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5-39 代官とお嬢様

『あっしは、貴族様ってものが嫌いです』


 飄々とした男の、飄々とした声色の、嫌いと言うにしては軽い声色。


『我欲で人を殺すだなんてことは日常茶飯事。下手すりゃ脅す、宥めすかすとあの手この手。鳥と違って何を考えているのやら複雑すぎて、見ていて頭が痛くなります』

『いろんな意味でね』

『へへっ、その通りで。なんでお姫様達をみていると、何やらふわふわするというのかそわそわするというのか。気味が悪いです』

『言い方に気をつけろ』


 騎士様に叱られてピャッと鳥のように背中を跳ねさせる男に、うちの侍女がクスクスと笑う。妙に憎めないと思っているのは皆同じらしい。


『ですからつまり――』


 つまり――。


  ***


「代官所と言うよりも、もはや砦。要塞かしらね」

「国境ですから。それにしては取り締まりが緩いと思っていましたが、どうやら関の内部はそうでもなかったようです」

「あまり見て警戒させるものではない、スヴェン」


 随行する商人に扮した騎士を同じく(でっ)()に扮したシュルトが窘めたところで、「お待たせいたしました」と言う若い女性の使用人が控えの間に顔を出した。

 ここは代官所の中であり、今朝方マクスではなくイブーを通じて面会の申し出をしたところ、あろうことかその日の午餐になどというとんでもない速さでの面会がかなってしまった。貴族の常識は帝国全体でさして変わりないはずなので、最低でも丸一日はかかると思っていたのに、とんだ誤算である。おかげでククに作らせるはずだった白パンを食べ逃した。

 ひとまず慌ただしく準備を整え、シュルトとスヴェン、イザベラ、フランカにイブーを連れて、手土産などを備えて訪ねてきたところだ。


 中の様子を見ても、イブーが言っていた通り、物々しさが漂っている。あくまでも通常の運行のように見えてはいるが、奥でひっそりとざわめくそわそわとした雰囲気が感じられないほど、こういう空気に慣れていない立場ではない。

 代官所の外苑から内苑に招かれると、そこは外部の堅牢で無機質な作りとは打って変わった、華美な庭を備えた立派な邸宅となった。

 役所側とは庭を通じて完全に分離されており、役所が多少帝国風の意匠を感じさせるのと違い、こちらの邸宅は極めて南部的な異国情緒の強いものだ。セネヴィル家で見かけたほどに古い伝統的な意匠というわけではないようだが、国境という割にはベルテセーヌとの交じり合った文化の形跡は感じられない。


 そんな開放的なフォンクラーク南部風のサロンに案内されたところで、「これはこれは、ようこそポンポルトへ」と、男が大手を広げて進み出てきた。

 背丈はあるが腹回りにだらしのない体格で、この季節らしい薄手の衣が汗で張り付き見苦しい。加えて首や腕にじゃらと纏った金と宝石は貴族というよりはどこぞの成金商人と言われた方が納得のいく様子で、すでにテーブルに盛られた豪奢な食器とソファーの周りで大きな扇を仰いでいる煽情的な恰好の女性達を見れば、それがどういう男なのかは一目瞭然だった。むしろ一目瞭然すぎて、何かの冗談かと思ったくらいだ。

 だが冗談でも何でもないらしく、柱の陰からこちらを見やる代官によく似た若い男性がせっかくの整った面差しも台無しな肉付きの下腹部を撫でながらベロリと下唇をなめており、下品なことこの上ない。その視線だけでも気持ちの悪い空間である。

 それを面覆いという助けを借りながらなんとか堪えつつ、「お招きいただき有難う存じます、代官様」なんて言いながら招かれるままにサロンにあがる。すぐに貴族に対する礼を尽くそうとしたのだが、代官は転がるように飛んでくると、「美しい客人はいつでも歓迎するぞ」などと言ってリディアーヌの手を掴み席へと誘導しようとしたものだから、足を踏み出すよりも早くバシリとスヴェンがその手を(はた)き落とした。


「な、何という無礼をッ」


 叩き落としてすぐ、シュルトのため息を耳にしたスヴェンもハッと演技の必要性を思い出したようだったけれど、こうとなっては仕方がないので、リディアーヌはクスリと微笑んで見せるとわざとらしくスヴェンの腕に腕を絡めるように寄り添って見せた。


「ッ……」


 困ったように腕を引き抜こうとするスヴェンを黙っていなさいとばかりに抑え込む。


「ごめんなさい、代官様。恋人が妬いてしまったようだわ」

「な、なにっ? こっ……恋人だと?」


 スヴェンの顔が何やらいつも以上の死んだような無表情になっているが、一体何を考えているのだろうか。とりあえずシュルトに背中を叩かれ、「私の方こそ、出過ぎた真似をすみません」と、スヴェンにしてはまぁまぁ上出来な言葉を呟いた。

 まさかの思いがけない行動でスヴェンを婚約者なんて偽る破目になってしまった。まぁ正直、あのままだと代官の隣にべったり座らされそうだったので、後で褒めてやらないでもないが。

 それに、見ると先程まで覗き見していた代官の息子らしき男が忌々しそうな顔で舌打ちをしてどこかへ去ろうとしている。こういう女はお気に召さなかったのだろうか。こちらも願ってもないことである。

 不機嫌そうに座った代官とは距離を置き、斜め向かいにスヴェンの腕をつかんだまま腰を下ろすと、いつもは後ろで控える立場であるスヴェンはひどく居心地が悪そうにした。だが自業自得である。諦めていただくしかない。


「ふんっ……それで、鳥売り。今日は何の用だ」

「昨日に引き続きお時間を頂戴いたしまして、有難うございます。実は昨日話に出た鳥につきまして、こちらのお嬢様を紹介させていただきたく」


 代官の正面の席に腰かけたイブーは先程までの様子とは打って変わった愛想のいい商人の顔で慣れた様子の口を利く。


「シャンブル商会の仲介だと聞いたが? あの()(ざか)しい、南部の」

「ええ。申し遅れましたが私、シャンブル商会にお世話になっております、リンテンのイレーヌ商会の者でございます。この度は新たな事業開拓としてイレーヌ商会長よりフォンクラークの布製品に関する知見を広げるよう言われ、国内を巡覧させいていただいていおります。その取引のご縁あって、シャンブル商会にお世話になっておりますの」

「ほぅ。なんと、あの名高いリンテンの……」


 ニヤと笑う代官が何を考えているのかは知らないが、機嫌は多少なりとも戻ったのかどんどんと料理を運び込ませるとぎらぎらとした杯にワインを注がせた。真昼間から実に堂々とした堕落ぶりである。


「あー、それで。名前はなんというのかな」

「どうぞディアナとお呼びください、代官様」

「ほぅ、ディアナ。ディアナか。いつぞやの聖女様由来の名か」


 詳しくは覚えていない、といった様子だが、聖女という名が出てくる辺りは一応、フォンクラークの貴族なのだろう。

 召使が好みも聞く前からリディアーヌと隣のスヴェンにも杯を差し出したので受け取ったところで、「美しい聖女の名を関する美女との出会いに感謝しよう」と代官が杯を掲げた。

 それにニコリと杯を傾けて唇をつけ、飲み込むふりをして杯を下ろす。その隙に指輪に仕込んであった小さな粒を落とした。

 薬師のセーラが持たせてくれたもので、竜の鱗の削り粉にベルブラウといくつかの薬草を加えて練り固めたものである。竜の鱗は浄化と気付けの作用を持ち、薬草類もフォンクラークの違法薬物系に特化した中和剤だ。これだけで薬物を防げるわけではないが、少なからず薬への抵抗になる。

 一口目には口をつけず、少し薬を溶かしてからわずかに唇を濡らしてみる。幸い、パヴォのような分かりやすい変な味はしなかったが、随分とアルコールのきつい酒である。


「聞けば代官様は珍しい鳥に目がないとか。私は北部の生まれですから、鳥と竜の亜種を好んでおりますの。毛羽の柔らかな鳥もよろしいですけれど、竜の鱗と眼差しを受け継いだ精悍な猛禽類というのも愛おしいものです」

「ほぅ! 竜との勾配種に興味があるとな! いや、このフォンクラークは竜種の少ない国柄で、私も竜との混血は集めるのに苦労をしておるのだ!」


 この食いつきぶりを見ると、あるいは禁種密売や違法勾配なんかにも関わっていそうな気がする。証拠もなく疑いすぎだろうかという気もしたが、「おい、アレを持ってこい!」と揚々と部下に命じて持ってこさせた大きな鳥籠の中身を見せられると、リディアーヌも作り笑いが引きつりかけた。カクトゥーラの禁種である赤褐色の竜の鱗を思わせる鷹とも鷲とも言えそうな鳥だ。これは多分、この男の最も高値で取引をした鳥の一つなのだろう。


「どうだ、どうだ。素晴らしいだろう!」

「まぁ。北の飛竜種との勾配ですわね。気性の荒いカクトゥーラ系の竜との勾配はとんでもなく難しいと聞いております」

「そうだろう、これはとんでもない値であった」


 それからも代官は次から次へと鳥籠を持ち込ませ、これがいくらだっただの、手に入れるのにどれほど苦労しただのベラベラと口にしながらも、「これなら手を触れても大丈夫だ」などとリディアーヌを鳥籠に招くふりをしてベタベタと腰に触れるという愚行を犯した。

 スヴェンの顔が酷いことになってしまっているが、それを抑え込むべくチラリと振り返ったところで、先程まで音もなくたっていたシュルトがいなくなっていることに気が付いた。主よりも任務優先……さすがはうちの優秀な次席文官である。


「こんなに話の分かる女は初めてだぞ。それ、もっと奥の部屋に参らぬか? 外には出せない珍しい鳥がまだまだおるぞ。とっておきの、いい声で鳴く鳥もいてな」


 舐め回すような視線とねっとりとした声色で、分厚い手の平が腰を撫でる。片手で奥へ促し片手でワインの杯を傾けた代官に、脅えるように身を低くして近づいてきた女性がリディアーヌに杯を持たせた。幸いにして、先程テーブルに放置してきた薬草入りの杯だ。

 さて、どうしたものかとそちらを見やった視線の先で、ピィ、と中庭の上を白い鳥が旋回しているのを見た。それを見るなりニコリと微笑んで杯を受け取ると、代官がニタァと笑って杯に杯をカチンと慣らしてお酒を(あお)った。

 それを見てリディアーヌもまた杯を傾けたところで、じっと我慢していたスヴェンが席を立とうとしたが、そのままずしゃりと膝をついてその場に崩れ落ちたものだから、皆の視線が驚いたように集まる。

 その隙に唇をつけて見せていた杯をカラーンッと取り落したリディアーヌもまたふらふらとしゃがみこむような仕草をして見せれば、「はっはっはっ!」と愉快そうに笑う代官がその体を支えた。あぁ、気持ち悪い。


「お嬢様!」


 すぐにもイザベラが駆けつけようとしたが、いつの間にか背後に立っていた大男が後ろから抑え込み、きゃぁッと悲鳴を上げて縮こまったフランカに剣を突き付ける。


「なんだお前たち。貴族である私に歯向かおうなどとは。だが見れば連れも可愛い顔をしておる。丁重に西の離れに連れて行ってやれ」

「はっ。こちらの男は如何(いかが)しましょう」

「男はいらん」


 ヒラヒラと手を振る代官の手が、「さぁさぁ、メインディッシュはこちらだ」と、ニタニタしながらリディアーヌの(めん)(しゃ)に手をかけた。ぐったりと腕の中にしなだれる若い女性に気を良くしているのか、現れた質のいい入荷物に代官の機嫌の良さは最高潮まで達したらしく、「これは素晴らしいぞ!」と声を張り上げている。


「見よ、この白い肌、美しい造形っ。これはとんでもない一品だぞ。鳥売り、良くやった!」


 代官の声に、「お気に召したようで何よりです」などというイブーの声がする。それを感慨もなく耳にしながら、がくりと膝をつこうとしたところを、「おっとっとっ」と代官の嫌らしい指先が追ってくる。

 だが男が身をかがめた瞬間、ハラリとその手をかいくぐるようにして背後にまわったリディアーヌが先程のぐったり具合などなかったかのように溌剌とし、先程まで卓上にあった食事用のナイフを片手に代官の首に突き付けたことは、誰にも想像できなかったらしい。

 ぎょっと足を踏み出しかけた男達と……そして目を丸く見開いて身じろいだイブーに視線をやると、「動かないでちょうだい」と微笑んで見せた。

 その瞬間、ドンとイザベラが背後の大男を殴り倒し、脅えたふりをしていたフランカが近くの燭台を掴んで的確に男の手の平に突き刺し、ソファーの後ろに飛び下がる。そのフランカに「このっ!」と飛び掛かろうとした男は、(うずくま)っていたはずのスヴェンが食卓から掴んだフォークを素早く喉元に突き付け、目にもとまらぬ速さで(おのの)いた男の剣を奪い取った。

 もはや悲鳴も上がらぬほどの一瞬の出来事に、給仕のために入ってきた侍従が「ひぇっっ」と声を上げて盆を取り落したが、その侍従もまた、スヴェンが奪った剣を手をヒョイとイザベラに投げて寄越すと、どすんと尻餅をついて黙った。


「き、き、貴様らっ……こ、こんなことをしてっ」

「はいはい。こんなことをしてただで済むと思っているのかー、というやつでしょう? 月並みなセリフをどうも」


 以前エリオットに教わった通りに、後ろから代官の膝裏を蹴り飛ばせば、面白いほどにカクンッと代官がその場に膝をついた。いつまでも密着していたくなかったので、そのまま背中を踏み潰してスヴェンを呼び寄せると、すぐに場所を変わってくれた。

 あぁ、気持ち悪い。全身がぞわぞわして、今すぐにでも水を浴びたい気分だ。






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