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1-9 事件の後報(2)

 その翌日、二年前に留学先のベルテセーヌのカレッジを卒業したという令嬢と城付きのメイドの二人から、彼女たちの知るヴィオレット嬢の評判というのを聞いた。

 生憎とアンジェリカ嬢に関しては中途入学してきて数ヶ月間の事しか知らないとのことであったが、それでも公的な場ではなくリアルな人となりを知ることのできる場で彼女達を見知る二人の意見はとても参考になった。


 いわく、まずヴィオレット嬢というのは、そう評判の悪い令嬢ではなかったそうである。

 二人が口を揃えて言ったのは、清廉潔白、慈悲深く下々の味方、聡明で品行方正なまさに貴族の規範、といった言葉だった。王太子とも義務的な関係に見えていたようで、色恋沙汰でいじめを行ったり暗殺を企てたりするとは到底思えない方、とのことだった。

 そう聞いても非常に胡散臭い印象しか抱けなかったのは、リディアーヌの心根がねじ曲がっているせいだろうか。

 ともあれ、カレッジ内でそういうヴィオレットにそういう印象を受けている人達がいたということは参考になった。


 対するアンジェリカ嬢の方は、変わった子、という評価の一言だった。

 接していた期間が短く、また庶子という出自から悪い噂も多かったため、公正な評価はしかねる、というのが二人の共通認識だったようだ。その冷静な判断には好感が持てた。

 それでいてなお、彼女たちは変わり者の印象を持ったというのだから、決して悪意ある言葉ではなく、事実なのだろう。

 何をもって変わり者というのかを問うてみると、庶子という割に卑屈さや謙虚さはなく、いつも天真爛漫で前向きで、かと思えば人目を避けるように一人でどこかに駆けていく様子を見ることもあり、色々と妙だった、というのだ。

 なるほど、確かに妙だ。アンジェリカ嬢については、今しばらく情報が欲しいところである。


「少なくともヴィオレット嬢に関しては、追放になったところで復讐だなんだと騒ぎ立てたりはしなさそうかしら……」


 期待も込めてそう呟いてみたら、情報提供をしてくれた令嬢がポロリと最後に、不穏なことを言った。


「そうでございますね。婚約を破棄されるや、嬉々(きき)として国を出て行ったと聞きますから」

「ちょっと待って。何それ」


 おかげさまで、ヴィオレットという人物のことが良く分からなくなってしまった。



  ◇◇◇



「どう思う? フィリック」

「少々頭のおかしな子なのでは?」

「貴方、最近どんどんと口が悪くなっているわね」

「臣下は主人に似ると言いますから」


 だからそういう所だよ、君。


「それで? どう思うの?」

「正直、私も判断し難く思っています。嬉々として、というのはどういう意味でしょうか」

「まったくだわ。まぁ、無責任に浮気しておいて恥をかかせてくるような王太子と婚約破棄出来て清々(せいせい)した、というのは分かるわよ。でも嬉々として国を出ていくって……何それ。やっぱり復讐を考えていると思う?」

「ですが品行方正で貴族の(かがみ)なのでしょう? そんな令嬢がいかに清々したとはいえ、国事にも関わる婚約破棄に嬉々とした顔をするでしょうか」


 うむ。やはり意味が分からない。


「姫様はヴィオレット嬢と面識があるのでは?」

「といっても小さな頃に数度顔を合わせただけよ。私の印象も、お利口さんというイメージくらいね。二人が話していたよりもっと大人しくて引っ込み思案な印象だったけれど、その辺は王太子の許嫁になって変わったのかもしれないわ」

「お利口さんとは、王太子妃には向きそうにない評価ですね。私の主を見ている分、猶更」

「私はお利口さんではないと?」

「お利口さんの意味をご存じで?」


 無駄口を叩いていると、「追加の書類ですよ」と、苦笑交じりの文官補佐が書類を机に並べた。フィリックも昔はこんな感じに物腰良く謙虚だったのだが。


「やっぱり、他の人達から寄せられた印象も、どれもこれも品行方正、といったものばかりね。下々の味方、という情報も多いわ。分け隔てない性格に好感が持てる? これはちょっとどういうことかよくわからないけれど」

「まぁ、姫様には理解しがたいでしょう」


 まだ無駄口を続けるのかとフィリックを睨み上げてみたが、思いのほか真面目な顔で追加の情報に目を通している様子に、苦言は噤んでおいた。無意味な言葉ではないだろう。


「貴方には理解できると?」

「私からしてみれば、姫様も十分に下々に分け隔てない人物です」


 それは予想外だった。そんなつもりはちっともないのだが。


「姫様はご自分の公女府に仕えている人々の名をよくご存じで、関心しております」

「名前?」


 そう言われて思わず、執務室の中を見渡した。日頃この執務室に出入りする彼らは勿論だが、よく顔を合わせる人達であればメイドの名前も何人かは存じている。でもその程度だ。


「そんなことが分け隔てなさだとでも?」

「そういわけではありませんが、キッチンメイドの名前までご存じの令嬢、ましてや姫君は、早々いないと思いますよ」

「ラビのこと? 彼女の母親は小さな頃に世話をしてくれていたメイドだったから、特別に親しいのよ。アレットとミレットは見た目もそっくりな双子だから物珍しくて目につくの。働き者だしね。でも公女府に仕えているのはその何十倍もいるわよね? 警備の従士の何人かは見知っているけれど、その他は顔も名前もよく知らないわ」

「安心しました」


 なぜか逆に安心されてしまった。


「普通は護衛騎士の名すら覚えていないことも珍しくはないのです。下級使用人などは、存在すら認識されていないでしょう。なので私は姫様に仕え始めてすぐ、随分と分け隔てのない主なのだと思ったものです」

「そんなつもりはなかったわ。素性も知らない人間を護衛になんてできないし、第一あれこれ命じるのに名前を知らないと不便じゃない」

「……」


 あれ? もしかして私は部下に仕事を振りすぎなのか?


「それで、ヴィオレット嬢ですが……例えば姫様はいつも過酷な任務に就く護衛騎士に、差し入れをなさることは?」

「なぜ? 食堂や休憩室はないの?」


 純然たる気持ちで首を傾げたら、扉の前に立つ女性騎士セルリアが、くっ、と笑い声を噛み殺した。生真面目な筆頭護衛騎士のエリオットに睨まれてしまっている。


「お茶と茶菓子を持ってきた侍女に、一緒に食べるようお誘いすることは?」

「侍女に毒見でもさせる気なの? 怪しい動きをしている子にならアリかもしれないわね」

「……まぁいいです。では、部屋を掃除してくれるメイド達の悩みを聞いたり、感謝の言葉をかけることは?」

「メイド達には悩みを話せる同僚も、褒めてくれる上司もいないと? 家政婦長に職場の環境改善と人員の見直しを行わせるべきね」

「下級身分の者を気遣い勉強を教えたり、物を援助したりすることは?」

「私のすべき仕事ではないわ。物の援助というのは慈善事業ということかしら? 孤児院ならまだしも、下級身分といっても貴族でしょう? どちらも私がすべきは一時凌ぎの(ほどこ)しではなく制度の見直しだわ」

「姫様の場合は総じて色々とズレていらっしゃる気がしますが……とりあえず、ヴィオレット嬢は今言ったようなことをよく行っており、それが下々に分け隔てないという評価になっているようです」


 そうハラリと置かれた書類に目を通しながら、段々と胸焼けしそうな甘ったるさを覚えて、顔をしかめてしまった。


「気持ちの悪い子ね」

「私も姫様に仕えて三年になりますが、未だに姫様の感想のツボがつかめません」

「どこぞの没落貧乏貴族出身の苦労人でもあるまいし、ヴィオレット嬢はどこか頭のねじが外れているのかしら?」

「宰相家の令嬢、ましてや王太子の元婚約者として手段を違えていることは確かですね。しかしそういう目先だけの気配りが、日頃空気のように扱われている階層の者達には聖女のごとく崇められたようです」

「なのに王太子との関係は冷え切っていて義務的だった? 立場としての優先順位を見失いすぎよ。立ち回りが下手にもほどがあるわ」

「甘っちょろい理想主義なのでしょう」

「いえ、待って。これがもし全部計算だったというのであれば、尊敬するかもしれないわ」


 はっとした顔でそう顔を跳ね上げたら、「計算できるような令嬢なら、こんな幼稚な事件に巻き込まれないのでは?」という冷静な言葉を返されてしまった。

 うん、確かに。嬉々として国外に追放になる令嬢が、“国”を考えられる人物であったとは思えない。


「けれど最初から国も身内も裏切るつもりで婚約破棄騒動を起こしたのだとしたら、相当の危険因子よ。まったく、シャルルはどうして国外追放になんて……」


 何度も口にした言葉をまた口にしかけて、あぁいや、これはもういいわ、と首を振った。


「とりあえず恨みつらみを叫びながら追放されたんじゃなくて良かった、としておきましょう。今はそれよりもブランディーヌ夫人とアンジェリカ嬢とやらの方が目先の問題ね」


 そういってヴィオレットに関する調書を放り出すと、すぐにフィリックが机の上の書類を並べ替えた。意外と関連書類は少ない。


「大した動きはないみたいだけれど?」

「そのようですね。聖痕の真偽が分かっていない上に教会派が騒がしい今、侯爵夫人も迂闊(うかつ)には動けないのかと」

「となると、やはり聖別の儀が問題になりそうね」

「ベルテセーヌ教会が昨今、早く聖別を行うことを訴えているとの情報は入っています。教皇庁の働きかけとは関係なく、国内の教会内部から上がった声のようです」

「いいことね。教皇聖下と皇帝陛下がいらぬ策を巡らせる前に、ベルテセーヌの教会に取り仕切らせた方が早いかもしれないわ。接触はできるかしら?」

「ベルテセーヌ内部に直接となると、すぐにとは……」


 ふむ。やはり流石にそれは無理か。


「ちょっと整理しましょうか」


 聖別(せいべつ)の儀、つまり聖女であるかどうかを神に問う儀式は、聖女の認定を行うには必須の儀式だ。リディアーヌは物心つく前、まだ言葉も(おぼ)(つか)ない頃に受けた儀式なのでよく覚えていないけれど、一応聖別によって認められ、聖女の称号を与えられた。

 アンジェリカ嬢も聖女を称した以上、遅かれ早かれこの聖別を受けねばならないわけだが、今この儀式についてはアンジェリカ嬢を本物と認めたい派閥と、偽物として糾弾したい派閥とが存在することになる。


「本物でないと困るのは、婚約破棄に加担した国王と王太子、宰相オリオール候とエメローラ伯爵以下、アンジェリカ嬢側の人達。対して、偽物として糾弾(きゅうだん)したいのはブランディーヌ夫人派ね」

「教会はどちらだとお考えですか?」

「難しいけれど……一枚岩ではないんじゃないかしら。ベルテセーヌ所属の聖職者の多くは聖女信奉者よ。アンジェリカ嬢を崇拝しているかもしれないし、疑っているかもしれない。聖別を早く行いたいのも、その辺をはっきりしないと立場の取りようもないからではないかしら?」

「ヴィオレット嬢がいなくなった今、ここぞとばかりにアンジェリカ嬢を偽物として糾弾して、本物をベルテセーヌに呼び戻すつもり……などということはありませんか?」


 ジィ、ッとこちらを見るフィリックの視線に、思わず眉を(しか)めてしまった。考えたくなかったことを、こうも真っ向から突き付けられるだなんて。


「……ベルテセーヌ教会は元々、私を追い出す手助けをしたブランディーヌ夫人と不仲なのよ。できれば今回も不仲らしく、反目しあってくれると有難いのだけれど」

「その物言いでは、利害が一致して、今回ばかりは手を組んでアンジェリカ嬢糾弾に一役買いそうですね」

「聖別の儀は荒れそうね。聖都ベザリオンの本山からも、ベルテセーヌ教会の聖職者達を黙らせ得る立会人を寄越してもらうべきだわ。もっとも皇帝陛下は新しい聖女を歓迎しないでしょうから、立会人はこちらから適切な人物を名指しして、間に皇帝陛下を挟まない形で」

「こちらの意図を汲み取って動いてくれるような神官に心当たりが?」


 ふむ……そうだな。そんな聖職者は……。


「あ、いるわね」


 いた。うむ……彼ならば。


「誰です?」

「貴方の“ハトコ”よ」

「……?」


 あ、あれ? 何故通じていないんだ? 何故首を傾げているんだ?


「アルセール司祭よ! 貴方の父アセルマン候の従姉の次男!」

「……あぁ。ルゼノール家の」

「ねぇ、フィリック。貴方、もうちょっと身内に関心を持ったらどうなの?」

「ご心配いただかずとも、“ 再従姪(はとこめい)”である我が主の思考回路に関しては大いに関心を持っています」

「……」


 そんな言葉が聞きたいわけじゃないのだよ……フィリックくん。






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