5-38 イブー(2)
「それで、クク。代官所の方はどうだったのかしら?」
「それはもう豊作で。集めてきた書類は先んじてご文官様にお渡ししてあります」
「こちらに」
すでに分類を終えていたようで、すぐにケーリックが差し出してきた。
ククの豊作と言う言葉に偽りはなく、ベルテセーヌのマイヤール侯爵領との間に複数の通行証の発行が行われていた形跡と、フォンクラーク・ベルテセーヌ双方の間での人間の取引の形跡が出てきたらしい。その人間の取引の内訳には男性だけでなく女性も多く、ベルテセーヌのブラックマーケットで売買された男女の大きな流通先になっていたことが見て取れた。
元々ベルテセーヌ側のマーケットの調査でもフォンクラークに流れている可能性は指摘されていたのだが、少なくともこの二年はこの関所を通じて王都に献上されていたらしいことが分かった。これは……バルティーニュ公への大きな手土産になる。
「大手柄ね、クク」
「有難うございます」
「とはいえこんなに大量に……何がどうなっているのかしら」
「そこは宜しければ自分から」
そう名乗り出たイブーに首肯して報告を求める。
「元々王都近郊での“女性狩り”は珍しくはありませんで、今のフォンクラーク北部では顔髪を隠して多くを着込んで目を付けられないようにするのが当然になっています。若い娘などは決して一人で出歩かないようにと、息をひそめているほどです。跡継ぎに恵まれない王の子を得させることが目的のようですが、王が気に入らなければ下げ渡されるため、貴族達も王が面倒に思うほどにこぞって娘を献上するのです」
「とんだ腐り具合ね」
「一度王の後宮に入れられた娘は追放されても家には帰れませんし、王が名指しで分配しますから下げ渡された家から逃げ出すこともできません。中には娘をひそかに送り返してやる殊勝な者もおりますが、大半の娘が不幸な末路をたどっております」
こう聞いてすぐに、グーデリックの顔が思い浮かんだ。あの男も、さも当たり前のように慣れた様子で薬を使ってリディアーヌを手籠めにしようとした。あれはおそらく、そういう手法に慣れていたからであり、フォンクラークの王都の貴族達の間は至極一般的な手法になっているのかもしれない。
「違法薬物系の話に繋がりそうね」
「となると、教会の管理がどうなっているのかが気になります」
シュルトの言葉に頷き返す。
薬物の管理もそうだが、本来ベザリウス教は一夫一妻を是としており、フォンクラークはその信仰の篤い国であったはずだ。つまり教会の権威の高かった国であったはずなのに、この状況に教会が何も言わないのだろうか。ともすれば、教会内部の腐敗すら疑われてきた。これを一掃するには、本部からの監査と聖騎士の派遣が不可欠になるのではなかろうか。
教会本部の聖騎士の派遣は内部の腐敗を正すことにおいては実に便利だが、本部の力なくして正せないほどの教会の腐敗といいうのはその国の名誉にかかわる。かつてベルテセーヌにその介入を許したことはアルナルディ元正司教派を追い詰めるのに必要だったが、教区長であるロマネーリの未熟さをさらすものとなったし、そのように教会を監督できなかった王室の不甲斐なさを露呈するものでもあって、本来ならば介入させずに解決させたかった問題だ。その上フォンクラーク教会までそうとなると、西大陸の二大大国がそろって本部からの介入を許したことになる。これは西大陸側の選帝侯家としては眉をしかめるどころではない話だ。
これ以上、東の国々に付け入る隙など与えたくはないというのに。
「それで、ご主人様。これからどうなさるんで?」
「とりあえず良くやってくれたし、有意義な情報であったけれど、このうちの大半は保留よ。ヴァレンティンとしても看過できない問題は多いけれど、この辺は後日、良く精査してからバルティーニュ公との会談に持ち越しましょう。それまでよくよく保管しておいていただけるかしら? ケーリック」
「かしこまりました」
「取り急ぎ必要な情報は、代官がマイヤール候と随分と誼を通じていることと、この通行証の発行の件ね。昨日の話通り、彼らが追い詰められてフォンクラークに逃亡する可能性は極めて高いわ」
「それを阻止するにはこちらの関を味方に付けてしまわねばなりません」
そう口にしたシュルトに頷いたものの、それは決して簡単なことではない。
ここはあくまでも外国であり、同行させている側近も騎士もごくわずか。当たり前だが、リディアーヌがどうこうして防げるものではない。故に為すべきは、この町を制圧するだけの“誰か”を動かすことだ。
そして幸いにして、その手掛かりはすでに得ているが……。
「予定通り、代官への接触を試みますかい? ご主人様」
「そうね……やはりそれしかないでしょう。マクス、予定通り申入状を出してちょうだい」
「かしこまりました」
「お待ちを、殿下」
昨日決めた通り、と言うようにサクサクと動き出した側近達に、イブーがぱっとマクスを目で追いながら急ぎ声をあげる。
「代官への申し入れとは、一体」
「聞いた通りよ。私は今こちらにバルティーニュ公の口利きで入港させていただいたリンテンのイレーヌ商会のお嬢様、という体で滞在しているわ。新たな交易拠点として価値ある物かどうかの巡察中なの。その名目で代官に会ってみようと思うの」
「危険です。先程の報告を聞いていらっしゃらなかったのですか?」
「聞いていたけれど、その上で、相手の出方を窺いたいわ。その態度次第では代官を抑えて、関を掌握してしまいたいわね」
「この手勢でですか?」
「町の人達に扇動をかける算段をつけてあるわ」
「……」
イブーはじぃっとリディアーヌを見つめて何かを言いかけたようだったが、ほどなくフゥと息を吐いてその言葉を噤んだ。
「まぁ、自分が口を挟むことではありませんで」
「心配をしてくれて有難う。勿論、万全に備えも用意しておくわ。クク」
呼びかけると、「はいはい」といつもの軽い足取りでククが寄ってくるので、そのククに鳥文用の小さな手紙を託す。
「大急ぎでこちらをバルティーニュ公にね。私に何かあればそちらも大事になるはず、と、戦力を募ってもらうわ」
「さすがご主人様、用意周到で」
すぐに飛ばしてきますよ、と言ってひょこひょことククが出ていくと、その後姿を見送っていたイブーがじっと目を細めてから、「殿下……」と、また低い声で唸った。
「アレを、大層信頼しているようですが……」
「ククのこと? 愛嬌があって可愛くて、働き者よ」
「恐れながら、あまり信頼されない方がよろしいかと」
そんな言葉にピクリと眉を動かして、じぃっとイブーの様子を伺う。
この状況でどちらの方が怪しいかと言われれば、突然やってきてそんなことを言いだしたイブーの方だと思うが。
だがそんな視線は百も承知とばかりに吐息をこぼしたイブーは、がさごそと革袋から取り出した紙面を差し出した。それを受け取ったマクスがリディアーヌの元へと届けると、その内容にざっと目を通したリディアーヌの表情が一気にくぐもった。
「……貴方……これは」
「十二年前に交わした譲渡契約書です。十四年前にベルテセーヌとフォンクラークとの間で起きた事件によって、このフォンクラークでも当時の王の凶行を知る多くの者が罪を着せられ処刑されました。その孤児達の中に、家で飼っていたのであろう鳥籠を持った少年を見つけ、私が買い取りました」
「……それが、クク?」
「幼い頃より鳥を扱う腕に長けていたので、使い勝手良く思い教育致しましたが、アレはヴァレンティンに対する忠誠など持ち合わせてはいない、“フォンクラーク人”です」
フランカがキュッとリディアーヌの肩をつかんで息をひっつめさせた。
部屋の中に漂った緊張感に、皆の視線がどうするのだと言わんばかりにリディアーヌを向いた。
さて……これを、どう解釈するべきか。
「貴方が育てて、貴方が独り立ちさせた諜報員でしょう? なのに今更、先王派のフォンクラーク人だったことを理由に信頼するなと?」
「アレにとって、鳥匠は仕事です。そのように私が仕込みました。ベルテセーヌへの配属を認めたのは、ベルテセーヌに良い印象を抱いていないアレは、そこでならば諜報員らしい仕事を行えると見越したからです。ですがこのフォンクラークでは……」
「私情を優先すると?」
「はい」
ふむ……ククの師匠であると同時に育ての親でもある男の言うことだ。決して無下にしたものではないし、一理もある。
「では貴方はどうするべきだと?」
「まだアレの真意が分かりませんが、ひとまずバルティーニュ公への鳥を出すことを許可していただけるのであれば、私からも出させていたきたい。あくまでも念のためです」
「なるほど……そのくらいであれば、やぶさかではないけれど。でもククを信用していないようで、気は進まないわね」
「恐れながら、その信用されているらしい愚かな弟子が隠した情報が一つございます」
「隠す?」
ピクリと顔を上げたところで、イブーは少し周りを見渡して警戒するそぶりを見せると、声を潜める。ククが聞いていないかと注意を払っているのだろうか。
「代官は今宵の内にも密かに友好関係にあるマイヤール候に対し、援軍を派遣する手はずで、すでに関にはそのための準備が整えられている様子が見受けられました」
バンと机を叩いて立ち上がったリディアーヌに、イブーはすっと控える。
そんな男を一つ睨んだが、睨むべきはこの男ではない。深い怒りとも嘆きとも言えない吐息をこぼしたリディアーヌは、ほどなく椅子に腰かけなおすと、サラサラと手紙を綴って封をし、マクスに渡した。そのまま、イブーへと託してもらう。
「貴方が優れた鳥匠であるというのなら、すぐにそれをバルティーニュ公に」
「はっ。承ります」
「エリオット、兵の動きがないか、門への監視を徹底させて。それから代官への接触は予定通り行うけれど、シュルトを同行させるわ。代官所内の様子の確認をお願い」
「はっ」
「殿下……代官所に行かれるというお気持ちに変わりはないので?」
「ないわ。むしろあなたの情報で、より確認せねばならなくなったわ」
「でしたらせめて自分をお連れ下さい。いざという時、殿下を一人をお逃がしするくらいには役に立ちますし、自分は代官と見知った顔です」
「そういえばククを連れて、昨日もそういう体で中に入ったのだったわね。一体どういう知り合いなのかしら?」
「王都の鳥商人としてです。代官は大層な好きもので、珍しい鳥などには目がないので」
「いいわ。同行を許可します」
そう言って再びぱっと席を立つと、「フランカ、支度をしてちょうだい」と廊下に飛び出した。すぐに、フランカとイザベラだけがこれに追従する。
ここまで長くともに旅をしたはずの、どこか飄々として憎めない鳥男を思うと、自然とその足は速くなった。