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4-36 ヴァレンティン家の秘密(2)

「びっ……っく、りした……」


 廊下が薄暗いせいで、黒い服のその人に心底驚いた。だが驚く必要はない。


「何をなさっているんです? お養父様」

「探し物は見つかったのか? リディ」


 他でもない。扉に肩を預けてじっとこちらを見ていたのは養父だった。

 えっと……確か、この書庫に入ることが出来るのは司書と大公家の直系か大公の許可を得た者だけ。リディアーヌは入っても問題ないはずなので、ドキドキする必要はないはずだ。だが養父の視線があまりにも冷め冷めとしているせいで、妙に緊張してしまう。


「いえ……あまり」

「そうか。二代目聖女のことを知っても驚かないということは、すでに知っていたんだな」


 あぁ、そうか。養父はこの歴史書を読んだ事があるのだ。

 待て? だとしたら養父は、“聖女の血”がどうやって受け継がれているのかも知っていたはずだ。ヴァレンティン家がそれに関わっていることも?


「……お養父様は、どうして調べたんですか?」


 思わずそう問うた言葉に、しばらくじっと口を噤んでいた養父が、やがて深いため息をこぼしながら扉から身を起こし、コツ、コツと書庫に入って来た。

 やがてリディアーヌの隣へ来ると、その分厚い歴史書を指でなぞる。

 大切そうに、というよりは、ぐっと押さえつける様な、堪える様な、複雑な感情が透けて見えるようだった。


「リディはヴァレンティンの先代……祖父のことを、どれほど知っている?」

「お祖父様ですか? まぁ……普通に、家の歴史として習う程度のことだけです」


 母の父である祖父は、リディアーヌが生まれるよりはるか昔に亡くなっている。祖母は叔父を生んで程なく亡くなっているし、祖父に兄弟はいないので、叔父は二十代という若さでこのヴァレンティン家を継ぎ、先の皇帝戦にも参加することになったと聞く。それが理由なのかは知らないが、マドリックは、叔父があまり父親と仲が良くなかったと言っていた。なので叔父に祖父のことについて聞いたことは一度もない。


「大公としては見習う点もあるが、父親としては最低でな。マドリック辺りが言ってなかったか? 馬が合わなさ過ぎて苦労したとか」

「そこまでは言ってませんでしたけれど」


 そう肩をすくめて見せて、うっすら察していることだけは匂わせておいた。


「元々仲は悪かったが、決定的に決裂したのは姉上の件があってからだ」

「お母様?」

「今となっては、エディとリディを引き合わせてくれたことに感謝もしているが……姉上には元々、恋人がいた」

「えっ?!」


 それは初耳だ。思わず目を瞬かせたリディアーヌに、クツと苦笑して見せた養父は後ろの棚へと歩き出した。ついて来いという意味であろうから、それを追いかける。

 裏の棚にはもっと小さな類の本が並んでいて、養父はその中から迷うことなく一つの本を引き抜いた。鎖に繋がれてはおらず、それに本というより本の形をした飾り箱だったようだ。その箱の中にはまだ新しい、紙束を麻紐で括ったものが詰まっていた。


「お母様の書いた、手紙?」

「そうだ。アンベール殿下……君の父上にも元々別の婚約者がいたから、姉上も自分がベルテセーヌに嫁ぐだなんてまったく思ってもいなかったんだろう。長らく、とある人物と文を交わしていたんだ。だがそれを知った父がいつからか、こうして手紙を差し止めるようになった。そうと知らない姉は返事が来なくなったことを随分と悲しんでいた」

「お相手は何処のどなたですか?」

「……聞いてどうする」

「気になっただけです。お母様の好みってどんなのだったのかしらって」


 そう純粋な気持ちで問うてみたら、養父は少し肩をすくめてから、「聞いたら絶対驚く上に、後悔するぞ」なんて言うから余計に気になった。


「教えてください」

「……」

「お養父様」

「……カラマーイだ」

「……」

「……」

「……へ?」


 驚きすぎて一瞬思考放棄してしまったのだが。


「カラマーイ、って。えっ?! カラマーイ司教?!」

「当時はフェリジオ・グレイといった」

「グレイ……って。グレイ公国の」

「公王息だ。当時からお調子者の変わり者でな。よく姉上を笑わせていた」


 グレイ公国は帝国の属国扱いを受けている小国ながら、ヴァレンティン家と隣り合っているため縁が深く、北方諸国でも随一の経済力を誇る自治国だ。最も竜が多く飛び交う国でもあるため、竜の住まう国とも呼ばれている。そこの公王息だったなんて……。

 言われてみれば、年齢は五十代の初頭。母とは年も近いかもしれない。


「昔は父もそう反対していなかったはずなんだ。だがそれが変わったのは、先の聖女が体調を崩してからだ」


 リディアーヌの先代。祖母レティシーヌの母でもあった人だ。


「突然、ベルテセーヌの王子に嫁げと言われた姉は怒り狂ったが、その内、フェリジオの消息が絶えた。手紙も届かない。消息も分からない。裏切られたのだと思った姉は、程なくベルテセーヌに嫁いだ。同じように長年婚約者だった女性が突如去ってヴァレンティンから妃を迎えることになった義兄上も、さぞかし困惑していただろう」

「……」


 つまり二人ともが、望んでいない結婚だったと?


「私の記憶の中では、特別仲が悪いというわけでもなかったと思うのですが」

「最終的には。何しろ義兄上はいい男だったからな。多少自暴自棄になっていたとはいえ、姉上が義兄上と会ったその日のうちに『フェリジオよりいい男だったから、まぁいいわ』なんて言って婚約を了承したくらいだ」


 我が姉ながら……と頭を抱えた叔父に、リディアーヌも思わず我が母ながらと肩をすくめてしまった。


「それに義兄上は姉上をちゃんと大切に扱ってくれた。姉上も次第にそんな義兄上に心を絆されたんだろう。エディと君が生まれてくれたことがその証拠だ」

「まぁ、夫婦というより協力者。味方、みたいな。そんな感じではあったかもしれません」

「だが姉上がそう割り切れたのは、君が生まれたからだろうな、リディアーヌ」


 どうして自分がベルテセーヌに嫁がねばならなかったのか。その理由を、リディアーヌという娘の聖痕に、納得せざるを得なかったのだろう。


〈お父様の愛したベルテセーヌを、貴方達に託すわ――貴方達が、守るのよ〉


 そう遺言した母の本心は、果たして何だったのだろうか?

 “私達の愛した”ではないことが、本当は少しだけ、気になっていた。母は最期まで、ヴァレンティンのアンネマリーであり、子供達は最後まで“クリストフ二世の子供”だったのだろう。聖女を生んだことで、母はもうベルテセーヌに対する自分の責務を終えたのだ。


「叔父様は、お母様がどうしてベルテセーヌに嫁がないといけないのかと思い悩んでいらしたから、その理由を探すためにこの本を読んだのですか?」

「いや、これ自体は偶然だったが……だが、理解せざるを得なかった。フェリジオはうちとも血縁の濃いグレイ家の出身だ。直系ではないがベザの血も入っている。万が一、ヴァレンティンに……あるいはグレイ家に聖女なんて生まれたらと恐ろしくなった。それは私も同じだ」


 だから最後まで姉を応援できなかったのだと、そう養父は後悔の声色をこぼした。


「それで、どうしてカラマーイ司教は聖職者に?」

「後で分かったことだが、ヴァレンティンから圧力を受けたグレイ公がルゼノール家に相談して、本人が出家を選んだらしい。カラマーイはその時便宜上養子に入ったルゼノール系の聖職者の家名だ」

「そうだったんですね。でも、なぜリンテンではなくてヴァレンティンに……」

「フェリジオがこちらに戻って来た時、すでに姉は嫁ぎ、私が爵位を継いでいた。それでもここで、ベルベットの子供達を守りたいから希望してきたのだと言っていたな」

「そうですか……」


 カラマーイ司教に当てた手紙がその後も彼に渡されること無くこの地下書庫にひっそりと残されているのは、叔父なりの“明かさない心遣い”なのだろう。結婚できない聖職者という道を選んだかつての恋人を、母は一体どう思っていたのだろうか。


「それで、リディ。知りたいことは分かったか?」


 静かに問うた養父の言葉に、きゅっと口を引き結んだリディアーヌは、やがて小さく頷いてみせた。

 リディアーヌが知らないだけで、ヴァレンティン家はちゃんと知っていた。この家に、聖女の因子が受け継がれていることを。ベルテセーヌに聖女をもたらす家であることを。

 だったら私は? 聖女リディアーヌは、どうしたらいい?

 聖女は聖女の家門とベザの子に現れる。ベザの子であることが大事なようだが、聖女の血を濃く受け継いでいることも必要だ。だから代々両家の間では、公女がベルテセーヌ王室に嫁ぐのと同じほどに、王女がヴァレンティン家に嫁いできた。

 だが今、ヴァレンティンには直系がいない。叔父が独り身を貫いているせいで、ここいるのはリディアーヌとフレデリクという“ベザの子”だけ。アセルマン家にも女子がいない。

 聖女の因子は男子であっても受け継いでいるらしいが、女子ほどではない。だから今最も聖女の因子が強いのはリディアーヌであり、そして多分その次はフレデリクだ。

 父親がヴァレンティンの血を引くベルテセーヌの王子で、母親がヴァレンティン家と血縁の近いルゼノール家。もしこのまま時代が廻れば、フレデリクの子や孫に次の聖女が生まれるかもしれない。

 あぁ、そうか。だから……。


「だから叔父様は、私がリュスに嫁ぐと決めた時、止めなかったんですね」

「……」


 きゅっと口を引き結んで押し黙った叔父に、リディアーヌは逆に顔をほころばせた。

 なんだ。別に、本気で追い出したかったわけではないのだ。反対する言葉とは裏腹に、強く引き止められなかったことがずっと気になっていた。その気がかりは後に叔父が自ら迎えに来てくれたことで払拭されたけれど、でも今それ以上の確信を得た。あの時のリディアーヌの状況は、叔父にとって“姉の時と同じ”だったのだ。


「あれほど憎んで暴言を吐きまくった親父と同じことをしているのだと、自分が醜くて仕方がなかった。ましてや君は、姉上よりはるかに幼かったのに……」

「そんな葛藤、ちっとも知りませんでしたわ。そもそもどうして自分が聖女なのかすら、あの頃は考えた事もありませんでしたもの」

「君は聖女として生まれたその時から、ゆくゆくはベルテセーヌ王室の分家に嫁ぐことが半ば決まっていた。シャルルの王位簒奪があってからは君をシャルルの子などに嫁がせるものかと思っていたが、君がその話を“受ける”などと言いだした時には、あるいは姉上が生きていた頃から、そう聞かされていたのだろうかと思った」

「いいえ、知りませんでした。十歳まで、リュスやジュードともほとんど話したこと有りませんでしたもの。お兄様とはそれなりに親しかったようですけれど。でもこうして色々と知った今となっては、なるほどと納得せざるを得ませんね」

「リディ……」


 リディアーヌが何を考えているのかは分かっているのだろう。養父は複雑な面差しをしたけれど、リディアーヌは軽くその肩を叩いて、微笑んで見せた。

 もう、十分だ。この人はもう、十分なほどにリディアーヌを守ってくれた。リディアーヌとその兄が“この家を継いではいけないベザの子だ”と知りながら、受け入れ、こうして育ててくれた。フレデリクのことまで。それだけで十分だ。


「大丈夫です、お養父様。聖女は世に一人だけですから。ヴァレンティン大公が先々のことにまで悩まなくて済むよう、私、長生きしてみせますわ」

「……あぁ……」

「だから何も、心配しないでください」

「……ッ、あぁ……」


 絞り出すように頷きながら項垂れた叔父を、そっと抱きしめた。

 こんなことをするのは小さな時以来だ。でも昔こうやって、叔父が腕に抱きかかえて、あの場所を連れ出してくれたのだ。その日のことを、今もよく覚えている。


 私はこの人に、大恩がある。

 これから先、ヴァレンティンの運命と血を背負うのは自分の役割だ。自分で背負い、正しく導くのが、若くして爵位を継ぎ、何もかもを背負って来たこの人への恩返しだ。

 もうすぐ訪れるであろう皇帝戦で、もうこの人を苦しめたくない。これはヴァレンティンではなく、私達“ベルテセーヌ”が負うべき責なのだから。






第四章 完

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