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1-8 事件の後報(1)

「ベルテセーヌ王太子の婚約破棄の件、詳細がわかったぞ」


 叔父が夕飯の席でそう切り出したのは、それから数日が経った頃だった。

 折角の家族団欒の食事の席。キョトリと首を傾げているフレデリクには悪いけれど、それについては早く知りたかったので続きを求めた。


「まず王太子の新しい許嫁についてだが、エメローラ伯爵令嬢アンジェリカ。やはり、庶子らしい」

「いきなり……悩ましい情報ですわね」


 せっかくの甘いポタージュが苦くなる。


「訳あって伯爵が認知する所となり正妻の養女として引き取られ、間もなく国立学院に通い始めた。王太子とはそこで出会った」


 それだけならばよくある話だ。

 庶子であっても正妻が養子女として受け入れさえすれば、ちゃんと貴族譜にも名前が刻まれる。庶子の責任は親にあって子にないという教会の説法により、こうした救済措置は一応根付いている。手っ取り早く貴族の常識を学べる学院通いも、理に適った物だろう。


「そこで何があったのか、端的(たんてき)に言うと、素直で天真(てんしん)爛漫(らんまん)な異端児に、バカ太子が一瞬でぞっこんになったらしい」


 叔父様……言わんとしていることは分かるが、フレデリクの前であまりいらぬ言葉を覚えさせないで欲しいとあれほど……。

 そんなリディアーヌの視線に気が付いたのか、ごほんっ、と一つ咳払いして見せた叔父は、しばし沈黙して言葉を吟味(ぎんみ)しているようだった。


「あー、それで、まぁ当然ながら王太子の許嫁であるヴィオレット嬢とアンジェリカ嬢との間で揉め事が増えるようになり、最終的にヴィオレット嬢がアンジェリカ嬢の毒殺を目論む事件が起きたらしい。ヴィオレット嬢は衆人の集まる中、現行犯として捕らえられ、王太子に婚約破棄を言い渡されたそうだ」

「王太子もどうかと思いますけれど、ヴィオレット嬢も自業自得ということですわね」

「ただヴィオレット嬢自身は冤罪(えんざい)を訴えていたようだ」


 なるほど。事実毒を盛ったのだとしたら愚かであるし、もし冤罪だったのだとしたら、ポッと出の令嬢に許嫁をかっさらわれた上に()められた愚か者だったということだ。

 その程度のことで失脚するくらいなら、どのみちヴィオレット嬢に王太子妃は荷が勝ち過ぎていたのだろう。

 それは他でもない、目の前で兄を毒殺され、冤罪をかけられる夫に庇う言葉一つすらかけられず茫然としたまま国を逃げ出したことのあるリディアーヌだからこそ言える、愚か者のレッテルだ。


「アンジェリカ嬢が聖女だのなんだのというお話はどこから?」

「その暗殺事件の際、実行犯の侍女を取り押さえようとした所、逆上してケーキナイフを振り回したらしい。その刃でドレスを裂かれたアンジェリカ嬢の胸元に聖痕があったとか。騒ぎを聞きつけた王と宰相もそれを確認し、直ちにヴィオレット嬢を切り捨ててアンジェリカ嬢を擁護した」

「少々出来すぎてはいませんか?」

「同感だな。仕組まれたとしか思えない。だがそれでも、聖痕があったとなれば踊らされるしかない」


 果たしてそれを目論(もくろ)んだのは、アンジェリカ嬢なのか、エメローラ伯爵家なのか、あるいはアンジェリカ嬢にぞっこんだとかいう王太子なのか。

 長年ブランディーヌ夫人からの抑圧を受けてきた国王にとっても、新たな聖女の出現は渡りに船だったのかもしれない。


「現王室は聖女であったリディアーヌ王女を失ったことで教会派や保守派から強い非難にさらされてきた。そこに操りやすく、ブランディーヌの息のかかっていない新しい聖女が現れたとなると、後先考えず手放しに喜んだことだろうな。実にシャルルらしいことだ」

「聖女の不在で、現国王は正式な即位式さえあげられていませんものね。まぁ、不在の原因である私が言うことではありませんけれど」


 それは当時六歳のリディアーヌが意図したことではなく、叔父と兄の決定だったのだが、少なくともそのせいで現王室は聖女を信奉する派閥から忌まれ、正統性を疑われ続けている。

 それを拭い去るべく、傍流の王族に顔の利くブランディーヌ夫人が娘を王太子の許嫁にすることで国王の威厳を保たせていたが、聖女がいるのであれば聖女を王太子に嫁がせた方が支持の回復には手っ取り早い。


 ヴィオレットは邪魔になったのだ。


「ブランディーヌ夫人がよくもまぁ婚約破棄に同意したことだと思っていましたけれど、つまり夫人が口を挟む前に、国王と宰相が目先の幸運に飛びついて、即時判断してしまったのですね。宰相も、我が子の事だというのに思い切った決断をしましたこと」

「聖痕もそうだが、王太子が声高らかにヴィオレット嬢を非難しアンジェリカ嬢を持ち上げたことも原因だろう。娘を庇ったところで王や王太子に厄介者扱いされては自分の地位さえ失いかねん。実際、娘を自ら切り捨てておかねば娘に連座されかねない状況でもあった。教会派はただでさえオリオール家を嫌っている」

「教会派が心酔してやまなかった前王とエドゥアールお兄様を真っ先に裏切って、現王の腹心となった家ですものね」


 フレデリクがぴくりと小さく反応して食事の手を止めたけれど、すぐに何事もなかったかのようにもぐもぐと口を動かした。

 本当はもっと聞きたいだろうに、難しい話の邪魔になると思ったのか。いじらしいことである。


「アンジェリカ嬢の聖痕の真偽はどうなのですか?」

「元々、王家の落胤(らくいん)という噂はあったらしい。令嬢の祖母が四十年ほど前、後宮に女官として仕えていた記録が残っている。事件の後にエメローラ伯爵が語ったところによると、アンジェリカ嬢の生母は伯爵領内のヴィヨー元騎士爵家に住んでいた元女官の一人娘で、素性は知らなかったと」

「……」


 言葉もなくパンをブチッとちぎったリディアーヌに、叔父は苦笑をこぼしながら「言いたいことは分かる」と言った。

 素性を知らない? 有り得ない。有り得ないついでに、アンジェリカ嬢の出身にも察しがついた。


「ハァ……やっぱり。お祖父様(じいさま)の落胤なわけですね」

「おじいさま?」


 兄の話題と違って知らない人物が出てきたせいか、フレデリクも思わず反応してしまったようだ。すぐ、ぱっと両手で口をふさいでみせた仕草が可愛すぎて、もれなく叔父がその場に(もだ)えた。

 可愛いものを愛でさせてもらったお礼に色々と話してあげたい所なのだが、生憎と、無垢なフレデリクにあの困った祖父の話はしたくない。

 いや、名君ではあったのだ。くしくも在位中、皇帝戦がなかったがために一国の王に終わったが、お祖父様であればあるいは次の皇帝戦でも凶刃に倒れることなく勝ち得たかもしれない。そう国内でも囁かれたような御仁なのだ。

 しかし如何せん、多情すぎた。父の治世中から今の国王の時代にかけて、一体何度、祖父クリストフ一世の落胤を名乗る者達による事件が起きたことか。


「デリクにはもう少し大きくなってから教えてあげるわ。お祖父様は、ちょっと……その。子供の教育にはよろしくないエピソードが多い方なのよ」

「とっても気になりますが、我慢します」


 そうお行儀よく答えるフレデリクに、「今度、よろしい方の逸話を教えてあげるわね」と約束しておいた。政治的な功績の話なら問題ないだろう。


「それで、叔父様。ヴィオレット嬢は今どうなっているのです?」

「ひとまず、在籍していたベルシュール国立学院は任意退学扱いになっている」

「罪人とされたのに、任意退学なのですか?」

「その辺は国王側が宰相家に配慮をしたのだろう。王太子の態度にも非が有ったと認め、宰相家自体についてはお咎めなしとなった。ヴィオレット嬢もその過程で、何かしら減刑となったのだと思われる。だが少なくともオリオール侯爵家からは除籍されている」

「なるほど……」

「その後下された処分は“国外追放”だそうだ」


 思わずカチャンッと、肉を刻んでいたナイフがお皿を引っかいてしまった。


「なんですって?」


 持ち上げた顔が、笑おうとして失敗したかのような酷い引きつり方をしている。叔父もそれには、さもありなん、と頷いた。


「国外追放? 王太子に一方的に婚約破棄され、聖女かと目される人物を暗殺しようとした罪人を、国の外に野放しですって? 馬鹿なの? シャルルは馬鹿なの?!」


 言葉を取り繕う余裕なんて微塵もなかった。カシャンとカトラリーを置いたリディアーヌに、いつもはマナーに口うるさいうちの侍女長も咎める様子はない。

 多少の物言いで収まる混乱と憤激(ふんげき)でないことが一目瞭然だったせいだろう。


「あの……あね、うえ?」


 ただ、姉のそんな言葉遣いを聞いたことのないフレデリクの困惑気な言葉が、リディアーヌをはっとさせた。いかんいかんっ。フレデリクの前で、感情のままのみっともない姿をさらすわけにはいかない。


「大きな声を出してごめんなさい、デリク。でもこれはさすがに、呆気にとられるわ。国王だってブランディーヌ夫人の恐ろしさは知っているはずでしょう? なのにその顔に泥を塗るだけ塗って、ヴィオレット嬢は何事もなく放置ですって? 愚かにも程があるわ」

「宰相家に情けをかけたつもりか。私も報告を受けた時には呆気にとられた」

「もれなく殿下はティーカップを取り落としてカーペットに惨劇を(もたら)されました」


 すかさず口を挟んだ大公様の侍従長に、思わず視線が集まってしまった。


「おい、ランデル。何故今ここで口を挟んだ」

「申し訳ありません、思わず。氷果(ソルベ)をお出ししてよろしいでしょうか」

「……あぁ」


 ランデルのおかげで気が抜けた。

 ふぅ……憤りが少し落ち着いた気がする。


「まぁ、ここで他国の王の愚昧(ぐまい)さに苦言をこぼしても仕方がないわね。取り合えず早急に、そのヴィオレット嬢の人柄を知りたくなりました。もし私がヴィオレット嬢なら、きっと国外で有力な後見を手に入れて、裏切り者の王太子と祖国に凄惨(せいさん)な復讐を……」

「気分転換が足りなかったようでございますね」


 スッと後ろからうちの侍従長マクスが差し出した氷果に、急ぎ口を噤んだ。

 ごふん、ごほんっ。冷たいもので、ちょっと頭をすっきりさせよう。


「言わんとしていることは分かるぞ、リディ。恥をかかせるだけかかせて監視もせずに放置する。その恐ろしさが理解できないというのは、実に閉鎖的なベルテセーヌらしい」


 帝国の一部でありながら、独立気風、あるいは自分達こそが帝国そのものであるといった認識が根強いのがベルテセーヌだ。中ではお綺麗にふるまいながら、厄介事や悩みの種はポイと国の外に投げ出し目を背ける。そういう所は昔から何ら変わらない。

 だがブランディーヌ夫人は、庶出とはいえ先々王クリストフ一世の娘として長年着実に権力を築いてきた人物である。下手をすれば、クリストフ一世の孫として息子達をかの国の玉座に座らせることさえできるかもしれないのだ。

 短い時間しかベルテセーヌで過ごしていないリディアーヌにさえそれが危惧できるのに、そんなブランディーヌに恥をかかせておきながら現状維持をしようだなんていう国王の気が知れない。

 フレデリクの前だから遠慮しているが、本音を言えば、そんな火種になりそうな令嬢は冤罪であろうがなかろうがさっさと処刑して、ついでにブランディーヌ含む宰相家もろとも取り潰して厳罰に処すべきなのだ。その覚悟無くして許嫁の交代劇なんて有り得ない。

 果たしてこれから、裏切り者の夫と異母弟にブランディーヌが何をしでかすか。ヴィオレット嬢がどうするのか。考えただけでも恐ろしい。


 あぁ、お父様、お母様――私は貴方達が命よりも愛した国を、なんという愚か者に渡してしまったのか……。


「ヴィオレット嬢がその後どうなっているのかは、早急に探らせている。ベルテセーヌ国内の動向もしばらく徹底して監視させるつもりだ」

「人柄を知る者は誰かいますか?」

「ベルテセーヌの国立学院に留学していた者が城内にも何人かいた。明日にでもリディを訪ねるように言っておこう。詳しく知っているのは現役の者だろうが、カレッジの開校シーズン中に帰国を命じるわけにはいくまい。できるだけ早く書簡で報告をするよう、鳥を送ってある」

「分かりました。今はとにかく、ヴィオレット嬢とやらが大人しく過ごしていることを祈るばかりですわね。今ベルテセーヌは国内を荒らしている暇なんてないでしょうに」

「あぁ、北方交易路の件だな。そっちはあれからどうなっている?」


「リンテンのルゼノール女伯に事情を伺う書簡を送って、それからイレーヌの商会長がこちらに来たらすぐ登城するよう組合長に伝えています。国内が潤っている以上、今入ってきている商団を差し止めるわけにはまいりませんし、いっそクロイツェンとフォンクラークにヴァレンティンとベルテセーヌの関係が絶たれていないことを喧伝(けんでん)すべく、入ってきた商人にうちの荷をどっさりと積ませてベルテセーヌ経由でリンテンに戻す長距離行商を勧めてはどうかと考えているのですが」

「リディ……我が娘ながら、君も相当だな」

「誉め言葉ですわよね?」

「君に任せておけば大丈夫そうだな。既存のベルテセーヌ方面への商人らの権益を奪わないようにだけ気を付けておけ」

「ルートや品物の内容分けなどで差を付けられないか協議しています」

「いらぬ心配だったな」


 もう言うことはないとばかりに手をあげた叔父に肩をすくめてみせつつ、マーサに、氷果で冷えた体を温める花茶をお願いした。

 うちは大公さんが微塵もお酒を飲めない人だから、夕食の席にもお酒はほとんど出ない。代わりに食後はいつもこの花茶だ。とりわけ今は旬だから、色合いも湯に溶いた時の花の開きも美しい。

 あぁ、そういえば、アルトゥールに花茶を送るつもりなのだった。色々とあってすっかり忘れてしまっていたが……いや、今年はちょっと色々で流せないくらいのことがあったな。送るのは止めよう。いつもヴァレンティンの花茶を楽しみにしているという妹姫に、役立たずのレッテルを貼られて(ののし)られるがいい。


「リディ、何を考えている? 悪い顔をしているぞ」

「おっと、いけない」


 フレデリクの前だった。


「そういえばお養父様。例のアンジェリカ嬢の聖別の儀に関しては、何かお聞きではありませんか?」

「皇帝の使者が言っていた話だな。今の所、どこからも正式な書面は来ていない」

「もし私に臨席を望むならベルテセーヌの国外で、と要望してあるのですが、追加で、できれば場所は“リンテンで”と指定するのはいかがでしょう?」

「……」


 なんです? その顔。別に、悪いことなんて考えていませんわよ。


「はぁ……リンテンか。まぁ、あそこは以前にも聖別の儀が行われたことがある中立の教会領。うちとは縁もあって、確かに悪くはない」

「調べたいこともありますし」

「そっちが本音だろう?」

「いえいえ、そんなことは」

「大体、本気で聖別に参加する気か? 場所を選ぶと言っても、ベルテセーヌの狸と狐がうじゃうじゃ集まる場だぞ」

「たぬきときつね?」


 何を想像したのか、フレデリクが可愛らしい顔で首を傾げた。あぁ、可愛い。


「大丈夫です。何かあるようなら我が家の狼さんにぱくりと食べていただきますから」

「たべ……」


 あ。フレデリクが……。


「おい、リディ。我らがドゥネージュの森の神聖な狼に、そんな腹に悪そうなものを食わせるな。どうせ食わせるなら新鮮な鶏にしておけ」

「ふふっ」


 確かに。うちの狼さんが悪食になっては困る。狸でも狐でもなく、食べるなら鶏を。それもしっかりと煮込んで、美味しく仕上げてやらねば。


「あの、何のお話ですか……?」


 困惑気に首を傾げるフレデリクには、ただニコリとだけ微笑んでおいた。

 狼は我らがヴァレンティン家の家紋。鶏……双頭の鷲グリフォンは、ベルテセーヌ王室の家紋……なのだけれど。

 そんな血生臭いことを、美味しいデザートと芳しい花茶に添えて語らうのは無粋(ぶすい)というものである。






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