4-25 バレの離宮
緊急会議が開かれて数時間後、危険がどうのこうのなんていう話をどこに忘れてきたのかという勢いで城を飛び出したリディアーヌは、首都とお隣グレイ公国との経由地点となるバレの離宮に向かった。
リンテン方面へ行き来する際には必ず滞在することになるその離宮は、小ぶりだが風光明媚な城で、中庭に通う水路と一面のベルブラウの花畑が美しい白と青の城だ。
だがその美しくも可愛らしい離宮の様子は騒然としており、突如現れた公女殿下のための仕度を整える下働き達が飛び交い、はたまた公女様が連れてきた思いがけないお客様にあたふたとしていた。
お客様というのは勿論マクシミリアンのことで、今にも単騎で飛び出していきそうなところを捕まえてここまで連れてきた。
「見逃して、リディ」
「おだまり、ミリム」
多分これが、うちのお養父様の大暴走の原因だ。逃がしてなるものか。
***
翌日、離宮の前で並んで待ち構えていたところに、つい先日のマクシミリアンとの既視感を感じさせる出で立ちの大公様が現れた。
早駆けの地竜に土に汚れたローブ。相変わらずの無精髭に、なんとも機嫌悪そうに出迎えの面々を見下ろした眼差し。今にもお説教が始まりそうな様子だが、当然、対策は考えてきた。
「リディ……これは一体……」
「一体、どういうつもりですの? お養父様」
先手を取らすまじと怒気を孕んだ笑顔ですごんだリディアーヌに、大公様の方がぴくっと表情を崩して目を瞬かせた。
「いや、それはこっちのセリ……」
「議会の宣布はまだ終わっていないと聞いています。それどころか大使からは再三、お養父様と連絡が取れないと安否を心配する鳥がやって来て、私やデリクが一体どれほど不安になっていたことか、分かっていらっしゃるのかしら」
「そ、それはっ……」
「その上、伴も連れずにお一人で暢気にご旅行気分ですか? 私、お養父様が皇宮を出ただなんていうお話、一度も聞いていないのですが」
「いや、だからそれは、そのっ……」
たじたじとリディアーヌと隣で平然としているマクシミリアンとを見て何か言いたそうにしている大公様に、「第一お養父様はいつもいつも……」と、畳みかけるように言葉を紡ぐ。
これぞ側近達と考えに考えた作戦。何か言われる前に言って主導権を握れ作戦である。
「ッ、分かった、もう分かったっ! 許してくれ、リディッ!」
勝った!
「まったく……こうして何事もなくご無事だからよかったものを。心配しましたのよ?」
「すまない。反省した」
竜を飛び降りて嬉しそうにじょりじょりと無精髭で頬擦りする保護者に、今にも喉から飛び出しそうな苦言を飲み込んで我慢する。我慢だ。我慢だ。
心配しましたアピールを存分にこなせば、きっと満足することだろう。
「……だがリディ。君こそ、その“原因”と一緒にバレまで仲良く旅行か?」
っ、しまった。油断したか? いや、まだ大丈夫。
「まぁ、心外です、お養父様。お養父様の居ぬ間に襲われていた私を助けてくれた恩人であるばかりか、ミリムはお養父様と間違えられて襲撃を受けていたのですよ。宜しいですか? “お養父様のせいで”ですよ?」
「は?」
再び目を瞬かせてリディアーヌを、そしてマクシミリアンを見やった養父に、マクシミリアンも肩をすくめて頷いて見せた。
「待て。ちょっと待て。襲撃? 恩人? なんだそれは?」
何しろ養父もまたここまで一切悟られること無く突撃帰国してしまった困ったさんだ。当たり前だが、ここ最近のヴァレンティンでの事件のことは知らないのだろう。しばし混乱したかと思うと、急に険しい面差しになり、ゆるゆるとリディアーヌを腕から解放すると腕を組んだ。
「どうやらミリム君を罵る前に、聞かねばならない話があるようだ」
「ええ、そうしてください」
「……あの、後で罵るのは変わらないんですかね?」
思わず突っ込んだマクシミリアンの言葉は、もれなく大公様によってスルーされた。
***
「お帰りなさいませ、養父上」
「お待ちしておりました、ジェラール様」
離宮に立ち入ってすぐ、待ち構えていたフレデリクとアセルマン候に、「おいおい、デリクにお前まで」と、養父は困惑気に出迎えの面々を見渡した。
フォレ・ドゥネージュ城の留守はマドリックに任せてあり、次男パトリックもリディアーヌの側近のフィリックも、アセルマン家もほとんどこのバレの離宮に集まっている状況だ。勿論アンジェリカも連れてきている。リディアーヌとアセルマン候ばかりか、まだ城の外にもほとんど出たことのないフレデリクまでいるのだから、養父が驚くのも無理はない。
「コラリス侍女長、取り合えずいつも通り、お養父様を身綺麗にしてきてちょうだい」
「待て待て、リディ。この状況は到底そんな悠長なことを言っていられる状況ではないだろう」
「土埃で折角のお茶をじゃりじゃりさせるおつもりですか? 私、そんなお養父様と同じ席になんて着きたくありません。ねぇ、デリク」
「姉上が嫌なら私も嫌です」
「ぐっ」
「さぁさぁ、参りましょう、大公様。湯を準備しております」
にこやかな子供達に胸をえぐられた大公様を侍女長が問答無用に引きずっていくのを見送ったところで、ふぅと息を吐いた。ひとまず、出会いがしら早々のお説教は回避された。大成功である。
「アセルマン候、話し合いの部屋は整っているかしら?」
「万事抜かりなく。どうぞこちらへ。ザクセオン公子殿下もどうぞ」
「私は今すぐにでも逃げ出したいくらいなんだけど」
そう言いながらもさりげなくエスコートの手を伸ばしたマクシミリアンに、「言っていることと行動が矛盾しているわよ?」なんて苦笑しながら手を差し出した。さすればもれなく逆の腕を、ぎゅっとフレデリクが抱きしめてきた。あぁ、今日もうちの弟が可愛い。
バレの離宮はあくまでも閑静な静養地なので、あまり臣下達が集まって会議をするような仰々しく広い部屋はない。それでも一番広い応接間の家具が入れ替えられ、それらしい会議室に変えられていた。ほんの四半日足らずで、皆頑張ってくれたものである。
そこで今しばらく離宮に持ち込んだ仕事をこなしている内に、案の定ろくに髪も拭わぬままラフな格好の養父が現れた。一応上着を肩にひっかけてくれているのは、離宮内にマクシミリアンというお客様がいることにちょっとくらい気を使ったのだろうか。
「おいこら、リディ。なんで部屋の中にまでザクセオンの小僧がいる」
「関係あるからです。ほら、早く座って下さいませ。コラリス、お茶をお願い」
「かしこまりました」
主より娘の言うことを優先する侍女長をひと睨みした養父は、やがて仕方なさそうに息を吐きながら上座に腰を下ろした。それからすぐに目の前に積みあがっている書類を嫌そうに摘まむ。多分、こんなのは今日の予定になかったことだろう。だが自業自得である。
「それで? そもそもどうしてこんな所にいらっしゃるんですか?」
「ぐっ……」
摘まんでいた書類がパラリと机に落ちる。流石に前置きもなく、直球過ぎただろうか。
「それはこちらのセリフなのだが……はぁ。まぁいい」
ドンと椅子の背に身を預けた養父は、少し考え込むようにトントンと指先で机を打ったかと思うと、「取り合えず確認したいんだが」とマクシミリアンを見た。
「公子。貴様こそ、何故うちの娘と一緒にいる」
「さぁ、どうしてでしょう」
「選帝侯議会が閉幕するや否や、急に姿を見せなくなりやがって……ザクセオン大公は『先に帰国させた』などと言ってやがったぞ」
「そうなんですか? それは……父が、ヴァレンティン大公閣下から“逃げ”たんですね」
息子に罪を擦り付けようだなんて……と呟いたマクシミリアンの低い声に、何となく事情を察した。
どうやらマクシミリアンが先に皇宮を出奔したのは間違いないようで、それをザクセオン大公は帰国させたなどという嘘で誤魔化したらしい。ということは大公は息子の行方を知っていたのだろうか? まぁ、帰国したわけではないことくらいは察していただろう。
「お養父様はいつミリムの本当の行先をお知りに?」
「帝国議会の閉幕の日だ。くそっ。お前さんがヴァレンティンに向かっていると知っていたら、その日のうちに追いかけてやったものを。父子共々、出し抜きやがって」
ということは、マクシミリアンより何日か遅れて皇宮を出たことになるが……。
「お養父様、早すぎない?」
まぁ、普通の地竜ではなく早駆けの地竜を使っていたことを考えると有り得なくはないか。それにしたって早すぎる気はしないではないが。どんだけ飛ばしていたのだろう。
「ん? ということは、閣下は大宣布前に皇宮を出たんですか?」
「……」
あ、うん。あー……。
「ちょっと……お養父様?」
「帝国議会の閉幕にはちゃんと参加した。だったら大宣布を聞かずに帰国するくらいいいだろう。ちゃんと承認の仕事も済ませた」
そう堂々と言い放った養父だったが、これにはもれなくリディアーヌが頭を抱えてため息を吐いた。
やはり養父は“知らない”のだ。その大宣布がとんだ混乱を巻き起こしていることを。
「残念ながら、お養父様。閉幕後の大宣布は中断されて、未だに終わっていないんです」
「……?」
コテン、と首を傾げた養父の表情は、ごもっともである。何故、としか言いようがない、前代未聞の事態である。
「終っていない? 何故? 承認はちゃんとしたぞ?」
「お養父様のお仕事ぶりを疑っているわけではありませんわ。そうではなく、大宣布が行われるべき議場で皇帝陛下が昏倒し、延期になったという噂なのです」
「は? 憎らしいほどピンピンしていたぞ?」
すがすがしいほどの断言である。
マクシミリアンの証言と合わせても、やはり皇帝昏倒の噂はかなり信憑性が怪しくなってきた。
「よもやお養父様が出奔しているなどとは思ってもみませんでしたが……少なくとも陛下のご容態の急変で、大宣布のために集まっていた王家選帝侯家の面々は皇宮に留め置かれ、外部との連絡も遮断されていたようなのです。ですが……はぁぁぁ」
当たり前だが、皇帝側もその場にいないといけないはずのヴァレンティン大公がいない事にはすぐに気が付いたことだろう。
「ミリムが青札で通過した瞬間、襲われた理由が分かったわね」
「やっぱり閣下と間違えられたのかな」
「目的は足止めでしょう。私に計略を働いていたのに、予期せずお養父様が帰ってきてしまったと思って、急いで足止めして私を襲う計画を前倒そうとしたのね。皇宮側の刺客も、ベルテセーヌの刺客の動きから察知して便乗したのかしら」
「襲撃が計画的じゃなかったはずだよ」
「いやいや、ちょっと待てお前達。何だと? 計略? リディを襲う? 皇宮側の刺客にベルテセーヌの刺客? 一体何事なんだ」
おろおろと子供達を見やった養父に、「聞いた通りですわよ」と肩をすくめてやった。
「お養父様は相変わらず暢気に単騎でお帰りのようですけれど、正直このままお一人で首都に入っていたら何かしら危険な目にあっていた可能性が高いです。だから私達がわざわざ外に出て、気が付かれる前にお迎えに参ったのですよ」
「は?」
「ここのところヴァレンティンの首都では事件が相次いでいて、デリクのいる公子宮も襲撃を受けました」
「はぁ?!」
ガタンと腰を浮かせた養父に、「大丈夫です、マドリックがちょっとした怪我をしただけです」とフレデリクがそれを諫めた。
「それから国立学校で火事が。幸い甚大な人的被害はありませんでしたが、学生寮が被害を受けているので外城の迎賓館を開放しています。それを見舞った帰路にどうやらお養父様と間違えられたらしいミリムが追われている所に遭遇し、ついでに私も襲撃を受けました。どちらの事件も、どうやらベルテセーヌの刺客と、別口で皇宮からの刺客も来ていたようです。公子宮に手引きした者達の捕縛と襲撃者達の捕縛ないし討伐は済んでいますが、まだ潜入している者達がいないとは限りません。
それから後宮への手引きに関与したかもしれない元小府庁補佐のエタン子爵が逃亡しており、ちょうど昨夜このバレの近くで取り押さえました。詳しい事情はまた後ほど報告しますが、減刑の余地もない大罪人ですので、とりあえず爵位没収の書類にすぐ大公殿下の証印をいただきたいです」
説明するリディアーヌの言葉に合わせてフィリックがさっと没爵の書類を置く。
しばらく目を瞬かせていた養父だったが、ちらりと書類を見下ろすと、浮かせていた腰を落ち着け、ろくに内情も聞かずすらすらとサインを綴って証印を捺した。
信頼してもらえるのは何よりだが、こんな重要な書類を何も言わず承認してくれるだなんて、娘に甘すぎではなかろうか。
「……いやいやいや。エタンはどうでもいいとして。なんだ、この状況は」
「私もお伺いしたいくらいです」
「狙いは何だ? リディか?」
「皇宮側はそうでしょうね。警告目的か殺害目的かは分かりませんが、少なくとも皇帝陛下に様子見はされていたでしょう。ベルテセーヌ側は……」
まだはっきりと目的が分かったわけではない。ただの憶測になってしまうのだが。
「憶測でもいい。君の事だ、何かしらあたりはつけているんだろう?」
お見通しか。
「正直はっきりとは分からないんです。ただブランディーヌ夫人が議会前の時期に皇宮にいたかもしれないとの噂があります。皇帝陛下の昏倒があらかじめ計画されていた事で、それを聞いていた夫人がこの事態に私が逸って廃太子の擁立を計らないよう、牽制するつもりだったのではと」
「どういうことだ?」
いまいちピンと来なかったらしい養父に、「今もし選定議会が開かれたら、お養父様は“誰”を擁立なさいますか?」と問うてみた。
それを聞いた瞬間、ぐっと養父も険しい顔で黙り込んだ。
答えはリディアーヌと同じだ。もしも本当に皇帝崩御などとなったならば、少しでも早く皇帝戦を戦い得る王を選ばねばならないのに、今この現状では、ヴァレンティンは自分達が擁立すべき王を持たない。
「それで? 実際に君は、その立てるべき王を立てる算段を考えたのか?」
「正直、考えましたね。命の危険なんて二の次に、自らベルテセーヌに乗り込んで廃太子を引きずり出すくらいのつもりでいましたね。公子宮で事件なんて起きなければ、今頃ベルテセーヌにいたかもしれません」
そうフレデリクを見たリディアーヌに、ハァァと重たいため息を吐きながら養父は頭を抱えた。
「そうならなくて、本当に良かった」
「自覚はありますよ」
そう肩をすくめて見せたところで、話の区切りを見たアセルマン候が幾つかの書類を養父の前に並べていった。
「ひとまず、急ぎ証印して欲しい書類でございます」
「おいおい。ついて早々……あ? 何だ? 工兵省の人材派遣と……働き方是正案? 何が急ぎなんだ? それからこれは……んんん?」
まだ詳しい事情を聞いていないせいで、積み上げられてゆく書類の意味がよく分からないのだろう。首を傾げつつ、しかし案の定養父はろくに話も聞かずにすべて証印してくれた。
「書類を作っておいてなんですが、もう少し理由を聞いても良いのでは? お養父様」
「リディが必要だと思って用意した物だろう? 当然後できちんと理由は確認するが、すぐに確認せねばならないほどのものでもない」
そうサラサラとサインを綴ってゆく手が、しかし一つの書類を前にしてピタリと止まった。
「どうかしました?」
「……前言を、撤回する」
はて? 手を止めるような書類が紛れていただろうか?
「リディ、この“アロア離宮使用許可”とはなんだ?! まさかアセルマン家と目と鼻の先の離宮で独り立ちする気じゃないだろうな?! 独立はまだ早い!」
「……」
「さっさとサインしてください。大公様」
アセルマン候に頭を押さえられた養父はしばしごねていたが、間もなく強引にアセルマン候に手を握られサインを綴らされた。
あれって、法的に大丈夫なのだろうか。
はぁ。大公さんの突然の帰国には驚いたが……しかしおかげで、色々とほっとした。
やはりなんだかんだ言って、養父がいる安心感は大きい。く、口にはしないけどっ。
「取り合えず……お帰りなさいませ、お養父様」
「今更か?」
「今更ですが」
「まぁ……どうやら早く帰って来て正解だったらしい。愛娘を失わずに済んだからな」
「……」
それについては言葉も無い。
言葉も無いが……ちょっと恥ずかしいので、皆の前ではやめて欲しい。
それから叔父はいくつか詳細な情報を求めたが、およそ大事な情報共有が住むと、「さぁ、それじゃあそろそろ男同士の大事な話し合いをしようじゃないか、ミリム君」と、真っ黒な微笑を浮かべながらマクシミリアンの肩を抱き、どこかへ去って行った。
珍しく青い顔をしたマクシミリアンが必死に「助けて、リディ」と訴えてきていたが、それはフレデリクと二人でニコニコと手を振って見送った。
その後彼らがどんな話をしたのかは知らない。
知らないが……何故か随分といい笑顔で養父が晩餐にマクシミリアンを連れてきたのを見た時には、何とか逃れ切ったマクシミリアンに素直に感心したものである。