5-36 国境の町
セネヴィル領に滞在した翌日、飛び地から戻った侯爵にも挨拶を交わして長い長い会議の時間を設けた翌日、リディアーヌはこの国の人らしい姿に擬態し商人の装いで北西に向けて出立した。
公爵殿下の口利きの商会に紛れさせてもらったため、多少屈強な騎士が同行していようとも、おかしな女性達が紛れていようとも、幸い南部ではあまり注視はされなかった。
南部でもやや北よりのベルテセーヌとの国境のある町は、ここまで見てきたどの町よりも建物の高さも高く、発展を思わせる町だった。ただ流通で賑わっているというだけでなく、帝国の様式と折衷された様相の建物が多いせいでそう見えるのだというが、そういって案内してくれた商会の支店も五階建ての立派な建物であった。
四角い建物が多く、屋上や上の階にテラスや吹き抜けのサロンなどを設けているところはどこも似ているが、商会の場合は一階を店舗とし、二階にテラス付きの主人の住居、三階から上に従業員の住まいなどがあるのだという。
リディアーヌ達はその商館の支店の二階に案内され、商会長不在のその階のいくつかの部屋を借り受けた。そこを拠点としてシュルトとククを中心に情報収集を行わせ、ケーリックには拠点での情報整理に当たらせる。
町ではすでに、国境沿いのベルテセーヌに戦乱の機運があることが噂されており、この商会に出入りする商人や旅人達からもその手の情報は余すことなく手に入った。
「いやぁ、さすがにフォンクラークには拠点が少ないですから、情報の取り交わしが大変です」
そんなことを言いながらもククが寄越した最新の情報では、マイヤール候の次男を逃亡途中に捕縛したそうだ。だが元々領地に残っていた長男と周到に逃げ切ったマイヤール候が南東部の周辺領地と共に防衛の構えを築き、東部の夫人や子供達を半ば人質に取ったブランディーヌがそれに合流したという。
これに対してすぐに国軍が派遣され、ジュードは西部周りで南西の辺境軍を編成。国軍は北と西から攻める構えを築きつつある。
「アルメルタからの情報だと、最後の情報で目撃された軍の位置が、ここと、ここですね」
広げた地図にコツコツとククが駒を置く。この辺り含め地理に詳しいおかげで、地形から「早ければ衝突は明日か明後日にも」とルートを書き込み、衝突し得る平野部や、逃走となった場合のルートなどを細かに書き込んでいった。
「傍観の貴族が多くて兵力は拮抗する、などというのが事前情報でしたが、この通り、何があったのか国軍側が膨れ上がっているそうで。ご主人様の様子を見てだんまりを止めた方々でもいたんですかね」
「あるいはラジェンナ嬢に心動かしてくれたのか。それとも……」
リュスかしらね、なんて胸の内に呟いたところで、がやがやと騒がしくなった表の様子に顔を上げた。
会議の場として使っているこの部屋は内向きの部屋だが、すぐ傍の廊下から広々とした半外のサロンに通じているので、外の音は比較的届きやすい。気になったのはリディアーヌばかりではなかったようで、チラリとこちらの様子を伺ったスヴェンが「自分が」と言って様子を見に行った。
とはいえ考えることを半ば放棄しているスヴェンだけでは心もとないので、休憩がてらペンを置いたリディアーヌもその後ろを追った。
サロンに出ると、三階を管理している使用人頭のふくよかな夫人が花瓶を手にサロンから下を見ているところで、「何かあったのかしら」と近づくと気が付いた夫人がすぐに振り返った。
「これはこれはお嬢様方。うるさかったですかね」
ふと手にしていた花瓶に気が付いた夫人はそれを丁寧にサイドテーブルに下ろすと再びテラスの外を見下ろしたので、リディアーヌも先に外を見たスヴェンが頷くのを見て、そっと柱の陰から見下ろしてみた。
目の前の大きな通りにずらずらと馬と驢馬の行列が続き、その半ばの立派な竜引きの車に赤い衣の若い女性と思われる人影がある。夫人いわく、南部の伝統的な嫁入り行列なのだそうだ。
だがこの店の少し手前で、その嫁入りのお嬢さんに「行かないでくれ!」と訴え出た男性がおり、ひと悶着起きているところらしい。
「これはこれは……とんでもない場面に遭遇してしまったみたいね」
「こういう場合ってどうなるんでしょう?」
見ると男は周りの屈強な男達に取り押さえられ、しかし嫁入りするお嬢さんはそれを悲痛そうに見て手を伸ばしかけ、きゅっと俯いてしまっている。これは中々の悲劇の予感がするものだから、問うたフランカの声色は同情的だ。
「あの子はこの辺では有名な大層美しい商家のお嬢様でしてね。見た目は花嫁行列ですが、それは父親がせめてもと支度してあげたもので、実際はお貴族様の妾として売られてゆく行列なんですよ。可哀想ですが、献上品に手を出したとあっちゃあ、あの健気な方は無事ではいられないでしょうね」
そう淡々と話す夫人の様子に少し違和感を覚えて首を傾げたら、リディアーヌのために冷たいお茶を注いでくれた夫人が慣れた様子で傍の召使に匙で毒味させながら、「この町ではこういうことが珍しくないんです」と言った。
召使が丁寧に匙の変色がないのを見せてからフランカに渡し、フランカも毒味を行いリディアーヌに渡してくれる。この国でよく飲まれる甘いお茶でもスパイスの効いたお茶でもないシンプルで濃いストレートの紅茶で、フランカが持ち込んだ茶葉で淹れられたものだ。夫人はそれを冷たくして用意してくれたらしい。
皆も会議続きで疲れているだろうから休むよう伝えつつ、杯を手に背の低いソファーに腰を下ろした。ここからでも目端に少しだけ騒動が見える。
「珍しくないというのは?」
「この辺りは北部ほどは酷くなかったんですけどね。二年程前にこの町のお代官様が代わりまして、その代官様が次から次へと見目の良い娘を見初めてはお隣の領地を通じてお城にご献上なすっておいでなもので」
「どこにもそういうクズはいるものね」
思わずため息をついたところで、「でも娘の中には王子様に見初められるかもってんで、乗り気な子もいるのがまた親泣かせで」と言う。それは随分と剛毅なお嬢様だが、さすがに稀有な例であると思いたい。
「ん? 王子様って?」
思わず頭に浮かんだのは、グーデリック元王太子の唯一の実子とみなされている王子パトリシオとやらの名であったが、確かまだ未成年だったはず。セリヌエール公は既婚者であるし、バルティーニュ公は一応男やもめで妃がいないことになるが、いずれにせよあの二人がこんな献上品を喜ぶはずもない。
「ご存じありませんか? わが国で王子といえば、それはグーデリック王太子殿下ですよ」
「ん?」
思わず首を傾げたのはリディアーヌばかりではなく、皆揃って首を傾げたものだから、夫人の方が驚いた様子で目を瞬かせた。
「どうかなさいまして?」
「どうか、って……その王子はすでに亡くなっているでしょう?」
「え?」
「え?」
噛み合わなかった会話に目を瞬かせていたら、控えていた召使の女の子が少しおろおろとしているのを見てしまった。こういう場では本来口を開かせるべきではないのだが、その様子は気になる。
「貴女、何かご存じなのかしら?」
なので問うてみたら、少女はおろおろと夫人を見た。
その様子に夫人も何かを察したのか、「どうしたの?」と問うた。
「その……恐れながら。ご主人様のご用で王都と南部を行き来しているポク……従僕が、そういう話をしていたのを聞きました。私も何かの間違いかと思ったのですが、南部では王太子様の薨去と、しかし喪に服さなくてよいという布告が出ているのだと」
「馬鹿をお言いでないよ。それでもお亡くなりになったのならそのくらい、この町でも布告されるでしょうよ。それに、だったらあの子たちはお城のどこに献上されているんだい?」
口調を崩して女の子を叱った夫人に、ふむ、と唸る。
グーデリックは死んでいる。それは絶対に間違いない。去年のリンテンの一件後、間違いなく皇帝陛下がその旨の裁断を下した。おそらく冬か、春までには処分が済んでいるはずである。議会後にうちの文官達が持って帰った情報にもそうあったし、クロイツェンで会った時のナディア達の様子からもそれは明らかだ。
なのに国内でまともにそれが布告されていないというのはどういうことなのだろうか。まさか王が知らないはずもない。いや……あえてそれを秘匿し、誰かが見目のよい若い女性をどこかへ送っていると? とてもじゃないが看過できる話ではなさそうだ。
「残念ながら夫人、王子の死は事実よ。フォンクラークではなく皇宮で処刑されたはずだわ」
「へっっ」
素っ頓狂な声を出して目をぱちぱちと瞬かせた夫人は、「そんなまさか!」と言ったけれど、これには召使の女の子が「本当です」と頻りに声をかけた。
「国外に持ち出し禁止の薬物を持ち出して皇帝陛下の直轄領を脅かしかけるという重罪を犯したのよ。だからフォンクラーク王から廃太子の布告があり、皇帝陛下から直々に極刑を言い渡されたわ。なのに国内でそれが知られていないのは、一体どういうことなのかしら」
グーデリックの他に現王派で王太子に据えるべき人物がいないからと、わざと告知していないのだろうか。だが貿易が盛んなフォンクラークにおいて、そんな口止めがどれほどの役に立つともしれない。無駄なことのように思う。だがベルテセーヌとの国境のあるこの町でさえその様子であることには驚きを隠せない。
「バルティーニュ公爵殿下が、現王派の貴族の中には自治支配を強めて権限を拡大している過激派が急増している、といった話をしておられましたが」
シュルトが呟いた言葉に、確かに、と考え込む。
「にわかに信じられないのだけれど……まさか、国としての布告があってなお、自治の強い貴族領地ではそれが通達されず、亡くなった王子の名が今も利用されていると?」
「健全な国にはありえないことでも、治安が乱れていればわかりませんよ。献上されている娘達も、城への献上と言う名目でそうした貴族達が囲い込んでいるのかもしれません」
そう言われてなお、いやいや、そんなことあるだろうかと懐疑的になってしまったのだが、市井に詳しいククが「まぁ、珍しくはありませんね」なんていうから驚いた。
これは、国の立て直しに殿下方も大層苦労なさるのではなかろうか。
「……お嬢様。あの子、助けてあげられませんか?」
恋人と泣き別れている花嫁姿の娘さんに同情を禁じえなかったのか、フランカがただのお嬢様に擬態するリディアーヌににすがるように声をかけた。
そりゃあ、どうにかできるようなことならするけれど……。
「いけませんぜ、フランカお嬢様。ここは“お国”じゃないんです。ご主人様に分かりきった答えを求めたりして、苦しめてはいけません」
リディアーヌが言い回しに躊躇っていると、思いがけずもククがフランカを窘めてくれたから少し驚いた。この男、こう見えて良く分かっている。
「ククの言う通り、ここで私がどうこうできる話ではないわ。ましてや今は目立つ行動もとれないし。でも、私の勇敢な友人にこういう気分の悪い話が合ったと伝えるくらいならできるわ。残念ながら……あの子とあの子の大切な人には、間に合わないでしょうけれど」
「可哀想なことです」
自分で否定しながら可哀想だと思う気持ちに変わりはないのだろう。心から残念そうに物陰から階下を見下ろしたククは、相変わらず機嫌がいいのか悪いのかもよく分からないうすら笑いの面差しでじぃっとそちらの様子を見つめていた。
だがいくら何でも見すぎではないかしら、なんて思って、声をかけようとした瞬間、パチンッとそのククが大きく目を瞬かせた。
「クク?」
「ほあっ」
え、何。その間の抜けた声。何か展開でもあったのかしらと席を立とうとしたところで、「ちょっとお待ちを」とククが手を向けて制したものだから、咄嗟にスヴェンとイザベラがリディアーヌの両側を警戒した。
だが何かそういう類の危険に出会ったにしては、ククの様子がおかしい。
肩にかけていたベールをさらりと頭にかけて面を覆うと、目元だけ見せた状態でイザベラを軽く避けて歩を進める。決して出過ぎない位置まで足を進めて、そっと離れた場所からククが見ている方向へと視線を落とした。
花嫁行列……ではない。道の向かいの大きな木陰で、こちらを見ている誰かがいる。
この日差しの強いフォンクラークの赤茶けた土に紛れるような灰茶色の粗末な衣に、ぐるりと巻いた煤けた色のターバンが頭と顔、首を覆い、腕にも暑そうな革布を巻いている。フォンクラークの中下層の民に似た装いだが、何か不思議と既視感を覚える。
はて。何だったか――。
「お師匠?」
その答えは、ほどなくククが呟いた一言ではっきりした。
こちらを見上げた男の肩にの、白い鳥。その既視感は、ククと出会った時に感じたものだった。




