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5-56 薄情な私の帰る場所

 その夜、ただ一人冠を下ろし、紅を脱ぎ、玉座を下りる王を見送った。

 シャルルはその罪こそあからさまに問われなかったが、腹心のことごとくを失っている彼に王の譲位を見送る臣下はおらず、ひっそりと城門を出て遠い離宮へと退いて行く後姿を、リディアーヌは窓の内側から見つめていた。

 同じように落ちぶれた父の後ろ姿を見つめていたリュシアンが、リディアーヌの背を撫でた。

 ようやく……私達から王位を簒奪した男を追い出せた。

 だがここにはもう、だからといって喜んでくれる父も兄もいはしない。そしてリディアーヌ王女ですら、もういない。

 それはこの一連の事件の中で、もっとも空虚な復讐の結末だった。


  ***


 翌日、青の館でベルテセーヌに戻ることを決めたアンジェリカと言葉を交わし、クロードにザイードの様子などを伝えてから館を発った。

 西に向かう途中、王都の郊外にある王家の墓所に立ち寄ったのは、感傷ではなく義務によるものだった。

 父と母は隣に並んで同じ場所に葬られているけれど、果たして彼らは最後のその瞬間、何を思っていたのだろうか。

 白い花を捧げて深い祈りを捧げるリディアーヌを、側近達は何も言わずに待ち続けてくれたけれど、両親に語りたい言葉に感傷が混じることはなかった。酷い娘である。


 九年前は、もう二度とここに来ることは出来ないばかりかベルテセーヌに立ち入ることすらないだろうと思っていた。それでもここまで来ることが出来るほどにこの国に尽くしたのだから、どんなに恨み言を吐いたとしても、二人はリディアーヌを褒めてやるべきだと思う。

 ただどうしてだろうか。記憶を掘り返してみたところで、両親に褒められている自分というものが想像できなかった。

 忘れているだけなのか。それとも事実……私達は、その程度の関係だったのか。


「ディー」


 長らく石畳に膝を突いていたリディアーヌが顔を上げたのは、誰かに声をかけられてからだった。

 今にも雨の降り出しそうな曇り空の下で、薄暗い影を落とした杖をついた人。一体いつこちらに来たのか、リュシアンだった。


「リュス、来ていたの?」

「あぁ。邪魔をしない方がいいかと思ったが、あまりにも長く膝を突いているものだから」


 そう差し伸べられた手を取って立ち上がろうとしてようやく、膝ががくがくと震えているのに気が付いた。少しばかり痛む。そんなリディアーヌをしっかりと支えてくれたリュシアンは、かいがいしく衣の膝の辺りをはたき、垂れていた肩衣を引き上げてくれた。

 そういえば昔から、こういう所は世話焼きだったかもしれない。


「もう、子供ではないのよ」

「……あぁ、そうだな。先日、ジュードにも言われた」

「何をしたのよ」


 そう苦笑しながら、ようやく膝の感覚が戻って来たので、頼っていた腕から手を放し、自分で肩衣を整えた。


「先王陛下は……遅くなってしまった復讐に、私を許してくれるだろうか」

「……さぁ。どうかしら」


 曖昧な答え方をしたのは、リュシアンを苦しめたかったからではない。父が誰かを褒めたり許したり、そういう人間らしいことをする所を想像できなかったからだ。


「リュス。貴方の目から見て、私はお父様に愛されている娘だった?」

「……ディー?」


 突然の質問に困惑したのか、それとも答え辛い質問だったのか。

 しばらく答えに窮したリュシアンは、それでもほどなく縦に首肯した。


「慈しんでおられた。ただ……」

「遠慮なんていらないわ。私はただ、私の中にある理想と現実の違和感にきちんと決着をつけたいの」

「……」


 少し憐れむように眉尻を垂らしたリュシアンは、やがて慮るようにリディアーヌの頭に触れると、(なだ)めるかのように撫で下ろした。

 その手の優しさが、すでにその答えを述べているかのようだった。


「皇帝となれば、(くに)(もと)を離れることになる」

「……ええ」

「皇宮には皇子女のための養育環境はない」

「えぇ、そうね」

「仮に皇子が引き取られることがあったとしても、けれど君は……」

「……ベルテセーヌを離れてはならない、聖女である」

「あぁ」


 あぁ、そうか。

 今まで何となく考えないようにしていたけれど、こんなにも簡単なことだったのか。


 皇帝戦というものに臨んだその時点で、両親は子供達をベルテセーヌに置いて行くことを想定していた。

 慈しんでいたと言ってくれたリュシアンの言葉に嘘がなかったとしても、それでも場合によっては遠く離れ、自分たちの手を離れてしまったとしても仕方がないと思える……それが、私達親子の関係だったのだ。

 そこに愛情がないとは言わない。だが個人の感情よりもずっと王であり国の人であり、それが当たり前だと思っていたのが父なのだ。


 あぁ。ようやく、このもやもやと溜まり続けていた形のない恨み言を、言葉にできる気がする。


「お父様、お母様。貴方方が亡くなられて、良かったわ。リュス。貴方が苦しい思いをする代わりに王女を開放してくれて、良かったわ」

「……」

「貴方達のおかげで、私は本来私が得るはずではなかった物を、沢山得られた」

「……それは?」

「心から私を慈しみ、愛してくれる父親と、一心に私を信頼して懐いてくれる家族。()(たん)なく言葉を交わせる友人達と、私に仕えてくれる側近達。私は貴方達のおかげで、彼らの愛情を得られたのだもの」

「……ディー」


 憐れんでくれる必要なんてない。

 だって私は今、なんら悲しんでなんていないのだから。


「あぁ……早くヴァレンティンに帰りたい――」


 思わず零れ落ちた本音に、九年前、必死に嫁いだ妹にヴァレンティンに『()()()来る気はないのか』と説き続けた兄の姿を思い出した。

 あの時はよく分からなかった。でも今なら分かる。きっと兄も、こんな気持ちだったのだろう。


 あぁ、ヴァレンティンが恋しい。

 長閑(のどか)で涼やかな雪山が恋しい。

 森の香りと狼の遠吠えが恋しい。

 素朴で何ら特別ではないヴァレンティンの白パンと、沢山のハーブが散らされたほろ苦いサラダ。たっぷりの甘味が閉じ込められた果実。

 遠くを飛ぶ竜を眺め、ベルブラウの花園にうっとりとしながら、花の香りのする塔屋でマクシミリアンの甘やかな手紙に頬を緩めたい。

 ダラダラしているとマーサが頬を膨らませながら飛んできて、フラフラしているとしかめ面のフィリックがわざとのように机に書類を積み上げてくる。

 彼らと他愛のない文句と苦言を言い合いながら、今日もうちの子たちが酷かった、なんて話を()()(おと)(うと)に愚痴りながら、家族で食卓を囲むのだ。

 フレデリクの『お帰りなさい』に、少しのお小言を聞きながら、『もう許して』と笑ってあのふわふわの髪に頬をうずめたならば、どれほど幸せだろうか。



 別れの言葉もなくふらりと(きびす)を返したリディアーヌに、リュシアンは何も言わなかった。

 ただ静かに去る後姿に引き止める言葉を選ばなかったのは、彼なりの(なぐさ)めだったのだろう。






第五章 完


※2日ほどお休み。次は11日に。

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