぐ、「クロイツェン皇国皇太子妃ヴィオレット殿下、ご謁見のためご来場にございます」という扉の前の侍従の声が響き渡った。
重苦しい音を立てて開いた扉。深紅のカーペットの上にふわりとゆれたベルラインスカートの黒っぽいドレスに葡萄色のレース。肩にかけた濃い赤のマントは艶やかなビロードのような光沢を持ち、きちんと誂えたようにスカートの裾に合わせてある。
婚儀のお披露目の時のスカートラインに対する“淫ら”という評判がちゃんと耳に入ったのか、それともただの偶然か、今日は幸いにして多少足先が見える長さとはいえ常識を守っている。だがその華やかさを控えた暗く貞淑な装いは、もれなく会場の貴族達をざわりとざわめかせた。
「まるで喪服だな」
「喪服ですわね」
耳に届いた養父の言葉にリディアーヌも頷く。
父の喪に服していますと言わんばかりの色だが、それでいて王家の色である紅を被いているのだから、余計にたちが悪い。ヴィオレットも、一体何を思ってそんな恰好を選んだのか。いや、だがかといって皇太子妃らしい華やかなな晴れの場での恰好をされても何様だと思わなくはないのだが、これはより悪い方のチョイスだと言わざるを得ない。
注目を集めて不安そうに佇んだヴィオレットの背を、後ろにいた騎士風の男性が軽く押し出したらしく、ヴィオレットは少し後ろに頷いて見せてからまっすぐと前を見据えた。
それに気が付いた貴族達がようやく道を開けて礼を尽くしてゆく。その真ん中を楚々と歩いてくるヴィオレットの後ろには、侍従が一人と二人の騎士。先程ヴィオレットの背を押した騎士には見覚えが無いが、隣のやけに目立つ背の高い美貌の騎士は良く知っている。確か昔はアルトゥールの騎士だったはずだ。
後ろにはよく目立つ金髪の侍女とおどおどとしているもう一人の侍女イエナ嬢。それに後ろに文官を伴っている。それに、すぐ斜め後ろにぴったりとくっついている侍従はヴェラー卿ではなかろうか。一体どの面下げてこの場に来られたのか。
「ヴェラー卿がいるのは何故かしら? 確か少し前に、皇太子が側近から解任したとか聞いたような気がするのだけれど」
「えぇ、そのようですね。ただその後、『自分の母のために尽くしてくれただけなのに可哀想だ』と庇ったヴィオレット妃に救われて、今はヴィオレット妃の侍従だそうですよ」
思わずの呟きに返答をくれたのはセザールで、それにはもれなくリディアーヌが頭を抱えた。加えて、「そういうのに疎い俺でも、やばいってのは分かる」とジュードも頷く。えぇえぇ。ジュードにも分かるくらいの、やばい事だ。
「ちなみにセザール、それはどこ情報?」
「クロイツェンのベネディクタ皇女殿下です」
「……んっ?!」
「正しくは、ベネディクタ皇女殿下からザクセオンの第二公子殿下を通じてマクシミリアン公子殿下に流れ、殿下から私に」
「貴方、ミリムと手紙を交わしているの?」
「いえ、まさか。ただ先日、公女殿下がベルテセーヌにいると聞いたらしく、分厚い苦情の手紙が届いたんですよ。公女殿下に出したはずの手紙に返信が一通もないのはどういうことだろうか、といったことも書かれていました」
む……そういえばヴァレンティンを長らく留守にしているせいで、いつもなら毎月のように届くマクシミリアンからの手紙を読んでいない。どうしたものか。
そう頭を抱えている内にも、ヴィオレットは下座の階段の前までやって来たらしい。上座を見上げた賓客に、まだまだセザールに言っておきたい言葉があったものの仕方なく飲み込んでおいた。
「新王陛下、お祝いの場を中断させてしまい申し訳ありません。クロイツェン皇国皇太子妃ヴィオレットがご挨拶を申し上げます。この度はご戴冠の事、お喜び申し上げます」
ドレスを摘まんで上等なカーテシーをして挨拶したヴィオレットに、早速、リュシアンは返答に困ったように口を噤んだ。
さもりあなん。皇太子妃と名乗ったものの、その挨拶はまるでヴァレンティンの貴族であるかのように恭しく丁寧だ。それにあたかも喪服のように暗い色を纏っていながら、まさか最初に祝いの言葉が出て来るとは思わなかったので、それに面食らったのもあるだろう。
リュシアンも、これはどうしたらいいのだろうかと言わんばかりの顔である。
「祝いの言葉を感謝しよう」
迷った結果、もっとも無難な定型句だけに留めることを選んだらしい。まぁ、衆目の中で『そんな礼は必要ないのでは』と指摘するのも、“他国の妃”に失礼なことである。いい対応だと思う。
「ここに、皇王陛下からの祝いの言葉を持参いたしました。どうかお納めください」
「拝領しよう。皇王には宜しく伝えていただきたい」
再び淡々と答えて、ヴェラー卿が差し出した書状をリュシアンの傍に控えていたネルヴァル伯爵令息がさっと階段を下りて受け取り、恭しく上座に持ち帰った。
ここまではおよそ慣例通りのやり取りだが、さて、問題はその後だ。
警戒するようにじっと皆の視線がヴィオレットに集まったところで、顔を上げたヴィオレットはそれをさっと見回すと、どこか困ったように眉尻を垂らした。
「あの。そんなに怖い顔をしないでくださいませ、皆様」
喧嘩をしに来たんじゃないんですよ、と笑って見せたヴィオレットに、貴族達が困ったように顔を見合わせた。怖い顔だと指摘され、敵意を感づかれたのかと焦ったのだろうか。そんなことよりも、王への謁見の場でまず周囲を気にかけ窘めてみせるだなんて姿勢の方が褒められたものではないと思うのだが。
「そうはいくまい。祝いの場に喪服を纏い現れたそなたを警戒しているのだ」
「え? 喪服?」
ヴィオレットの意識を戻させるためにあえて口を開いたリュシアンに、されどヴィオレットは何を言われたのか分からないと言わんばかりに首を傾げると、ぱっと自分の恰好を見下ろし、たちまち「まぁ」と笑みを浮かべた。
「喪服だなんて、誤解でございます。私はただ秋らしく、葡萄色のドレスを選んだだけなのですが、黒く見えてしまいましたか? あ、マントで隠れてしまって、重苦しくなってしまったのかしら」
困ったように肩と背を覆っていたマントの端を摘まんで広げて見せたヴィオレットのドレスは、なるほど、肩から腕にかけてとスカートのバックラインに淡い紫の華やかなレースとリボンがあしらわれていたようだ。マントがなければ喪服に見えてしまうこともなかったのかもしれないが、だがそんな風にマントを捲ってみせるのははしたないことであるし、隠れてしまうのなら意味がない。
「やれやれ、まるで子供だな」
思わずそう呆れたように呟いた養父には、リディアーヌも頷かざるを得なかった。
それに喪服ではないと主張したところで、ヴィオレットはだから何というわけでもなくニコニコと上座を見上げるばかりで話が進まない。
謁見は、謁見をする側が用件を伝えて初めて会話が成立するものなので、リュシアンとしてはヴィオレットが切り出すのを待っているのだろうが、とうのヴィオレットが何も言わないのだ。一体どうしたものか。
「黙っているが、特に用件はないのだろうか?」
「えっ? いえ、とんでもございません。私はただ、身分の低い者からは声をかけてはならない原則をお守りしているだけでございます」
「……」
チラリ、と、後ろでヴェラー卿と元皇太子の騎士が困ったようにヴィオレットを伺うのを見た。どうやらヴィオレットは謁見というものの経験がないらしい。いや、皇帝陛下への謁見などしたことはあるはずだが、学んでいないのだろうか。
「皇太子妃殿下、陛下はご用件を伺うと仰っておいでですよ」
これれでは話が進まないので仕方なく、様子を見たメディナ妃が口を挟んでくださった。おかげで口を開く機会を得たヴェラー卿も後ろからこそりと「どうぞお話しください」と促す。それを見て、ヴィオレットは「それでしたら恐れながら」と顔をあげた。




