5-53 最後の復讐(3)
「なお、王太子殿下よりこの場で今一つ、追加の議題があることをお伺いしております」
その言葉に、ピクリとブランディーヌが顔を歪ませる。
「あぁ。ヴァレンティンよりの要請に基づき、ここに一つ、明らかにせねばなないことがある」
ゆるゆると立ち上がろうとした足の不自由なリュシアンに、咄嗟にセザールが手を差し伸べかけたが、それを手で制したリュシアンは自らダリエル卿を促し、一通の書状を階下に持って行かせた。
すでに審議が終わったものだと思っていたらしいデッセル卿が、目の前を通って行ったその銀盤の上の手紙に、はっと眉をしかめる。
そうだろう。そうだろうとも……。
「ここに、クロイツェン皇国ヴィオレット皇太子妃の直筆の手紙がある。ヴァレンティン公女殿下が、ご自分ではなくベルテセーヌ宛ての手紙であったものを間違って受け取ったようであるとして、もたらしてくれたものである」
「デッセル卿は確か、あの時お傍におりましたわよね。私とセザール殿下、それにザクセオンのマクシミリアン公子とアルトゥール皇太子。この王侯の会話に不当に近づいてきたイエナ・ソレーユ嬢が、ヴィオレット妃からだと言って私に寄越した手紙ですわ」
「……公女殿下……確か、“捨てた”とお聞きしたはずですが」
「ええ。内容を見てみたところ、どうにも私宛とは思えない内容でしたから、ご関係がありそうなベルテセーヌの殿下の所へ“捨て”させていただきました」
「……」
何が書かれているのかは分からずとも察しが付くのか、デッセルの顔が今までになく嫌そうに歪んだ。
「何が書かれておるのか」
王の問いかけに、司法官がリディアーヌとリュシアン両人の承諾を得て手紙を開く。
「……これは」
目に入れてすぐ、一瞬言葉を躊躇った司法官が、ほどなく深く頷いて、証拠を乗せる机に丁寧に並べ置いた。
「申し上げます。手紙には、ヴィオレット妃殿下からの謝罪が綴られております。貴人の間に取り交わされた内容のため、本題に関わらぬ箇所は割愛させていただきますが、およそ三枚にわたって、『オリオール家の罪を知っている』と、その一つ一つに対する謝罪が書かれておりました」
それに頷いたリュシアンが、貴人に慮って口にはできない司法官の代わりにその言葉を引き継ぐ。
「告発の内容は目を疑う物だった。どうやらヴィオレット妃が言うに、このベルテセーヌの先王陛下暗殺を手引きしたのは、オリオール家だという」
「ッッ……」
「ッ!」
広間中に広がった緊張感に、ぎゅうっとオリオール候が固く胸元を掴んで縮こまった。
どうやら王もまだその議題を存じてはいなかったらしく、ぞっと青ざめた顔で顔を歪ませた。この議題はオリオール家というより、先王暗殺の事件後に王位を簒奪した現国王もまた“加害者側”なのだ。
「手紙にはこう綴られていました。『自分はオリオール家の罪を知っている。貴女がどうして自分を憎ましく思うのかを知っている。オリオール家はかつて国王陛下を擁立し自らの地位を得るために、フォンクラークから侵入した暗殺者を黙認し、先王陛下が王都へ戻る帰路の詳細と護衛の編成を故意に漏らしたのだ』と。『実行犯ではないが、知っていて見過ごしたのは罪であり、ましてやオリオール家は政敵であったペステロープ家にその罪を擦り付け、一族郎党を処刑に追い込んだ。それを知っている先王子殿下を生かしていては危険だからと、先王子の毒殺を目論んだのもまたオリオール家である』と」
「そんな馬鹿なッ」
「っ、馬鹿なことを!」
貴族達が騒ぎ始めたが、王も王で思う所があるのか、錫杖を鳴らし沈める様子はない。
だから代わりにリディアーヌが、カーンッ、と、扇子の金具で椅子を叩いた。
思いのほかよく響いたその音が、びくりと貴族達の言葉を噤ませる。その気まずそうな顔色を見れば、彼らもまたそんなことは百も承知だったのだろうと思わされた。
そう。百も承知だ。皆、知っている。
だが今そこに国王が存在している以上、口には出せなかった事実だ。
「私も、是非ともその真相をお伺いしたいものね。先王陛下の死とはすなわち、ヴァレンティン大公の姉である先王妃アンネマリー様の死にも関わること。そして先王子は私の義兄でありヴァレンティンの後継者であった公子のこと。とても見過ごしてはいられませんわ」
ここにはリディアーヌの真実を知らないデッセル卿もいる。そのためわざとそんな言い回しをしたが、ベルテセーヌ側の大半は、それがリディアーヌ公女の実の両親と実の兄に関することであることは分かっているはずだ。
それだけではない。王女からこの国の玉座を奪ったのはお前達だ、という糾弾を受けているに等しい。
「公女殿下、ならびに王太子殿下。私よりその件について、補説させていただいてもよろしいでしょうか」
先んじてこの件について知らせてあったフォンクラークのミュッセ卿に、すぐにリュシアンが「聞こう」と促す。
「その件に関しましては、すでに長年フォンクラークでも先王の凶行を調べておりました我が主バルティーニュ公爵殿下より書簡を預かっております」
内容は先んじてその手紙を書いている時に傍にいたので見知っている。一応作法的に国王に納められると、それを読んだ王は深い吐息をこぼしながらゆるりと頭を抱え、一つ頷いて手紙をリュシアンに下げ渡した。
「十四年前、先王夫妻暗殺の襲撃犯を手引きしたとして処分されたペステロープ家の所領は北東部。襲撃犯はフォンクラークとの北の関を用いて侵入してきたとされ、相応の証拠が提出されたはず。だが南部の関を掌握された公爵殿下によると、同時期、三十名以上の大規模な商団がリンザール家の主導していたブラックマーケット出身の傭兵を介して手引きを受け、ベルテセーヌに入国したと。以後、ベルテセーヌを出た者が一人も確認されていないこと、そのフォンクラークの商団を騙る集団がフォンクラーク先王の命を受けた者達であったことの証拠が上がっているとある。証拠の書類では、商団は北の国境を越えたと記録されてるが、書類が南の関に残っていたことを見ても偽造であると判断された、と」
そう内容を告げ、手紙を司法官に提出したところで、セザールがダリエルを促し用意していた書類を同時に提出させた。
「先だって陛下の命を受け私が調査しておりましたブラックマーケットに関する調査書類を改めてここに提示いたします。バルティーニュ公爵殿下がお書き添えくださった南の関を身元不明の大規模商団が通過したとの記録と日時を照合したところ、手引きをした傭兵がマイヤール領のお抱えであったことと、その傭兵と同名の者がそれより二か月前、オリオール家に売却されている記録がございます」
「嘘ですわ!」
「嘘?」
ブランディーヌの声に冷ややかな声を漏らしたセザールは、憐れなものを見るかのような冷笑を浮かべた。
「リンザール子爵はとても筆まめな方だったようです。すでに何十という貴族がブラックマーケットに関与したとして摘発されており、彼らの証言によって子爵家が残していた記録がまったく嘘偽りない物であったことも証明されています。なのにオリオール家に関する取引だけが嘘だった、と。それはそれは……嘘と聞いて疑うのは、リンザール家がオリオール家を貶めるためではなく、擁護するために、わざと取引を少なく記録していた可能性の方ですね」
「それに古い記録を当たったところ、先王暗殺事件の際に打ち取られた犯人の背に、今回摘発を受けた傭兵達と同じ鳥の三本指の焼き印があったことが記録されていた。ところで、どうして傭兵が三本指の鳥の足の焼き印を押しているのか、考えたことはあるか?」
「え?」
思わず声を上げたのはラジェンナで、確かマイヤール候の息女だったはず、と、リュシアンもそちらを見た。
「ラジェンナ嬢。マイヤール家の家紋は何だ」
「麦と塔、です」
「セザール、リンザール家は?」
「弓と魚です」
そしてオリオール家は。
「ウグイス……」
「言いがかりをッ!」
まぁ確かに。鳥の足のような焼き印と例えはしたが、それが鳥の足であるというのは我々の主観だ。何しろ、ほとんどの鳥の指は四本だ。
だがそうリディアーヌが小首を傾げていると、「傭兵達の中には、三本指の焼き印の少し下に、逆三角形の墨を入れられている者達がいる」とリュシアンが補説してくれた。
「墨?」
「あぁ。前回ここに引き立てられたという連中も見返させたが、ヴァレンティンを襲ったという者に関しては同じ墨があった。ジュードを襲おうとした連中に関しては別の、三つの楕円のような印が付いていた。汚れか何かだと見過ごしたようだが、過去の記録を当たれば無意味なものではなかったらしいことが分かる。おそらく、麦穂に因んだものだろう」
そういってセザールが寄越してくれた書類に目を通し、なるほどと頷いた。
「私を襲撃した傭兵達と、過去に先王暗殺に交じっていた傭兵達は同じ、“四本指”の印だったんですね?」
「オリオール家の調査をしている際に、同じ紋の印を捺した傭兵の売買契約書が出てきた。ブランディーヌ……言いたいことがあるようだが、無意味だ。そなたらがリンザール家やマイヤール家と通じて傭兵を売買していたこと。オリオール家に売却された傭兵が、四本指の紋を入れられていたことは明らかだ」
「あぁ……」
分かっていた。分かってはいたが、こうもはっきりと証拠が残っていたとは。
そうか。やはり父と母の死に、彼らは決して無関係ではなかったのだ。
フォンクラークからの暗殺者を実際に手引きしたのはマイヤール家だろう。当時はまだ伯爵であったマイヤールが、領地に彼らを引き入れた。話を持ち掛けたのがマイヤール家が先だったのかオリオール家が先だったのかは分からない。だが両者の間には当時からすでにリンザール家を通じた関係があり、マイヤール家の送り込んだ刺客はオリオール家を通じて北部へ送られ、皇宮からの帰路にあった国王の旅列を襲った。
そのもっとも手薄となる瞬間――すなわち、両親が二手に分かれ、父が青の館へ向かい、母がヴァレンティン方面へと道を違えた直後に。
父は青の館に赴く際、いつも周囲の人出を最低限にさせたという。そこに襲撃を受けて帰らぬ人となり、襲撃を聞いた母は急ぎ引き返したところで、夫の死体が安置されていた場所で急に倒れた。
「アンネマリー先王妃は、先王陛下の死にショックを受けて衰弱死したと言われているわ。でも私のお養父様も、お義兄様も、その死をいつも『先王と共に殺された』と表現していた。その理由を、お義兄様は『その死に様が毒死であったからだ』と仰られた。でも何の毒とも分からず、いつ盛られたのかも分からなかったのだと」
父が亡くなった時、傍にいたペステロープ候はその場で捕えられ、責任を取って斬首されている。だから代わりにその遺体に寄り添っていたのは、当時典礼省に籍を置いていたオリオール候だ。
皇帝戦の最中とあって母も飲食物には気をつけていたはずで、現に毒味の者や周囲には母と同じ症状の者はいなかった。だとしたら毒は飲食物や接触性の物ではなく、霧状、気体状のものであった可能性もある。
夫の亡骸に駆けつけた母がその場に同席させていたのは、オリオール候だけだ。
「だからバルティーニュ公にお会いしたついでに、聞いてみたの。こういう状況で、人を死に至らしめる毒があるか、と。公爵殿下は実物と共に、丁寧に教えてくださったわ」
リディアーヌに促されたマクスが盆を持って下座へ下りると、オリオール候とブランディーヌとの間に、盆から降ろした火鉢を置いた。
次いで、傍らの白い可憐な花の付いた枝葉を手に取ると、そっと袖口で口花を覆いながら火鉢の上にかかげた。
途端、ぎょっと仰け反ったオリオール候の隣で、「おやめなさい!」と叫んだブランディーヌがその手を拘束された不自由な手で叩き落とそうともがいた。
マクスはそれに一瞬手を遠ざけたが、隙を見て火鉢の上に枝を投げ落とした。