5-37 イブー(1)
念のために顔を出さないように、と告げたククがどことも知れないルートから階下に降りて行くと、それを見た木陰の男の姿もふっと消えた。見失ったことにリディアーヌは目を凝らしたけれど、スヴェンが花嫁行列の混乱とは別の方向をじっと見つめているので、どうやら二人はあちらの方角で会っているらしい。
少し待って戻ってくるものでもなかったようなので、お茶を飲み終えると席を立ち、会議室に戻るとフランカに手紙の用意を頼んだ。ナディアにできることがあるかどうかは分からないが、少しでも早く、今目にしたものについてを知らせておこうと思ったのだ。まぁ、これだけ堂々と献上が行われていて、バルティーニュ公が贔屓にしている商会の支店がここにあるのだから、彼らが知らないということはないだろうが。
「公爵殿下に手が出せないということは、王家が絡んでいる上に長年浸透してしまっている慣習で、安易に手を付けられないほど根深い問題だからなのでしょう」
「グーデリックがすでに亡くなっているのにですか?」
「この国の国民の手前、口にはしなかったけれど……その辺り、フォンクラーク王はグーデリックと肩を並べるクズよ」
そう据わった目で王の関与も有り得ることを仄めかしたリディアーヌに、もれなく男達がぞっと縮こまった。
だがそういう王や元王太子の手あたり次第のような女好きは、少し前にマグキリアンが滅ぼした“神の呪い”なる集団が、彼らの妾妃や彼らの血を引く王子女をことごとく殺して回っていた弊害でもあるのだ。
「そういえばグーデリックは城下町で有名になったヴィオレットを召し上げようとしたこともあったわね」
「そんなこともありました」
思わず誰ともなく呆れたようにか細い息をこぼしたところで、書き上げた手紙を折りたたんで封をした。
「ご主人様、ちょっとよろしいですかね」
そうこうしている内にも、ひょっこりと扉からククが顔を出す。お師匠とやらの話は終わったようで、ついでにそのお師匠とやらを連れてきた様子はない。
「話は着いたのかしら?」
「ええ、それでご報告を」
どうぞ、と促したところで、なぜかスヴェンとイザベラがククの両側をきっちりと固めたものだから、ククはキョロキョロと困ったように両側を見上げて小さくなった。
「えーっと。なんですかい? 騎士様方」
「いえ、何となく」
「姫様に近づけるには不安が」
ククは益々肩をすくめたが、そういう扱いにはなれているのか、「自分はご主人様の忠実な郭公ですぜ」なんて言いながら笑って見せた。
「それで?」
「いやぁ、どうしてフォンクラーク北部が管轄のお師匠がいるのかと思いましたが……あぁ、あれは自分のお師匠で」
「鳥匠の?」
「はい。なんでも今は王都の持ち回りだとか。小屋は弟子に任せて自分は情報収集をなさっているそうで。まぁ、あっしと同じですね」
マドリックは、拠点を任されている鳥匠が拠点を離れるのはよほどのことがない限りないことだと言っていた。ククの場合は本人の意思ではなく、フィリックからリディアーヌの監視と護衛に近いことを命じられたため、それを遂行するために拠点を空けたのだが、クク以外にそんなことを命じられている鳥匠は他にいない。
なのでククも、想定外の場所に他の鳥匠、それも自分にその技を伝え諜報員としての心得を説いた師がいたことには随分と驚いたようだった。
「何を調べていたのですって?」
「まさに先ほど見た花嫁行列ですよ。彼女達が王都を経由して、王都の貴族連中に売り払われていることは間違いないようで。その調査の一環だと」
だがそう言われたところで、リディアーヌは首を傾げざるを得なかった。
ククの師匠なら、それはつまりヴァレンティンの諜報員ということだ。その役割はフォンクラークで起きている出来事や動向を国許に報告することであって、フォンクラークの内部事情に深入りすることではない。いくら何でも介入しすぎではなかろうか。それともうちの諜報員達の場合はそのくらい深入りして自ら裏を取って、なんなら弱みでもなんでも把握してしまう所まで含んでいるのだろうか。
そう思ってククに問うてみれば、「まぁ事情によりけりですが」という答えが返ってきた。
「そういう裏取りや証拠探しをすることはままございますぜ。自分らはヴァレンティンの諜報員であると同時に、日頃は地元の情報屋であったり、ちょっと遠方に鳥文を出してやる鳥屋であったりの擬態をしておりますんで、そちらの依頼主さんの要望で調べ物をすることもあります。中にはこっちの素性を知らないものの、察して、こっそりと利用しに来るお国のお貴族様もいらっしゃいますよ」
「そうなの? では貴方の所にもそういう客が出入りしていたということ?」
「オトメールはそういう影響が少ないところでしたけど、ベルテセーヌの担当でも王都らへんはそういう客もいたでしょうね。あぁ、ですがご安心を。我々は一年に一度の本局にそういう顧客をきちんと報告しておりますし、定期的に監査も回っておりますから」
あまり詳しい諜報局の動きは存じていなかったが、なるほど、町に溶け込むためにある程度のそうした自由な活動は認められているわけだ。
だとしたらククのお師匠の仕事も、そういう表の仕事に関わるものだろうか。しかし国の危険な不祥事に深入りすることは、やはりヴァレンティンの諜報員として度が過ぎていない気がしないでもないが。
「お師匠がその一件の受けたのはご主人様がいらしているせいでもあるそうで」
「何ですって?」
「いやはや、たったの一日やそこらで遠くにいるお師匠にこちらの動きを完全に把握されておりました。さすがはお師匠というところですが、おかげさまでいくつかのお叱りと忠告と。ついでに、先程のように不用意に顔を出すようなことは止めるように、などとの伝言も預かってしまいました。ご主人様は、髪を覆って顔を隠していても立ち居振る舞いで目立ってしまうので、下手すりゃお代官の目に留まって王都に連れてかれてしまうからと」
「……」
それは親切、なのか。少々判断が付き難い。こちらは一応表向きイレーヌ商会の名を借りて、バルティーニュ公の客人という扱いでここの商会に世話になっている。どれほど王都の貴族らが腐敗していたとしても、さすがにそんなものに手を出すほど愚かだとは思わないが、それは浅慮であろうか。
「ひとまず、お代官の動きはお師匠が気を付けてくださるそうで」
「気を付ける、ということは、その貴方の師匠は代官所に出入りできる何かしらの手立てを得ているのかしら?」
「ええ。ですんでご主人様、ちょいとこの後、自分も留守にさせていただいても? お師匠のおかげで堂々と代官所の中に入れそうなもので」
ふむ……実際、ここの関守である代官がベルテセーヌと通じていないかどうかという件は確認したいと思っていたのだ。だが生憎と関所の奥に構えられた代官所から滅多に出てこない代官の周囲への侵入はククでも難しく、どうしたものかと思っていた。
「貴方の師匠は信頼できるのかしら?」
「おや。あっしのことはひと目で信用なすったのに、お師匠は不審に見えましたか?」
「遠目だけれど、少なくとも貴方のような愛嬌はなかったわね」
そう半ば茶化すように口にしたところで、「あの顔で愛嬌があったら、それはそれで怖いですぜ」なんていうから、どうやらククにとっては信頼できる師匠なのだろう。
「わかったわ、貴方に任せることにしましょう。ただ、今の貴方はただの鳥匠ではなく私の準側近扱いであることを忘れないでちょうだい」
「へっ。いつのまに自分はそんなに出世したんで?」
思わずパッと目を輝かせたククに、「調子に乗るなと言う意味だ」とシュルトが突っ込んだが、それでもククはどこか嬉しそうに肩を弾ませながら、「かしこまりまして」と答えて出て行った。まったく、調子のいい男である。
「信頼できますかね?」
「まぁ、マドリックもククの師匠は優秀な諜報員だと言っていたわ。代官を探れるのは有り難いし、使える物は使わせていただきましょう。それに娘さん達の献上の件について調べていて、何かいい情報でも持っているようならバルティーニュ公に融通して恩を得たいわ。代官所からククが戻ったら、その師匠も連れてくるように伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
さて、これで後は情報待ちといったところか。
取り合えず手持無沙汰となってしまったので、今のうちにもここまでの道中の報告書でもしたためることにしよう。
***
ククが戻ってきたのは翌朝のことで、「遅くなってしまいまして」と言って突然窓から寝室に現れた鳥男はもれなくフランカに水差しで頭を殴られ倒れこんだ。
部屋の中で警護に当たっていたイザベラが対処するよりも早かった。
それから四十分後。途中だった身支度を整えたリディアーヌが呆れた顔をしながらサロンの食卓に着いたところで、背の低いテーブルの奥でさすさすと頭を撫でながら正座をしているククを見つけた。怪我が増えているので、おそらくうちの筆頭護衛騎士エーリックと情け容赦のないスヴェン、そして怖い顔で隣に立っている侍従長マクスにお説教を食らった後だろう。
「ひどいですぜ、フランカお嬢様……こぶができてしまいました」
「自業自得です、ククさん。いきなり窓から姫様のお部屋に入ってくる方がどこにいますか」
「ここに」
「殴られたりなかったようだな」
「ひっ」
剣鞘でククの喉元を突いたエリオットの様子に慌てて謝罪したククを余所に、フランカの渡してくれたお皿を手に果物を摘まむ。
この商会で用意をしてくれる食事はフォンクラーク風の香辛料が効いているので、毎食食べていると胃がもたれる。おかげで朝は果物とハーブの効いたチーズなんかでさっと済ませることが多い。そろそろヴァレンティンの表面が固くて中がふわりとした丸い白パンが恋しい頃合いである。
「そういえばクク。貴方、パンが焼けるのではなかったかしら?」
「はい、簡単なものなら焼けますぜ」
「後で白パンを焼いてちょうだい。そしたら今回のことはフィリックに内緒にしてあげましょう」
「喜んで焼かせていただきます」
諜報員にさせることではないのだが、生憎と同行する貴族階級連中にそんなスキルはないのだから、背に腹は代えられない。現にククを取り囲んでいるうちの側近達も、「ヴァレンティンの白パン……」と顔色が変わっている。
まぁ心配せずとも、耐えられなくなるほどこの場に留まることになるとは思わないが。
「それで、クク。そろそろそちらの方を紹介してくれるかしら?」
そうようやく視線を向けたのは、部屋の隅にじっと大人しく跪いている男だった。
昨日見かけた時と同じ、この国に馴染む装いをした男だ。遠目ではわからなかったが、年の頃は五十を過ぎるかどうかといったところか。ククに比べると随分と体格が良く、服が薄手なのと相俟って、鳥匠とは思えないほどに鍛えられていることが分かる。
今日は肩に鳥が乗っていなかったけれど、腰に下げた沢山の革袋もククと同じもので、彼が鳥匠なのだということを窺わせていた。
「はいはい。こちら、お師匠でございます」
「お初にお目にかかります。本来であれば、このように多くの前に姿を現すものではないのですが」
淡々とした低い声を共にチラリと弟子を睨んだ視線に、おっと、とククが肩をすくめる。まぁ、ククは確かに他の諜報員達と比べると、かなり異質だなと感じるが。
「私が呼んだのだから問題ないわ。立ってちょうだい」
「ご勘弁を。そこの馬鹿弟子と違って弁えております」
うん? そう? そういう物なのか?
最初に積極的にかかわった鳥匠がククなものだから、その辺はよく分からないが。
「話を聞きたいからと傍に呼んでいるのよ。大きな声で話すのは疲れるのだけれど」
「……かしこまりました。それでは少しばかり、失礼をして」
音もなくスクリと立ってわずかに近づいた男に、ククが「お師匠は堅いなぁ」と茶々を入れ、もれなくゴンッと叩かれた。学ばない男である。
「貴方、名は……あぁ。えっと。貴方達は名乗らないのだったかしら」
「名付けは隷属を意味します」
なんですって?
「ククをククと呼んでいるのはただの便宜上よ。そこの郭公さん、という呼びかけに近いわ。したがって、便宜上今だけ貴方の事も角鴟と呼ぶわ」
「イブー……」
なんかそっちの方がかっこよくないですかね? とか言っているククは無視しておいて、早々と食事を切り上げて応接間に促す。一応、機密の情報のある会議室は避けておいた。
角鴟…フクロウ目フクロウ科。ミミズク。




