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5-24 裁断の時(1)

 ほどなくセザールが寄越した迎えの馬車に乗り、王城へ向かった。

 慣れ親しんだ道。華やかな街並み。道行く美しい馬車にざわざわと騒ぎながら集まる好奇心旺盛な王都の民達。その賑わいには同じ馬車に乗るフランカやイザベラが思わず声を上げるほどだった。


「ベルテセーヌは、なんというか……華やかですね」

「なんという人の多さ、なんという賑わいでしょう。私はヴァレンティンを都会だと思っていましたが、この様子を見ると、姫様がいつもヴァレンティンの首都を“(のど)()だ”と仰る気持ちが分かります」

「あら、そんな風に思っていたの?」


 それは初耳だ。てっきりみな同意してくれているものと思っていたが、ヴァレンティン人にとってはヴァレンティンの首都が都会だったのか。


「古くはここが帝国の中心だったのですよね。そう思うと不思議な心地です」

「遷都しているから、厳密には少し違うけれど」


 昔の帝都があったのはもう少し山の方、だなんて言っている内にも馬車は城門をくぐった。

 ヴァレンティンのフォレ・ドゥネージュ城は険しい山脈にへばりつくようにして、高く高く(そび)え立って威圧的だが、ベルテセーヌの王城は小高い丘なりに建っているとはいえ、高さは誇張されておらず、むしろ横に広くて雄大である。

 実際に城内を歩いているとヴァレンティンの方が広く感じるが、外から見る分にはベルテセーヌの方が広々として見えるし、敷地も広く見える。尖塔以外の建物はどれも三、四階で、一部が五階、中央だけが六階建てにはなっているが、全体的には低めだ。その代わり作りこまれた庭の広さも、綺麗に整えられた単一的なデザインも、厳粛な品格がある。

 だがこんな王城も、裏手の私的な後宮になれば、いくつもの華やかなものや可愛らしいものまで、大小さまざまな離宮が並び建つ。もやは城内が一種の町を形成しているといってもいい。リディアーヌも、いまだかつてこのベルテセーヌほどの規模の城は見たことがない。


 そしてここが……リディアーヌの、生まれ育った故郷だ。


 端々に感じる郷愁を仮面の下に隠し、やがて止まった馬車から出迎えてくれたセザールのエスコートで降り立つ。ジュードもいるけれど、彼は兄の復権がなるまではと自分の復権も拒んだので、今のところ王子の称号を持つのはセザールだけであり、賓客の持て成しもセザールが受け持っているようだ。

 とはいえここは東大陸ではなく西大陸のベルテセーヌだ。品性と貞節を重んじる国らしく、一度リディアーヌの手を額の上に掲げて最上級の挨拶をしたものの、そこからは過度なエスコートはせず、丁重に玉座まで案内を受けた。

 後宮育ちのリディアーヌはやはり城の表の方には詳しくないのだが、玉座の周りともなると見覚えどころか鮮明なほどに記憶に残っている。


 赤い絨毯を踏みしめながらふと立ち止まって壁を向いた視線に、ケーリックが「姫様?」と声をかける。急に虚空を見つめたものだから驚いたのだろう。

 だが忘れもしない……この廊下、この場所は、養父がリディアーヌを抱きかかえ去ろうとしていた時に、ブランディーヌとすれ違った場所だ。赤い唇で、淡紫の瞳の少女を連れながらニィと笑っていたブランディーヌの姿が、今も瞼の裏にしっかりとこびりついている。

 そしてこの厳かな大きな扉も。その先の光景も。忘れもしない。


「公女殿下……大丈夫ですか?」


 そうこそりと問うたエラニエ卿の言葉は、あの時の光景を知っているからこその心配の言葉だろう。生憎とリディアーヌはそれにすぐに答えることは出来ず、ただじぃっと扉を見上げると、自分を落ち着けるための長い吐息をこぼした。

 大丈夫でないわけではない。ただ少しだけ、この胸に湧き上がる怒りとも恨みとも知れない何かを抑え込む時間が必要だっただけだ。


「行きましょう」


 やがて声をかけると同時に、すっとマドリックが背中に手を添えてくれたものだから、少し驚いて隣を見てしまった。

 こんな気を利かせてくれる男ではなかったはずだけれど。

 いや……そうでもないか。彼は小さな頃の、何もかもに脅えたようにしてこの国へやって来た兄とリディアーヌの、最初の先生であり最初の友人になってくれた人だ。その時のような不安をリディアーヌに見て取ったのかもしれない。

 その手に安心と安定を促されながら、開いた扉に足を踏み出す。


 何も変わらない。ヴァレンティンの謁見の間などとはまた違う、広々として厳かな玉座。深紅の絨毯と深紅のタペストリー。グリフォンの旗。大きな窓にかかった重厚なカーテンと、大理石の柱の陰に並ぶ貴族達。長い階段の先の大きな玉座と、そこにふんぞり返った“簒奪者(シャルル三世)”。

 一歩、一歩と歩を進め、かつて、死の香木を纏い呆然と佇むことしかできなかった王女のいた場所を、カツンとヒールを鳴らして踏みしめる。

 謁見に来た公女の立ち位置としてはもっと歩を進めてもいいのだが、あえてその場所で足を止め、紫紺のマントをたなびかせてドレスをつまみ、最低限の挨拶の所作だけをしたリディアーヌに、誰からともないホゥという感嘆の吐息が響いた。

 ここにはもう、ただ俯いて言葉を失っていた王女はいない。


「ご挨拶を申し上げますわ、ベルテセーヌ王シャルル三世陛下。この度は来訪をお受入れ下さい有難う存じます」

「よくおいでになりましたわ、リディアーヌ公女」


 王に向けた正式な公女の挨拶に、あろうことか一人の夫人が堂々と貴族たちの列から出てきて前に立った。

 ブランディーヌ……相変わらず、厚顔無恥にもほどのある。

 だがこんな無礼を働いていながら、王は咎める言葉に空気を()ませ、ただ仕方なくため息を吐くことしかできないのだ。これが、リディアーヌの去った後のこの国の現状である。

 だがそれが外交的に無礼であることに違いはなく、たちまちマドリックがさっとリディアーヌの前をかばって睨み据えたものだから、びくりとブランディーヌの足も止まった。

 その視線が(いぶか)しそうにマドリックを見ている。

 もしかして、以前クロイツェンで会ったフィリックと同一人物なのかどうか混乱している? だとしたら少し面白い。


 そんなことを思いつつ、ブランディーヌの隣を素通りして再び国王を見上げ、「もう一度ご挨拶が必要かしら?」と問うたなら、たちまち貴族たちの間に緊張感が走ったのが分かった。

 この国ではこんな風にあからさまにブランディーヌを無視する人はいないだろう。ましてや、リディアーヌのかつての素性を知っている者にとってみれば十分に驚くに値する行為だったと思う。だがリディアーヌはヴァレンティン公女だ。一介の候爵夫人に足と言葉を止められる理由も必要もない。

 そうと察した国王も、ごほんっと咳ばらいをすると、改めて胸を張って見せた。


「失礼をした。まずはよく来てくれた、ヴァレンティン公女。余は栄えある選帝侯家の公女にして我が義姉に連なる姫の来訪を心より歓迎する」


 そう言って慣例通りに上座に招く言葉を受け、玉座の一段下の空間に設けられた貴人のための椅子に向かう。椅子にはマドリックがエスコートしてくれた。すぐ後ろにはエリオットと並んでエラニエがいつになく威圧的に立つ。彼にとって、この場は戦場なのだ。

 残されたブランディーヌがかっとした顔でこちらを視線で追っていることには気が付いていたが、すかさず歩み出たオリオール侯爵が「宰相を務めております、オリオールと申します」と自己紹介を装い夫人にも挨拶をさせることで、上手く貴族の列に夫人を引き取って行った。実に手馴れているから、ブランディーヌのこの振る舞いは決してこれが初犯ではないのだろう。


「同じく、エメローラ家のアンジェリカが国王陛下にご挨拶申し上げます。昨年、領内で襲撃を受けたところをアルテン王国の王子殿下にお救いいただき、ヴァレンティン公国の公女殿下に庇護いただいておりました。帰国が遅くなりましたことをお詫び申し上げます」


 続いて、兄に連れ添われながらも立派に淑女の礼を尽くし堂々と挨拶したアンジェリカに、ざわりと貴族達が声を上げた。

 そうだろう。そうだろうとも。もう、昔の貴族の作法を知らず、皆に小馬鹿にされていたアンジェリカはいない。皆もあまりにも変わっていたアンジェリカにすぐには気が付いていなかったようで、もれなく一度下げられたブランディーヌ夫人の目がみるみる激しさを帯びて見開かれるのを見た。今にも手の持つ扇子が()ぜそうだ。

 セザールは、貴族達をリディアーヌとアンジェリカの二人を餌に釣るつもりだといったように話していたが、どうやらブランディーヌはアンジェリカが帰国していることは知らなかったらしい。おそらくセザールなりダリエルなりが上手く流すべき情報とその相手を操作していたのだろう。おかげでいい顔が見れた。


「ほぅ……これは見違えた。どうやらヴァレンティンで随分と良い経験を積んだようだ」

「恐れ入ります。公女殿下のご指導の(たま)(もの)でございます」

「公女、我が国の聖女が世話になった」

「とんでもございません。私はただ信心のままに、傷つき困っていらした聖女様に手を差し伸べさせていただいたまでのこと。むしろこちらの情勢に合わせて、早くお国に帰りたがっておられたアンジェリカ様を長く引き留めてしまったことをお詫び申し上げますわ」

「事情は聞いている。アンジェリカ嬢、ご苦労であった」

「恐れ入ります」


 粛々と頷いてすすっと頭を下げたまま貴族の列に戻る仕草を見せたアンジェリカに、国王もさっと手を上げる。それを受けて、兄もろともに貴族の列に下がって行った。

 昔ならクロードの婚約者だからと何も考えずに上座に登っていたかもしれない。そんなころとはかけ離れた所作に、ますます貴族たちの中からはざわめきが上がったようだった。


「して、公女。こたびは大公閣下からの書状を持ってまいったとか」

「ええ。お受け取り下さいませ。マドリック」

「はっ。ヴァレンティンに血を連ねます、議政府文官マドリックと申します。ここに、大公殿下からの書状をお納めいたします」


 そうリディアーヌの後ろに控えて告げたマドリックの言葉に続けて、緊張した面差しのケーリックが持ってきていた書状を恭しく献上する。それを受け取ったセザールが階段を上り、国王の侍従に手渡すと、彼もまた二段目へと戻ってリディアーヌの向かいとなる場所に控えた。王子とはいっても、いかにも名ばかりですといわんばかりの場所である。この立ち位置と集まっている貴族達の様子を見れば、おのずとこの城でセザールが置かれている立場というのがよく分かった。

 国王の後ろには見覚えのある顔の侍従や騎士が二人、三人おり、先んじて貴族の列に並んでいたオリオール侯爵は宰相として上座に上がったので、下座の先頭はブランディーヌだ。

 そのすぐ隣は、これもまた懐かしい顔の、べランジュール公爵殿下だった。クリストフ一世陛下の弟の家系であり、現在の王家の筆頭分家筋に当たる。先代の公爵は隠居した身なのでここにはおらず、立っているのはその息子、二世王として叙されている現公爵だ。シャルル王の従兄、リディアーヌ王女にとっては従叔父。ついでにマドリックの妻の父に当たる。

 元々現王派というほどの人物ではなかったはずだが、昨今は反現王派である父先代公爵に比べるとかなりブランディーヌなどとも近くなっているという噂だった。その視線が、今はひときわ鋭く、“亡き王女”と瓜二つの公女を凝視している。

 その周囲にも見知った傍系王族の顔が有り、次いでラジェンナと同じ色の髪の大柄な男性を見つけた。おそらくあれがマイヤール侯爵だ。反対の位置の筆頭にいるのはメディナ妃だった。王妃ではないので上座には上がっていないが、アグレッサ妃が弾劾されている今、最高位の妃として先頭に立たされているのだろう。


 ラジェンナ嬢はリディアーヌとともにセザール達と合流して以来、このメディナ妃の里宮にお世話になっていた。なので今はメディナ妃の傍に、(かくま)われるようにして立っており、そんな行方不明だったはずの娘の姿をマイヤール侯爵が食い入るように睨んでいた。きっと今頃、マイヤール候の心中はブランディーヌよりも荒ぶっていることだろう。

 メディナ妃の隣はアンザス候だ。記憶の中よりもずいぶんと老けたようだが、表情を読ませないいかめしい面差しは昔のままである。であれば隣がネルヴァル伯爵や、その身内に連なる貴族達だろう。

 シビーユ伯爵は……やはり、オリオール家の近くだ。ただオリオール家の末っ子のマリシアンはなぜかエメローラ家のダリエルの傍にいる。アンジェリカからも、彼が随分とクロードのために立ちまわっていたらしいことの話は聞いていたが、こうもきっぱりと実家と距離を置いているとは思わなかった。ダリエルは当主代理としての出席なのか、傍にエメローラ伯爵本人の姿は見えない。

 他にも見知った顔、見知っていない顔がぞろぞろと並んでいる。まだこれでも貴族のすべてというわけではないだろうが、およそ確認しておきたい顔はすべて確認できた。皆、実にのこのこと素直に出てきてくれたもので有る。それほど、“リディアーヌ”を見たかったのだろうか。それが、自分達を断罪しにきた者とも知らずに。

 そんなことを思っている内にも、フゥと息を吐いた国王が書状から顔を上げた。

 随分と顔色が悪いが、お養父様は一体何を書いて寄越したのかしら。まぁ、ろくでもない内容なのは間違いないだろうけれど。


「内容は相分かった。直ちに対処に当たることとしよう。セザール」

「はい」


 再び階段を上がったセザールが書状を受け取ると、丁寧にまとめて書記官の持つクッションに乗せる。実務はセザールが代行していると示しているも同然の仕草であるから、立ち位置とは裏腹にセザールの存在感は大きくなっているのだと分かる。あのアンザス候の満足そうな顔よ……。

 だが本題はここからだ。






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