5-26 裁断の時(3)
マイヤール家の者や証人達が引き取られていった後の場で、中央に残ったブランディーヌが汚れた床を拭わせながら、「やれやれ、とんだ謁見でございますこと」などと鷹揚に振り返った。
自分に被害が及ばなかったことで、随分と勝気になっているようだ。あるいは、やはり弟である王は自分を庇うのだと確信でもしたのだろうか。
「まったく、国王陛下。貴方はいくつになったらまともに国王らしくなるのかしら。お客人の公女様の前でこのような汚らわしい演出をなさるだなんて、品がなくってよ」
品がないのはどちらだよ、なんて言葉を飲み込みながら、言われるがままに黙りこくる王をチラリと窺った。
なるほど、先日リンテンで見かけた王の妙な憔悴の原因はこれか。このブランディーヌの振る舞いは、リディアーヌが知っていた九年前とは比べ物にならないほどに増長している。
あの頃のリディアーヌは、知識も力もない非力で無力な王女だった。だが少なくともその先王女という肩書とこの名前が、ブランディーヌへの抑止力になっていたのだろう。教会と他の傍系王族達の支持が、ブランディーヌよりもリディアーヌを上位に掲げていたせいだ。
リディアーヌがベルテセーヌを捨てたことは、思っていた以上にこの王を追い詰めたらしい。それは思いがけない望んでいた復讐であったが、同時にこの状況が気に入らなくもあった。仇がこんなもので抑圧されてしまうような王だったなんて、情けなくて仕方がない。
「何をそんなにはしゃいでいらっしゃるの? 見苦しい」
だから思わず怒気がこもってしまった声色で、リディアーヌは下座の夫人を睨み据える。その視線に、ビクリとブランディーヌが顔を上げた。
「最初の証人を連れてきたのは私です。それを汚らわしい演出とは……よく言ってくださいましたこと」
「っ……それ、は」
「すまない、公女。夫人はただ、我が国の貴族の恥を晒してしまったことで余を責めているのだろう」
「それは見解の相違ですわね。私はその恥に対する陛下のご判断を見に参ったのです。聞けば、マイヤール候は陛下が陞爵しお引き立てなさった方だとか。それを私情も挟まず躊躇なくご裁断なされたことは、王としてのあるべき姿でございましょう。私は父大公に、陛下が容赦なく決断なさってくださったことに好意的な見解を添えて報告するでしょう」
「そう思うか?」
「少なくとも私は我が身を脅かされております。その犯人を育てた者に酌量などされては、その方が気分を害するという物ですわ」
「もっともである。その期待に応えるべく、マイヤール候はリンザール子爵とブラックマーケットに関わったすべての者と同様に、厳しく処すことを約束しよう」
シャルルを元気付けるつもりなど毛頭ないのだが、ブランディーヌが調子付くよりははるかにましだ。おかげで少しくらいは威というものを思い出してくれたらしいシャルルは、その場で、この件について重々取り調べてすべてを詳らかにするようにとの命を下した。
それに、ブランディーヌの顔が歪むのを見た。
随分と強気にしているが、すでにリンザール家の摘発で、かの家と繋がりの深かったブランディーヌは首に縄をかけられるぎりぎりまで追い詰められているのだ。それが分かっていないわけではないのだろう。
「ところで、ここには折角多くの方々がお集まりくださっているのですもの。是非皆様に一つお伺いしたいことがあったのですけれど。陛下、構いませんかしら?」
「我が国の者から無礼があったことの詫びに、何でも質問を許そう」
「ではお言葉に甘えて。先程連れてきた証人が、『銀陽宮の公女を狙った』という発言をなさったのを皆様もお聞きになったでしょう? 皆様の中で、“銀陽宮”という言葉をご存じの方はいらっしゃるかしら?」
その言葉に、とりわけ年嵩の者達がざわざわと顔を見合わせているのを見た。逆に目の前のセザールなんかは、何やら深く考え込んでから、はて、と首を傾げた。やはり、思った通りの反応だ。
「公女、どういうことであろうか」
「うちでも皆が首を傾げたことなのですよ。ちょうど、今のセザール殿下のように」
ちらりと王の視線がセザールを向く。そのセザールが頷いて何かを口にしようとしたが、それをリディアーヌが人差し指を立てて噤ませた。それから再び下座に目をやる。
「ブランディーヌ夫人、貴女はご存じ?」
「さぁ、何の事でしょう。私がヴァレンティンのことに詳しいなどと思われるのは心外ですわ。公女は私を疑っておいでなのかしら?」
そう口にしたブランディーヌに、クスリと笑って見せる。
そのまま視線をぐるりと見渡していると、メディナ妃と目が合った。
「何かご存じですか? メディナ妃」
「ええ。ですが私は昔、その言葉に違和感を覚える理由をすでにセザールから聞いてしまっておりますから、私ではなく別の者に問うた方がよろしいでしょう」
そうメディナ妃が見やった先で、アンザス候が一つ目を瞬かせ、なるほどと顔を上げる。
「皆黙っておるようだが、何を黙ることが有るのか。十年前に出仕していた者ならば知らぬものはおらぬはずだ。銀陽宮とは、亡き先王女殿下がヴァレンティン公国より王太子妃となるべくこの国にお帰りになられた際、公国より招かれた工人達が後宮に建てた王女宮の名であろう。
ブランディーヌ夫人、そなたが喚いておったのではなかったか? 恐れ多くも先王女殿下は銀陽宮に入られた次の日に襲撃に遭われた。ゆえに、『ヴァレンティン大公家より寄進された銀陽宮に傷をつけることは国際問題である』とかなんとか。皆覚えておろう」
そうい見渡したアンザス候に、少しずつ、「確かに」「私も聞いております」「ええ、存じています」などという言葉が広がっていった。
その様子を見て、ブランディーヌが慌てたように、「そういえば、そんなこともあったかもしれませんわ。でもいちいち覚えておりませんわよ」なんて誤魔化そうとする。
だがそれを見つめていたセザールが、益々首を傾げた。
「どうした、セザール。違うのであれば言ってみよ」
「あ、いえ……その」
チラリとリディアーヌを見たセザールに、リディアーヌも頷く。
「確かにそういう騒ぎがあったことは覚えています。昔の記録を見れば、夫人がそういった発言をしていたことも記録に残っているかと思います。ですがそれよりも……公女殿下。襲撃犯が“銀陽宮の公女”と狙ったというのは間違いありませんか? 確かに先程そう聞こえましたが、勘違いや言い間違いの類だとばかり。私は、“公子宮”が襲撃された事件であると聞いていたので」
「その通りよ。おかしいでしょう?」
「おかしいですね」
「なんですって?」
チラリとブランディーヌを見下ろしたセザールの眼差しが、冷え冷えと細まった。セザールも、リディアーヌが何を伝えたかったのかを察したらしい。
「そもそも十年前、先王女殿下はこの騒ぎを耳にされた時、リュシアン兄上にこう言われたと聞いています。『銀陽宮はヴァレンティンの長子宮の名称だから、確かに銀陽宮にそっくりに作られた宮ではあるけれど、私の住まいを銀陽宮とは呼ばない』、と。間違いありませんか? 公女殿下」
「ええ、仰る通りです。ヴァレンティンでは長男の宮を銀陽宮、長女の宮を銀月宮と言うの」
ざわざわと広がったざわめきの中で、ブランディーヌの顔がさっと歪んだのを見た。
「襲撃犯は、“銀陽宮の公女”を狙ったそうだけれど、私達ヴァレンティンの者達にはそれがどうにも理解できなくて、首を傾げたのよ。公女である私の宮は“銀月宮”。公子の住むべき銀陽宮ではないのだもの」
「そもそも何故、先王女殿下の宮が銀陽宮という名になったのです? 私は殿下が九つの時に、ヴァレンティンの宮の由来や付け方について教授しております。その殿下がご自分の住まいに、銀月宮ならまだしも銀陽宮などとお名付けになるはずはないのですが」
そう首を傾げたマドリックに、「本当にねぇ」と苦笑してやった。リディアーヌは自らその宮を銀陽宮などと名乗ったことはないのだ。それもこれも、ブランディーヌが勝手にそう呼んでいただけであり、そしてブランディーヌが勝手に、“銀陽宮はリディアーヌの住まいの名だ”と思い込んでいただけのこと。
「……ただの、勘違いではございませんの? 似た名前ですわ」
「ええ、そうね。きっと似た名前だから間違えたのね。間違えて、そして間違えたまま覚えていた間抜けな方の指示間違いで、襲撃者達は私のいない銀陽宮を襲ったのね。なんて間抜けなんでしょう」
そうクスクスと笑って見せたら、もれなくカッとブランディーヌの顔が憤怒に赤らんだ。
本当はその銀陽宮に、リディアーヌが自分よりも大切にしているフレデリクという弟が住んでいて、より大事になってしまったのだが……そんなことは彼女達の知らないことだ。たちまち、皆の疑いの目がじわじわとブランディーヌに向いた。
「さて、余談を挟んだところで……陛下。次の議題に参りましょうか」
「あぁ、そうしよう」
その言葉に、ブランディーヌがいかめしい顔で周囲を睨みまわした。まだこれ以上、この続きがあるとは思っていなかったのだろう。
だがお生憎様。ここからが本番だ。
「次の証人と断罪されるべき者を入れよ」
王の言葉とともに再び扉が開き、幾人かの証人達と共に喚き散らし髪を振り乱したドレスの女性が引き立てられてきた。その後ろから、ふくよかな女性に連れられた少年がおずおずと脅えた様子で入ってくる。
アグレッサ妃と、そしてあれが末のザイード王子だろうか。
セザールに聞いたところによると、アグレッサは何もない離宮に禁足されたが、ほどなく『息子と引き離されるのであれば今すぐに自害する』と喚いたため、ザイードも母のもとに連れて行かれたのだと言っていた。そんな何もない禁足地に息子を引きずり込むだなんてどうかと思うのだが、一体何を考えての事だったのだろうか。
少なくともアグレッサがここに引き立てられる過程でザイードも連れ出されたようで、それを見たセザールがすぐに侍従に耳打ちして、ザイードを傍に呼び寄せた。
すると侍従が動くより早く、ジュードが自ら「お前はこっちだ」とザイードを抱き上げて階段を上り出した。廃王子と呼ばれていた見慣れぬ兄に、生意気盛りのザイードもどう接したらいいのか分からないのか、ひどく困惑した様子だ。だが押しても引いてもびくともしないジュードにやがて抵抗を諦めたらしく、大人しく連行され、大人しくセザールの隣の椅子に座らされた。
さらにザイードはセザールに、「大人しくしているんですよ」と微笑まれると、びくりと肩を揺らして小さくなった。さすが、お兄ちゃん達である。
「っ、陛下、あんまりでございます! 私にこのような仕打ちッ」
九年足らず、王妃の座にあった者の矜持であろうか。引き立てられていてなお毅然と言い放って見せるアグレッサは散々自分がいかに憐れなのかを語ったかと思うと、「さては貴女の仕業なのね、メディナ!」とメディナ妃にまで食って掛かったが、それを変わらぬニコニコとした笑みで交わしたメディナ妃は反論の一つもせず控えた。
こういう所が、メディナ妃は徹底しているのだ。実に“王妃”らしい。
「さて、公女。大公からの書状では、先の王子女の死の真相を解き明かすことを、先の襲撃事件の追及に対する手打ちとするとあったが、相違なかろうか」
「ええ、相違ございません」
正直初耳です。えぇ、つまりそういうことになったんですね、お養父様。かしこまりました。
「まぁ、あえて訂正するのであれば、先の王子女ではなく、ヴァレンティン公国の公子女であった私の義兄上と義姉上の死の真相、でございますけれど」
「……ごほんっ。相分かった」
わざわざ訂正する必要はなかったのだが、一応言っておいた。この件はベルテセーヌ内だけの問題ではないことを印象付けたかったからだ。
「はっ、何をおっしゃいます、公女殿下。ご存じでございましょう、その件は元王太子、リュシアン殿下がっ」
「黙れ」
ジンと響き渡ったジュードの低い声に、たちまちアグレッサが竦みあがって口を噤んだ。
さもありなん……ジュードの胸の内を思えば、今この場で剣を抜かないことを褒めたたえたいほどである。
だが正しく法をもって裁くためにも、堪えてもらわねばならない。視線を寄越したリディアーヌにジュードもそれを察したのか、すぐに口を閉ざして瞼を下ろした。そうでもしていないと、堪えていられないからとでも言わんばかりである。
「それでは、審問を始めよう。まずはオリオール侯爵夫人、アグレッサが先王子女の……ごほんっ。ヴァレンティンの公子女の毒殺に関与していたことを仄めかしたのはそなたであったな。今一度、公女の前で話してもらいたい」




