1-12 聖女からの脅迫(1)
「聖都ベザリオンにて低く傅き道を修めんとする神々の僕、愚徒アルセールが、類稀なる恩寵を戴きし公女殿下に謹んで拝謁いたします。神々の祝福が御身にもたらされんことを」
純白のフェロンに薄青のストラ。聖都ベザリオンの司祭だけが身にまとう太陽と月と星の繊細な刺繡。柔らかな衣がゆるゆると地面に輪を広げ首を垂れる姿はいつ見ても神秘なもので……だがそれが神ではなく自分に向けられているとなればさすがに動揺もする。
リディアーヌは出会いがしらから急に恭しすぎる礼をとった恩師に、「どうかおやめください」と心の底から立ち上がることを促した。
「一体何事です、アルセール先生。恭しいにもほどがありますよ」
そう急いで立たせたところで、物静かな仕草で顔を上げたアルセールの目元がふっとほころんだ。
白い肌と幽玄な雰囲気の淡い髪色。はっきりとした藍色の瞳。雰囲気はいかにもな聖職者であるけれど、ほころばせた面差しはクロレンスによく似ている。
かつてはこちらが学びを請う立場であったから、本来の身分上下関係なく、教師に対する礼節ある態度を取ってきた。なのに突然跪かれるだなんて、居心地が悪すぎる。
「皆様も。どうか立ってくださいませ」
同じように後ろで跪いた聖職者達にも声をかけたけれど、皆中々頑固に頭を上げてくれない。困った。
「公女殿下。ここはカレッジではありませんし、貴女はもうご卒業なされたのですよ」
「まぁ、先生。卒業しても先生が師であることに変わりはなく、それに私たちは縁戚ではありませんか。クロレンス姉様はそのように私を歓迎してくださいましたよ?」
そう笑って見せれば、もれなく姉の醜態を察したらしいアルセールが顔を歪めて頭を抱えた。
「ルゼノール家は仮にも教会領を治める一門だというのに……まったく。姉が失礼を致しました。“聖女様”」
そう言いなおされたことで、リディアーヌもアルセールの恭しさの理由を察した。
なるほど。アルセールの後ろに跪いている聖職者の纏う服には鷲の紋章が刻まれており、彼がベルテセーヌ教会の所属であることを示している。リディアーヌが聖痕を持つ者であることを知っていて、恭しくせねばならない事情があるのだろう。
「わかりましたわ、アルセールせんせ……あぁ、いえ。アルセール司祭。それで、そちらの方達は?」
「こちらはベルテセーヌ教会所属のテシエ司祭。それから私の下について修練を行っている本山所属のエイデン助祭と、指導している修道士達です。テシエ司祭は今宵のルゼノール女伯が催す正餐会に招待されているのですが、私とは聖都での修練時代から見知った顔でしたので、特別に正餐に先んじて“実家”へ招待させていただきました」
言葉は取り繕っているけれど、つまり実家に顔を出すアルセールが既知を理由に前もって連れ出し、今こっそりとリディアーヌに引き合わせてくれているわけだ。おそらく、彼らと一緒にベルテセーヌから来ているであろうもっと高位の聖職者達には秘密で。
ということは、このテシエ司祭という人物……もしやベルテセーヌの情報というのをかなり持っている人物なのではあるまいか。
「お初にお目にかかります。聖痕の主にしていと高き神々に寵愛されしベルテセーヌの正聖女殿下。ベルテセーヌ教会西方教区アレステン教会所属のテシエと申します」
「同じく、聖都ベザリオンにて修練を積んでおりますエイデンと申します。お目にかかれて光栄です、聖女様」
これを一体どうしろと、とアルセールを窺ってみたのだけれど、そのアルセールが生暖かく見守っているのを見ると、仕方なく意を決した。
“聖女”の称号は、もう八年前にとっくに返上したはずなのだけれど……。
「お顔をお上げください、テシエ司祭、エイデン助祭。私もお二人にお会いできて光栄です。貴方方がよき神々の使徒とならんことを」
ただの定型句なのだけれど、パッと顔を上げた二人の純粋無垢な面差しが眩しすぎる。
ひとまず、今はあまり時間もないことだからと、彼らを席に促した。
テシエとエイデンは恐縮して頑なに首を横に振ったけれど、「聞きたいお話があるのよ」というと、仕方なさそうに席に着いてくれた。
「それにしても……驚きました、先生。あ、いえ、司祭様」
「先生でも構いませんよ、公女殿下」
「慣れなくって」
やはり司祭というより先生という印象が強いせいで呼び間違えてしまう。
「それで?」
「聖痕のことです。先生にはカレッジ時代、私の事情から、亡きベルテセーヌの聖女と私が同一人物であることを隠すためのご協力をお願いしていましたから、先生がご事情に詳しいのは分かるのですが……エイデン助祭は見たところ、西大陸の出身ではないようです。聖痕のことなどそう気にかけるようなものでもなかったのではありませんか? このように恭しくされるとは思いにもよらなかったものですから」
そうエイデンを見やったところで、しかし彼はすぐにも「とんでもございません」と首を振った。
「確かに、東大陸では聖女に対する認知が薄いところはあります。けれど教会ではベルブラウの聖痕に関する話題は等しく神秘として語られます。初代皇帝陛下をその座に導いたのは他でもない神の娘と讃えられた初代皇后陛下であり、聖痕はその証なのですから。私はクロイツェン北部の田舎の生まれですが、故郷の教会にある聖女様のステンドグラスを見て育ちましたし、聖都ベザリオンに修練に出てからはますます身近に感じております」
そうなのかしら? と首を傾げたところで、「そうですよ」とアルセールが補説してくれた。
「ベザリオンの聖書庫には聖女の系譜を綴った重要図書が恭しく展示されています。そこには貴女様のお名前も刻まれておりますし、神学校でも歴代の聖女様のことを学びます。昇級試験にそのお名前が出ることあります」
「はいっ?」
驚いた。ベルブラウの聖痕やら聖女の話題やらはこの西大陸、それもベルテセーヌ周辺だけの特殊な信仰かと思っていた。
確かに、はるか昔には聖痕の王妃が皇帝選においても強い影響力を持った事実があることは知っていたが、かつて聖都の学校に通っていた頃でさえ聖痕に関する話題を聞かなかったので、大してメジャーな話でもないのだと認識してしまっていた。
それがまさか、知らぬところで試験問題にまでなっていただなんて。しかもそれを“先生”に言われるというのは、なんだか気恥ずかしい。
「そうだったのですね……思えば学院に通い始める前、聖痕のお話をしても先生は驚くことなくご協力してくださいましたものね。ただ先生が物知りなだけだとばかり」
「ご自分のことほど分からぬものです。あの頃聖都ではベルテセーヌの聖女が教会管轄の寄宿学校に入られると聞いて、大騒ぎだったのですよ。私が殿下の学年の担当教諭となったのも、殿下と縁があり身を隠さねばならない事情を知る私であれば殿下が相談しやすいだろうからという教会上層部の判断でした」
まったく存じませんでした……。
だがそれはあくまでも、聖職者にとっては、という話なのだろう。現に、ベルテセーヌからほど近いヴァレンティン領でさえ、若い世代には聖女の意味など存じていない者が多い。
やはり聖女というものが皇帝選の舞台から去って長く、またリディアーヌという久方ぶりの聖痕の持ち主もろくに社交界デビューする前に死んだことにされ、表舞台を去ったせいなのだろう。もっとも、当時を知る者や教会関係者にはまったく周知のことのようだが。
しかし聖痕については親友であるマクシミリアンやアルトゥールにさえ話していない。それは彼らに出自を知られないためという理由もあったが、それが東大陸においてはさほど重要なものでもないだろうという認識であったことも一因だ。
「このような特徴が遺伝することについては私も神秘的に思っておりますけれど……でもあまり特別視されても困ってしまいますわ。聖痕が有るからといって私に何か特別な力があるわけではないのですし」
「神学史の授業でお話ししたはずですよ。その聖痕は、災厄によって滅んだ前王朝の前、神聖帝国時代の遺産でもあるのです。教会にとって、その痕跡を今に受け継ぎ御身に宿されていることは、特別な神のご意志であると考えられています」
うぅん。そういえばそんな話を昔されたような気がする。だが一千年以上も昔の前々王朝時代の話だなんて、もはや神話か創作かというレベルの時代の話だ。目に見えて痕跡がある以上、神秘には思うけれど、あまり神聖視されても実感には結びつかない。
「ええ。このように真の聖女様にお会いできるだなんて、夢のようです」
しかしやはり教会関係者にとっては特別なものなのだろうか。純粋無垢な聖職者達の視線が痛い。夢を壊すのも申し訳ないし……。
「こほんっ。まぁ……私のことは良いのです。それより、テシエ司祭はベルテセーヌ教区にあられるとか。ではアンジェリカ嬢をよくご存じなのではありませんか?」
暗に、だったら聖痕なんて珍しくないでしょう? というつもりで言ったのだが、テシエはチラリとアルセールを窺ったかと思うと、そわそわと何とも言い辛そうな様子でもごついた。何だろう、その反応は。
「聖女様は……その。アンジェリカ嬢についてご関心が?」
「ええ。私がベルテセーヌにいた頃にはお聞きしたことのなかった方なので、聖別の儀の前に知っておきたくて」
「聖女と目されている方のことを聖職者が安易に語るには多少問題はあるのですが……ここでのお話しを胸の内に閉まっていただけるようでしたら、お答えいたします」
よろしいの? とアルセールの方を窺ってみたが、アルセールは大丈夫ですよと言わんばかりに頷いた。
「聖女様の御下問に答えられぬような不届きな聖職者はおりません。それにテシエ司祭はそのためだけにここにいるのですから」
「それは……お言葉が過ぎるのでは……」
「いえ。テシエ司祭はプライベートで聖女様に会えるという言葉に惹かれて、ふらふらと上司に内緒でついてきてしまった物分かりの良い司祭なのです」
「ごほんっっ」
すぐさま咳払いをしたテシエを見ると、耳まで真っ赤になって口を引き結んでいた。
あぁ……なるほど。真面目そうな顔をしていながら、どうやらアルセールの口車にまんまと乗せられてここに着いてきてしまったらしい。それも、突っ込まれると困るような俗物的な内容で。
じゃあもう一人のエイデン助祭は……と視線をやると、「自分はアルセール司祭のただの忠実な付き人です」ときっぱり否定した。おかげさまでテシエの顔はますます赤くなった。
とはいえ有難い差配だ。聖女の肩書きを免罪符に、是非情報を吐いてもらうことにしよう。
「ではテシエ司祭。まずはお伺いしたいのですが、私が貴方から聞くことのできる情報の信頼性はどの程度なのでしょう」
「……はい、そうですね。およそどんなことでも、正確に近いことをお伝えできるかと」
「どんなことでも?」
随分と自信に満ちた答えだ。
「私は昨年度までベルシュール国立学院の神学教師をしていたのです。王太子殿下が婚約破棄なさった直前のことこそ存じませんが、アンジェリカ嬢の学院生活のこと、周囲の様子、教会で調べていた内情……どれもそれなりに精通しております。それゆえに、この聖別の儀の立会として指名されたくらいですから」
「……驚きました。アルセール先生はとんでもない方を連れてまいりましたね」
「私の人徳と聖女様のご声望のなせる業です」
アルセールは茶化すよう言ったけれど、きっと彼なりに今回の聖別の儀のことを考えた上での暗躍なのだろう。さすがに有能である。
「それではテシエ司祭。まずそのアンジェリカ嬢の出自なのですけれど、三、四年前、突如としてエメローラ伯爵家に現れ学院に編入してきた。それは間違いありませんか?」
「はい。アンジェリカ嬢は王国西部、私の所属する教会のあるアレステンからさらに西に半日の距離にある、エメローラ領の生まれです」
「エメローラ領内の出身なのね。それで、祖母が元王宮の女官であったとか」
その言葉には、テシエ司祭も物申し難そうな面差しで頷いた。さすがに王室のスキャンダルをはっきりとは口にし難いか。
「その……祖母君のお名前はジャニット・ヴィヨー騎士爵嬢。三代続く騎士爵家の生まれでしたが令嬢の他に跡取りはなく、ジャニット嬢は、その……先々王陛下の宮廷にお仕えしていました」
ふむ。せいぜい騎士爵家の令嬢であったとなると、国王の庶子を身ごもったとして、生まれた子は間違いなく教会かどこかに入れられているはずだ。なのにそうなっていないということは、身重を隠して王宮を退出し、密かに子を産んだということだろうか。
「アンジェリカ嬢のご生母は、アレット様といいます。市井に紛れてお過ごしであったところをエメローラ家の嫡子であった現伯爵と出会い、生まれたのがアンジェリカ嬢でした。エメローラ伯爵はアレット様の出自をご存知ではなかったと仰っているそうですが」
「騎士爵家というのは本来、武勲のあった者に王が与える一代爵位。王国近衛や国王直轄軍士官などに与えられることの多い爵位でしょう? ジャニットが騎士爵家の出身なら、彼女の家は王都ないし国境の要衝にあったはず。両方から離れている上に要地でも何でもないエメローラ領に騎士爵家の屋敷があったというのは不自然よ」
「は……確かに、言われてみるとごもっともです」
そもそも国王の行動はすべてが内侍の官によって徹底管理されている。国王が一体何処の誰と夜を共にしたのかもすべて記録されている。クリストフ一世本人の考えはともかく、王家の血が市井に流出することを厭うた周囲の王族貴族達は王の庶子について過敏になっていたはずなのに、その彼等が“把握できていない”というのはおかしい。
ジャニットが国王のお手付きであったことは周知のことだったはずだ。なのに突如女官を辞して、しかも王都を離れるだなんていう不可思議な行動を周囲が見逃すはずがない。
であれば、ジャニットの退官には誰かしら周囲の目をごまかせるだけの貴族が関与していたことになる。それが、エメローラ伯爵家だったのではないか。
そしてその伯爵家が保護していた“王の娘”は、伯爵家によって見守られていたはず。ジャニットがまだ生きていて、孫娘と共に平穏に暮らしていたというなら猶更だ。やはりこの一件は、元々計画的なものだったとみるべきであろう。
表舞台にも出ず、地方でひっそりと王家の血を受け継がれたクリストフ一世の孫娘。なるほど、突然ぽっと出てきて、しかし聖痕があったといわれると何やらとても神秘に感じられる。
「そのジャニットとアレットの二人はどうしているのです?」
「アレット様はアンジェリカ嬢が小さな頃に病気で。ジャニット婦人は四年前お亡くなりになられ、その知らせが、アンジェリカ嬢の存在が知られるきっかけとなったそうです」
それでは真相ももはや闇の中。エメローラ家の思惑は、今や伯爵本人しか知らないわけだ。
「参考になったわ。現状王家に直系の姫はおらず、私もベルテセーヌの籍を抜けていますから、傍系でも王の血を引く令嬢に聖痕が現れる可能性は皆無ではありませんわね」
「それでも教会は懐疑的です。王宮でお育ちであったブランディーヌ様などは殊更にそのようにお思いでいらっしゃるようです」
それはそうだろう。ブランディーヌにしてみればアレットだなんていう異母姉妹は存在も知らなかったはず。ましてや自分よりも卑しい母に生まれ認知もされていなかった庶子の中の庶子。なのにどうして聖痕が現れたのがアレットの娘なのか。どうして自分や、自分の娘ではないのかと懐疑心を抱くのは自然なことだったはずである。
「それで、そのアンジェリカ嬢自身はどのような御方なのでしょう? なんでも、とても爛漫とした性格だとは聞いていますが」
そう聞いた瞬間、何故かテシエ司祭は苦笑いになった。何やら見るからに、快からぬ感情を抱いていそうな顔である。
「あの……それほど?」
「これは失礼いたしました……つい」
“つい”ほど信用に足る物はない。
「聖職者たるもの。そう人を悪く言うものではないのですが」
「テシエ司祭のご感情ではなく、周囲がどう見ているのかをお尋ねしているだけですから、お気が咎めることもないかと」
「ええ、そうですね……そう。一言で言うのであれば、随分と“変わった”ご令嬢です」
それは、以前アンジェリカを見知っているという女性達から聞いたのとまったく同じ評価であった。
きっと最大限オブラートに包んだ言葉だったのだろうが、好意的な言葉の選び方ではなかったと思う。




