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5-6 民の声

 翌朝、鳥小屋に向かったケーリックは、なぜかやつれた様子で馬と多くの荷を持って帰ってきた。どこでどう情報を得たのか、それともただ用意周到だっただけなのか、鳥小屋に行くとすでに必要なものがすべて揃っており、何も言わずに「どうぞ」と渡されたのだそうだ。

 さすが、うちの諜報員達は優秀である。


「これ、馬?」

「見た目は馬です」

「なんか目の周りに(うろこ)付いてない?」

「……竜種との混血実験が行われた、少し丈夫な馬だそうです」

「有難いけれど、人目に付いたら問い詰められそうな危ない品を押し付けられたのではなくて?」


 そんなことを言いつつ、普通の馬より大柄で、いかにもいかめしい真っ黒な馬の毛並みを整え、おかしな部分が見えないよう配慮しておいた。目力が明らかに竜寄りなのだが、こればかりは隠しようもない。


「今更ですが、お嬢様、馬には乗れるんですか?」

「カレッジで履修して以来よ。まぁ乗って歩かせる程度は大丈夫だと思うわ」


 そんな返答にケーリックは少し不安そうな顔をしたが、思いのほか大人しい気質だったらしい馬は不慣れなリディアーヌをちゃんと乗せてくれたし、それに竜種の影響があるのか、背中ががっしりとしていて馬より揺れず、乗りやすい。

 速度は普通の馬とそう変わらなかったが持久力はずっと高いようで、それなりに荷物を積ませても速度が落ちることはなく、馬よりはるかに遠くまで進めた。人を乗せなれているのを見るに、日頃は鳥小屋周辺の諜報員が他の町に情報を伝達する際なんかに用いられていたのではなかろうか。

 ただやはりできるだけ人目にはつかずに行きたかったので、朝と夕に移動して昼は道をそれた場所で休憩し、夜遅くから明け方までは宿に泊まるといった行程で進んだ。竜ほどではないがただ馬で行くよりは早く、六日が過ぎる頃にはウィアラット山脈の東西の切れ目に至り、山に入れた。


「検問が厳しくなっているようですね」

「南西鎮守の(はた)だわ。東西の要地だから、ジュードが手配しておいたのかしら」


 山の手前には厳重な関所が設けられており、そこには結構な数の駐屯軍がいた。どうやら南東部方面に不穏な情勢があるため通行に気を付けるようにとの喚起もなされているらしく、道行く商人達の中には「やめておこうか」「もうしばらく待つか」などと山越えを考え直す様子も見受けられた。

 深くフードをかぶり馬の()(づな)を引きながらひっそりと町中を行き、町はずれ過ぎず、かといって関所からも決して近くはない適当な場所に今夜の宿を定めて馬を預ける。そうしたら情報収集がてら、人が多く集まる場所で夕食をいただくというのが、ここ数日のリディアーヌとケーリックの日課になっていた。

 この日は話し合った結果、関所よりの大衆酒屋に向かった。日頃はケーリックが酒場は危険だからと言って食堂の類を選ぶのだが、今日ばかりはケーリックも酒場を選ぶことに同意した。この数日、立ち寄った食堂ではすでに代わり映えしない情報しか集まらなくなり始めていたし、それに今回は駐屯している南西鎮守の兵達からの声を拾いたかったからだ。

 それでも念のために目立たない席を選び、リディアーヌを奥の席に、体の大きなケーリックがそれを隠すように背を向けて座った。この数日でケーリックの危機管理能力が飛躍的に向上し始めている気がするのは気のせいではないだろう。


「やっぱりこのまま、また戦いになるのかね」

「南東部の穀倉地帯に被害が及ぶのだけは勘弁してもらいてぇよ」


 近くの商人達のテーブルでの会話と。


「あたしはダラの酒場でジュード様にお酌をしたことがあるのさ。もうそりゃあ、見るからに雰囲気の違う色男でさ」

「俺は一緒に飲んだことがあるんだぜ!」


 逆のテーブルに集まっているのは村人達のようだが、地元の民か、あるいは南西鎮守からここに駐屯する辺境軍目当てに商売をしに来ている人達だろうか。ジュードという名前が出てきたことで、ついリディアーヌも視線を引かれてしまった。

 そんなに凝視したつもりはないが、だが向けた視線の先で多少(みだ)らに見えなくもない恰好の女性がパチリと目を瞬かせてこちらを見た。思わず視線が合ってしまった。


「おや、お嬢ちゃんも気になるかい? 今やこの国の英雄ジュード様だからね!」


 女性は彼と関係があったことを誇りたいのか、声高にそんなことを言う。おかげで自然と周囲からの視線が集まってしまいケーリックが警戒する様子を見せたが、指先でテーブルをコンコンと叩いてそれを(いさ)めた。


「私達、アルテンからの旅行者で、つい先日ベルテセーヌに来たばかりなの。この国の英雄って?」


 そう何も知らないふりをして問えば、「何、知らないのか?」「そりゃあいけねぇ」と、皆がこぞってその人の英雄譚を語り始めた。

 いわく、ある日突如として南西部に現れた妙に俗世離れした一兵が瞬く間に出世街道を駆け上がっていった話に始まり、それが実はこの国の王子様で、迎えに来た貴族の領主様を窘め、混乱に見舞われかけていたこの南西部を瞬く間に救った快進撃まで。

 多分かなりの脚色がなされている上に、ただの領主代行のダリエルがどこぞの大領主になっているなど細かな間違いは多々あったのだが、とりあえずこの辺りの人達、とりわけ南西鎮守の兵達にジュードがどれほど慕われているのかというのは一目瞭然だった。


「聞けばジュード様をお城から追い出したのは今のお妃様だったっていうじゃないか」

「王様はそれを知るや否や即座に王妃様を閉じ込めて、前の王妃様を虚しく無くされた事を大層悔しがっておられるとか」

「なんだい、ちょっと可哀想でもあるさね」

「それを暴いたってんだから、さすが、“宰相様の奥方様”だよ」


 そんな言葉にはさすがにピクリと眉が動いたけれど、ほどなく「いやいや、宰相様の奥方様は国を騒がしていやがる連中の味方だろう?」と、離れたところにいた兵が突っ込んだ。


「ん? そうなのかい? でも王妃様を捕まえたのは宰相夫人様だって、俺は東の方でそう聞きましたがね」


 どうやら山の向こうからこちらに超えてきた商人だったらしい。その言葉には兵が(いきどお)ったように、「そんなまさか!」と声を上げた。


「王妃を(てき)(はつ)したのは第三王子殿下だぞ。俺はジュード様から直接指示を受けている部隊長から聞いたんだ、間違いない!」


 そうか? そうなのか? とざわつく様子をさっと見まわし、なるほどと息をつく。

 さすがに南部は王都から離れているため、情報も(さく)(そう)しているのだろう。それでも少なからず南東部では、ブランディーヌが正義のごとく語られているらしいことは見て取れた。

 それに気になるのは、この辺りではオトメールのように“ヴィオレット派”という名前が出てこないことだろうか。反乱軍という言い方はされているが、具体的にヴィオレットの名は聞かず、ヴィオレットとブランディーヌを結びつけるような物言いも聞かない。南東部では、王妃アグレッサを追求したこともブランディーヌの手柄のようになっているようだし、南東部が反乱軍の温床という認識すらないのかもしれない。実に危険なことだ。


「そろそろ帰りましょう、フレイ」


 皆が意見の言い合いに白熱しだしてこちらから目が逸れたのをいいことに、お金を置いて席を立った。巻き込まれないうちに去った方がいい。

 ケーリックも頷きこそこそと店を出たところで、偶然歩いていた二人組の兵の後ろを行く形になった。


「一体王都はどうなってるんだろうな。ここの所、支団長からも指示がないというし」

「馬鹿、もう支団長じゃないだろ。ジュード様は王国の兵権を任されたっていうじゃないか」

「それで俺らを見捨てるような人じゃない」

「当たり前だろ。それに……ここだけの話。俺、この間、軍団長が話してるの聞いちまったんだけどよ。ゆくゆくはここから俺達、南西方面に派遣されるってよ」

「……まじかよ。じゃあ……」

「戦争だな」

「……」


 ふぅ、と吐かれた吐息は、どういう意味の吐息だったのか。

 見捨てられたくはなく、南東辺境軍であることに誇りを持ち、この地の平穏をもたらしたことに矜持と自信を得ている。かといって更なる戦いに赴かねばならないということには、不安と恐怖が勝るのだろうか。

 思わず沈黙を享受した二人は、やがて、「まぁ、ジュード様の頼みなら俺は行くぞ」「俺もだ」なんてことを言いながら、肩を叩き合いつつ宿所の方へと折れていった。

 それを見送りながら、思わずリディアーヌは足を止めてしまった。


「姫様……」

「……」


 ケーリックが気遣わし気に声をかけてきたが、答える言葉が思いつかない。

 次に彼らが戦うとしたら、それはベルテセーヌの南西方面軍。反乱軍と言われればまだ納得できるが、民の間でもまだそれがどういう物なのか、善悪も定まらずにいるのだ。それに不安を抱くのは無理もなく、それに部署は違えども同じ鎮守軍だ。気が進まないのは当然であり、リディアーヌとてそれには奥歯を噛みしめずにはいられなかった。


 ここまでの道中、いろんな人々の声を聴いた。

 英雄譚の裏で死んでいった同僚を想い、あくる日の自分の運命に恐怖する兵達を見た。定まらずにいる情勢に憂えたり、いつ徴兵令がくるのかと脅えている民もいた。反乱の煽りを受けて怪我を負い、今もそれを引きずっている家族がいた。あるいは、リディアーヌにとってはちっとも平穏ではなかったはずのかつての王朝時代を良い時代であったと懐古する老人にも会った。


『家と国を掻き乱して、って……公女殿下がどんな私の噂をお聞きになったのか分かりませんが、私、そんなことはしていません!』

『国を掻き乱したのはクロード殿下の方です。それに私が殿下の廃太子を当然と思うのは、殿下が王に足るような人物だと思っていないからで、むしろ故郷を思ってのことですっ』


 国民のため、貧しい人のためと言ってリベルテ商会を起こしたらしいヴィオレット・オリオールは、今のこの状況をどう思っているのだろうか。


『非情だと……仰いますか?』


 罪悪感たっぷりに憂えて見せていたあの日を思い出すと、今でも胸の奥底の焦げ付いたような暗い感情が(くすぶ)る。


『私なりに、アルの隣に立るにふさわしい妃として、認められたいと努力しているんです』


 つまり今のこの状況が、アルトゥールのためにと努力した結果なのだろうか。

 くくっ、それはいい。それは見事に彼女の望み通り、リディアーヌが愛おしかったはずの友人から心を離す理由になり得る。この心を空しくさせるのには十分すぎることだ。


「ケーリック」

「……はい、姫様」

「貴方には迷惑な道行きかもしれないけれど、それでも私はやっぱり、ここへ来て良かったと思うわ。この目で見て、この耳で聞けたことを、良かったと思う。宙に揺れていた後ろ髪を引くような郷愁が、どんどんと汚れ、重たく、固まってゆくのだもの」

「……」


 彼はハイともイイエとも言わなかったけれど、熱さのうだる山間の重たい夜の空気に、この思いはじわりじわりと地面に溶け込み、落ち着いていくかのようだった。






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