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4-34 真の聖典(3)

「それで。ヴィオレットは落ち星なのだと仰いましたね。でも恩寵は無いのだと。それはどういうことなのですか?」

『そのままだ』

『そのままである』


 相変わらず伝わりにくい。星の子ベザとは違う、イレギュラーなものであったらしいことは何となくわかったが。


『我らが父はお眠りになっている』

『長らくお眠りになっている』

『語りかけるべき愛しき我が子が、長年口も利いてくれなんでな』

()ねておられる』

「え……」


 な、なんですって?


『ゆえに恩寵はない』

『ない』

『有り得ない』

『愛し子も望んでおらぬようだからな』

『望めばすぐにでも目を覚まそうに』

『憐れな父よ』

『憐れな母よ』


 なんで私のせいみたいになってるの?!

 何となく“聖女”のポジションが分かって来た。主神が父なのか母なのかは知らないが、聖女は神々にとっての末っ子みたいな感じなのだろうか。無論、聖女は神ではなく人なのだが、これは口やかましいお兄ちゃんやお姉ちゃんが沢山いる感じだ。

 というか聖典に、主神様が拗ねている、とか記録されてしまいましたが。いいんですかね?


「えっと……つまり、ヴィオレットはベザとは違うのですね。神々が驚くほどの稀な現象によって、地上の器、つまり“ヴィオレット”に落ちてしまった……あぁ、だから“落ち星”」

『ようやく理解したか』

()()よの』

『愛し子は(のろ)()よの』

『可愛いではないか』

『可愛いの』

『うむ、()いことよ』


 ぐっ……これまで散々、賢い、優秀、天才ともてはやされてきたプライドが傷つく。これでもかなり頑張って、言葉の足りない神々の意図を汲み取っているつもりなのだが?!

 案の定、隣でアンジェリカが憐れむような眼差しになっている。余計に傷つく。


「それで、そのヴィオレットが何やら妙な行動を繰り返しています。突飛な発想や商品の開発、こうなるのが当たり前みたいな奇妙な自信。私には、神々から何か指示が出ているのではないかと疑わざるを得ないのです。貴方方がそうしてアンジェリカに未来を指示していたように。でも貴方方はそうではないと仰る。これは一体、何が起きているのでしょう?」

『わからぬ』

『そもそも人の器に宿った落ち星など、初めてだ』

『昔、竜はあったな』

『あぁ、あった』

『あれは大変だった』

『人も星も、亡ぼされるやもと思ったな』

『あの時の愛し子は頑張ってくれた』

『あぁ、頑張ってくれた』


 なにそれ……ちょっと気になる。い、いや、でも気にしている暇はない。


「落ち星は人に落ちると、前のその人とは別人になるのですか?」


 確かアンジェリカは、春を期にヴィレットが“変わった”と言っていた。もしも落ち星というのがその間に“落ちてきた”のだとしたら、では変わったヴィオレットは何者なのだろうか。


『星は星。何も変わらぬ』

『だがそういえば前の時は、妙な知性があったな』

『人と意思疎通する妙な竜であった』

『あぁ、人のようであった』

『我等の愛し子に恋慕しおって、大人しくなった』


 竜が?! なんか昔、そんな感じのおとぎ話を絵本を読んだ事が有る気がするのだが、まさかの実話なのか?! き、気になる……。


『星は本来、器を失うまでは流れぬもの』

『されど落ち星が交じり合った』

『落ちる前の記憶が溶け込んだのか』

『落ちる前の記憶。星の欠片の記憶』

『失うはずだったもの』

『記憶、か』

『落ち星の記憶が入ったか?』

『星は同居せぬ』

『なら元の星を追い出したのか』

『星は追い出せぬ』

『であれば欠けていたのであろうよ』

『欠けたところに収まったのか』

『あぁ、欠けておったのか』

『それは仕方がない』

『どこぞのぶつけでもしたか?』

『したのであろう』

『おっちょこちょいよの』

『よの』


 なんか怖い話をしていますけれど、星……魂って、そんな、ちょっとぶつけてガラスの角が欠けたみたいに欠ける物なんですか? ほら、アンジェリカさんとか、ドン引いてますよ。


 何はともあれ、ヴィオレットの状況が神々も把握しきれないものであることは分かった。そして落ちる前の記憶なるものが残っている可能性があることも。だが知りたかったのは、本当に神々が手助けしていないのかどうかということだ。どうやらそうではないようで、それについては心から安堵した。

 よく分からないが、何らかの理由で“星”が欠けてしまったヴィオレットの器に、ヴィオレットではない落ち星の欠片がピタリとはまったと。そこにはヴィオレットではない何者かの記憶が混じっていて、それが、今のこの状況を生んでいるということだろうか?


「神様方は、人の星を見ることが出来るのですか?」

『はて? 星は星だ。そこにあるそれそのものである』

『見るのではない。そこにあるのだ』

『器は人が作る。そこに星が廻れば、命となる』

『器が壊れれば星は流れる』

『我等は星を招き、星を廻らせる』

『まっさらにしてこの世界に流す』

『器が無ければ、外へ流れる』

『流れて、落ちる』

『星とは我が子である』

『しかして主神の生み出せし星は我等のみ』

『我等と愛し子のみ』


 あぁ、つまり聖女の星というのは他の人とは違い主神が一から作った物だと。だから“我が子”扱いなのか。実際にここに居並ぶ神様達とは兄弟も同然だということだ。違うのは器の方が人の手で作られていること。

 聖女が必ず女子であるのも、先代が亡くなってからしか次の聖女が生まれないのも、聖女という星が一つしかないからだ。あぁ……だったらこのリディアーヌの魂は、覚えていないだけで、前の聖女であり、前の前の聖女でもあり、その前の、はるか昔の聖女の魂であるのだ。

 ん? 待てよ。ということは、この聖典に書かれているすべての言葉は、全部リディアーヌ、ひいては歴代聖女に当てられた言葉であるはずで……よし、恥ずかしさが吹き飛んだ。愚図だ鈍間だ暢気だなどと言われても、もう気にしない。これは全部、これまでの、そしてこれからの“私”に当てた罵り言葉なんだからね。

 とはいえ、その人であったという記憶もないのに、その根源が同じであるなどというのは不思議な感覚だ。当然だが、そんな記憶はない。


「ということは、本来記憶は器の方に宿るのかしら……」

『その経験はその体に宿る』

『星の記憶は体を離れると薄れゆく』

『そして消え行く』

『消えて行く』

『聖女は忘れっぽい』

『つい先日言ったことをもう忘れる』

『忘れっぽくて困る』

『だが仕方がない。器が異なる』

『ゆえに似た器に巡り続ける』

『かすかに残った記憶と(かい)()せぬように』


 ヴィオレットに入ったという星の欠片は、その記憶が薄れきる前に入ったのだろうか。

 いや、正直この話はもうどうでもいい。それよりも、ふと気になったのは、神々が人の星の形を知っているということだ。それはもしかして……。


「神々は、星が、いつ器から離れるのかも……分かるのですか?」


 人の死が、分かるのだろうか?

 こんなことを問うたら怒られるのではないか。あるいはズルすぎるのではないか。そんな不安を孕んだ問いであった。

 だがどうしたことか。神々は少しとして躊躇う様子など無かった。


『無論である』

『急なことでなければ』

『それを問うた聖女は久しぶりであるな』

『あぁ、久しいな』


 この様子だと、歴代の聖女には、その特性を余すことなく使っていた聖女もいたようだ。おかげで罪悪感を感じずに済む。

 いや、むしろ神々にとっては“そんなことはどうでもいい”ことなのだろう。だから神々も、人の死期を問われたところで何も気にしない。気にならない。それが人の世にとってどれほどの意味を持つのかを知らないのだ。


「私の身近に、器が壊れそうな方はいますか?」

『ふぅむ』

『難しいぞ。我等は人を見分けぬ』

『愛し子に近しい者とは何ぞや』

『そなたらの記す系譜にある者なら、最初はコレよな』

『あぁ、コレであるな』

『コレであろう』


 え、ちょっと。もしかしてくらいの気持ちで聞いたのに、心当たりがあってしまうの?

 そしてそれはもしかして……。


『愛し子の告げる王の名に非ず』

『愛し子は王を告げておらぬ』

『今世の愛し子は怠惰である』


 だからそれについてはちょっと待ってくださいって、以前にも……。


『これはもっと新しき所に名の有るどこぞの地上の統治者の名だ』

『これは長くない』

『瞬きをするように器は去ろう』

「ッ……それは、一体……」

『人の名は分からぬ』

『あぁ、分らぬ』

『だが我らが星の子からは随分と遠い』

『あぁ、遠い。ふむ。遠いのに、ベザの座におるのか?』

『愛し子の告げる王とは異なる王がおるのか?』

『奇妙よの。地上はベザの子に受け継がれる』

『愛し子よ。なぜ告げぬ。ベザの子はいずれぞ』

「ッ……」


 あぁ。あぁ……分かった。

 分かってしまった。


「……神々よ。お教えください。そのベザの座にある王の死期は、あとどのくらいでしょうか」

『人の時の流れは知らぬ』

『知らぬ。程なくである』

「それはベルブラウの花が青く色づくより後でしょうか。それとも散るより後でしょうか。あるいは何度花咲いた後でしょうか」

『ふむ』

『ふむふむ』

『後であろうな』

『散るより後だ。だが二度はない』

『あぁ、二度はない』

『再び清き花を見ることはない』

「ッ……」


 思わずぎゅうっとこぶしを握り締めた。

 まさか……思い付きで問うた言葉に、こんな返事があるだなんて思いにもよらなかった。これはどうしたことか。どうすればいいのか。


「神々に、感謝申し上げます。そして申し訳ありませんが、そろそろ私は行かねばなりません」

『うむ。今宵はよく話した』

『よく話した』

『これからも顔を見せよ』

『我等は退屈している』

『そなたがさぼりすぎたせいで、我らが父は折角の愛し子の訪れにも目を覚まされぬ』

『まったくである』

『さぼりすぎである』

『だが疲れた』

『まずは王を告げよ』

『まったくだ。早く告げよ』

『分かったならば行け』

『とく行け』


 だからごめんなさい、って……もう何度も謝ったのに。

 くそぅ。歴代の聖女達め。貴女達がさぼったせいなんですからね。

 まぁ、全部私の前世らしいんですが?!


「……」

『……』

「……」

『……』


「あの……ところで、聖典ってどうやって閉じるんですか?」

『またか』

『はぁぁ。まただ』

『まただぞ』

『なぜ伝えなんだ……愛し子よ』

『そなた、ちょっとそこに直れ』


 結局それから一時間。

 神々のお説教とお勉強会が止むことはなかった。



  ◇◇◇



 頭の中に直接ぶち込まれた“聖女の作法”に、くらくらとよろめく。

 慌てて手を差し伸べてくれたアンジェリカがゴンゴンと扉を叩いて外から鍵を開けさせ、ぎょっとして手を差し出したイザベラにリディアーヌを託してくれた。お恥ずかしながら、このまま抱きかかえて連れて帰って欲しいくらいだ。流石に、馬車までは頑張るけれど。


「姫様ッ……ご心配をしておりました。一体、何がっ」


 話す気力すらなかったのだが、おろおろとする騎士達にはもれなくアンジェリカが、「大丈夫です。ちょっと情報過多と神様方の深い深い愛情に押しつぶされていらっしゃるだけですから」という、混乱を増長させること甚だしいフォローをしてくれた。

 くっ……こっちが口を開くのも(おっ)(くう)だからって、勝手なことを。


「それにしたって……二日も(こも)られたままで、心配していたのですよ。なのにアンジェリカ様が声を掛けて下さるまで鍵も開かず……」

「今朝は大公様までいらして」

「すぐにフィリック様にお知らせを。昨夜よりずっとこの大聖堂に泊まっておいでですから」


 慌ただしい様子の側近達の言葉が右から左へと抜けて行く。いつになく騒がしい。


「えっ、二日?!」


 だがすぐ傍でびっくりと声を上げたアンジェリカの言葉は、耳に届いた。届いたついでに。


「え、二日?」


 思わず同じことを呟いて顔を上げた。


「ええ、そうですよ。あれから二日と半日。あら、でもアンジェリカ様はお元気そうですね」

「あ、当たり前ですっ。私の体感だと、二、三時間です!」

「え?」


 皆がキョトキョトと首を傾げている中、「姫様ッ」と珍しく声を荒げたフィリックが廊下の先からやって来た。何か妙にげっそりして見えるのだが。


「……どうやら本当に、二日経っているみたいね」

「イザベラ、姫様は……」

「大丈夫です。少しお疲れなだけのようです。それより、姫様方はほんの二、三時間の体感でいらっしゃったとか」

「何?」


 こっちの心配をどうしてくれると言わんばかりの視線に睨み下されながら、ひとまずハァとため息を吐いた。

 どうやら“原典”を開くのは、思った以上の体力と時間を必要とするみたいだ。まぁ、体力の方の半分くらいは神様達の怒涛のお説教のせいだけれど。そういえば、目も疲れているかもしれない。


「とにかくすぐに大公様にご連絡を」

「カラマーイ司教様が休憩室を整えてくださっています。私は姫様をそちらに」


 そうイザベラが向かおうとした先を、「待って」と掴み止めた。

 正直、休憩室は有難い。今すぐベッドに寝転がってぐっすり休みたい。だがそうもいかない。


「フィリック、すぐに城に帰る準備をしてちょうだい。それと、お養父様に面会の申し出を」

「どうやらこの心労に見合うだけの何かがあったようですね……」

「ええ、思いがけず」

「分かりました。しかし馬車の用意をするにも面会の調整をするにも、時間はかかります。それまで少しはお休みください。アンジェリカ嬢もお疲れでしょう」


 あぁ、そういえばそうか。

 アンジェリカは気遣ったように「私は大丈夫です」と言ったが、アンジェリカとてリディアーヌに付き合わされてお説教を受けていたのだ。休ませてやりたい。


「分かったわ。じゃあ少し休ませてもらうわね」


 そう息を吐いたところで、待っていましたとばかりにカラマーイ司教が廊下の先に促した。いつになく大人しいせいで気が付かなかったが、いたらしい。司教様なりの気遣いだったようだ。というか、日頃声が大きくて煩いことに自覚はあったんだな……。


  ***


 それから二時間ほど休んだところで、城から駆け付けたらしいマーサに起こされ、軽く身なりを整え、養父と面会した。どうやら扉が完全に閉まったまま二日半という時間が流れたせいで、養父もかなり心配をしていたようだ。出会いがしらから、「あまり心配をさせるな」と安堵の吐息を掛けられた。

 申し訳なかった。まぁ、リディアーヌが意図したわけではないのだが。


「それで。急ぎというのは?」


 その言葉に頷くと、まずは辺りを見回して、「取り合えず全員、出てちょうだい」と部屋の外に促した。

 いつもであればフィリックまで追い出すということはないものだから、養父も驚いたようだったが、こればかりは慎重を期す。そんな様子を見て取ったのか、一度目を瞬かせたフィリックがさっと一礼して退出すると、他の側近達もぞろぞろと大人しく部屋を下がっていった。


「それほどの大事か?」

「ええ……まさか私も、こんなことになるだなんて思ってもみませんでしたけれど」


 口にしながら、リディアーヌも声が震えてしまった。


「今更ながら、帝国初期時代にベルテセーヌばかりから皇帝が立っていた理由の一端を知った気がします」

「何?」

「……お養父様……」


 いや。今呼ぶべき言葉は……。


「ヴァレンティン選帝侯閣下。“皇帝”は、次の春が訪れるより前に崩じます」

「ッ……」


 皇帝昏倒は狂言だった。だが、まったくの迷信でもなかった。

 神々は言った。ベザの座に座る、聖女の告げぬ王の器が失われるのだと。それは、次のベルブラウの、清き花……白い花が咲くより前だと。


 皇帝は死ぬ。

 かつてベルテセーヌ王とその妻を死に追い詰め、帝位に登った男が死ぬ。

 亡き兄から未来を奪い、リディアーヌからリディアーヌ王女の名と地位を失わせた男が。

 養父から、義兄と愛する姉を奪った男が。

 今もまだ……娘と息子を脅かしている、その男が――。


「……」


 何も言わず、ただ堅く拳を握り、瞼を閉ざし。ただただ静かに震える養父に、リディアーヌもその沈黙を共有した。

 今その頭に過るのは、次の皇帝戦の事なんかじゃない。自らの手で(くび)り殺したくなるほどの深い恨みと悲しみをこらえ続けてきたその男に対する、現しきれないような複雑な感情と焦燥だ。


 多分、養父が考えているのはリディアーヌと同じだ。

 一人の人間の死を待ち望んでいたはずなのに、なぜか嬉しくない。悔しいような、苦しいような。なんとも言えない、むしゃくしゃとした憤り。直接復讐できないことは知っている。だがそれでも、永遠にその機会が失われてしまうのだと気が付いてしまった――そういう(かい)(こん)と焦燥……そして、絶望である。


 私達はまだ、恨みを晴らせていない。私たちの運命を狂わせたそのすべてを、まだ呪っていない。だがそんな時間はもうなくて、そしてその機会もまた、私達にはない。

 そんなやるせない思いを一つ一つ(ほど)き、(なだ)め、整理して。

 そうして長い時間をかけてのみ込んで。


「……そうか」


 やがて呟いた絞り出すような養父の一言が、リディアーヌの瞼をも重くするようだった。 

 それは決して、解放などではないのだ。






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