4-20 慰問と来問
国立学校での火災は大規模だったせいか、町中も騒然としたと聞く。こういう時、大公家の人間が表立った配慮も見せず城に籠っているというのは印象が良くない。たとえその直前に公子宮襲撃事件などという大事件が起きていたとしても、国民にとっては学校の火災の方がずっと身近で、関心を引くのだから仕方がない。それに国立と名がついている以上、リディアーヌもすぐに陣中見舞いするべきだ。
だが、これについては家臣達を集めた会議でも意見が割れた。
公子宮襲撃犯は全員が捕縛ないし死亡したが、まだどこに危険性が残っているとも知れない。その上、皇帝が倒れたなどという不穏な情報もあって、リディアーヌには城内に留まりしっかりと身辺を守っておいてもらいたいという一派。
あるいは、やはり国民の不安を汲んで少しでも学校に顔を出し、大公家がきちんと国民を心配している様子を喧伝するべきだとする一派。これには、事件が相次いでいるからこそ、健在ぶりを主張せねばならない、といった意見もあった。
どちらも道理であり、正直の城下に下りている時間的余裕は無いと言いたいところではあったが、リディアーヌは後者の意見を採用した。無論、うちの護衛騎士さん達には苦い顔をされたが、苦言は無かった。彼らもその重要性は理解しているのだろう。
念のため、万全に警備を敷くための時間を暫し設け、翌日になってからリディアーヌは離宮を出た。リディアーヌが留守の間、フレデリクとアンジェリカは内城でアセルマン候に預かってもらう。ついでにフィリックも城に居残りである。外城でのリディアーヌとフィリックの関係を囁く噂がいい加減うざったかったので、適度に距離を取り、ついでに留守中の仕事を円滑に処理させるためだ。
代わりに護衛騎士はアンジェリカに付けてあるオルフ以外総動員し、侍女も自分の身を守れるフランカを。文官はどうしても必要なので、大柄で逃げ足に自信があるというケーリックを同行させた。
***
「ようこそお出で下さいました、公女殿下。お忙しい所を誠に恐縮でございます」
校舎に入った馬車が止まり、マクスが開けた扉から下りると、学校長が待っていた。
学校正面に被害は見えないが、火事から一日以上が経ってなお、うっすらと煤けた匂いが風に乗って届いた。
「お怪我など無くて何よりだわ、学校長。早速だけれど、現場を見舞わせてくれるかしら?」
「かしこまりました」
こちらへどうぞ、と歩き出した学院長の後ろを着いて行きながら、チラチラと見慣れない学校の様子を見る。リディアーヌはヴァレンティンの国立学校には通ったことがないので、あまり詳しくないのだ。
「建物の作りは城と似た雰囲気ね」
「はい。この辺りは最も古いもので、お城の雰囲気と似せて作ってあります。奥の校舎の方は比較的新しい建物でございますから、真新しい雰囲気でございますよ」
ただ今日はその校舎の方ではなく、脇道から火事の有った寮などの並んでいた方へと向かう。
「公女殿下にはすぐにも迎賓館を開放下さり、感謝しております。遠方から参っている学生も多いですから。いっそ迎賓館に立ち入れるなどと感動している学生もいるほどで」
「ふふっ。逞しいわね」
「日中は皆こちらで、ご派遣くださった工兵省の方々の指示を受けつつ、瓦礫の撤去や遺物探しをしております。貴族の子弟には出てきておらぬものもおりますが、率先して手伝いをしている者も少なくはございません」
「良い指導をしているようで何よりね。私も存分に労いましょう」
現場が見えてきたところで、一層煤けた匂いが強くなってきた。
すでに先触れが出ていたようで、教師や学生達がきちんとした佇まいで待っており、リディアーヌがやって来ると礼を尽くした。
前の方に並び様になった様子で頭を下げているのは貴族階級の学生だろう。その後ろの子達は少々不慣れな様子で、中にはチラチラとリディアーヌを見てみようと顔を上げようとしている子達もおり、それを教師が一生懸命頭を下げさせているのがおかしかった。それ相応の身分の子弟ばかりが集まっていた聖都のカレッジとは随分と雰囲気が違う。ヴァレンティンの気風によく合っているように思う。
「皆、頭をあげてちょうだい」
「感謝いたします」
そろそろと頭をあげた彼らの顔に、幸い悲嘆の色はない。
「この度はお留守居という大変な任にあらせられる公女殿下にお出ましいただき、心より感謝申しております。皆、光栄に思っております」
一番先頭に立っていた最上学年と思われる少年が、はきはきと丁寧な口調で口上を述べる。おそらく彼が今年度の学院の代表、監督生というやつだろう。聖都のカレッジには無かった制度だが、その辺のことは事前にこの学校出身のフランカから教わっていた。
「私がこの国の将来を担う皆を見舞うことは当然です。来て良かったわ。皆の壮健そうな様子を見て、私も安堵しました。貴方のお名前は?」
「失礼しました。六年、監督生のジスラン・フロートと」
「六年、同じく監督生のアゼリア・レーデルです」
同じく男子生徒の隣で美しい礼を尽くした女子生徒に、リディアーヌは思わず小首を傾げてしまった。何やら聞き覚えのある家名と、そしてアゼリアの方は見知った誰かとの既視感を感じる。
「フロートといったわね」
そう問うと、すぐにジスランが肩をすくめて苦笑を浮かべた。
「公女殿下には日頃より姉が大変お世話になっております」
「あぁ、やっぱり。ハンナの弟なのね」
ハンナはリディアーヌの侍女だ。フロート伯爵家の長女で、エッセン伯爵息に嫁いだが程なく夫を事故で亡くし、未亡人となった。それを期に侍女として奉公してくれている。
両親もエッセン家の義父母も、リディアーヌからよい再婚の縁談を貰えればと思って宮仕えを勧めたらしいのだが、当のハンナがまったくその気を見せないので、そのままずるずると仕えてもらっている。妹が二人と弟が一人いると聞いていたが、その末の弟がジスランであろう。
「アゼリアは、レーデル伯爵家の令嬢かしら?」
「はい。私も、従姉のクレーテがこの春より公女殿下の元で行儀見習いをさせていただいております」
「あぁ、どうりで。どこかで見覚えのある面立ちな気がしたのよ。ふふっ、似ているわね」
「よく言われます」
そう闊達に笑顔を見せた様子は、どちらかというと大人びているクレーテとは違う。でも姉妹だと言われても信じそうなくらい、顔立ちが良く似ていた。
「二人のおかげで、このように規律正しく出迎えてくださったのね。感謝するわ」
「勿体ないお言葉です」
「先生方のご指導のおかげです」
謙虚に答える二人の後ろで、教師らしい人達がニコニコとしている。
あえて出迎えの挨拶を教師ではなく学生に行わせる辺り、この学校の自主性や教育方針が垣間見えた気がする。嫌いではない。
「それで、今はどんな作業をしているのかしら?」
「ここにいる者達は皆、寮の撤去作業を手伝っております。素人が邪魔をしないよう、撤去された廃材を運搬したり、許可の出た場所では焼け残った物を回収し、低学年の子達には別の場所でそうした物の煤払いをしてもらっています」
「焼けて困っている物はないかしら? 参考書や備品、制服や衣類。出来得る限りの支援を惜しまぬつもりよ」
「感謝いたします。中には新たに買い揃えるには困る者達もいますので」
チラリとジスランが見やったのは、どうやら遠方から首都に出てきた学生達のようだ。この学校は奨学金制度も充実しているため、裕福ではない家の出身者も多いのだ。
「優先的に補填できるよう、予算を組んで計画を立てて行きましょう。ジスラン、アゼリア、貴方達が先生方と相談の上、意見書を提出してちょうだい」
「光栄です!」
「是非、お任せください!」
「学生達にこのような実践の機会を下さるとは。公女殿下は教育者に向いておられます」
そう学校長がおべっかを言ったけれど、その言葉にはもれなくリディアーヌの後ろでフランカがクスッと笑い声を潜めた。気持ちはよく分かる。もしここにフィリックがいたら、さぞかしいい顔で冷笑したことだろう。
「こほんっ。さぁ、皆、手を止めさせて悪かったわね。作業に戻ってちょうだい。エリオット、私達はもう少し近くで現場を見せてもらいましょう」
エリオットはすぐに首肯して安全確認に向かおうとしたが、これには学校長が慌てて「殿下、危険ですので」と止めに入った。まぁ、普通のお姫様相手ならそうかもしれないが。
「言い換えるわ、学校長。自分の目で検分したいの。案内はいらないわ」
そう口にしたところで、折よく現場の検分に当たっていたらしい騎士が飛んできた。第一騎士団所属の見知った顔の班長だ。
「お出迎えもせず、失礼いたしました、殿下」
「構わないわ。何か分かったかしら?」
「ご説明いたします」
頷いて奥へ促す騎士に、学校長も理解したように肩をすくめ、見送ってくれた。
道すがら学生達に「気を付けて」「暗くならないうちに引き上げなさいね」と声をかけつつ、学生寮ではなく火元であった付属の小聖堂の方へと向かう。この辺りには学生はおらず、学校所属の司祭らしき人物の他はほとんどが工兵省の役人と騎士達だった。
「火元はこちら。小聖堂の脇の物置小屋です。すべて焼け落ちていますが、燃料の薪と燭台用の油、神事に用いるための油分の強い材木が火元を広げ、傍の木に燃え移って、風と共に被害を拡大させ、裏手の実験林と、林に面した寮へと引火しました」
「計画的にこの場所を狙ったのかしら?」
「その可能性が高いです。そもそもこの辺りは学校の西側。逃亡に用いた東門とは真逆で、それに奥まった場所にあり、偶然やって来て偶然この場所を選ぶとは思い難いです。物置小屋も、入り口は裏手にあって分かりにくくなっていたはずです」
「内部のことを知っていたと?」
「はい。例年、ベルテセーヌとは交換留学生を受け入れておりますから、あるいは……」
公子宮の襲撃については、東部訛りがあったことが情報共有されている。そこから彼も、この学校に所属していたベルテセーヌ人であった可能性を疑ったらしい。有り得る話だ。
だが尋問した捕虜一人がベルテセーヌ東部訛りだったというだけで、他の刺客達までそうであったと決まったわけではない。他に学内に内情をよく知る協力者がいた可能性だってある。その点だけは注意して調べるよう伝えておいた。
「聖堂を狙ったのはどうしてかしら?」
「火事が起きたのは日中で、つまり授業中です。付近に人気がなかったのが一因でしょう。この小聖堂も日頃は使われておらず、こちらを管轄している司祭様も、二日に一度、朝に清めに立ち寄るだけだと」
「人的被害を考慮した……なんて可愛らしい理由だとは思えないけれど。おかげで大きな被害がなかったのは幸いだわ。その後の逃走ルートは?」
「はっきりとは分かりませんが、火事により、教師も学生も決まったルートで避難しております。そのルートが分かっていたならば、人目に付かずに東門へ行くのは容易だったでしょう。ただ警戒の通達は学校にもされておりましたので、東門の警備は堅く、強行突破を図ろうとしたところを討ち取られています。最後の最後で杜撰……とも言えますが」
「人目を引いて別の目的があった可能性もあるわね」
チラリと振り返った先で、ケーリックが必死にメモを取っている。この辺りの情報は城に持ち帰ってから、また要検討である。
「負傷者の様子はどうかしら?」
「火災に巻き込まれて寮に勤めていた数人が火傷と、一人が落ちてきた柱により重症を。鎮火に当たっていた数名も火傷を負っておりますが、幸い命にかかわる者はおりませんでした。ただ火傷が重い者の中には離職を余儀なくされる者もあると」
「手厚い保証と、離職後の生活の保障が必要ね。ケーリック、救護所に出向いて被害者の情報を収集しておいてくれるかしら?」
「かしこまりました。あの、ですがフィリック様から、姫様の傍を離れないようにと言われているんですが」
「これだけ騎士に囲まれていて何か起きるとでも?」
「それもそうですね」
うんうん。フィリックやシュルトと違ってケーリックは素直でよろしい。
「私も後で見舞うけれど、礼は必要ないからと先触れもしておいて」
「かしこまりました」
勇み足でそそくさと去ってゆくケーリックの後姿に、「スヴェン、着いて行って」と騎士を一人割く。大柄とはいえ武はからっきしの文官なのに、事件の有ったばかりの場所で油断し過ぎである。
「東門までのルートと、門を見せていただける?」
「はっ。こちらでございます」
それからしばらくは学内を巡回して、本来の目的である慰問を行い、最後にまた学生達にも見舞いの言葉をかけてから学校を出た。予定より少々長引いたが、十分に勤めは果たせただろう。
***
昼下がりになって再び馬車に乗り込み学校を出たところで、ケーリックを同車させ、彼のまとめた書類をめくった。筆記の手が早いことは知っていたが、ここまで書かずともというほどに詳細に描き込まれた報告に、ここはこうすればいい、これは必要ない、この辺を詳細に、など指導する。言葉足らずなフィリックの代わりのフォローである。
国立学校は市街地からも直結しているが、学校から城の間にはもう一つ国立大学があり、こちらはより専門的な研究に用いるための農地や森林含め、実に広々とした敷地を有している。道は大学内ではなくその間を通っているのだが、城壁内にあるとは思えないほどに閑静な林道になっており、大勢の騎兵を引き連れ馬車を走らせたところで迷惑をする者もいない。だが同時に、木々に潜みやすく襲撃しやすい立地という意味でもある。林道に入ったところで少しばかり騎士達の警戒が高くなったようだった。
それでもしばらくは何事もなく進んでいたのだが。
「姫様」
コンコンと馬車の扉を叩かれて、書類から顔を上げる。
「何? エリオット」
「背後に騎竜が一頭。かなりの速さで近づいております」
「騎竜?」
うちの領内の騎士だろうか。
「全速力で駆けますので、しっかりと捕まっていてください」
「あ、振り切るのね」
馬車で騎竜を振り切るなんて無謀ではなかろうか。
そんな意見を言うより早く、ガタンと揺れた馬車が速度を上げ始めたものだから、急ぎ脇の手すりを握った。あぁ、揺れる……。
「ィ……ッ! ィディッ……!」
程なく、何やら人の声らしきものが耳に届き始めた。
追従するエリオットがチラリと振り返りぱっと手で指示を出す。
何人かが傍を離れて馬を止めたので、思わず視線がそれを追ってしまった。
当然、馬車は過ぎ去りすぐに見えなくなったのだが、何やら物々しい雰囲気である。
折悪しく車輪が小石を踏んだのか、ガタンと揺れて、ケーリックの膝から書類が舞った。
「わぁっ」
それに慌てふためく声と同時に、どこからともなく、わーーっ! と騎士達の声と、剣戟が聞こえ始める。
ちょっとちょっと。これは騎竜一騎に対する音ではないと思うのだが。
「エリオット、どうなってるの?」
「姫様、お顔をお出しになりませんよう……」
「ィディッ……ちょ、まっ、リディ!」
「?」
うん? うんうんうん??
「ちょっ……ッてっ! ……ぃきじゃないっ! “敵”じゃないからっ!」
う、うんんっっ?
「……ぁのむからっ。たすっ……助けて、リディ!」
聞き間違え? いや……間違いない。
この声。この口調。この予想だにしない奇抜な事態。
「ね、ねぇ、エリオット……」
これはもしかして。
「……え? “公子殿下”?」
キョトンとしたエリオットの言葉に、リディアーヌも、あぁぁっ、と頭に手を当てて天井を仰いだ。
なんてことでしょう。
なんてなんてことでしょう。
あぁ、なんてことなんでしょう。
「何でもいいから、とりあえず助けてくれるッ?! リディ!」
「エリオット……馬車を止めて」
ハァ、とため息を吐いたところで、ゆるゆる、ゆるゆると馬の歩みが止まって行く。
ただなぜか剣戟は止まず、一体何が起きているのだろうかと窓に寄り添ったところで、タンッと馬の踵を返させたエリオットが後ろに向かって走り出した。
「イザベラ、姫様を守れ! 正面から、奇襲! セルリア!」
「はっ!」
何事だろうか。慌ただしい物音とざわめき。よく分からないが、襲撃を受けているのは確かなようだ。
しかしそれを確認するよりも早く、エリオットの代わりに馬車の傍に滑り込んできた小型の地竜にぎょっとし、さらにドンッと窓に手をついて疲れたように俯いた青灰色のローブの人物に肩を跳ね上げた。
すかさず同車していた騎士のイザベラがリディアーヌを抱き寄せて警戒したが、それよりも早くふと顔を上げたローブの人物が、馬車とは逆の方に向かって剣を振り抜いた。
その剣先に弾かれたのか、何かが飛んで行く。代わりにローブの男が脇から抜いたナイフだか何だかを投げ飛ばす。どうやらこの人は敵ではないらしいが……。
「公子殿下ッ!」
「あぁ、もうっ、しんどいっ。リディは大丈夫。こっちは平気だから!」
「申し訳ありません! すぐに片付きますので!」
その言葉通り、程なく周辺の安全を確保し戻って来たらしいエリオットは、しかし何故かリディアーヌと目が合うや否や、安全確認のための視線を巡らせたかと思うとすぐさま、ササッ、と気まずそうな様子で視線を逸らした。
何だ、そのエリオットらしくもない不審な挙動は。問題なく襲撃に対処しリディアーヌに怪我もなかった。なのに状況の報告もせずにおどおどと視線から逃げようとしている。らしくないと言わずして何というのか。
いや。まぁ……うちの側近が気まずさに目をそらさねばならないような何か。そんな状況に、思い当たることがないわけではないが。
「……で?」
低く唸るように声をあげたリディアーヌに、ぐったりと馬車に寄り添っていたローブの男が、ふっとこちらに向けて顔を上げた。
逆光になっているせいか見え辛い。見え辛いが、差し込む日の光にきらきらと煌いた金色の髪も、陰の中できらりと輝いたグリーンの瞳も。そして先程のその人の声も。全部、良く知っている。
「やぁ、リディ。助かったよ」
「……」
「……」
この数日続いた不審な事件の数々。
皇帝昏倒などというとんでもない情報。
そんな中この上なく警備も万全に整えられているはずの首都郊外に、あぁ……一体どうして。どうして貴方がこんなところにいて、しかもなんか追われていたんでしょう。
「貴方……ヴァレンティンで何してるのよ。“ミリム”」
「何だろう? とりあえず、こんなつもりじゃなかったんだ。弁明させてくれる?」
「……」
ハァァ、と零れ落ちたため息と同時に、スヴェンの「掃討、完了いたしました」の声が響いた。




