1-16 正餐会の後(1)
もしアルセールがいなければ、このまま衝立の奥でさっさと湯を浴びてドレスを脱いでしまう所なのだが、さすがにそんなことをしようものなら禁欲的な聖職者にお説教を食らいかねないので我慢する。フィリックはそんなの気にしないだろうけれど、仕方がない。
ただフランカにお願いして髪だけは解いて、軽く装飾品類だけ外してもらった。そうするだけで随分と体が軽くなる。
それでもアルセールは深く手のひらで顔を覆って俯き必死に目と耳を閉ざしていたけれど、さすがのフィリックは気にも留めずにテキパキと集まった情報を整理して机に並べてくれている。さすがのクロレンスもちょっと呆れた面差しだ。
「姫様、私が言うのも何だけど、年頃なんだしさ。もう少し意識した方がいいんじゃない?」
「貴女方の従叔父でありフィリックの父親であるアセルマン候は常々、多少刺激的な方法でも引っかかってくれる男がいれば婿に貰ってきなさいと仰っているわよ? あぁ、フランカ、お茶を淹れてちょうだい」
「かしこまりました」
「父の言うことを真に受けないでください。アルセール司祭は安全だと踏んでのことであって、このような夜分に誰でも彼でも主の部屋に立ち入らせることを快く思っているわけではありません」
「え、そうなの?」
フィリックの言葉に意外性を感じつつ席に着いたところで、フランカがすぐにお茶と、それにつまめるものも用意してくれた。晩餐が中断されたことを知ってのことだろう。まずは皆にもお茶を進めて、お酒の入った胃と頭をすっきりさせてもらった。
「皆は少し寛いでいてちょうだい。それで、マクス。例の親書は?」
「こちらになります」
まずはマクスの差し出した銀盤から、白い押し花が施された綺麗な封筒を受け取った。
可愛らしさと上品さのある封筒に、女性らしい書体の宛先名。封蝋は淡い桃茶色で、花を咥えた山鳥の刻印が押されている。随分と久しぶりな、“友人”からの手紙だ。
「姫様、随分と可愛らしい封筒ですけど。差出人は女性なんですか?」
「ええ、クロレンス姉様。学生時代の友人です。彼女はこういうもののセンスがとてもよくて……押し花は特に得意で、この封筒もきっと自分で作ったのね」
「まぁ、手作りなのですか? 素敵です」
うっとりと興奮気味のフランカが差し出したペーパーナイフで、いつもより心ばかり綺麗に封を切り、中の便箋を取り出し目を通す。
『拝啓、私たちの美しき青薔薇、リディアーヌ公女殿下』
けして礼節は忘れず、けれど堅苦しくはない書きぶりの手紙は、二人の悪友達とはまた違った意味で心を和ませてくれる。
ナディア・ジュディエナ・ド・セネヴィル元侯爵令嬢――現在セリヌエール公爵夫人と呼ばれている彼女は、リディアーヌのカレッジ時代一番の女友達だった。
学校ではアルトゥールとマクシミリアンの三人で行動することが多かったけれど、課題によっては四、五人で班を組まねばならないこともあったし、あるいは同性の友人が必要な場面もあった。そんな中、目立つわけではないが気立てもよく礼節もあったナディア嬢は快い人柄としてよく目に留まり、自然と親しくなった相手だ。ナディアとその友人達は、二人の親友の他に唯一友人と認めうる相手といってもいい。
カレッジを卒業してからもしばらくは季節ごとに手紙を交わしたり贈り物をしたりしていたが、去年ナディアが結婚してからは最低限のやり取りだけに留めていた。きっと慣れない生活に忙しいだろうからとの配慮だ。
しかし今回受け取った手紙を見ると、そんな配慮はいらなかったな、と苦笑がこぼれてしまった。
「姫様、セリヌエール夫人はなんと?」
あまりにニコニコしながらじっくりと読んでいたものだから気になったのだろうか。いつもなら読み終わるのを待ってくれているはずのフィリックが口を挟んだ。それに窘められるようにして、リディアーヌも急いで目を通す。
「ナディは相変わらずだわ。学生時代に交わしていた婚約が破談になっていきなり王族に連なる公爵家の夫人になった時には驚いたけれど、さっそく暗躍しているみたいね」
ナディアは少しふっくらとした面差しにふわりと内に丸まった髪型の、いかにもおっとりと温厚な雰囲気の女の子だったが、何しろリディアーヌと気が合って友人になるくらいだ。顔に似合わぬ淡々とした知見と厳しい決断をものともしない胆力があって、そのギャップが面白くも気に入っていた。
フォンクラーク王国でも指折りの名門の生まれであるが、生母は西大陸の南方にある属国群のうちの一つアーリン自治国の出身で、フォンクラークとの再縁を望んでいたアーリンの王族に嫁ぐことが決まっていた。フォンクラーク人でありながらフォンクラークらしくない。それもおそらく、リディアーヌが近付き得た一因だったのだろう。
だが卒業してすぐその婚約は破談となり、なぜかフォンクラークの棄てられた王子として知られる国王の異母弟セリヌエール公爵の夫人となったことはまだ記憶にも新しい。
「セリヌエール公は先々王庶出の第六王子。異母兄である先王に生母を殺され、先王が亡くなるまで幽閉されていたというあの国の不遇の代名詞のような方だけれど、評判の悪い現王太子に代わって国王候補に擁立する声があると聞いているわ。でもナディアは夫のセリヌエール公ではなく、国王や夫の叔父にあたるバルティーニュ公を担ぎたいようね」
「……そのような情報を、公爵夫人が?」
「ええ、大胆な報告よね」
本当に、見た目とは裏腹なことをする友人である。ナディアがセリヌエール公爵に嫁いだ時には、一体どうして名門のご令嬢が棄てられた私生児にとざわつくと同時に、さすがはお優しいお嬢様、などと評されたと聞いている。
だが蓋を開けてみればどうだ。ナディアは現国王政権への反発と王太子すげ替えの流れに合流し、積極的に加担している。ナディアの性格しかり、彼女が夫ではなく正統な血筋である先々王の弟を推戴すると断言していることを見ても彼女が私欲で動いているとは思わないが、きっと周囲から現王統を引きずり下ろす期待をかけられて公爵と結婚し、それを忠実に遂行しているのだろう。さすがは我が友人である。
そしてそんなナディアから、フォンクラークの現王太子がリンテンで密貿易を目論んでいることの密告が届いた。表向きには、かつての友人への華やかで可愛らしい手紙として。
「私はナディアのこういう所がとても気に入っているの」
そういいながら、手紙に同封されていた四つ折りの紙を丁寧に開いて机の上に伸ばす。
その書面を覗き込んだ瞬間、フィリックが驚いたように目を瞬かせた。
それもそうだろう。こんな私的で可愛らしい封筒の手紙の中に、“この件にフォンクラーク王室は無関係である”というバルティーニュ公爵……先々王王弟殿下直筆の証書が同封されているのだから。
「はぁ……相変わらず……なんと申しましょうか」
アルセール先生は、カレッジ時代から可愛い見た目とは裏腹なナディアの知略ぶりに耐性があるのだろう。ギャップに驚いた様子はない。大層呆れてはいるようだけれど。
逆にフィリックの方は混乱しているのか、しきりに頭を傾けている。
「セリヌエール公爵夫人は一度、姫様とのご縁でお目にかかりましたが……このような手紙を寄越すような御方でしたか?」
「見た目と中身のギャップに驚くでしょう? 私、セリヌエール公爵のことはよく存じていないけれど、ナディアがアーリン王子妃の地位を捨ててでも夫に選んだというだけで好感を覚えるわ。是非お会いしてみたいものね」
「姫様が、“あの”フォンクラークの王族に、好感を?」
「セリヌエール公は王族といっても先王に忌み嫌われた存在で、先の皇帝戦の折も認知さえされていなかった十一、二歳。ましてやご生母とその実家は先王に諫言をしたせいで惨殺されているのよ。フォンクラークの王族に思う所はあるけれど、同じ先王に恨みを抱く者として、セリヌエール公自身に恨みはないわ」
「それは……まぁ、確かに」
「バルティーニュ公は言うまでもないわね。先の皇帝戦の折、甥のやり方に反発して、一度は罪人とまでされた御仁だわ。それに何より、ナディアが気に入って推しているのよ。それだけで好感度は高いわ」
「なんですか、その私的過ぎる評価は」
リディアーヌから手紙を渡されたフィリックは、目を通しながら顔色を二転三転させた。記憶にあるナディアと手紙の書きぶりの人相が一致しないようだ。見ていてとても面白い。
「つまり、こちらに情報を寄越した見返りに、“勝手に”リンテンで暗躍しようとしている王太子に汚名を着せてほしい、というご要望ですか?」
「いやだわ、可愛いナディアを悪女みたいに言わないでちょうだい。せいぜい、勝手に暗躍しようとしている困った王太子がご迷惑をかけないか心配です。ご迷惑をおかけするようなら遠慮は必要ございませんから、くらいのニュアンスじゃないかしら?」
「姫様のご友人が、姫様の“遠慮はいらない”の意味を知らないはずがないではありませんか」
「ちなみにナディアって、なぜかトゥーリと仲が悪いのよ。手紙にわざわざ“クロイツェンの皇太子殿下と仲の良いうちの王太子殿下が”なんてはっきり書いているのは、もしかして私にトゥーリをもぶっ叩いてほしいのかしらね」
「やめてください。いくらなんでも荷が重いです」
「私はこういうナディアの可愛らしさが好きだわ」
「可愛らしいの意味をご存じですか?」
「まぁっ、フィリック。貴方にとっての可愛らしいって何? 興味があるわ」
そんな雑談をしていたら、「君達、本当にただの主従なの?」なんてクロレンスが口を挟んだものだから、はっと無駄口を噤んだ。
正餐会でお酒が入っているせいで、少々周囲の目がおざなりになってしまっていたようだ。いかんいかん。
「えーっと、それで、マクス。この手紙の情報の信頼性はどうなのかしら?」
「ええ。どうやら金の馬に乗っていらしたのは、フォンクラークの王太子殿下で間違いないようです。人目も忍ばずご立派な赤い旗を掲げ、ぞろぞろと騎士や侍従を連れながら、当主が出迎えもしないのは何事かとわめきつつブルッスナー家に入ったようですよ」
「どこの国にも汚点というのはあるものだけれど……先の皇帝戦以来、隠居を決め込んでいたはずのバルティーニュ公が担ぎ出されるはずね。察せられるわ」
「元々今の王や王太子は、先王と共に“神の呪いを被った”との悪評ですからね。教会を敵に回した印象を拭いされていないだけでも、国民からの支持は悪いでしょう」
「ブルッスナーめ……最近は大人しくしているって聞いてたんだけど、よりにもよってそんな人物と誼を通じるなんてね」
先のフォンクラーク王について、リディアーヌは詳しくは知らない。ただ、教会派の支持が最も厚かった皇帝候補の父に暗殺者を差し向けた実行犯であり、それゆえに教会からの支持を完全に失い、断罪に処されることになった人物だ。
跡を継いだ現国王は王の異母弟だが、“一族郎党処罰されるべき”、“七王家からの追放を”と教会が訴える中、ぬけぬけと新皇帝クロイツェン七世に媚びを打って兄王の凶行を隠匿し、命を拾った王である。
だが彼は王位に着いた瞬間から妻子を次々と病で亡くし、ここ数年も、多くの妾を抱えていながら無事に生まれた子は一人もいないと聞く。そのため王は同母の弟を王太子に立てているが、こちらの評判はさらに悪く、やはり妻子のほとんどが亡くなっている。一応、王太子には息子が一人いるらしいが、他に直系はいない。そのため世間はまことしやかに王と王太子のこの不幸を、『神の呪いだ』と囁いているのだ。
今、フォンクラーク国内で先王の対立派閥であったバルティーニュ公が担ぎ出されようとしているのも、こうした今の悪い印象への払拭が期待されてのことなのだろう。
「クロレンス姉様、先ほどの晩餐の様子を見ても、フォルタン伯とブルッスナー伯の関係は随分と悪いようだったわ。相違ないかしら?」
「まぁ、表立ってというわけではないけれど、うちは三家とも元々監視し合っているような関係だからね。あの二家がこんなにあからさまに対立している様子を見せるのは珍しいんだけど、違和感を感じるほどでもないかな」
なるほど。元々そういう関係なのか。それにしては無駄に棘があるように感じたけれど。クロレンスは少々そんな関係に慣れすぎているだけかもしれない。
「ベルテセーヌの教会に媚びを売るフォルタン伯と、フォンクラークと誼を結んで貿易権を狙っているブルッスナー伯……ベルテセーヌとフォンクラークの関係を考えれば、フォルタン家とブルッスナー家も昨今ことさら関係が悪化している可能性はあるでしょう」
逆にリンテン出身ながら外部に身を置いているアルセールは冷静だ。正餐会の様子から、リディアーヌと同じ構造を感じ取ったようだった。
「いかがいたしますか? フォンクラークがリンテンを経由して貿易を行うこと自体は、リンテンの港への海路管理と防衛を担っているクロイツェン皇国が合意すれば合法です。今はルゼノール家が港の支配も請け負っていますが、本来港湾統治はブルッスナー家の管轄。フォンクラークの王太子が交易を理由に私的に訪ねてきたとしても、合意に向けての話し合いであるならばそれだけで糾弾はできません」
「ルゼノール家とて、ただの私怨や私欲でブルッスナー家から港湾の管理権を奪ったわけではないでしょう?」
「え? いやー……どうだろう?」
いい助言を求めたのだが、生憎とクロレンスはその辺には精通していないらしい。いや、むしろクロレンスが帝国中央からリンテンに戻ってきた時には、すでに現女伯が今の体制を作っていたのだろう。
「まぁ、その辺は明日、女伯には悉く吐いていただくことにしましょう」
ゴホンっ、と窘めるようにマクスが一つ咳ばらいをして見せた。そろそろ夜も深まり疲れてきたのか、言葉が乱暴になっていることは自覚している。でもほら、女伯の実の娘も息子も気にした様子はないですし……。
「ヴァレンティンにとってベルテセーヌ経由で東大陸やフォンクラークの物品が手に入りにくくなっている現状、合法的なリンテン経由での輸入は本来有難いものだわ。けれど裏にクロイツェン皇国の計略が考えられている以上、皇国の後ろ盾を得たフォンクラークが内海でこれ以上広い顔をすることも、ましてや皇帝直臣の治めるリンテンをその拠点にすることも見過ごしてはおけないことよ。このあたりは内皇庁にとっても同じであるはず。聖別の儀に皇帝陛下の勅使が来ているのは僥倖ね。ついでに別件の相談をさせていただきましょう」
「ちょっと待ってください、公女殿下。クロイツェンの計略? 一体、何の話です?」
リンテンの内政には関わっていないアルセールが口を挟み、すぐにリディアーヌだけでなく小伯爵である姉を見やったが、当のクロレンスはわかっているのかいないのか、「あぁ、なんか姫様からそんな知らせがあったとか聞いたなぁ」なんて言っている。これにはもれなくアルセールもため息を吐いた。
「母上はご存じなのですね?」
「ええ、何しろリンテンの商会を巻き込んだ計略ですもの。女伯には知らせてあります。この一件はフォンクラークとブルッスナー家の件とはまた別件なのだけれど……まぁ簡単に言うと、今私、ちょっとトゥーリと水面下でやり合っている所なんです」
「……下手にそちらに口を挟むのは止めておきましょう。聖職者の領分を越えますから」
学生時代をよく知っているアルセールらしい引き際で、「それで」と話の続きを求めた。
「とりあえずフォンクラークの件を手っ取り早く潰すには、その愚かな王太子に踊ってもらうのが一番だわ。幸いなことに明日はベルテセーヌの王族がリンテンに入る予定よ。なのにリンテンにフォンクラークの王族が居合わせたりしたら……」
あぁ、何て面白いのかしら。
「姫様、お気持ちは分かりますがそんなことに恍惚としたお顔をなさらないでいただけますか?」
「そんな顔をしていたかしら?」
だって想像しただけでも楽しいのだもの。
「クロレンス姉様。私、フォンクラークの王太子のことは詳しくないのですが、“ヴァレンティン公女”と“クロイツェン皇太子”との関係を知っていると思います?」
「知らないはずないよ。特に姫様の帝国成人式での出来事を知らぬ王侯は一人としていない。知ってます? 巷では、複数の男性に言い寄られるような美女のことを“深き森の公女様”。娘の恋人を酷い仕打ちで追い払う父親のことを、“凍れる森の大公様”と揶揄するんですよ」
「……」
カレッジを卒業し十五歳となった王侯貴族の子女は、およそ皇帝陛下が毎年催す成人式という名の舞踏会にて社交デビューするのが習わしだ。リディアーヌも勿論、選帝侯家後継者としてのお披露目を兼ね、成人式に出席した。
普通は許嫁か、決まった相手がいない場合は明らかに結婚相手にはなり得ない年嵩の親戚や兄弟がエスコートをするが、リディアーヌはアルトゥールとマクシミリアンの二人にエスコートを申し込まれ、二人が勝手に問答した末、結局決まらず両側から二人にエスコートされるというとんでもなく恥ずかしい社交界デビューを果たすことになってしまったのだ。
ちなみに会場に降り立った瞬間、怒鳴りこんできた養父がエスコートを奪い去った。父親にエスコートされる成人式ほど恥ずかしいものは無いのだが……おかげさまで、黒歴史と化してしまった。
その時のこともあって、ヴァレンティン選帝侯家の公女がクロイツェンやザクセオンの皇子公子と個人的に懇意であることは、もはや王侯間では知らぬ者がいない周知の事実なのである。
「ごほん。えー……だったら、密貿易の件をトゥーリに邪魔されたくないフォンクラークの王太子は、彼と親しい私がここにいると知るや、接触してすり寄って来るわよね?」
「一応、悪評高い王太子の前に未婚の姫君が囮みたく接触しようとしている様子を、臣下として止めておいた方が良いのでしょうか?」
「社交辞令であっても止めるのならもうちょっとマシな止め方をしなさい、フィリック」
「失礼いたしました」
「とにかく。明日は情報の収集と皇帝陛下の勅使への接触。午後からは予定通りに教会の下見に参りましょう」




