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5-5 鳥小屋

side ケーリック / side リディアーヌ

 ケーリックが自分の部屋に運び込まれたお湯でさっさと体を拭いている内にも、隣ではざぁざぁと盥に湯を注ぐ音に続いて、姫様の「服を脱がせてちょうだい」という声が漏れ聞こえてきた。聞くからにお姫様の発言で、驚いたらしい女の子達は何をどう思ったのか、面白がったように「かしこまりました、お姫様!」だなんて言ってきゃっきゃしている。

 あの方は、隠す気があるのだろうか……とりあえず後ほど、宿屋の壁は薄いので声量にお気を付けください、と忠告しておこう。

 このまま目を離すのも不安なのだが、しかしフィリック様に取り立てられた文官として、ここで何もせずそわそわしているだけというわけにはいかない。すぐ取り出せる場所に下げていた筆記具箱から小さな紙とペンとインクを取り出すと、急ぎ『銀花は山を越えた港町に咲く。犬を一匹連れ添う』と記して折りたたんだ。我ながら情けない文言である。

 隣で女の子達が「うわぁ、お姫様、綺麗!」「髪、きらきらしてる!」だなんて騒いでいたから、あぁ、ウィッグは外されたのか……なんて多少不安になったのだが、まぁお姫様だから仕方がない。その騒ぎを利用して、音をたてぬようひっそりと部屋を出た。


 町の構造はよく知らないが、奥に見えている居城はこのオトメールの代官所だろう。そこから港側に通りを三つ。南へ二つ。尖塔を回って広間を一つ抜けた先の石畳の小路地に入り、階段を下りて西側の三つ目……辿りつ空いた先の木の扉に、緊張した面差しで手をあげる。

 大丈夫だろうか。本当にここで間違っていないだろうか。

 そう躊躇っていたら、「どちらさんで?」と、思いがけず扉の上の二階の小窓から声をかけられた。顔を出していたのは、この港町の小麦色に日焼けした肌も頑強な体格も持たない、白い肌の華奢な男だ。その肩には大人しく、白い鳥が止まっている。

 間違っていない。目的地はここだ。思わず緊張に喉が鳴った。


「突然すみません。ここで買い取っていただけると聞き、“青豆の配達に参った”のですが」


 一度も使ったことのない合言葉なるものを口にしたら、少し目を瞬かせた男が「今開けます」と窓から顔をひっこめた。

 はぁ……緊張する。まさかまだ公女府の正式文官になって間もない自分が、先人の教えも受けずこんな経験をする羽目になるだなんて。


「兄さん、見ない顔ですが、新人さんで?」

「いえ……ちょっとした訳ありで、今日船でこの町に来たばかりなんです」

「アルテン人……じゃあないようで」

「生粋の“北部高地人”ですよ」


 そっと声を潜めて答えると、男はすぐ周囲を確かめ、中に促してくれた。

 部屋の中は一件普通の民家の居間のようだが、男に続いて二階に上がると、すぐにその特異な光景に目を奪われた。

 周囲は天井まで吹き抜けで、いくもの鳥籠が並んでおり、真ん中に大きな机が一つと本が積みあがっている。これだけ鳥がいても鳴いている鳥はおらず、時折クルックルと喉を鳴らす鳩がいたり、屋根の開口部からぱさぱさと鳥が入ってきたりしていたが、路地から見た時には想像もしなかった光景である。

 これが噂の、“鳥小屋”か。


「すごい数ですね」

「オトメールは情報の結節地点ですんで。それで?」

「あ、はい。とりあえず身分証です。プラージュまで鳥をお願いしたく」


 そう帯の下に隠し下げていた身分証を出したところで、男は今までで一番驚いた顔で目を瞬かせた。


「おやおや。こりゃ大公家の紋入り札じゃねぇですか。兄さん、お城のご重役様で?」


 まいったな、なんて言って周囲を見回した男は、やがて一つの鳥籠に目を止めるとその扉を開いてトントンと自分の腕を叩いた。すると中にいた白い鳥が大人しく腕に乗る。ケーリックも見たことのある、ヴァレンティン家で“鳥”と呼ばれる竜との混血種である。ただし、ケーリックが日頃見かけるものよりはかなり小柄だ。


「生憎と今日はもう早いのは皆出てしまっていて、こいつしかいませんで。プラージュまでなら一日半はかかりますよ」

「十分です」


 ほっとして懐から先程宿で記したメモを取り出すと、「そこの蝋で封を」と言われたので、机の上の道具を拝借して丸めた手紙の繋ぎ目に青い蝋を垂らして簡易に封をした。蝋が固まる前に、自分の身分証である石札の下部を押し付ける。ここには公女府の所属を表す図柄が彫られているので、これを見れば公女府宛てであることはすぐに分かるし、あるいはフィリック様辺りがすぐにケーリックからだと気が付いてくれるだろう。


「このサイズなら足筒でいいな」


 渡された白い小さな筒に手紙を押し込める。それを返すと、男はてきぱきとそれを鳥の足に括り付けて、鳥の首を撫でながら屋根の開口部への梯子を上って行った。そこから空へと鳥を放つ。

 つまりここは、ヴァレンティンの諜報拠点で、オトメールと他の拠点との間で情報を行き来させるための、“鳥小屋”なのだ。今飛ばされた鳥も、やがてプラージュ城の郵鳥支局に行くことになる。


「返信の受け取りはどうしやすかね?」

「うーん……受け取れる保証がありません。もし中町二段坂通りの宿に私が滞在を続けているようでしたら知らせていただきたいですが、そうでなかった場合はすでに私達が発っていた旨を返して下さい。返信はプラージュの公女府筆頭文官宛てに」


 そんな大層なところにですかい、なんて言いながらもいくつかの道具を選んだ男はそれを紐でまとめてケーリックに差し出してきた。


「文筒と蝋、それと鳥小屋の地図です。ま、必要なら役立ててくだせぇ」


 地図というのは図面的なものではなく、簡単な方角とどこそこの町の何屋、などと書かれたものだった。これは、かなり価値のある大事な情報だと思うのだが。


「有難いですが……このように信用していただいて良いのですか?」


 なので不安げに首を傾げたのだが、なぜか男にはニィッと笑われた。目も口も細く起伏の薄い面差しのせいか、笑うとちょっと不気味だ。

 だがその顔を見て察した。フィリック様のことだ……姫様の姿が消えたその日の内にも、行き先がベルテセーヌであることは疑ったはず。そこからすでに二日が経っているのだから、当然昨日今日の内にもこの鳥小屋に、『うちの姫が逃亡した』といった類の連絡は来ているはずで……。


「……私の行動、無駄でしたかね」

「ま、兄さんの命拾いには役に立ったんじゃないですかね」

「命拾い……」


 まぁ、鳥用の道具をいただけただけでも良しとしよう。


「それより、長く空けておいていいんで?」

「あ、そうでした。えっと……この辺りに衣類を扱っている店は」

「ここの通りを下に出てすぐの雑貨屋マルセのところがいいですよ。既製品ですが、貴族様が使い捨てるには十分なものが揃ってますんで」

「有難うございます」


 そう丁寧にお礼を言うケーリックに男はまた珍しそうにケラケラと笑ったが、今はそれを気にしている時間も惜しく、飛ぶように鳥小屋を出た。

 よく見ると周囲には普通の鳥屋や鳥の餌などを売っているらしい店がいくつかあり、このあたり一帯がヴァレンティンの情報機関の密集区なのであろうことが察せられた。もしかしたら自分達がアルテン船でオトメールに入ったこともとっくに知られていたのかもしれない。路地を通り抜ける間、妙に視線を感じたのは気のせいではないだろう。

 それから言われた通りの店に向かった。ここはどうやらヴァレンティンとは関係のない普通の店舗だったらしく、一通り店の女性にお願いしてベルテセーヌ風の男女の服と必要な品を見繕ってもらった。

 それを手に急いで宿に帰り二階に上がる。隣の部屋が静かなので、遅すぎただろうかう焦りながらコンコンと扉を叩くと、「フレイ?」と姫様の声がした。よかった、いらっしゃるようだ。それにどうやらまだ宿屋の娘さん達もいたようで、返事をすると妹の方が扉を開けてくれた。

 だが生憎と、部屋に入ってすぐに後悔をする。

 まだ(つい)(たて)は立っているが、その先で薄い下着姿(シュミーズ)のまま、姉の方に濡れた髪を拭われている姫様がいらっしゃる。こんなものを見たとなると、マーサさんやフランカさんに目を潰され、エリオット卿に斬り殺されかねない。


「ッ、ひっ、お、嬢様っ。服をっ」

「着てるけど?」


 くっ……お姫様の“着てる”の感覚がおかしすぎるっ。


「それよりどこに行っていたの? フレイ」


 どうやら不在はばれていたらしい。


「お声をかけずにすみません。取り急ぎ周辺の立地の確認と、それとベルテセーヌ風の服を見繕っていただきました。この辺りだとアルテンの服は目立ちそうでしたので」

「あら、気が利くじゃない。コゼット、アルル、着替えさせてちょうだい」

「はぁい、お姫様」

「お姫様、アルルが着方教えてあげるね!」


 この数十分で何があったのだろう……なんで、お姫様だなんて呼ばれているのだろう。


「あ、それからお嬢様。ウィッグは……」

「この子たちには口止めしたから平気よ。私の命令は覚えているわね? 二人とも」

「はい! 私、絶対に誰にも言いません!」

「アルルがいやぁなこんやくしゃから、お姫様を守ってあげるの!」


 だから姫様、一体何が……?



  ◇◇◇



 ケーリックが何やらコソコソと出かけたらしい。

 もっと小心者かと思っていたが、意外と大胆なことをする。きっと今のこの状況を知らせるべく、鳥小屋にでも行ったのだろう。だが無駄なこと。わざわざ知らせずとも、フィリックはとっくにリディアーヌがオトメールに入ったことくらいつかんでいるだろう。でも健気で必死なワンコぶりが愛らしいので、放っておいてあげよう。

 そのためにもしっかりと時間をかけて湯を浴びていたふりをせねばならず、女の子達の気を作り話などで引きながらしっかりお世話させた。

 だから帰ってきたケーリックがリディアーヌをお姫様と呼ぶ女の子達に()(げん)な顔を見せたことは非常に不本意だった。まったく、主よりフィリックを優先しているだけでもお叱りものだというのに。

 ただケーリックが誤魔化すために仕入れてきたらしいベルテセーヌ風の町服は中々趣味がよく着心地のいいものだったので、許してあげようと思う。


 宿の料理は素朴で、パンは酸っぱくて硬かったけれど、港町らしい新鮮な魚介はプラージュともまた違った味わいで素材が生かされており、何より久しぶりのベルテセーヌ風の味付けが懐かしかった。

 宿屋の食堂は地元の民達も通う酒場を兼ねていたようだが、客の話に耳を傾ける限り、どうやらこの界隈は元々リベルテ商会には排他的ではないものの、反乱暴徒の活性化などには反目的で、そういう者達を白い目で見ていた人が多い場所だったようだ。ところどころ、南西方面軍のおかげで落ち着いただの、ようやく大人しくなってくれて安心だ、だのといった言葉が聞こえてきた。

 ただの偶然だと思うが、ケーリックは実にいい宿を見つけてくれたものである。

 だがそれにも理由があるようで、この宿は女将さんと十代の息子と二人の小さな娘だけで運営しているらしい。食堂には雇われの料理人がいたが、どうやら女将さんの旦那は先の暴徒のせいで仕入れの帰りに重症を負い、今も寝たきりなのだとか。

 町でおすすめの宿屋を訪ねた時に皆がこの場所を勧めたのは、そんな女将さんへの憐みのようなものもあったのかもしれない。実際、一人で切り盛りする女将のためにか、こうして食堂は賑わっている。昼間に見た時には随分とひっそりとした港町だと思ったが、こうしてみると元々は人情に厚い町なのだと察せられた。


 翌日は高町と下町とを散策して情報収集に徹した。

 どうやら町中で人々の口が重たくなっていたのは、今も高町に駐屯している南西方面軍の目を気にしてのことだったらしく、町中を巡回する兵の姿もちらほらと見えた。辺境軍の大半は地方の平民出身者なので町中で浮いて見えることはないのだが、多少物々しさを感じるのはそのせいなのだろう。

 ただ一歩どこかの店に立ち入ると、民はみな饒舌に思い思いのことを語らっていた。惣じて、今のこの混乱した状況に対する憂えの言葉が多かっただろうか。


「ヴィオレット派らしき集まりには会いませんでしたね」

「そういう人達はすでに収監済みなのでしょう。聞いていた通り、南西部からこの北西部にかけてはジュードがきっちり治めたようね。あるいは参謀が優秀なのかしら?」


 もう長らく会っていない昔馴染みのエメローラ家の令息を思うと苦笑が浮かんだ。


「それで、明日からのご予定はどうされるおつもりなのですか?」

「とりあえず朝一で()つわよ」

「……そんなに早くですか?」

「これ以上ここにいたらフィリックの追手に追いつかれかねないわ。そろそろ、“どっかの誰かさん”の所に指示書の一つでも届きそうだし」

「ッ……」


 あぁあぁ、可哀想なくらいおっかなびっくりしちゃって。まさか気が付かれていないと本気で思っていたのかしら? 可愛らしいこと。


「いっそこのまま誰かが追いついて、私を解放していただきたいくらいです……」

「何か言った?」

「いいえ。お供致します……」


 よろしい。

 どのみち、この町で集めるべき情報は十分に集まった。


「それで、目的地は」

「南東部よ」


 答えてすぐ、ケーリックが頭を抱えて天井を仰いだ。

 南東部……つまり、目下反乱因子が集結しつつあるというその中心部である。


「お城とは言いませんから、せめて王都……セザール殿下にはご連絡をいたしませんか?」

「論外よ。セザールに見つかったらベルテセーヌ城に連れていかれるじゃない」

「その方がいいのでは?」

「馬鹿ね、ケーリック。ベルテセーヌ城なんて、南東部より危険よ。私はあの城で両の手で足りないほど殺されかけたことがあるのよ?」

「……そうでした」


 素直に(うな)()れたケーリックに、さすがに公女相手にはそんなこと仕出かさないでしょうけれど、なんて言葉は飲み込んでおいた。

 まぁ、嘘は言っていない。だが城に行くのはまだだ。その前にすべきことがある。


「とりあえず明日の朝、オトメールを出て西に向かって。ウィアラット山脈の山裾から南下して山間を東部に向かうわ。地図が手に入らなかったのは残念だけれど、一応私の頭の中にはあるから平気だと思うわ」

「一国の詳しい街道や地図などは国家機密にも準じるのですが……」


 そこはまぁ、元王女である。余すことなくその知識は活用させてもらうつもりだ。


「でしたら姫様、ひとまずどこかで馬を仕入れましょう。旅慣れていない姫様が歩き旅というのには無理がありますし、山越えをするなら必須です」

「ええ、そうね。竜がいればもっと楽のだけれど」

「旅行客に竜を売ってくれるような店はないかと」

「さすがにそのくらい分かっているわよ」


 そうあしらいつつ、昼間買ってきたざらざらとした安価な紙に、記憶を頼りに周辺の地図を書き出す。

 港沿いの大きな町は三つ。オトメールは一番北で、ここから東には王都まで大きな街道が通っている。竜車なら七、八日といった距離だろうか。途中、ベルテセーヌの東西を隔てる大山脈が横たわっているが、その合間を縫う形であまり起伏もなく王都まで道が通っていたはずだ。山間部の手前で少し北東に行けばエメローラ領がある。

 だが今回は馬で三、四日進んで山脈に突き当たったところで、北ではなく南に行く。このままずっと南に行けばジュードが所属していた南西辺境軍の拠点のある南西鎮守があり、その先には南西諸国郡のシエスタ自治国があるが、そこまではいかず、北ウィアラット山脈が途絶えてややなだらかな山越え道になる辺りでルートを東に変える。この東に突き抜ける道は王国のほぼ中央を東西に貫いている大街道であり、そのまま突き進むと北東鎮守を経て、フォンクラークとの北部国境となる。

 だが今ヴィオレット派が集まっているのはこちらではなくもう一つ南の南部国境付近だそうだから、東西大街道で山を越えたら、そこからはまた南下だ。この辺は現地で情報を集めながら臨機応変に微調整してゆかねばならないだろう。

 さて、南東部に行くとは口にしたものの、これは実質どのくらい時間がかかるのだろうか。やはり馬と言わず、竜が欲しい。無理なのは分かっているけれど。


「明日の朝一で鳥小屋に行って、必要なものを揃えるよう伝えてちょうだい。ついでに今後の予定について情報を提供してきてもいいわよ。但し、鳥では送らないように。あくまでもベルテセーヌの拠点間で情報を共有するだけにさせなさい」

「……ハイ」


 すでに自分が鳥小屋に行ったことがばれているのは承知の上なのだろう。大人しくしょんぼりと頷いたケーリックに、苦笑を浮かべてしまった。

 これがシュルトなら、淡々と『はい』と言いながら、今夜中にも鳥を送りやがるだろう。だがケーリックにはそういう()(ざか)しさがない。日頃からフィリックやシュルトを見ているリディアーヌにとっては、実に可愛らしい文官である。

 いや、まぁ、これが普通なのかもしれないが。






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