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5-29 使者の横槍(1)

「恐れながら、陛下……ただ今クロイツェン大使館を通じて、クロイツェン皇国皇太子殿下よりの使者が謁見を申し出ているとの急ぎのご連絡が……」

「何だと?」


 チラリとセザールがこちらを窺う。文官の声の通りが良かったせいか、思いのほかはっきりと耳に届いた。それはおそらく、下座のブランディーヌまで。

 思わず振り返った先で、目を瞬かせたブランディーヌの唇がニィと吊り上がるのを見た。

 よりにもよってこのタイミング……今まさに、アグレッサを断じ、そしてブランディーヌを追い詰める絶好の機会がここにあるというのに。

 いや、まずはマイヤール候だ。南東部に兵を蓄えている候を逃がすわけにはいかない。クロイツェンなんてものは後回しだ。王の責務として外交の使者は極力早く謁見を受け入れねばならないだろうが、今は立て込んでいる上にヴァレンティンの公女との謁見中である。待たせる理由にはなるはずだ。


「ジュード」


 だからとにかくマイヤールを、と思って、信頼しうる兵を動かせるジュードに視線を寄越した。ジュードも察したのか、頷いてすぐに下座へ下りて行こうとしたようだったが、「待て」という王の言葉がそれを止めたものだから、揃って(うと)まし気に王を振り返らざるを得なかった。

 だがそんな顔を向けられてなお、王は言葉を撤回する気はないらしい。王が見ているのは、下座に這いつくばるアグレッサと、その隣で目を()らしているブランディーヌだ。


「全兵に告ぐ。(ただ)ちに逃亡したマイヤールを捕らえ、余の前に引き立てよ。それからジュード、この件、これ以上そなたが直接動くことはならぬ」

「陛下?! 何をッ」

()(たび)の件の処分は追って下す。廃妃アグレッサを投獄せよ」


 保留? そんな馬鹿な。ここまで来たらとっとと処分を口してしまえばいい。ほんの数秒あれば済むことではないか。だがこの外交の場でリディアーヌに“ベルテセーヌ国内の処分”に対して越権して口を挟むことは出来ない。

 ギリとこぶしを握って王を睨み上げたが、その視線をさらりとかわした王はどっと椅子に深く腰掛けた。

 まるで、重責から逃れられて安堵しているかのようだ。あぁ、なんと不甲斐ない。


「ですが、陛下っ」

(わめ)くな、セザール。後日、きちんと罰は下す」

「っ……ブランディーヌ夫人は、どうするつもりで?」


 思わず声に鋭さを含ませながら吐き捨てるように問うたセザールに、王がチラリとブランディーヌを見やった。

 アグレッサはブランディーヌ夫人の関与を確かに(ほの)めかした。そして今ここには、そのブランディーヌを追求するための材料も揃えてきている。ここで彼女を逃がすわけには……。


「後日とする」

「陛下!」


 思わずリディアーヌも声を荒げてダンと床を打ったが、王は悲痛の眼差しを向けたかと思うと、ゆっくりと首を横に振った。

 途端、「おほほほほほっ!」と、ブランディーヌの(かん)(だか)い笑い声が響き渡った。


「陛下は(たわ)(ごと)(たわ)(ごと)とよく存じていらっしゃるのよ。ルベールス、賢明な判断をいたしましたわね。いい子だこと。それでいいのよ」


 ギリと固く扇子を握り締めながら見下ろした先で、ブランディーヌがすでに勝ち誇ったかのようにこちらをほくそ笑んでいる。

 まだだ。まだ、何も終わってなんていない。


「クロイツェンからの使者がいらしたとか。私の可愛いヴィオレットからの手紙があると嬉しいのだけれど。当然、皇太子妃の生母である私も同席してよろしいのでしょう?」


 公女の謁見はもうとうに終わったと言わんばかりに優雅に絨毯の上を歩き、「さぁ、そのご使者とお呼びして」と王の文官に声をかける。

 悔しいが、クロイツェンの使者がいるというこの場でブランディーヌを断じるのは愚策だ。ベルテセーヌという国にとって、ここでクロイツェンの皇太子妃の母を断じ、国同士の間にあからさまな(いさか)いの火種を生むわけにはいかないだろう。

 何という酷いタイミング。何という悪運。

 いや……違う。そんな都合のいいことが偶然であるはずがない。


 引き立てられてゆくアグレッサが謁見の間を出ると、ほどなく侍従に連れられた見慣れたクロイツェンの官服の男性が入ってきた。

 まだ国王が招く旨の返答すらしていないのに、ブランディーヌの言葉を真に受けて国王に近侍しているはずの侍従がこんな真似をするのだから、益々、これが今のベルテセーヌの現状なのだと思い知らされる。


「待て。余はまだ先の謁見を終えてはおらぬ」


 だがさすがにリディアーヌという公国の公女を()()にした対応が不味いことは察したのだろう。王は急ぎ侍従を留めようと口にしたが、しかしもう使者は扉をくぐっているのだ。今更止めるのは、相手にも礼を失することになる。

 案の定、招かれたのに急に駄目だと言われた使者が不機嫌そうに顔を上げた。しかしその視線がすぐにも中座に立つリディアーヌを見つけると、ニコと口を緩める。

 あぁ、やっぱり……あの使者は、リディアーヌがベルテセーヌに向かったという情報に合わせて駆けつけ、その登城を見て、急ぎなどという名をつけて謁見を申し込んできたのだ。

 リディアーヌのベルテセーヌへの介入を監視、ないし阻止するために。


「これはまた……随分と珍しいところで会いましたこと、ヴェラー卿」

「ベルテセーヌ王シャルル三世陛下にご挨拶申し上げます。どうやらご侍従が手違い成されたようですね。ご謁見の最中に水を差してしまいましたことをお詫び申し上げます、ヴァレンティン公女殿下」


 マックス・ヴェラー――アルトゥールの側近。妙にヴィオレットに肩入れをしていた、厄介な侍従。よもやそれほどの人物が直接乗り込んでくるとは。

 やって来たのがヴェラー卿ということは、使者はアルトゥールの使者ということだ。その目の前で、ブランディーヌを断じろとは益々言えない。


「公女……知り合いか?」

「皇太子殿下のご側近として見知った顔ですわ。陛下、もしよろしければこのまま私も同席させていただいても?」


 こうとなっては、ヴェラー卿の言動を逐一この目で見て、耳で聞いてやる。

 そう問うたところで、他でもないヴェラー卿の方が「是非。我が主より、公女殿下への(こと)(づて)も賜っております」などと抜かした。やはり、用意周到に見計らって来たのだ。


「これ、侍従。いつまでご使者をそのようなところに留め置くのです。さぁさぁ、こちらにおいでなさいませ。ヴェラー卿でしたわね。私の娘は変わりなく、よく殿下にお尽くししているかしら?」


 すっかりと調子を取り戻した様子のブランディーヌが扉の前に留め置かれていた使者を自ら招き入れ、親し気に声をかける。

 周囲の貴族達も、先程まではブランディーヌを見捨てるべきかと距離を置いていたはずなのに、今はざわざわと色めきだって、「ヴィオレット様はお元気だろうか」「お変わりないだろうか」などと機嫌を取るようなことを囁いている。

 最悪だ。せっかくの糾弾の場が、このたった一人のアルトゥールの腹心に(くつがえ)されたのだ。


「妃殿下はお変わりなく、お健やかに過ごしておいででございます。夫人やご家族様への手紙も預かっております」

「まぁ、嬉しいわ。是非見せてちょうだい」


 ここが外交の場である以上、献上品は一度すべて王に納めるべきである。なのでヴェラー卿はチラリと王の様子を伺ったが、その王が何も言わず覇気にも欠けている様子を見ると、迷いなく穏やかな笑みを浮かべて後ろに追従させていた文官を促し、いくつかの手紙を乗せた盆を進めさせた。


「どうぞ、お納めください」


 一番右端の一通が差し出され、ブランディーヌはじっと他の手紙に一瞬鋭い眼差しを向けたかと思うと、すぐに「今日はなんといい日なのでしょう」などと微笑んで見せながら手紙を受け取った。


「皇太子妃となったあの子からこうしたものをもらえるというのは、感無量ですわね。結婚して、少しは落ち着き、親の愛というものを思い直したのかしら」


 何度も何度も娘の地位を誇張するように繰り返しながら貴族たちの列に向かったブランディーヌに、気を使った何人かが「お羨ましいですわ」「流石はブランディーヌ様のご息女です」などとおべっかを口にする。

 貴族達の、なんと素早い手の平返しか。


「それからこちらの書状は元許嫁の王子殿下にと賜っているのですが」

「まぁ、あの子ったら、夫のある身でなんと気の利かないことを。それにヴェラー卿、娘の元許嫁は突如城を出て以来どこへ行ったのか、行方不明ですのよ。手紙を届ける先などないのですけれど」


 どの口が言うのかと思うが、それを口にするわけにもいかない。「それは困りましたね」なんて言うヴェラー卿に、ここぞとばかりにブランディーヌが「娘の書いたものですから、私がお預かりしておきますわ」なんて手を伸ばしかけたけれど、その言葉を遮るように、「でしたら私が預かります」と、セザールが階段を下りてきた。

 すぐにも調子に乗っていたブランディーヌが睨むように振り返ったが、クロードの身内からの発言にはすぐに反論に値する言葉は出てこなかったようだ。


「私も弟の不在を憂えています。弟宛ての手紙と言うのであれば、父である陛下がお預かりするのが筋でしょうが、陛下は何かとお忙しい身。(せん)(えつ)ながら、兄である私が預からせていただきましょう」

「……そう、ですか。それではどうぞ、お納めください」


 ヴェラー卿としては、あまり手紙が渡る相手にこだわりはないのだろう。ただ成婚の儀の間、あまり友好的とは言い難い様子を見せていたセザールにヴィオレットの書いたものが渡るというのは快く思わなかったらしい。かといってそれを止められるわけでもない。


「陛下、よろしいでしょうか」

「あぁ、そなたに任せる」


 ましてやセザールはヴェラー卿の様子を見るや否や、すぐに王の言質を取った。

 さらにセザールはその隣に残っていた最後の一通を手に取ると、その宛名を見てわずかに眉をしかめた。


「最後の一通は……ラジェンナ嬢宛てですね」

「え……」


 びくりと目を瞬かせたラジェンナは、セザールの持つ手紙に、喜びよりも恐怖といった感情をにじませ、ジリジリと後ろに引き下がった。

 つい今しがた、マイヤール家の当主が罪状を言い渡され捕らわれたばかりで、ましてやその父が城の兵を害して逃げたなどと報告されたばかりなのだ。ラジェンナにとってクロイツェンは、ヴィオレット派に加担してマイヤール家に出入りをしていた者達である。これ以上自分がクロイツェンに関わりになることは自分の身を滅ぼすことだと分かっているはずであるし、ましてや皇太子妃からの私通があったなどというだけでも、周囲の目が恐ろしく思えることだろう。

 ヴィオレットは相も変わらず、酷な偽善者だ。自分からの手紙をラジェンナなら喜んでくれるとでも勘違いしているのだろうか。


「どうしますか? ラジェンナ嬢」


 そう問うセザールの声色が冷ややかに聞こえたのか、今一度びくりと(すく)んだラジェンナに、隣でそっとメディナ妃が何かを耳打ちした。途端、ラジェンナははっと顔を上げると、小さく頷いて進み出た。


「国王陛下。この度は謁見の場にて、ましてやこの罪深い家の者として控えるべき立場ながら、再び私の名をお聞かせしたことをお詫び申し上げます」

「良い。そなたに罪はない」

「有難う存じます。私はかつて、恐れ多くもクロイツェン皇国の皇太子妃とおなりあそばされたヴィオレット様とは学友という立場でございました。その私をお心遣いくださったのかと存じますが、しかし我が家はつい今しがた、罪を白日に晒され罰を(こうむ)るべく(かしず)き待つべき家門となっております。これ以上の疑いを招くことは本意ではなく、慣例通り、国王陛下にお納めいただき、もし可能であればかつての友人の消息を窺うべく、拝見させていただきたく思う所でございます」


 正しい判断だ。国王がそれに(おう)(よう)と頷いて「良かろう」と許可すると、セザールもニコリとラジェンナを安堵させるような表情を見せ、「それではお預かりいたしますね」と、クロード宛の手紙と揃えて手に取ったまま、中座へ戻り、侍従に託した。

 ヴェラー卿は……さすがにニコニコと笑みを崩さずにいるが、内心としては不愉快に思っていることだろう。セザールに対する警戒心は益々高まっていることかと思う。


「さて、順番が前後してしまいましたが……この度はご謁見をお許しいただき、感謝申し上げます。ここに、我が主クロイツェン皇国皇太子アルトゥール殿下よりの書状をお持ちいたしました。どうぞお納めください」


 改めて、ヴィオレットからの私通などではない正式な国からの文章を携え、膝をつき丁重に書状を献上したヴェラー卿に、「拝受しよう」と頷いた王が侍従を遣わす。

 このままさっさと下がってくれればいいのだが、しかし追い出したところで、もうこの場でブランディーヌを追求することは出来ないだろう。それは拝受したアルトゥールの手紙に目を通した王の不愉快そうな面差しをみればなおさら明らかで、リディアーヌも深いため息をついてこれ以上の断罪を諦めると、ゆるりと深く椅子に腰かけた。

 まったく、どこまでも邪魔をしてくれる。


「なるほど……妃が今一度故郷を見たいとのこと、訪問を許可してほしいとな。冷酷と言われる皇国の皇太子が、随分と優しいことだ」


 なんですって?

 思わず頭を抱えそうな内容にリディアーヌが眉をひそめるのとは裏腹に、ブランディーヌは益々調子づいた様子で「まぁ、素敵ですわ」なんてはしゃいで見せている。

 だが国王はどうするつもりだろうか。皇太子の申し出とはいえ、ヴィオレットは一度この国から国外追放処分に処した者。この国では罪人なのだ。

 かといって真っ向から『罪人である』などと言っては皇国との関係に深い溝を生むことになってしまう。現皇帝が皇国の出身であることと合わせて考えても、それはまずかろう。だからこそ、先だってのヴィオレットの婚儀にもセザールという王子を遣わすほどの気遣いをしたのだ。

 いっそ……国外追放なんてなかった、なんてことになれば、まだ……。


「セザール、どう思うか」

「……」


 王はセザールに意見を問うたようだが、そのセザールも悩んでいるようだ。

 当然受け入れたくなどないだろうが、ここで面と向かって使者に『いやです』とは言えない。それらしい理由を考えているのだろうが、一番それらしいと言えるような国内の混乱をここで他国の者に晒すには慎重でなければならない。その混乱が“ヴィオレット派”などと名乗っていることは十分に断りの理由にはなると思うが、そんな皇国との緊張感を生むような冒険をすぐに切って落とせるほど、セザールは強靭ではないのだ。

 やれやれ。出過ぎた真似だが、これは口を挟んでやるべきか。


「トゥーリったら、相変わらず“お伺いする”という言葉の意味を知らない人ね。自分の妃の元許嫁がいる国の、しかもその父親である陛下にそんなお手紙……うちの妃が報復に行くから歓待しろ、だなんて脅しているようじゃない」


 ハァとため息をついて小慣れた様子を伺わせながら口を挟んだリディアーヌに貴族達がざわめき、ピクリと眉を上げたヴェラー卿が視線を寄越した。いかにも口を挟んでもらいたくはないと言わんばかりだが、ここにリディアーヌを留め置いたのは他でもないヴェラー卿だ。せいぜい後悔すればいい。


「公女殿下……ご旧知の間柄とはいえ、我が主をそのように(おお)せられては困ってしまいます……妃殿下にもそんな意図はまったく」

「あら、ごめんなさい。でも私、知り合って一年やそこらの妃殿下よりも“私の悪友”について詳しいことを自負しているの。現に、皆さん困っていらっしゃるわ」

「殿下……」


 ベルテセーヌにとってクロイツェンは遠い国、海を挟んだ先進国といった感覚だ。日頃直接的な交流がないので、相手を何か訳の分からない強大なものとしての()()(かん)を抱いている。だから彼らにとって決して知らない相手ではないリディアーヌが、それを旧知であり悪友であると口にしただけでも、随分と印象が手近な存在へと落ちてきたはずだ。


「ところでヴェラー卿。私、ヴィオレット妃はベルテセーヌで王太子殿下に盛大に振られて、その傷心で国を飛び出し()(せい)に紛れていたところ、アルトゥール殿下と知り合ったと聞いているのだけれど。そんなヴィオレット妃が本当にベルテセーヌを訪れたいだなんて(おっしゃ)ったの?」

「は?」






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