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1-14 正餐会(1)

 その夜、正餐(せいさん)会場に集まったのは錚々(そうそう)たる面々だった。

 今宵は来臨の聖職者を催すための会だと聞いていたが、フィリックのエスコートを受けてリディアーヌが顔を出すと、すべての聖職者が席を立ち礼を尽くし、主催者であるルゼノール女伯アレクサンドラが自らリディアーヌを上座へと誘った。

 両隣には女伯とリンテンの名目上の統治者であるトレモントロ大司教様。斜め前には見知った姿より若干老いたよく知る聖職者の姿があった。

 大司教様にも並ぶような立派なストラをかけているものの、全体的な装いは非常に質素で品がいい。ニコニコと気のよさそうな笑みを浮かべ、懐かしい人との再会を喜んでいるようにも見えるが……その顔が、非常に“タヌキ”な御仁だ。

 リディアーヌが見知っていた頃はまだもう一つ下の位のストラを纏っていたはずだが、いつしか“正司教”と呼ばれる地位にまで上り詰めていたようだ。

 アルナルディ正司教――ベルテセーヌ王室の神学教師も勤めていた……つまり、“聖女”に最初に神学の教えを説いた人である。やはり、彼が今回の聖別の儀を主導するのか。厄介な……。


 このほか、正司教の向かいにはこの場でリディアーヌに次いで位の高くなる貴族であるフィリックの席が設けられ、両者の隣にはそれぞれ見知らぬ顔の男性が座っていた。その下にクロレンス夫妻やアルセール司祭、その他ズラリと教会関係者や招かれた者達が席を連ねている。

 アルセールは正司教より低い司祭位とはいえ、教会本山、それも枢機卿猊下に仕える役職持ちの立場だ。本来ならアルナルディ正司教の隣に席を設けられてもいい身分なのだが、実家ということもあり、次期当主たる姉の下座に座しているようだ。いや、わざとそうして、ベルテセーヌから来た下座の聖職者達を掌握するつもりなのかもしれない。



「こうしてお変わりないお姿を拝見でき、恐悦至極でございます、聖女殿下」


 やってきたリディアーヌに最初にそう恭しく声をかけたのはアルナルディ正司教で、リディアーヌも当たり障りなく「正司教様も」と答えて席に着いた。

 すぐに皆にも着席を促したけれど、すぐににこやかに座ってくれたリンテンの大司教とは違い、アルナルディは同じ席に着くことがいかに恐れ多いのかを滔々(とうとう)と語ってからしか席に着かなかった。

 昔の聖女を知らないベルテセーヌの若い聖職者達に見せつけるためなのだろう。つまり、正司教が認める聖女はリディアーヌだけだという態度だ。


「殿下は大司教様や正司教様とはご面識があるでしょう。隣のお二人を紹介させてくださいませ」


 一通りの定型的な挨拶が済んだところで、アレクサンドラ女伯はまずそう面識のなかった二人の男性を紹介してくれた。


「右がこのリンテンの治政を預かる三伯家の一つフォルタン伯爵マッシオ卿。左が同じくブルッスナー伯爵オットマー卿です。フォルタン家は教会関連の業務を。ブルッスナー家は港湾関連の業務を担当しております」

「お目にかかれて光栄です、聖女様。お噂はかねがね」


 すぐに席を立ち恭しく礼を尽くしたのは、厳格そうな顔立ちをしたフォルタン伯だ。隣に正司教様がおられるとあってか、ひどく恐縮した様子が見受けられた。


「リンテンへのご滞在を心より歓迎いたします。公女殿下」


 逆にリディアーヌ個人の感情に慮った物言いで挨拶をしたのはブルッスナー伯だ。一見気を使ったようには聞こえるが、じろりとフォルタンを意識した視線を投げかける様子を見る限り、リディアーヌに慮ったというよりはフォルタン伯に反発して、といったようにも見える。どうやら互いに良好とは言い難い間柄であるようだ。


「歓迎痛み入ります、フォルタン伯、ブルッスナー伯。確か、フォルタン伯の御息女はベルシュール寄宿学校では私の一つ下の学年でいらっしゃいましたね。一度、リンテンまでの道中でも一緒になったことがございました」

「娘を覚えていただけているとは光栄でございます。生憎とすでに嫁いでしまいご挨拶させることが出来ませんことをお詫びいたします」


 うっ……うむ。後輩に結婚の先を越されたわけか。ごほんっっ。まぁ、いい。


「先ほどは聖女様が教会門ではなくルゼノール家の邸門をおくぐりになったと聞き、驚きました」


 そうフォルタンとの会話を断ち切るかのように食い気味に言ってきたのはブルッスナー伯だ。教会の聖職者が居並ぶ中で中々大胆なことを平然と口にする男である。馴染みのあるリンテンのトレモントロ大司教様が、自分がフォローした方がいいのかとこちらに視線を寄越したが、問題ない。リディアーヌもきちんと釘を刺しておこうと思っていたことだ。


「私はルゼノール家に縁の有る身でございますから、リンテンに滞在するときはいつもルゼノール家にお世話になっていますの。そのように大司教様ともお話ししていますのよ」


 ねぇ、と隣を窺うと、大司教様も安堵したように「えぇ、ルゼノールは聖女様のご縁家なのですから」と答えた。

 だが釈然としないらしいフォルタン伯は、「縁とは奇異なことをおっしゃいます」と続ける。


「それは貴き御身を偽るための仮のものと承知しております。私共は御身にお仕えすることを心待ちにしておりましたのに。そうではございませんか? 大司教様」


 そう。確かにその関係は“仮”だ。だが皇帝と教皇が承認した“仮”である。それが聖女には不本意なのではと言わんばかりの発言は、おそらくはリディアーヌに媚びるつもりだったのだろうが、生憎と逆効果だった。こうもあけすけに秘密を知っていますとばかりの態度を取られることも、まったく気分のいいものではない。間には挟まれてしまった大司教様も気遣わしげにこちらを窺っていらっしゃる。

 そんなリディアーヌの不満を見て取ったのか、フィリックが嘲笑を交えたような面差しで「つまり貴殿は公女殿下の行動を逐一監視し、ご自分の好きなように操作なさいたいと?」なんていうものだから、フォルタンも察したのか、すぐにゴホンと咳ばらいをして「とんでもございません」とだけ呟いて口を噤んだ。

 同じように場の空気を察したのか、傍観者のようにニコニコと黙っていたアルナルディが、「そういえば」と話を変えるべく口を開いた。


「お伺いしておりませんでしたが、そちらの殿方はヴァレンティン家の御方なのですかな? 聖女様をエスコートなさっておりましたが」

「フィリック卿はヴァレンティンの筆頭分家にして養父(ちち)である大公が最も信頼を寄せている重臣アセルマン侯の子息です。私がその才をとても気に入り、筆頭文官として側に置いているのだけれど……連れてきた理由まで聞くのは野暮(やぼ)というものですわよ、正司教様」


 一瞬ぎょっとしたアレクサンドラ女伯の視線がこちらを向いた気がしたけれど、さすがに優秀な側近であるフィリックは驚きなど微塵も見せず、ただ目を疑うような見事な笑みを浮かべてみせた。

 なまじ端正で涼やかの面差しをしているものだから、その迫力だけで横やりを挟まんとした人々の口は噤まされたようだ。

 外交モードの時のフィリックは日頃とまったく違った顔をするので、リディアーヌですら慣れない。ただこの(そと)(づら)は父親のアセルマン侯によく似ていて、最も親子なんだなと痛感するところでもある。

 おかげさまでアルナルディも、「そうですか。そうでございますか」と、含み有る言葉をこぼしながらもそれ以上は尋ねてこなかった。

 予告もなしに巻き込んだことについては後でフィリックにぶつくさと言われそうだけれど……甘んじて主人に従ってもらおうと思う。


「このリンテンで聖別の儀が行われるのは初めてなのですか?」


 あまり私的なことを聞かれるのも困るので、今度はリディアーヌから話題を振った。

 本当は初めてでないことくらい知っているのだけれど、この場に並ぶリンテンの者達にとっては語らいやすい話題であろう。


「いいえ、二度目でございます。といっても一度目はもう百年以上も昔。ベルテセーヌ王室から皇帝陛下が立たれてすぐ、陛下の末の姫君として(くに)(もと)でお生まれになった皇女殿下が、このリンテンで聖別の儀を受け、そのまま聖都ベザリオンに入っております」

「歴史的にも珍しく、ベルテセーヌ王室というより“皇帝陛下の姫君”としてお生まれになった聖女様でございますね」


 フォルタン伯に続いてそう熱っぽく語ったのはブルッスナー伯だったが、その物言いは(きっ)(すい)のベルテセーヌ育ちの聖職者達には受けが良くないようで、下座からいくつかの反発的な視線が向いた。

 ベルテセーヌ教区の聖職者達にとってみれば、皇帝の娘とはいえベルテセーヌ王室の純血統であり、ベルテセーヌでお生まれになった姫である、という認識なのだろう。


「あの時はベルテセーヌの国王陛下が聖女様の出生を待たずして皇帝陛下におなり遊ばされたという珍しい例でございました。“王女殿下”には、お小さかった頃に私がお教えしたのですが、お忘れでございましたかね」


 そう口を挟んだのはアルナルディで、暗にブルッスナーにその聖女がベルテセーヌの王女であることを強調しているかのようにも聞こえた。相変わらず、遠回しにねちっこい老人だ。


「まぁ、そうでしたか? 何分、教わったのは幼い頃ですから。ですが正司教様に教わった聖女の祈りは今でもきちんと覚えていますわよ。()()の響きがとてもよくて。あぁ、今度の聖別の儀では、儀を受けるご令嬢がその祝詞(のりと)を唱えることになりますね」


 暗にアンジェリカ嬢の話題を差し込んだところで、ピタリとアルナルディの手元が止まった。


「新たな聖女が生まれれば、ベルテセーヌにとってもどれほど幸いなことでしょう。私は儀式をとても楽しみにしているのです」

「楽しみでございますか? しかし……果たして、楽しい聖別となりましょうか」

「あら、正司教様。昔私に聖別の儀の聖痕の輝いた様子がどれほどに神秘であったのかを教えてくださったのは、正司教様ではありませんか。私も是非この目で見てみたいと思っておりました。それをようやく見ることが出来るのですから」

「何をおっしゃいます。その気になればいつでも御身に神の恩寵を示すことが出来るではございませんか。いかがですかな? この度の儀でも、是非皆にその真の輝きを教えて差し上げるというのは。比べれてみれば、新たな聖女候補の“程”というのも知れましょう」

「おかしなことをおっしゃいます。私は、“ヴァレンティン公女”。ベルテセーヌの王女ではございませんのに、私が神の恩寵を示すなどおこがましいことでしょう」


 クスリと含み有る微笑みを浮かべてみたけれど、生憎とタジタジとしている周囲とは裏腹に、アルナルディはまったく顔色を移ろわせることもなく「神の恩寵に国境はございません」などと言いのけてみせた。

 ほぉう? それはベルテセーヌとヴァレンティンの国境という意味なのだろうか。それとも、ヴァレンティン如何に関係なく、このグラン・ベザすべての国境を意図しているのだろうか。それによって随分と意味が変わるが。


「そういえば殿下は、聖別の儀を受ける令嬢についてはお聞きになっているのですかな?」

(ちまた)の噂程度にしか存じておりませんわ。確か、アンジェリカ嬢とおっしゃいましたね。ご指導はアルナルディ正司教様がなさっておいでなのですか?」

「いいえ、ベルテセーヌ教区長にあらせられるロマネーリ閣下が御自ら」

「え?」


 思わず短い驚嘆の声が零れ落ちてしまった。それをすぐにはっと取り繕い、「まぁ、そうですの」と微笑んでみせる。

 ロマネーリ猊下はベルテセーヌ国内すべての教会の管轄を担っている教区長であり、実質、ベルテセーヌ教会のトップにあたる人物だ。もう結構な年齢であるはずだが、昔から王室に対しても純然たる影響力を持っており、何より教皇聖下と十七名の枢機卿に次ぐ大司教の称号を賜っている人物だ。

 年齢と経歴から考えて今後これ以上の出世をするということはないかと思うが、もとより聖女を輩出するという意味で教会の中も特別視されるベルテセーヌを一手に任されているのだから、その影響は言わずと知れている。

 ただ昔からあまり表舞台に出る性質ではなく、むしろ裏方で粛々と教会の威厳を示すような雰囲気を纏っている様子は、王侯貴族のそれを感じさせるところがあった。つまり、たたき上げのアルナルディとはまったくそりの合わないタイプである。

 そんな教区長が、まさかアンジェリカ嬢の教育係を勤めているだなんて思ってもみなかった。そんなことをするタイプだとは到底思えない。


「ですが今回の儀に教区長様はおいでではございませんよね?」

「教区長が教区を離れるわけにはまいりませんから、私が代参したのでございます。閣下もご自分では体力に不安が残るとの仰せで」


 むむむ……何やら少し、認識のずれを感じる。

 アンジェリカ嬢の教育係を担っていながら、聖別には参加しない? アルナルディに対し、不安を漏らす? あの教区長の動きにしては随分と奇妙だ。

 これはもしや、ベルテセーヌ教会の主導権はすでにアルナルディが一手に握ってしまい、かの大司教すら有名無実と化しているのではあるまいか。ということは、アンジェリカ嬢は大司教からまともに聖女の儀式に関する手ほどきを受けていない可能性もある。

 なるほど。それは教会領という聖職者達の目の多い特殊なこの場所において、実に簡単にアンジェリカ嬢に恥をかかせることのできる手だ。それでいて教育係が教区長である以上、アルナルディは何の痛手を負わない。これはどうにか、手を考えねばなるまいか。


「そうですか。では教区長様に代わって正司教様がアンジェリカ嬢に作法の手ほどきをすることになるのですね。正司教様がご指導なさるのであれば安心ですわ」

「……」


 暗に、おまえにも責任があるぞ、という言葉なのだが、それはきちんと伝わったらしい。

 ピクリとしばらく笑顔のまま口を噤んだアルナルディは、やがて「なるほど、そうなりますかな」と頷いて見せた。


「ただどうでしょう。件の令嬢は随分と独特な方だそうで、ブランディーヌ夫人が、まことに王家の血をお引きなのかと嘆いておいででございましたよ。教えたところで、覚えて下さるかどうか」

「夫人が子供に厳しいのは昔からですわ。アンジェリカ嬢も苦労なさっておいででしょう。“大切なベルテセーヌの聖女様”です。正司教様が優しく導いて差し上げるのが良いのではないかしら」

「……そうで、ございますね」


 もうお互いにお互いの立場を十分理解したところで、ずっと探るようにこちらを見ていあアルナルディの視線が静かに離れていった。この場でリディアーヌが一貫した態度を貫いていたことを理解したのだろう。問題は、それでアルナルディがどうするのか、なのだが。


「そういえば、ブランディーヌ夫人というと……」


 今少し、アルナルディとブランディーヌとの関係性を探ろうかと、固めた豆料理にナイフを入れながら口を開こうとしたところで、正餐の場には参加することのできないはずのうちの侍従が扉から顔を出したのを見て口を噤んだ。

 一体、何事だろうか。






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