4-12 二ヶ月ぶりの帰国
『親愛なる心の友、リディアーヌ。
前置きはしない。リディ、かつて君が突如として帝国議会に呼ばれて、十日ほど学校を休んだことがあった。あの時、疲弊して帰ってきた君を散々揶揄ったことを、どうしようもなく後悔している。あの時は本当に私が馬鹿だった。すまなかった。心の底から謝罪する。
そしてリディアーヌ。お願いだ。この上なくしょうもないことで言い争う両大公の間に挟まれてもはや生気という生気を搾り取られた憐れな友を、どうか助けて欲しい。切実に。痛切に。衷心より、平身低頭して願う。
余命僅かの君の友、マクシミリアンより――』
ヴァレンティンに向けて、今まさに竜車の準備が整おうかという頃、手元に届いた薄っぺらい手紙。
らしくもない乱れた筆跡と、いつものこれでもかというほどに盛られた装飾的な言葉がまるで見当たらない便箋に、リディアーヌはしばし手紙を手にしたまま言葉を失った。
養父がリンテンを出立して五日。リディアーヌはそれから今までセザールと今後の調整や、最低限の根回しが済む様子を見届け、今にも帰路に着こうとしている所だった。
手紙が出されたのは養父があちらについてまだ一日やそこらの頃だと思うのだが……一体、うちの叔父様は出会いがしらのマクシミリアンに何をしたのだろうか。救援要請の手紙があまりにも早すぎやしまいか。
「フィリック。お養父様の様子、何か聞いてる?」
結局一足先にヴァレンティンに返すこともなく同行させている筆頭文官さんに駄目もとで尋ねてみる。
「聞いてはいませんが……想像はできますね。姫様へのお説教が三十分だったこと思えば、あちらの公子殿下へのお説教は三時間といったところでしょうか」
「……」
そんな冷静な分析をしてほしかったわけではないのだが。
「はぁ……」
だがフィリックの読みでもまだ甘いのかもしれない。何しろあのマクシミリアンが“平身低頭”だなんて言うくらいだ。
「ちなみにこちらにザクセオンの大公閣下と、そしてうちの大公様からのお手紙も届いておりますが」
そう苦笑しながらマクスが差し出してきた手紙に、伸ばした手が途中で止まってしまった。
どうしよう。ものすごく、読みたくない。
だがそう躊躇っていたら、早々とフィリックが手紙を取り上げ、封を切り、リディアーヌに差し出してきた。実に容赦がない。
ザクセオンの大公様からの手紙は、読まずとも分かった。『お前の父親を何とかしてくれ』という懇願である。うちの大公さんからは……あぁ、はい。もう出立しただろうな、と念を押す書状だ。しかも実にいやらしいことに、『一人で残してあるフレデリクが心配だから、早く帰ってやれ』なんて書かれている。
くっ……。
「よし、早く帰りましょう」
「結局、大公様が一番姫様の扱い方をよくご存じのようですね」
一言余計なんだよ、マクスさん。
「公子様は助けて差し上げないんですか?」
そんな優しいことを言うのはフランカだ。どうやらこのクロイツェン旅行の最中、フランカはすっかりとマクシミリアンに気を許してしまったようである。あの人好きする性格には裏があるから気を付けるようにとは言っていたのだが。
「どうしようかしら。助けてあげるべき?」
「それはつまり、ザクセオンの公子殿下からの救援要請を無視するか、我がヴァレンティンの大公殿下のご命令に粛々と従うか、という選択ですね。どちらにせよ面倒には違いありませんから、気にせず、お心のままにしてしまっていいのでは?」
「フィリック卿……それって、どちらにせよ後から面倒になるから諦めろという意味では?」
エリオットの冷静な突っ込みは聞こえなかったふりをして、「よし、無視しましょう」と、問題を先送りにすることを選んだ。
まぁマクシミリアンにはクロイツェンで色々と世話になったので、とりあえず『お養父様がミリムに意地悪なことをしていないか心配です。ちゃんとお仕事をしてこないと、帰って来ても門を開けてあげませんからね、って伝えてください』との手紙を出しておこう。
いや……逆にうちの養父の場合、嫉妬してより一層マクシミリアンをいじめかねないか?
「……」
ま、いいか。
なんて、他人事みたいに楽観視していたのは、流石に不味かっただろうか。
◇◇◇
「お帰りなさいませ、姉上!」
ほぼふた月ぶりの我が家。ふた月ぶりの可愛い弟!
「ただいま、デリク。長らく留守にしてしまったけれど、変わりなかったかしら」
城門まで出迎え、馬車を下りるなり抱き着いてきてくれた弟をぎゅうと抱きしめ返す。
ヴァレンティンの首都から早駆けの竜車が北方諸国との国境まで迎えに来てくれたおかげで、予定より少し早く帰ることができた。それでもこの“家”に帰って来るのはふた月ぶりだ。実に長い旅をした。
あぁ、ふわふわの髪から、お日様の香りと暖かいフォレ・ドゥネージュの森の香りがする。
去年は叔父の帰国に、フレデリクだってご挨拶の練習をしていたのにね、なんて苦言を言ってしまったが、今とんでもなく猛省した。フレデリクのぎゅうはご褒美だ。この上ないご褒美だ。もう、叔父を咎めるのはよそう。
「あれ、お守りが四つ……」
そんなフレデリクが真っ先に目を付けたのは、リディアーヌの腕の四つのお守りだ。出掛ける際には五つ渡したはずの物が一つ足りないことに気が付いてしまったらしい。
「あぁ、無くしてなんていないわよ。お養父様が嫉妬するから、一つ差し上げたの。デリクも、お養父様には無事にお勤めを終えて早く帰って来てほしいでしょう?」
「……ふぅん。一つ、ですか。二つくらいとられるかと思ったんですけど……ちょっとは自重したんですね。偉いじゃないですか」
「……え?」
なんか今……変な言葉が聞こえたような。
「一つ足りないせいで、姉上のお帰りが遅くなったんですね。帰ってきたら養父上に文句を言わないといけませんね!」
「え、ええ……そうね」
気のせい? 気のせいだよね?
「私もお養父様も、二人とも不在にしてしまって大変だったでしょう? 留守の間、困ったことは無かったかしら」
「寂しかった以外は何事もありませんでしたよ」
ぐっ……それが一番胸に突き刺さるっ。こんなフレデリクに、近いうちにまた留守にするかも、だなんて到底言えない……。
そんなフレデリクに悶えながら、真っ先に向かったのは執務室だ。一応先発して侍従のロベルトを帰らせてあったのだが、扉を開けた瞬間から目を疑いたくなるような量の書類が机に積みあがっていたのは想像通りだった。いや、想像より多いかもしれない。
「お待ちしておりました、姫様」
「ただいま、ケーリック。すごい量ね……」
「はい。シュルト様が次々と書類を届けてくださるので、一気に倍になりましたよ!」
「おぉう……」
なぜか嬉しそうに報告した留守番文官ケーリック氏の言葉に、もれなく机に手をついてため息を吐いた。
やはりフィリックを先に帰すべきだった。大体、シュルトは婚約者のエスコートに皇宮へ出向いたはずなのに、どうしてそのシュルトからの書類が先に着いているのだろうか。さては主の元を離れてからも延々仕事に邁進し、長期出張の間に集めた書類を勝手にどんどん送っていたに違いない。それがこの予想外に増えた書類の量ということだ。まったく……婚約者の成人式くらい、休暇と思ってゆっくりしていて欲しい。
「ケーリック、書類は無駄に積み上げればいいというものではない。姫様がやる気を損なわないよう、これなら何とかなるかもというギリギリのところを狙って机の上に乗せ、そこからは小出しに、バレないよう少しずつ増やしていくのだ」
「なるほど。勉強になります、フィリック様」
「はい、そこ。部下に変なことを教えない!」
ケーリックは今年見習いから正式な文官に昇格したばかりな上、ろくに指導を受けさせる前にリディアーヌが他の文官を引き連れてクロイツェンに行ってしまった。指示なく勝手に書類を片付けられなかったのは仕方がない。だがよりにもよって筆頭文官殿が最初に部下に教えることが主のやる気への配慮方法というのは如何なものか。
ただケーリックの仕分けは完璧だったようで、机の前に着くや否や、フィリックが次々と今すぐ署名が欲しい特急の書類を並べていった。その中から本当に急ぎのものを選んで……ほぼすべてだったけれど、とりあえず立ったままテキパキと署名を入れて突き返す。
「とりあえず急ぎのものはそれで全部ね。残りは後よ。私はアセルマン候と留守中の事の引継ぎとこれからの話をしてくるわ。フィリックは皆に指示を出して、書類の仕分けと整理を始めておいてちょうだい。言っておくけれど、全部片付くまで休暇は無しよ。勿論、私も」
ため息ばかりついていても仕方がない。取り合えずこれからのことを整理して、まずすべきことを優先することにした。
「デリクはついていらっしゃい。デリクからも留守中の事の報告を聞きたいわ」
「はい、姉上」
仕事を何ら厭わずニコリと微笑んで着いてきてくれる弟がいるだけで、ちょっとはやる気が出るというものである。はぁ、頑張ろう……。
「姉上の側近ですから、どれほど優秀なのかと思っていたのですが……姉上を煩わせるだけだなんて、大したことないんですね」
「っ!」
「っッ……」
「っぁっ!」
「デリク? どうしたの?」
「いえ。大変なお仕事をしている皆さんに、頑張って下さい、とお伝えしていただけです」
「まぁ、優しいのね、デリク」
「姉上の大切な腹心ですから!」
「……」
「……」
ん? なんかそのわりに部屋が静かな気がしないでもないけれど。
「さ、早くいきましょう、姉上」
「ええ、そうね」
まぁ、うちの可愛い弟に激励されたんだ。皆やる気に満ちてくれることだろう。