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6-8 一日目の夜会(1)

 夕日に空が赤らみ始めたところで、少し早い時間から夜会が始まった。

 本来なら王籍簿を衆目に見せる儀があるのだろうが、皇帝の承認を経ていない今回の即位式では、ここに必要な“王籍簿の写し”がない。なのですっぱりとその儀をすっとばして、早々と夜会を始める予定である。

 貴族達の出入りがひと段落下あたりで、合流したメディナ妃を連れたセザールと、どうやら今回ばかりは参加させるらしいリアーヌをジュードがそれをエスコートし、先に会場に向かった。ダリエルはラジェンナ嬢をエスコートするらしいので、アンジェリカのエスコートは婚約者の同母弟であるザイードだ。アンジェリカもザイードも別々の意味で貴族達とは接触させたくない立場なので、二人は出て行く間もジュードとセザールから「絶対に離れないように」と何度も何度も言い聞かされていた。すっかりとアンジェリカのお兄ちゃんみたいで微笑ましい。

 それから少し待ってから、ヴァレンティン大公とお付きのフィリックを伴う形でリュシアンがリディアーヌの手を取り、会場に向かった。

 本来、こういう場でエスコートを受ける際は男性の利き腕側に並ぶ。東大陸では腕を組むが、西大陸では相手の手の平に手を乗せる程度の接触で有るのが基本だ。だからリュシアンも右手を差し出したのだが、リディアーヌは差し出しかけた左手をふと止め、少し迷ってからくるりとリュシアンの左側にまわって、右手でリュシアンの手を取った。


「ディー?」

「右手が使えないと不便でしょう? 多少礼は失するけれど、こちらの方が自然だわ」


 どうかしらと追従してくれる予定のエステル侍女長を窺うと、エステルも「そうですね」と頷いてくれた。

 リュシアンは右足に不自由を抱えている。まったく歩けないほどのものではないが右側には身を支える杖があった方が楽であろうし、リディアーヌがそちらにいると身動きも取り辛かろう。エステルからも、その方が見目もいいと言われたので、リディアーヌはリュシアンの左側で、決して負担にならないよう軽く手の平を乗せる程度に並んで歩いた。


「随分と慣れているな」

「あら、リュス。私はもう十歳の子供ではなく、二十歳なのよ。貴方の知らない年数の分だけ、こういう場での経験も積んだわ。カレッジのプロムナードや卒業パーティー、皇宮の成人式にも出たし、一度不可抗力で帝国議会に呼び出されて、晩餐会にも出席したわ。グラン公国やルイン、クロイツェンで国賓として招かれたこともあるし、国内でもそれなりに表舞台に立ってきた。うちのお養父様は独身だから、公式の場では大体公女の私がお養父様のパートナーを務めていたわ」

「そうか。そうだな……いや、待ってくれ。帝国議会? 何故?」


 聞き捨てならない単語が引っかかったようで、首を傾げてこちらを見たリュシアンに苦笑をこぼしてやった。

 大広間への入り口が見えてきたので「その話はまた今度」と話を切り上げたところで、王の出入りする上座に控えていた侍従が高らかに国王の入来とヴァレンティン公女の入場を宣言した。


 通常、貴族や傍系の王族らは下座の大扉から出入りするが、王族の直系はロージェのある廊下に面した上座から出入りする。先んじて出たジュードとザイードは王族門から直結する一階の薔薇回廊から出入りしたが、王太妃メディナをエスコートしたセザールや、王が出入りするのは二階の出入り口の方だ。歩み出て中二階に据えられた玉座まで階段を下りねばならないから、足を悪くしているリュシアンには不便な道である。

 一部の貴顕と国賓を除く皆がぞろぞろと下座で礼を尽くしてゆくのを見ると、実に不思議な心地がする。もう十歳ではなく二十歳だと言ったが、それでもこの光景は九年半前、彼と結婚したその日の夜に見た光景とまるで同じだ。あの時は下座から入り中央の絨毯の上を歩んだが、この上座から見る景色に既視感を覚えるのも無理はない。

 本来こうしたお披露目の場では主役となる王が最初の儀礼としての舞踏を踏んで始まるものだが、今のリュシアンはダンスを嗜むには不自由な足をしているため、儀礼は踏まずにそのまま上座の玉座に向かった。

 リディアーヌは決して配偶者としてエスコートを受けたわけではないので、玉座に至ったところで手を離すと、差し伸べられた手をすっと額に掲げて礼を尽くす。


「新王陛下のご即位を、ヴァレンティン公女リディアーヌが(こと)()ぎ申し上げます」


 その定型句に続いて、リディアーヌの隣に並んだ養父が「同じく、ヴァレンティン大公ジェラールが選帝侯として、新王の即位を言祝ぐ」と告げる。あくまでも礼を尽くさないあたりが養父らしい。


「大公閣下と公女殿下の祝いの言葉に感謝を述べる。公女、楽にしてくれ」


 そう言葉を受け止めたリュシアンが、次いで礼を尽くしていた皆に対しても顔を上げるように促すと、祝いに集まった者達に感謝と返礼の宴を催す宣言を行った。これを以て、夜会は正式な開始となる。

 今回のリディアーヌは王のパートナーなので、少なくとも本来パートナーと踊るべき一曲目が済むくらいまでは上座に留まるべきである。なので養父と並んで、しばらくメディナ妃やリュシアンの兄弟達と言葉を交わしながら時間をつぶした。


 まず新王の元へやって来たのはジュードであった。伴っているリアーヌもすでに先程チラリとリュシアンとは顔を合わせているが、まだちゃんと挨拶を交わしたことはなかったらしく、恐縮したように挨拶をしていた。

 かつては田舎で身分もなく一兵卒として過ごしていたジュードが、今や新王陛下の王弟殿下であり公爵殿下だ。なのに自分などが隣にいていいのかと深く躊躇を抱いているらしかったが、思った通り、リュシアンはそれを咎める気などまるでないようで、「何かと大変なことも多かろうが、愚弟を支えてやって欲しい」と声をかけた。

 さらに、「私の代わりに踊っておいてくれ」とジュードに指示するものだから、ジュードもカラリと笑いながら、「ほら、怖いのは顔だけだって言っただろ?」なんていいながらリアーヌを舞踏会場へ連れて行った。


「言われてるわよ、リュシアン陛下」

「あいつはいつまで顔の事をつつく気だ?」


 リュシアンの呟きにくすくすと笑ってやる。


「メディナ妃……王太妃陛下も、遠慮せずに踊ってきて欲しい。セザール」


 先んじて王の斜め後ろの席に座り挨拶を交わしたメディナは、セザールを伴っている。

 前王となったシャルルはこの場を辞退しており欠席だが、新王がきちんとした経緯を以て即位したことを知らしめるためにも、メディナは本来こういう目立ち方を好まないながらも出席してくれているのだ。


「どうかお気遣いなさらないでくださいませ、リュシアン陛下。私も良い年ですし、今更息子と踊るというのも恥ずかしいですわ」


 そうクスクス笑って見せた相も変わらず温厚なメディナに、「そんなことないですよ」というセザールが気を利かせたように母に手を差し伸べた。


「まぁ、セザール……」

「きっとこういう機会もこれきりでしょうし。何かとご苦労をおかけしたお詫びに、踊りませんか? 母上」

「貴方らしくもないわね。どうしたのかしら?」

「少しばかり、親孝行をしたくなったんですよ。兄上、少し離れますね」

「ああ、楽しんでこい」


 そう言われてしまっては仕方がないと思ったのか、一つ呆れた顔で苦笑したメディナ妃は息子の差し伸べた手に手を重ねると、「少しだけよ」と言いながら下座の舞踏会場へと連れ出されていった。


「ディーも、行っていいんだぞ」

「私はやめておきますわ。一応、貴方のパートナーですし、それに誰かと踊ろうものなら相手がお養父様に睨み殺されてしまいますもの」


 そう伝えたところで、「メディナ様が踊っておいでの所を始めてみました」というアンジェリカがザイードとともにやって来た。こちらも先程すでに挨拶しているので、交わすのは形式的な言祝ぎの定型句だけである。

 ザイードが未成年ながらも参加しているのは、アンジェリカのエスコートという大役を任されたからだ。不本意そうな顔を隠しもしていないが、それがかえって子供らしくて可愛いようで、アンジェリカはいっそ楽しそうにしている。一応慣例通りにパートナーをダンスに連れ出しはしていたようだが、その様子は上座から見ても実に微笑ましく、まるで実の姉弟のようであった。


 そうして身内の挨拶が済んだところで、べランジュール前公爵をはじめとして傍系の王族達がやってくる。中にはリディアーヌに何やら突っ込んだ声をかけようとしたものもいたが、ほど近い場所でヴァレンティン大公が目を見張らせている上に、現べランジュール公の娘婿の実弟であるフィリックが縁戚という権限を使って早めに彼らを下座へ引き取って行ったので、幸い長く言葉を交わすことはなかった。

 その次は国賓からの挨拶だ。ただヘイツブルグ大公とはできれば距離を置いておくよう養父にも言われたので、王族の傍系をフィリックが引き取ったのに続く形で、すぐにリディアーヌもリュシアンに一礼して、「私はそろそろ下座に参りますね」と告げ、自然なそぶりで上座を離れた。

 上座に向かうヘイツブルグ大公の視線が追いかけてきているのには気が付いていたが、そちらを見た養父がニヤッと笑っていたので、多分大公同士、視線で話を付けたのだろう。あえてヘイツブルグ大公の様子は見ないようにしておいた。こういう時、うちのお養父様の傍若無人ぶりは頼もしいのである。

 ちょっと隅っこにでもいたい気分になりつつも、「お疲れ様でした」と言って先に会場に入っていた養父の文官が渡してくれた飲み物を受け取っていたら、「リディアーヌ様」と声をかけながらアンジェリカがやって来た。ザイードは……なるほど、ジュードの傍で親族からの挨拶回りを受けているから、こちらに寄越されたのか。


「アンジェリカ、先程は素敵なダンスだったわ。ザイード王子は年の割にお得意なようね」

「ええ。私、本当はクロード様の弟が苦手だったのですけれど、なんだか最近は可愛く思えてなりません。エスコートも背伸びしている感じがして微笑ましいんですよ」


 うん、アンジェリカの緩んだ顔を見ていれば分かる。


「でもこの後は出来るだけ私と離れないようにね。面倒な客が来たらその時はすぐジュードの傍に避難してちょうだい。エステルが連れて行ってくれることになっているから」


 後ろで侍女長のエステルがニコリと微笑んで見せたのを見て、「心強いです」とアンジェリカも頷いた。

 クロードがこの場に出てこられないほどの状況なのではと貴族達に噂をされているのは確かで、あるいは叙爵は名目上で失脚したのではなどとも言われている今、聖女の肩書を持つアンジェリカはどこから狙われるともしれない立場だ。ジュードやザイードが傍にいることで王族が今もきちんとアンジェリカを庇護していることの顕示になるが、その周知が徹底されるまでアンジェリカも身の周りを気を付けておかねばならない。

 案の定、今まで近くにいた養父が上座を下りてきたヘイツブルグ大公に捕まり距離を取ると、怖い大公の目が逸れたリディアーヌとアンジェリカの元には次から次へと貴族らがやって来た。

 幸い面倒の筆頭格であるアンザス候はフィリックが付いている上、セザールとメディナ妃に挨拶に行っているのでまだ来ていないが、リュシアンがリディアーヌをエスコートしたことで、“あるいは王女が戻ってくるのでは”などと勘ぐっている者達もいるのだろう。是非名を覚えてもらおうとの目論見のようだ。

 かといってそれを蔑ろにするのも勿体ない。


「久しくお目にかかります、公女殿下。ジョールジュ・デボルトでございます。覚えておいででしょうか」

「まぁ、お久しぶりですわ、ジョールジュ卿。十年前の、学院以来ですわね」

「まさかこうして再びお目にかかれる日が来ようとは思ってもおりませんでした。我が友は水臭いことに、私にそれを教えてくれなかったものですから」

「賢明なことね。アンジェリカ、ジョールジュ卿はご存じかしら? 貴女のお兄様のご友人で、学院の同級生だった方よ」

「はい、お話しはよくお伺いしています。確かエメローラ領とほど近いご領地の……」

「ええ。今回はうちの南隣の元マズリエ領をダリエルが……失礼。エメローラ伯が飛び地として継承なさったので、ますます当家とは縁が深まりました。私も今後は新王陛下の臣として参画させていただくことになりますので、アンジェリカ嬢にはまたお目にかかることもあるかと」


 アンジェリカは兄の知り合いということに安堵したのか、少しほっとした様子で二、三言ほど言葉を交わした。ジョールジュ卿はいささか口ぶりが軽薄なところがあるが、目端が利き、勘のいい男だ。アンジェリカの傍でしっかりとリディアーヌが監視している様子を見せているのに気が付くと、あまり長居をすることはなく、「また兄君に会いにお伺いさせてください」という言い回しでアンジェリカに丁寧に礼を尽くしてから去った。

 最初が良く(わきま)えた兄の知人であってくれたことでアンジェリカの緊張も少しほぐれたのか、それからも次から次へとアンジェリカに顔を覚えてもらおうと貴顕らが詰めかけてきたが、リディアーヌのフォローを受けつつ、アンジェリカも何とか上手く受け答えが出来ているようだった。

 とはいえ、簡単にはあしらえない相手というのもいるもので。


「諸君ら、少々いいかな。私も公女殿下にご挨拶申し上げたいのだが」


 これまでの貴族らとは打って変わった低く重厚な声色でやって来たのはアンザス候で、この度宰相という地位に就いた人物には皆もそろそろと道を開ける。どうやらフィリックがべランジュール公に捕まっている間にその暗黙の監視の目から潜り抜けてきたらしい。アンジェリカも緊張した面差しでリディアーヌに身を寄せたようだったが、恐れる必要はない。


「ごきげんよう、アンザス候。こうしてきちんとお話をするのは随分と久しぶりですわね」

「何度かお顔を合わせながら、ご挨拶が遅れましたことを謝罪いたします。まこと、お美しくなられて……益々、父君の面影に似てこられましたな」

「まぁ、そこはせめて父ではなく祖母にと言ってくださいませ。生憎と、あのように仏頂面な“養父”と似ていると言われるのは不本意ですのよ」


 そう少し離れた所でこちらを窺い見ているヴァレンティン大公に視線を寄越したところで、アンザス候も察しよく、「これは失礼を致しました」と謝罪した。王女扱いをするなという意図はすぐに伝わったようだ。


「しかしまさか陛下が公女殿下をエスコートなされていらっしゃるとは、お聞きしておりませんでした」

「きっと陛下はヴァレンティン家に慮ってくださったのね。“義姉上様”のことを想って配慮してくださったのでしょう。私はただ、義妹としてお手伝いしたまでです」

「陛下はまだ亡き妃殿下を想っておられる、と?」

「ええ。過去の方として」

「過去でございますか」


 アンザス候は、決して分からずやな御仁ではない。むしろ冷静沈着で時勢という物をよくよく見極められる人物であったと記憶しているが、しかしこのどこかねちっこい言い回しがイライラを掻き立てさせる。

 いや、恐らくそれもわざとなのだろう。そうしてリディアーヌからリュシアンの本心とリディアーヌの今後の振る舞いがどうなるのかを聞き出そうとしているのだろうから、ここでイライラして口が軽くなるのは相手の思うつぼだ。

 ぎゅっと焦燥を堪えながら、「そういうアンザス候のご子息は」などと話題を逸らそうとしたのだが、「うちは平穏そのものです。それより陛下の方が気にかかっております」などと話を戻される。むむむ。

 変に否定しすぎてよもや聖女の称号を持つアンジェリカに飛び火させてしまうのもまずいし、それにアンザス候は元より、アンジェリカをセザールに嫁がせようとしているらしいとの噂もある。いっそアンジェリカは遠ざけさせた方がいいだろうか、なんて思い始めていたのだが。


「へぇ、気になりますね、そのお話」


 涼やかで、軽やかで。なのに朗々とした通りの良い声色に、もう来てしまったか、と思う反面、いいタイミングだ、などと思いつつ、ニコリを笑って見せる。






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