5-12 川上の町(2)
その後、もう少し仮眠をとっておこうということでラジェンナと交互に番をしながら休むことにした。先にラジェンナに休んでもらい、後でリディアーヌが休んだのだが……粗末なベンチに毛布にくるまって横になってしばらくして、ラジェンナが何度も手紙をしまったリディアーヌのポーチに手を伸ばそうかどうしようかと悩んでいる様子に気が付いた。
多分、手紙に捺されていた濃い赤とか青とかの、いわゆる“禁色”と言われる色味の蝋が気になったのだろう。だからもしかすると盗み見ようとするかなと、寝たふりをして警戒していたのだが、結局ラジェンナはポーチを取ることなく、ローブにぎゅっとくるまって夜を明かすことにしたらしい。
これにはリディアーヌも信頼が募った。気になっただろうに。それを堪えて、リディアーヌ達からの信頼を優先したのだ。
それから夜明け前に馬に荷積みを終え、出立した。三頭いた馬の内二頭はククとケーリックが連れて行ったので、残るは一頭だけだ。荷物も乗せているので二人乗りするには忍びなく、リディアーヌとラジェンナが交互に乗ることにして、ゆっくりと目的地に向かった。
村を出てすぐ本道に戻りしばらく道なりに進んだところで、山の方から流れてくる川を渡った。この川に支流が合流してゆき、ほどなく大河となると、大河はこの先、緩やかな平野部へと流れ込み、パンテール、王都、そしてベルテセーヌの北東部へと注ぎ込むのだ。
そんな大河沿いを進み始めてほどなく、目端にチラチラと山の中に青い屋根が見え始めた。まだ距離があって分かり辛いが、数棟が連なった大きな建物で、屋根の形がベザリウス城館建築風だからよく目立つ。パンテールの代官の館というには場所も方角もおかしい。ククの言っていた“荘園”とやらの辺りだと思うのだが、あれは何だろうか。
情報収集がてら、道沿いの麦畑で働いていた農民にあれは何かと問うてみたら、「ありゃご領主様のお屋敷で」と言われた。王都のすぐ傍は直轄地、ないし王族の領地であるはず。だがこの辺りを誰か王族が領有していたという記憶もない。そう思っていたら、別の農民が「ここだけの話、王子様のご荘園があるんですよ」と言うから驚いた。
どの王子様なのかは農民達すらよく分かっていないようだったが、おそらく国王が、最近王子として叙されたセザールか、罪科を取り消されたジュードかに、便宜上の小さな土地を与えたのだろう。本来ならもっとちゃんとしたまとまった土地を与えて、何々公爵殿下などと土地に因んだ爵位を賜与するべきなのだが、そういったことがあったとは聞いていない。なので本当に、ただの便宜上、名目上の荘園なのだ。
そんな荘園領主の館を見ながら道なりに行くと、やがてその館も間に横たわる山影で見えなくなった。そのくらい山に近づいたところで、大河に合流するやや大きな支流の上流側に見えてきたのが、目的の村だった。
上流はさらに二股に分かれており、町はその西側の川の形に合わせて円形に道が敷かれていた。いくつか粗末な家もあるが、中心には比較的綺麗な建物も並んでいる。基本的には木造だが、遠目に見える煉瓦の建物は村長の家か、集会所の類であろうか。思っていたよりちゃんとした村だ。
とりあえず馬を下りて村の入り口に向かう。ケーリックはどこだろうか。
一応門番らしき男が座っていたので、「こんにちは」と声をかけると「朝来た旦那のお連れさんだろ? 兄さん、川の方へ涼みに行ったぜ」なんていいながら中に促してくれた。この様子だと、日頃から客の出入りがないわけではないのだろう。
村は表と西側にこそ簡単な柵があったがに川に面する北と東には大した囲いはないようで、道も途中からは整備されているというよりはただ踏み均されているだけの道となった。ほどなく川辺に至ったところで、背の低い木陰で木を削って木工細工の真似事をしていたケーリックと合流できた。
二つの支流の合流地点のやや下流だ。支流が結合する前の三角地帯に向けて二つ粗末な橋が架かっており、また支流が合流した後のもう少し下流の方にはやや立派な橋が架かっている。この中間にあたる川縁は土が固まり道の形がはっきりしているから、日頃から村人達が生活のために使っているのだろう。
「お嬢様……」
「今更そんな、やっぱり来てしまったんですね、みたいな顔をしても無駄ではなくて?」
「分かっていますが、来てしまったんですね……と言いたくなるんです。万に一つにも気が代わって、パンテールに向かって下さっていたならと……」
そう苦言をこぼすケーリックに、「そんなことより状況は?」と説明を求めたら、小さくため息を吐かれた。もうそのくらいじゃ何一つ気にならない。
「そこの二つの川が合流する手前、間の三角地に小屋があります」
ここから上流を見ると、二つの支流の間の少しだけ森を切り開いた場所に一つの粗末な倉庫のようなものと、やや離れて小屋が一つあった。
村の中心はもう少し下流で、合流後の橋の方が一般的に使われているようなので、こっちの小屋は村はずれに当たる。おそらく地元向けの小さな木こり小屋か、あるいは狩猟小屋の類なのではなかろうか。
「ククの言っていた小屋はあれのようです。あ、ククの方ですが、今朝鳥小屋に立ち寄った際にパンテールに入ったという報告が届きました。私はパンテールの町を良く知らないのですが、上町西外番街という所の城壁沿いの酒場が拠点になっているようだとか」
「パンテールは川を挟んで上町と下町があって、上町の東側が代官所や高価な店、西側が一般向け、下町は南部の農村の人達のための町になっているんです」
そこに自分の出番だとばかりにラジェンナが説明をしてくれたので、リディアーヌも口は挟まず、ただ「城壁沿いというと大体どの町でも一番治安の悪くなる界隈ね」とだけ言っておいた。
「それでこっちの小屋ですが、今朝から見ている限り、すでに六人が出入りしています。内二人は少し前に篭と鍬のようなものを持って森に入りました。ちょっと山菜を取りに、といった風ではありませんでしたね」
「あの小さい小屋に六人? 何をしているのかしら」
こちらから小屋が見えている以上、あちらからも見えているだろう。出入りしている人影はないが、一応旅人らしさを装うべく、馬から荷を下ろす。すぐに気が付いたケーリックが代わってくれて、荷をまとめるのは任せて馬を川べりに連れて行って水を飲ませた。
特に防波堤のようなものもなく、水深も反対側ほどは深くない。集落側の川は細いので、水害などもないのだろうか。
「集落自体に問題はないの?」
「ええ。ほとんどが木こりや木工細工を生業としていて、あとは鍛冶と炭焼き、煉瓦焼きなどをしている一般的な集落です。朝には村人の大半が下流の橋を渡った先の伐採所や製材所へ出かけました。上流の方で切り出した木材を川で運んで、下流で木材に加工して、そのまま舟でパンテール、王都へと運ぶのだそうです。煉瓦や炭も舟運しているようです」
なるほど。ベルテセーヌに住んでいた頃、“パンテール木”や“パンテール煉瓦”という名前を聞くことがあった。パンテールの木工細工は庶民向けだが、パンテールの欅は良質な家具材として好まれており、またパンテール煉瓦は珍しいアイボリーカラーの淡い色合いが特徴的で、城内でも庭園などに用いられていた逸品だ。どうやらパンテールというよりその周辺のこういう村で作られていたものだったらしい。
「あの小屋にいるのは村人ではないの?」
「村人によると、近くの荘園領主のための舟運と木工細工の依頼をこなすためにしばらく貸してほしいと言われ、貸しているのだとか。元々使われていない小屋だったそうです」
「その荘園領主の話は私も道すがらに聞いけれど、どの王子の荘園ですって?」
「この町の人達はジュード殿下だとおっしゃっていましたが、セザール殿下ではないかと。村人から聞いた荘園のできた時期を考えると、ジュード殿下のご復権前だと思います」
「ジュードの英雄譚が広まっているせいで、安易に結びつけてしまったのかしら」
「あるいは、ジュード殿下のお傍付きの方が何度かこの辺りの街道を行き来したのを見た人がいるとも聞いたのですが」
「お傍付き?」
何の話だろうか。お傍付きという言葉の定義がまずよく分からないのだが、いわゆる側近のことだとして、リディアーヌが知っているジュードの側近は今のところアンジェリカの兄であるエメローラ領主代理ダリエルだけだ。
エメローラ領は王都の西、山を越えた先にあるので方角としては間違っていないが、王都からなら普通にパンテールを経由して大川を遡って行けば近道になるし、大きな街道もある。わざわざ丘を上り下りして、こんな辺鄙な村を経由する理由はない。
「遠目に見えていた館がここからは見えないけれど、その荘園とやらとこの村は近いのかしら?」
「その辺は先程の鳥匠に聞きました。道沿いに行くとそこそこ遠く、この村から本道に出て、本道の製材所を通過して少し行った先の分岐から山道を登ってゆくか、あるいはパンテールまで行って、パンテールの北口からだと比較的なだらかな道だそうです」
だったら、荘園領主のための舟運基地というにはおかしくないだろうか?
そう思ったリディアーヌの顔を見たケーリックが、「地図はありますか?」と問うたので、携帯していたポーチから地図を出した。そこに、ペンを取ったケーリックが昨晩鳥匠が書き入れた荘園の位置の黒丸に向かって、先程言っていた山の中への道とパンテールからの道を書き入れた。さらにケーリックはこの村を示す黒丸の傍に二股に分かれる川の上流を書き込んで行く。それを見てはっとした。
「もしかしてこの村の東側の川は、荘園の近くから流れて来てる?」
「どうやらそのようです。なのでそこの小屋から上流の方へ舟で資材を運べば、あるいは荘園領地の近くまで、比較的簡単に運べるのではないかと」
つまり、利には適っているわけだ。
「ラジェンナ嬢が耳にされた話では、目的はジュード殿下なのですよね?」
「はい。私はそう聞きました」
「荘園はセザール殿下の名義かもしれませんが、あるいはその館にジュード殿下が滞在なさっていらっしゃるのかもしれません。だとしたら……」
「あの拠点は随分と怪しいわね」
ジュードなら、城を避けて郊外に居ついていると言われても違和感がない。王都からほど近いが郊外の隅にあって、最近セザールの物となったらしい人の少ないであろう小さな館……聞けば聞くほど、ジュードが気に入りそうではないか。そうと知っている誰かがジュードを狙って、あの小屋を借り受けているとしたら?
「ククは慧眼だったわね。あの小屋のことは是非調べておきたいわ」
「ただ五人も六人も相手にはできません。少しでも人が減ればと思い待っていたのですが」
なるほど、と頷いたところで、折よくぞろぞろと小屋から男達が出てきたものだから、慌てて背中を向けて、芝生に地図を広げてくつろいでいる旅人を装った。幸い馬達が呑気に川で水を飲んでくれているので、旅の途中には見えているはずだ。そんな馬の影から、こそっと様子を伺う。
「三……四……五人ですね」
「どこに向かってる?」
「川の方に向かっています」
まさかこっちに下ってくるかしら? とも思ったが、どうやら小屋の奥の川の、橋よりも上流の方へと小屋の中から運び出した荷物を置いていっているようだ。やはり目的地はここから川を下ってパンテールではなく、川を遡って丘の上の荘園なのか。
「あの箱の大きさは、荘園領主様のための木工細工、なんてものではなさそうですね。六、七、八……結構な数ですよ」
「どうするつもりかしら?」
「隣の倉庫は……あぁ、馬ですか。ということは、舟曳きでしょうか」
「森と橋で、村人からは何をしているのか見え辛い。それでいて、荘園領主のための舟運という当初の申告通りの行動のようにも見える。ククの追った男達が立ち寄っていなければ、私達もなんらおかしく思わず見過ごしていたところだったわね」
お手柄よ、とラジェンナを向くと、ラジェンナは少し恥ずかしそうに口元を緩めた。
「箱の形からして、武器には見えないけれど」
「よく見かける野菜箱ですね。木工細工が入っているようにも見えません」
そう警戒していると、不自然にならないよう馬を撫でていたケーリックが、おろしていた荷物を拾い上げる所作をしつつ、「男が見てますので気を付けてください」と忠告した。
と言っても近づいて来ているわけではなく、ただ警戒されているだけらしい。なので当たり障りなく、またアルテン語を交えながら雑談をし、ついでにずっと座っていてもおかしくないよう、ケーリックが渡してくれた包みを開き、残りのドライフルーツに手を伸ばした。このせいで、ククの持ち物だったのにククの分が全部消えた。うむ、美味しかった。
そうしている内にも、「おい、どうした。そろそろ出るぞ」なんて声がすると同時に視線も逸れていった。少しヒヤリとしたけれど、今更戻って問い詰めてくるなんてこともあるまい。ほどなく、荷物を運び入れた男達が二舟と馬とを繋ぎ、ぞろぞろと川を遡り始めた。
しばらくはそのまま舟が遠ざかるのを横目に眺めていたが、しばらくして森の影に隠れて見えなくなってゆく。上流に向かって馬と人力で舟を逆流させるのは中々の重労働だから、出発すると、もう彼らが再びこちらを振り返ることはなかった。




