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0-2 昔の話を(1)

 黒髪の友人の国であるこのクロイツェンの皇都は母国ヴァレンティンよりはるかに暖かい場所だけれど、それでも今宵はとりわけ夜風が身に堪える。そんなリディアーヌの肩に何も言わずマントを(かず)かせてくれた友人の気の利きすぎる所作には慣れたもので、有難く大きな紫紺の布に身を包んで、引いてもらった椅子に腰を下ろした。


「さて、何から話したらいいのか……」


 前の席に腰を下ろしたマクシミリアンは、昔の無邪気な面影を感じさせない凄艶(せいえん)とした様子でじぃっとこちらを見つめていた。

 部屋からこぼれる明かりにゆらりときらめいた飴色の髪が、今日は殊更美しく思える。


「リディ、覚えてる? 私達が初めて出会った日の事」

「忘れるはずがないわ。二階の窓から聞こえた綺麗な帝国語と、学内の案内をしてくれていただけの聖職者に不貞の疑いをかけた貴方達の不謹慎な発言」


 思わず表情を崩したマクシミリアンは、少し懐かしそうに肩を揺らした。


  ***


 リディア―ヌが最愛の友と呼ぶ二人と出会ったのは七年前の春のこと。

 国許(くにもと)を離れ、大陸を渡り、内海に面する聖都ベザリオンの奥地にある皇立ベレッティーノ寄宿学校に編入してすぐの頃だった。


『見て、アルセール先生が知らない美少女と密会してる』

『先生が人目に付く場所でそんな迂闊(うかつ)なことするわけないだろう。あの人ならもっと上手く……ん? 見たことがない顔だな』


 リディアーヌがその学校の四学年という中途半端な時期に編入をしたのは、周囲からそう勧められたからだった。

 人生を振り返ってみても最も苦しかった時期が過ぎ去り、日々を茫然としていたリディアーヌに最初にそれを勧めたのは皇帝だった。そのことにいい印象は抱いていなかったけれど、予想外にも保護者がそれに同意し、そこに通うことを強く勧めた。

 そこはリディアーヌが失った愛おしい人達の記憶が存在している場所で、また大人達の事情でまともに同世代と親しく語り合う生活を送ることが出来なかったリディアーヌにとって、悪い場所ではないはずだと。

 簡単に言ってしまえば、そう皇帝に指示されたからであり、信頼する人物がそう背を押したから、大人しくそれに従っただけだ。そこに何ら期待というものは抱いていなかった。


 だから上から聞こえた他愛のない話し声に視線が動いてしまったのは、興味を抱いたというよりただその声がとても耳触りの良い上品な帝国語だったせいで、言ってみれば反射神経である。自分と同じような階級の最も上品なアクセントの公用帝国語を話す相手には、相応の礼を尽くさねばならない。そういう義務感だったのだと思う。

 内容がひどくおかしなものだったことに気が付いたのは、目を向けた後の話だ。



「あの頃は、あまり他人に興味がなかったわ」

「自分が聖職者と不貞の疑いをかけられているのに、そこには何の反応もしなかったよね」

「言われてみればそうだけれど……でもアルセール先生だもの」

「実はそれもずっと聞きたかったんだけど、リディって先生とどういう関係なの? なんか仲が良すぎると思うんだよね。昔も、今も」

「それって重要なこと?」

「場合によっては」


 本当に聞きたいことなのかどうか判別しかねたけれど、マクシミリアンは昔から本気なのか冗談なのか分かりづらい表情をすることが多いから、よく分からなかった。ただその話は、あるいは今から語る内容にもまったく無意味ではないのかもしれない。

 とりあえずあの時は、二人の会話の内容にはちっとも興味がなくて、ただ窓からこちらを覗き込んでいた眩ゆい金の髪の少年と、窓の淵に腰を預けて見下ろす黒髪の少年の、あまりにも対照的で、けれど一枚の額縁の中の絵のようにしっくりと来る姿につい足が止まったのだ。ギャラリーにかかっている絵画の出来が良くてちょっと足を止めて鑑賞してしまった、くらいのものだったと思う。

 そんな二人を無視することなく、逆に声をかけたのは、そのアルセールという聖職者であり教師である人物だった。



『誰かと思えば……お二人とも、見下ろすなんて失礼ですよ。降りていらっしゃい』

『おっとっ。どうする? アル』

『降りるしかないだろう。俺が見下ろしてはいけない相手らしい』

『うわっ、皇子様発言』

『皇子だからな』


 窓の奥へと消える彼らの会話に、その黒髪の少年の正体を知った。

 二つの大陸を股にかけ、数多の王国と属国を統治する大帝国グラン・ベザにおいて、“王子”ならまだしも“皇子”と称されるのは、現皇帝を輩出し、王家ではなく皇家と称する栄誉にあずかっているクロイツェン皇国の皇室だけだ。であれば“アレ”が、皇帝陛下がリディアーヌに学校通いを勧めた原因である。

 まさか初日からそんな大物に遭遇するとは思ってもみなかったのだが、正直、会う前の印象は良くなかったと思う。


「あの時アルセール先生が、“悪い子ではありませんよ”というフォローをしてくれなかったら、きっと私は二人を待たずに先生に学校案内の続きを求めていたと思うわ」

「じゃあ先生には感謝をしないとね」


 二人は急いで降りてきたのであろう程度の時間で、しかし決してそうは見えない所作でやって来た。金の髪の貴公子――マクシミリアンは駆け寄ってきた生徒に途中でとっつかまり、一方の黒の髪の貴公子――アルトゥールは周囲のかける声に見向きもせずにこちらにやってきた。


『先生、そちらは?』

『この春から君達と同じ学年に編入することになっています、リディアーヌ公女殿下です』


 そう一言添えられたのに合わせて、一応オウジサマである黒髪の貴公子にゆるりと制服のスカートをつまんで略式の礼を取った。

 過分に礼儀を尽くす必要はない。リディアーヌはそれを許されている身分だ。


『お初にお目にかかります。リディアーヌ・ド・ヴァレンティンですわ』

『ヴァレンティンだと? 青狼(せいろう)の家門の選帝侯家に、君のような同世代の公女がいるとは知らなかった。閣下は未婚で、近しい身内はいないのではなかったか?』

『嘘偽りなく、教会の皇統譜にも帝国の王籍簿にも、選帝侯でありヴァレンティン大公であるジェラールの嫡女として名を刻まれていますわ。あとは隠し子とも庶子とも、どうぞお好きに思ってくださいませ、“クロイツェンの皇子殿下”』


 帝国内でも、七王家五選帝侯家といわれる十二の家門は特別な家柄だ。帝国にはいくつもの国が所属しているが、中でも皇帝となり得る資格を有する王家は七家のみであり、これを七王家と称する。そしてその皇帝を選出するための権限を与えられた五つの家門が、選帝侯家といわれるものだ。

 リディアーヌはその選帝侯家の内の一つ、ヴァレンティン大公家の出身で、アルトゥールは七王家の一つクロイツェン王家の出身だった。

 リディアーヌがこの学校に通うよう皇帝が勧めたのは、そこに次期皇帝有力候補と言われている実の孫が在学していたからだ。それがアルトゥールだった。



「あの時君は、ヴァレンティン大公の嫡女で、でも隠し子でも庶子でも好きに思えと言っていたよね」

「あれ以来、貴方達が直接私に素性を問い詰めなかったのは、隠し子や庶子という言葉に心やすからぬ事情でもあるのではと遠慮してくれたせいなのかしら?」

「それもあるけど、何しろ“あの”ヴァレンティン大公だからなぁ……どんなことでも有り得そうで、逆に気にならなかった、というか。今となっては、後悔しているよ……」


 いろいろな感情を含んだ物言いに、リディアーヌも保護者の事ながら苦笑がこぼれてしまった。

 “あの”と言われる要因は多々あるけれど、きっと今マクシミリアンの脳裏によぎっているのは傍若無人の自由人として知られる性格と、一方で常軌を逸した子煩悩さを知らしめてきた逸話の数々だろう。実際、彼には実の子以上の愛情を注がれたと自負している。


「私はそのことより、その後の事の方が印象が強くって、そんな話をしたことはあまり覚えていなかったわ」


 マクシミリアンはリディアーヌの物言いをよく覚えていたようだけれど、正直それについてはよく覚えていない。その後の出来事があまりにも驚くべきことばかりだったせいなのだと思う。


『私のことを知っているのか?』

『ヴァレンティンと聞いて挨拶も返さずに考え事に(ふけ)られる家柄なんてそう多くはないでしょう? そのうちの二つは、面識があります』

『これは失礼した』


 容易く謝罪を行った皇子様は、たちまちするりとリディアーヌの手を取ったかと思うと、身をかがめ、淑女に対する最上の礼を尽くしながら手の甲に口づけた。


『お初にお目にかかる。青く最も深き森の気高き狼の子、リディアーヌ公女。クロイツェン皇国皇太子、アルトゥールだ。選帝侯家の公女と知り合えて光栄に思う。先ほどの質問はただの純然たる疑問であって、気を悪くしないでいただきたい』


 それはあまりにも自然な所作で、なのに大人の色男がするようなことを淡々とした表情で行うものだから、呆気に取られてしまった。


「リディ、すごい驚いてたもんね」

「あの頃はまだ、東大陸ではそれが淑女に対する普通の所作だなんて知らなかったもの」

「心配しなくてもアルトゥールがおかしいんだよ。僕なら見るからに西方美人なレディに、初対面でそんな不埒(ふらち)な挨拶はしない」


 そうマクシミリアンが断言する通り、(こな)れたアルトゥールと違ってマクシミリアンはそんなことはしなかった。だが、そのマクシミリアンの初対面の挨拶も、思い返せば苦笑しか浮かばない。

 彼は女子生徒に捕まっていたせいか、手には山盛りの菓子を持っていて、近付くだけでも甘い匂いが胸焼けしそうなくらいだった。


『初めまして、公女。僕は同じ選帝侯家の、ザクセオンのマクシミリアンだよ。僕も挨拶をしたいんだけど……手が空いてないや。アル、ちょっとこれ持ってくれない?』

『断る』


 そんなぁ、と情けない顔で手の中の菓子を見下した彼は、あろうことか、挨拶の代わりに菓子をズイと差し出してきた。


『お詫びとお近づきの印に、好きなのを取って』

『それは貴方への贈り物では?』

『さすがにすべては食べきれないし、それに同じ選帝侯家の嫡流同士、君と僕は兄弟のようなものでしょう? 甘い菓子でも分け合いながら、そこの冷たい皇子様が果たして皇帝足りうる器なのか、一緒に見定めよう』


「挨拶という型のどれにも当てはまらない奇抜な挨拶だったと思うわ」

「やり直せるならやり直したいけど、あの時ほどのインパクトは君に残せないんじゃないかとも思うんだよね」

「ええ、確かにインパクトという意味ではトゥーリにも負けていなかったわね」

「若気の至りだったんだ。許してくれ」

「許すわ。あの時もらったクッキーは、あれ以来ずっとお気に入りだったもの」


 言葉ではそうはぐらかしたけれど、実際はあの時、次期皇帝に最も近いと囁かれていた皇子を目の前に、皇帝を選出する権利を担う選帝侯家の跡取りがあまりにも砕けた様子でセンシティブな内容を口にし茶化す様子にひどく驚かされた。それでいてアルトゥールはそれを怒るどころか実に楽しそうに口元を緩めて、『光栄だな』などと言っていた。

 そのやり取り一つだけで、彼が“あの皇帝の孫だ”という先入観は随分と抜けた。

 彼らの間には上っ面な関係は存在していなくて、見定めると言いながらも二人の間にはとても柔らかな雰囲気があった。彼らはきっと、良き友であったのだ。

 それを少し……羨ましいと、感じた。


「私があの学校に通うことになったきっかけは皇帝陛下だったから、私は“皇帝の孫”とやらを随分と警戒していたのよ」

「イメージとは大分違ったんじゃない?」


 まったくその通りだ。だが彼の印象を塗り替えたのは、他でもないマクシミリアンが一緒だったからなのだと思う。彼は、そう……いつもその場所を明るく照らしてくれるような。そんな少年だった。


「あの時本当は、少しだけ……貴方達を(うらや)ましく思ったの。私はあの学校に、もしかしたら昔在学していた“お兄様”の面影があるかもしれないという期待を持っていたから」

「……その悲劇の王子の死を聞いたのは、リディアーヌが転入してくる前だった。あの時は、王子は大公の養子だから、リディの義理の兄のことなのだと。君も、そのことを口にすることは無かったから、その程度の関係なのだとばかり思っていたよ……」

「……」


 マクシミリアンの声色は、どこか悔いているようでもあった。でもそれは仕方がない。彼らはリディアーヌと“死んだ兄”の事情を、何も知らなかったのだから。


「ヴァレンティン大公が養子に迎え大公家の後継者として周知していた人物は、大公の姉の遺児。それはつまり、七王家の一つ、ベルテセーヌ王室に嫁いだアンネマリー王妃の子で、ベルテセーヌの正統な王位継承者のことだ。でも王子殿下に兄弟は一人しかおらず、その妹君は兄殿下と一緒に“亡くなった”のだと聞いていた。でも……」

「ええ。その“亡くなったリディアーヌ王女”が、私よ」


 明言したところで、マクシミリアンは一度硬く口を引き結んだ。


「そういう可能性はね……まぁ、考えなかったわけじゃないんだ」

「いつから?」

「最初もそうだったけれど……でも今回の一件があってからも。でも普通、かつて皇帝という地位に最も近いとされていた先代ベルテセーヌ王の嫡女の死が“偽装”されているだなんて考えない。王女殿下の死は皇帝陛下が認めたものなんだから。なのにその皇帝肝煎(きもい)りの孫であるアルトゥールがそれを知らないとは思わないじゃないか。うちの父も……何も、言ってはくれなかった」

「皇帝陛下とそういう取り引きをしたの。陛下にとっても、“リディアーヌ王女”は邪魔な存在だったから」

「だから君は、自分を殺したというの? そんなこと……」


 悲劇でしかない。

 そう悲しんでくれる貴方だから。きっと私は、この重たい口を開く気になったのだろう。


「長い話を、しましょう。とても恵まれた家族の元に生まれた王女の、同じほどに数奇で残酷だった人生の話を――」






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