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4-9 セザールの訪問(2)

 アンジェリカはキョトンと首を傾げているが、その図書館の虫というのはおそらくアンジェリカの異母兄のことなはずだ。いつも図書館にいて、“あの人”にとても可愛がられていた“ダリー”。彼が今の、参謀役なわけだ。

 ブランディーヌの不在とセザールの不在。動きが停滞しそうなこの好機を逃さなかったのだから、長らく地方領地にいたというわりによく情勢が見えている。


「シャルルの反応はどうなの?」

「難しい所ですね。あの方は身分を削られただけで罪人とされたわけではありませんし、今回の件も“南西方面軍支団長”として地域から協力を要請されたという形での行動で、名目も揃っています。それに何より内乱鎮静の功績を挙げていますから、今はせいぜい、そ知らぬふりをして黙認しているといったところでしょうか」

「……えーっと」


 ちょっと待って。理解の及ばない単語が聞こえたような。


「支団長って何? 確か前に会った時は、小隊長がどうとか言っていなかったかしら?」

「ええ、私が持っている最後の情報はそうだったんですが……私が国を空けている間に、いつの間にか大隊を率いる地位にまでなっていました。むしろ軍団長が部下のように指示を聞いて動いていたほどですよ。領主連中含め、南西部はもうほぼあの方の手中です」


 その話を聞いてようやくアンジェリカも誰の話かピンときたらしく、「あ、ジュード殿下の話ですか?」と口を挟んだ。

 少々思うところあって言葉を濁したリディアーヌと、リディアーヌを気遣って言葉を濁したらしいセザールだったけれど、そうはっきり言われると苦笑いするしかない。まぁ、変に隠語にするのも意味のないことなのだが。


「無事に見つかったんですね……」

「そういえばアンジェリカ嬢にも報告できていませんでしたね。貴女とクロード殿下が行方不明になられた後、貴方の兄が単身、ジュード兄上を見つけて戻っていらしたんですよ。殿下のご意思を尊重して、港沿いの内乱を鎮圧しながら北上し、オトメールを制圧してからマズリエ領でひと暴れし、今はエメローラ領に。オトメールやマズリエは南西方面軍の管轄ではありませんが、アンジェリカ嬢がオトメールで消息を絶ったことを理由に、エメローラ伯爵家の領主代理からの協力委託を受けたという形を取ったようです」


 心配なんて本当に必要なかったな。

 アンジェリカやクロードの行方が分からなくなってから、まだ季節も一つやそこらだ。その間にダリエルがジュードを見つけて説得したとして、セザールはクロイツェンに向けて出立するまでそれを知らなかったのだから、つまり海岸沿いからエメローラ領までの制圧は、たったのこのひと月半ほどの間に起きた事ということだ。普通に旅行するだけでも結構な時間がかかる距離だと思うのだが、内乱を平定しながらだと? とんでもないことだ。


「正直……さすがはジュード、と言わざるを得ないわ……」

「ええ、私も報告を受けた時には開いた口が塞がりませんでしたよ。これほどまでに大々的に動いていただけると思っていなかったのも原因ですが」

「それは同感ね」


 ただ以前アンジェリカから聞いた話では、アンジェリカは教区長様にリュシアンの元を訪ねる許しを記した書類を託したと聞いている。教区長様がこの混乱する情勢下、冤罪の囁かれるかつての王太子を訪ねたというパフォーマンスがジュードを突き動かしたことは十分に考えられる話だ。

 知らぬ間に、ベルテセーヌの国内は大きく動き始めているのだ。


「ではジュード殿下は今、うちの……エメローラ領にいらっしゃるんですね。お兄様がそんなにできる人だっただなんて……」

「そういえば伝え忘れていたわ。貴女のお兄様、ダリエルというのでしょう?」

「はい? ええ、そうですが」

「私、多分彼の事知ってるわ。昔、ジュードがとても可愛がっていた“ダリー”という男の子がいたの。いつも図書館で黙々と本を読んでいる知識欲の塊みたいな子で、ジュードも重宝していたし、私もよく本を選んでもらったりしたわ。ジュードも彼に頼られたとなると、悪い気はしなかったでしょうね」

「そうなんですかっ?! え、でもそれって……えっ。えー……お兄様……」


 大したことを伝えたつもりはないのだが、何故か赤くなったり青くなったりしたアンジェリカは、ハンカチがどうとかこうとか呟きながら(かんば)しくない様子の物思いにふけっているようだった。一体どうしたのだろうか。


「それで、セザール。今の状況は?」

「ひとまずジュード兄上のおかげで南部と西海岸部が落ち着いたのは確かです。アルナルディ元正司教の失脚からこの方、教会も教区長様が整理してくださっていますが……そちらはまだ時間がかかるでしょう」

「教区長様は……青の館を訪ねられたのかしら?」

「そのようですね。そのことについては国王陛下から苦言があったようですが、何しろ……」


 チラリとセザールがアンジェリカを見やった。 “聖女の証文”が国王を黙らせたわけだ。

 そんな大ごとになるとは思っていなかったらしいアンジェリカが驚いた様子で目を瞬かせている。まだまだアンジェリカには教育が必要なようである。


「それで……彼、は?」

「……リュシアン兄上についてはその後の続報はありません。教区長様が一度お訪ねになったというだけで、相変わらず……陛下からの許しは有りませんから……」


 穏やかな声色をしているようだが、実の父を陛下と呼び罪人とされた異母兄を兄と呼び続けるセザールの思いは昔と変わらないのだろう。彼は今も昔も、ただずっとその兄の帰りを待ち望んでいる。


「私の意向は伝えたの?」

「まだです。私もまだちゃんと帰国したわけではありませんし、手紙で伝えるようなことでもありませんから。この後、陛下とはリンテンで話し合う予定です」

「……そう」


 もはやそうするしかないことは分かっているけれど、やはり簡単に受け入れられる話でもない。リディアーヌですらそうなのだから、シャルルなどは尚更だろう。果たしてセザールだけでどうこうできるとも思っていない。


「ヴィオレット派の動きやクロイツェンの工作はどうなっているのかしら?」

「ジュード兄上の快進撃は流石に意表を突いたようですね。元々ジュード兄上は国民人気が高いですから、彼らも兄上の動きを耳にしてヴィオレット派に対する不審感を感じているようです」


 くしくもセザールの画策が成功した形だ。憎らしいが、事実、悪い手ではなかったのだ。


「ブランディーヌ夫人が不在で、それでいてオリオール侯爵家が静かだったということも相俟って、統率者を欠いたのも大きいのでしょう。ヴィオレット嬢……妃殿下、がクロイツェンの皇太子妃となられたことの情報はすでに伝わり始めていますから、まだこれからどう荒れるかは分かりませんが」

「ジュードは王都に入る大義名分を持たない。青の館の彼はまだ囚人の身。そんな中、ブランディーヌ夫人は帰国をするのに、シャルルは帝国議会で不在になる。折角盛り返したというのに、今後の状況としては良くないわね」

「ですからせめて、クロード殿下だけでも早く見つけ出したいのですが……」


 しかし、すでに万が一ということもある。

 アンジェリカの手前セザールは口を噤んだようだったけれど、アンジェリカもそれを想像していないわけではないのだろう。きゅっと口を引き結び、今にも泣きそうな顔を必死に引き締めているようだった。


「セザール……貴方、彼を……リュスを、再び復権させることの見返りとして私が望むものが何なのか……それは分かっているわよね?」

「ええ、勿論です。心に刻んでいます」


 クロイツェンから次の皇帝を立てるわけにはいかない――言葉ではそれを理由にしたけれど、同時にリディアーヌはその冤罪を晴らすこと……つまり、リディアーヌの兄を死に追いやった真犯人が誰なのかを明らかにすることを求めている。

 そしてそれにブランディーヌは無関係ではないはずで、おそらくクロードの生母も……そうなれば、クロードもただでは済まないだろうが、だからといってリディアーヌにクロードやアンジェリカを慮る余裕もない。どうにか、二人が共にあれるよう手を差し伸べたいとは思っているけれど。


「この先は、ブランディーヌが王位かそれに相当する王権を掌握するか、あるいはブランディーヌとオリオール家を完全に失脚させリュスを復権させるか……そのどちらかよ」


 アンジェリカがごくりと息を飲んだのが分かった。そこにクロードという選択肢がはなから存在していない事を察したのだろう。


「セザール、貴方にシャルルを説得できる?」

「……説得、してみせます。いえ、そうするしかないんです。ベルテセーヌをクロイツェンの(かい)(らい)になり果てさせるわけにはいきません」


 決して大げさな言葉ではない。おそらくセザールも、実際にクロイツェンでアルトゥールという人を知って抱いた印象なのだろう。リディアーヌも同意見である。

 そしてセザールにちゃんとその覚悟があるというのであれば……。


「フィリック」


 控えていた文官に声を掛けると、すぐにフィリックが用意していた手紙を一通、セザールの前に置いた。

 白い箔押しの立派な封筒に、最も深い紫紺の封蝋に狼の刻印。日頃リディアーヌが使う封筒よりももっと厳めしい柄に、優美ながらも太さと力強さの有る男性の筆跡だ。


「公女殿下……これは」

「シャルルへの招待状よ。ヴァレンティン大公から、ベルテセーヌ国王に対する正式な」

「っ……」


 そしてその封筒の隣に、もう一つ同じものを並べ置いた。


「これは貴方宛て。ヴァレンティン大公は、国王シャルルと王子セザールに対し、帝国議会より早く、非公式にこのリンテンでお会いしたいとの仰せよ。無論、私も出席します」

「……考えただけでも、とんでもないことですね。お二人はすでに、絶縁して久しいご関係だというのに」


 もはや苦笑いでも浮かべていないと平静でいられないとばかりにセザールは口元を緩めたが、目元には不安の方が勝っているようだった。

 セザールは八年半前、日頃何かと奔放でふわふわとしているヴァレンティン大公が、国王シャルルを威圧感だけで圧倒し、問答無用にリディアーヌと亡きエドゥアールを連れて国許へと去って行った様子をその目で見ていた。彼はヴァレンティン大公の“本当の怖さ”というものをよく知っている。

 それを思えば、冤罪とはいえ、かつてエドゥアールを死に追い込む原因となったリュシアンの復権を目の前で語るなど、想像しただけでも恐ろしいことだろう。だが聞く耳を持つと決めたからこそ、養父が送って来た招待状だ。


「感謝いたします、公女殿下。殿下が、大公殿下をご説得なさってくれたのでしょうから」

「説得だなんて。言い分を聞いてやるから発案の張本人を連れて来い、っていうから、私はそこにシャルルという重荷付きで貴方を放り出しただけよ。説得は貴方次第だわ」


 ただ一つだけアドバイスをするのなら。


「まぁ、シャルルが反対すればするほど、うちのお養父様はその気になるでしょうけれど」


 何分、少しでも娘が関わるようなことになると物の尺度が誤作動を起こすのがうちのお養父様だ。その可能性は大いにある。


「少し安心しました」


 そう答えたセザールの面差しは、先程よりはもう少しだけマシな苦笑いになっていた。






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