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5-42 かかった魚(1)

 ベルテセーヌ南東部で、南東軍と国王軍が激突したとの情報がもたらされたのは、その日の日暮れ時の事だった。

 鳥という手段には危険性があるので詳しい戦況のことまでは知らされなかったが、翌日にはこの町に入り込んでいたクロイツェン人を含む商人風の一団が代官の発行した通行手形を大量に隠して関所を通過しようとしたところをバルティーニュ公()()の兵が摘発し、大きな捕り物となったことを聞いた。

 彼らの耳にも、この衝突のことと、退路を確保しておかねばならないという何かが伝えられたせいなのだろう。

 報告があったのは代官所で元代官の扱いなどを公爵殿下と話し合っている()(なか)のことであったが、今すぐにクロイツェンとベルテセーヌに事を構えさせるつもりのないリディアーヌは()えて耳を閉ざしたふりをして、この対処をバルティーニュ公に託すことにした。


 本当ならブランディーヌの援助をしているクロイツェンとヴィオレットまでずるずると引きずり出して怒りをぶちまけたいところだが、決してまだ安定しているとは言えないベルテセーヌにクロイツェンという安定した国との交渉や駆け引きをする余力はない。この借りはいずれきっちりと返させたいが、今は手を引くしかないのだ。

 幸いにしてバルティーニュ公は元代官と手を組んで不当な外国人の密入国を目論んでいた者達を厳しく罰し、それがクロイツェン人であったことに対しても厳重な抗議をすることを約束してくれた。むしろ元代官が現国王派であり、現国王に数多の融通を利かせていた証拠も出てきたところだったので、クロイツェンにいいように扱われて隣国との関係に緊張を走らせたことは、いい現国王に対する武器になるとの判断でもあったようだ。

 今回の一件ではバルティーニュ公に随分と便宜を図ってもらうことになり、派兵までしてもらい、以前の借りを返してもらうにしては過分であったかと心配していたのだが、この二つの摘発が公爵殿下にも随分といい収穫になったようで何よりだった。


 もうすぐ、王位を簒奪したシャルルはその座を退くだろう。

 父母を死に追いやったフォンクラーク王ジュドワールの弟にして、おそらくあの一件を知らないということはなかったはずの現王ギュスターブも、ほどなく引きずりおろされ、相応の罪を受けるはず。

 そして皇帝もまた……そう、長い命ではない。

 一気に片付き始めた長年の悲劇の結末に、リディアーヌは日陰からジリジリと赤土を照り付けている庭の景色を眺めつつ、重たい吐息をこぼした。

 まだ、あまり実感が湧かない。


「リディアーヌ様。日陰とはいえあまり外にいると、綺麗なお肌が赤くなってしまいますわ」


 そんなリディアーヌの背中にかけられた柔らかな声色に、振り返って苦笑を浮かべた。


「来るのが早すぎではなくって? ナディア」

「実は公爵殿下へのご領地に向かう途中、離脱してこちらに駆けつけてしまいました。私の大切なご友人が、なんと自らをお取りに代官所に乗り込む予定だなんて知らせを受けてしまったものですから」


 はぁ、とため息をついて見せたナディアが差し出した薄布を、苦笑交じりに肩にかけた。見たことのない薄布だが、またしてもナディアがはしゃいで用意した贈り物だろうか。


「行ったり来たりと、貴女にも面倒をかけたわ」

「とんでもありませんわ。先の一件に加えて、今回もまたこれまで私達がじりじりと追い詰めていたものを一瞬にして推し進めていただけるような成果です。どれほど感謝してもし切れないもの……なのですけれど。相変わらずなさることが大胆すぎて、感謝よりも、心配の方が勝ってしまいましたわ」

「大胆だったかしら? 生憎とこちらは一刻の猶予もない事態なものだから、あまり手段がどうとかは考えていなかったわ」

「心境としては複雑ですが、それでもさすがはリディアーヌ様のご慧眼と申さざるを得ませんわね。現に砦の観測班から先程、第一線の戦局が崩壊してマイヤール城が籠城の構えをとったらしいとの報告がございましたわ。今夕より我が国の関も厳戒態勢へと移ります」

「そう……」


 つい(こぼ)れ落ちた吐息に、ナディアが肩に手を置いて(いたわ)わってくれた。

 いつもなら公女に対する距離感ではないからとこうした行為を取ることはないのだが、やはりナディアは今のリディアーヌの状況や、何故リディアーヌがそこまでベルテセーヌに肩入れしているのかも存じているのだろう。学生時代には知らなかったはずの事なので、一体いつ知ったのかと思うけれど、今の立場としては知らないわけにはいかないことであったはずだ。


「あらいけない。そういえば私、リディアーヌ様にお渡ししようと思っていたお手紙がいくつかございまして。持ってきたのでした」


 まったりしている場合ではありませんでしたわ、なんて言いながらナディアが自ら差し出したのは二つの手紙で、どちらもすでに封が開いていた。どうやらナディア宛ての手紙であったようだ。


「まぁ。トゥーリがナディアにお手紙ですって? 何があったの?」

「ふふっ。私も受け取った時には驚きましたわ」

「見ていいのかしら?」

「ええ、是非。笑えますわよ」


 相変わらずアルトゥールに対しては口を噤まないナディアの批評を耳にしつつ、赤い封蝋の手紙を開いて目を通す。

 これはなるほど……笑えはしないが、ナディアが笑う理由は分かる。


「前半は皇太子妃が、母がベルテセーヌで事件に巻き込まれているのが心配だから、もしフォンクラークに来るようであれば保護して連絡をくれないか、ってことかしら?」

「うふふ。どうして私が? って、笑えますでしょう?」

「後半は……あぁ。やっぱり私の動向は監視されていたようね。私が“リンテン”に向かったようだけれど何か知らないかって? さて……これは上手くイレーヌに協力してもらって私がリンテンに向かったかのように見せかけた偽装が成功しているのか、それともフォンクラークに向かうつもりではと疑って探りを入れてきているのか」

「幸い、リディアーヌ様が具体的にどこにいるといったような情報までは掴めていない様子ですわ。でもリディアーヌ様が私と繋ぎを取っていらしたことはお気づきなのかしら。そちらのご情況的に、リディアーヌ様がフォンクラークに来ようと思う理由についてのお察しもあるようですわね。それを警戒なさって探りを入れてきたのでしょう。まぁ、あまりにも言い回しが遠回りなので、気が付かなかったふりをして、どうしてリディアーヌ様の動向にそこまで詳しいのかしら、気持ち悪いです、とお返事させていただきましたわ」

「中々気の利いたお返しだわ……」


 さすがはナディアである。


「ですが私の元に届いたものはただのついででございましょう。本命は国王の元に使者を派遣するといったような内容の書状が王都に向けて届けられたようです」


 その内容をどうしてナディアが知っているのかという疑問はあったが、そこはフォンクラークの内情の話であろうから突っ込まずにおいた。

 少なくとも、グーデリックが死んでなおアルトゥールはフォンクラーク内にそれなりの(よしみ)を残しており、それがアルトゥールの意図なのかヴィオレットの意図なのかはわからないが、ブランディーヌの逃走ルートの確保に協力をしているわけだ。

 だが、それは困る。アルトゥールの使者とやらについてはフォンクラークに任せるが、ブランディーヌだけはこの関を越えさせるわけにはいかない。


「もう一通は?」


 もう一つの封の開いていた手紙を見ると、こちらは青い封蝋だった。封筒にあしらわれた模様を見れば、定型的な季節の挨拶の手紙であることが分かる。


「まぁ……相変わらずあの二人は気が合うというのか何というのか。よりにもよって同じタイミングでナディアに手紙を送るだなんて。実はあの二人、()()()いるのかしら?」


 そう茶化して見せたところで、「それは中を見てみればすぐに分かりますよ」なんてナディアが先程とは違う華やかな様子で笑った。

 二通目は、マクシミリアンからナディアに宛てた手紙だった。

 序盤は定例通りの季節の挨拶だったけれど、なぜか挨拶も早々に、アルトゥールがまた何やらやっていてリディアーヌが心配だという内容と、リディアーヌがまたどこそこを旅歩いているらしいが、どうしてうちじゃないんだろうという謎の嫉妬と愚痴が続いていた。これは中々、反応に困る。

 マクシミリアンらしいというかなんというか。


「愛情たっぷりすぎて、お砂糖を噛んでいる気分で読ませていただきましたわ」

「あら、いつもの貴女のお砂糖を噛んでいるも同然のお茶に比べたら大した物ではないのではなくて?」


 二枚目も内容はほとんど同じで、ナディアに珍しくも長い手紙を書いている理由が、ヴァレンティンに送った手紙に中々返事がないせいであったことが()()られていた。やはりリディアーヌの不在中、マクシミリアンからの手紙が城に届いていたようだ。

 それからナディア宛ての東大陸の情勢のことなどの情報が少しと、皇帝との間に少々(もん)(ちゃく)があり、ナディアも立場柄警戒をしておいた方がいいという忠告が書かれていた。ただその忠告も、ナディアの身を案じるというより、予期せぬところに突然現れるリディアーヌがもしフォンクラークに現れるようなことがあれば、即座に駆けつけて守りを固めて欲しい、みたいな書きぶりだった。

 一体、何をナディアに頼んでいるのやら……。


 先んじてベルテセーヌにいる間に聞いた情報では、マクシミリアンは皇宮で皇帝とすでにバチバチとしあったようで、勝手にヴァレンティンへ向かった行為についてあらぬ疑いをかけられまくって牽制されたので、こちらも皇宮の刺客に命を脅かされましたが、という反論で牽制をかけていたところ、残念ながら間に立った父大公により抑え込まれたそうだ。

 それでも皇帝はマクシミリアンの不興を買ったことは理解したはずで、これが少なからずリディアーヌがベルテセーヌに入ってからこの方の皇宮側の動きの抑止になっていたのでは、と聞いていた。その抑止がなければ、リディアーヌ本人はいなかったとはいえ、アンジェリカ達がベルテセーヌに入る行列への襲撃が一層激しくなっていたかもしれない。

 マクシミリアンからナディアへの手紙には、リディアーヌが来るようならしっかり守れだなんて言葉がこれでもかと言うほどに色々な言い回しで書かれていたから、実際に皇帝に(たい)()したマクシミリアンも、皇帝の中にあるリディアーヌに対する殺意のようなものを察したのかもしれない。

 それでいながらナディアへの手紙には、“助けてあげて”とあるだけで、“止めて”とは書かれていないのだから、何やら少しばかり背中がこそばいような、いい気分になる。止められないことであると、彼は理解してくれているのだ。


「相変わらず、ミリムは優しいわ」

「この背筋がひやりとするような執着じみた書きぶりを優しいと言えるリディアーヌ様が、相も変わらず素敵です」


 ナディアさん……私は今の貴女の言葉の方にひやっとしましたけれど?


「姫様、よろしいでしょうか」


 そこにチラリとナディアを気遣う様子でイザベラが声をかけてくる。後ろにシュルトがいるから、何か急ぎの報告であろう。


「手紙を有難う、ナディア。後で一緒にお茶にいたしましょう」

「ええ。とっておきの蜂蜜を選んでお持ちいたしますわ」


 そう丁寧に一礼をして見送るナディアに彼女宛ての手紙を返し、微笑んで席を立つ。

 ナディアのおかげで、まだアルトゥールの目を誤魔化せているらしいとの情報が得られた。だがそれがいつまでもつとも知れない以上、生憎とゆっくり休んではいられない。

 シュルトから、先程のナディアからの情報と同じ南東部軍の籠城ことなどの報告を受けながら会議室に用いている部屋へ歩を進めると、一度代官所を離れていたバルティーニュ公が戻っていらしていたようで、「待っていた」とリディアーヌを出迎えた。


「ナディアとシュルトから聞きましたわ。マイヤールは籠城の構えだとか」

「行き来する商人からも戦況に関する噂や目撃情報が上がっている。包囲は堅く、戦局は決まったも同然だという話だ」


 良かったな、と言わんばかりの様子であるが、安易に喜ぶ気にはならなかった。

 マイヤール侯をはじめとする南東軍が籠城しているのは南東部最大の都市であるマイヤール領の領都だ。そこにはおそらく、意を決して城を抜け出し情報をもたらしてくれたラジェンナ嬢が親しくしていた人達もいるはずで、領民の大半もそんなことになっているとは知らなかった無垢な者達であろう。


「この手の城にはいくつか、抜け出すための道などがあるものです。籠城とはいえ、まだ分からないところですわね」

「実はその辺のことで、関を抜けた者達から気になる情報が上がっている」


 そう言ってバルティーニュ公は地図の街道からは少し逸れた森沿いに小さな駒を置いた。


「どうやら道を逸れて密かに関に向かっている一団があるらしくてな」

「規模はどれほどでしょう?」

「馬車一台と荷馬車が一台。それより気になるのが、“赤い旗”が立っていたと」

「赤い旗……」


 馬車に赤い旗を立てられるのは七王家か、その許しを得た馬車だ。御用商会が小さな赤いペナントを立てることはあるが、はっきりと赤い旗という言い方をされたとなると商会風の馬車ではなかったということだろうか。

 こんな情勢でセザールやジュードが人目を避けてフォンクラークを目指しているはずはないし、他の王族らは念のためにあのまま城に留め置かれているはず。なのでベルテセーヌの王族の乗る馬車ではないと思うが……。


「その御旗の紋章は?」

「生憎とそれを確認できたものがいない。だが確認できなかったということは、紋章付きの馬車ではないのだろう」


 つまり、王族本人が乗っている馬車ではないということか。


「この関に向かっているのですよね?」

「あぁ。目撃された地点から考えれば、ここに至るのは明日になる」


 ふむ……。


「明日は私も関に滞在させていただけますか?」

「あぁ、そうしていただけたらと思っていた」


 そしてもしその馬車に乗っているのが、先んじてリディアーヌが名をあげたものであったのならば――。


「不当に関を越えようとするものがいたのであれば、その時は速やかに引き渡そう」

「公の協力に心より感謝を」






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