4-7 早すぎる再会
「やぁリディ。二日ぶり」
「……」
あぁ、恥ずかしい……。
思わず顔を手の平で覆ったリディアーヌに、友人はカラカラと笑いながら、リンテン名物の土産物を机に置いた。多分、手紙に添えて贈ろうと買い求めたはずのものだろう。よもやリディアーヌが今なおリンテンにいるとは思わずに。
「違うの……こんなはずじゃなかったの……」
「くくっ。何も言ってないよ」
「まさかの待機命令だなんて。私、何かしたかしら?」
「そりゃあまぁ、色々としただろうね」
「そういえば色々としたわね」
そう呟きながら、もうすっかり“侍女”の仲間入りをしてお茶を準備しているアンジェリカに視線を寄越したら、気が付いたアンジェリカが慌てて「私のせいならむしろ帰国命令が出るはずでは?!」と反論した。
アンジェリカの癖に、正論である。
「まぁ……他にも思い当たる節が有るわ。それよりミリムこそ、まだリンテンにいたのね。直轄領にはいつ?」
「今日中に港の方に向かって、明日出立する予定だよ。去年の一件でリンテンを統治する直臣家が一つ変わったから、今回は少し長めに滞在したらしい」
「あぁ。議長はそういう仕事もするのね」
「私も初めて知ったよ。議長だからというより……うちの父は、そういう皇帝の耳目としての一端も担っているのだろうね。これは確かに、留守居役をしていては知らなかった事実だ」
「私もよ。というかうちの場合、うちの大公様が議会中に何をしているのかなんて微塵も想像できないわ。日常の政務から解放されてのんびりバカンスでも楽しんでいるんじゃないかとすら思うほどよ……」
「ははっ! ヴァレンティン大公なら有り得るっ」
お互い、うちの養父が真面目に選帝侯なんてやっている所を想像できなかった。あれでも一応、ザクセオン大公と並んで最も影響力のある選帝侯であるはずなのだが。
「それで、今日は何の理由を付けてルゼノール家に?」
「これも父の指示だよ。ルゼノール家の居城に入る機会なんて早々ないだろうから、リディを理由に見学できるなら行ってこい、だって」
まさかそんな物言いではなかったと思うが、なるほどと思わなくもない。
このルゼノール家が誇る温室はその権勢の強さを物語っているし、この城と雰囲気を見れば、リンテンが事実上、三伯家ではなくルゼノール家の支配下にあることは一目瞭然だ。繋がりを作っておけとの意図もあるのだろう。
「でもミリム。だったら早いこと、この城から退散することをお勧めするわ。この家には狼より素早くて、獅子より怖い小伯爵が……」
「姫様ーっ、クロレンスお姉様がお菓子を持ってきましたよーっ!」
あぁ、全部言う前から……。
思わず頭を抱えていたら、バンと扉を開け放った噂の小伯爵様がいらっしゃってしまった。何故かお茶菓子とやらの入ったバスケットは後ろで無表情のまま棒立ちしているうちの筆頭文官が持たされているけれど。
一体何があったの? フィリック……。
「おやおやおやっ。うちの可愛いお姫様とお茶をしようと思ったのに、何やら見知らぬお客様だ」
「クロレンス小伯爵、失礼ですよ。ザクセオンの公子殿下です」
「おやおや。おやおやおやっ……」
ふぅん、と上から下まで見定めるように嘗め回す相変わらずのクロレンスには、リディアーヌが何かを言う前にフィリックがその襟首を引っ掴んだ。もっとも、ペンしか持てないうちの文官では鍛え抜かれた元騎士をピクリとも動かせなかったけれど。
「お止めなさい、小伯爵。姫様がお困りです」
「ちっ。過保護め」
「貴女は常識をどこに置いてきたんです?」
「母上の腹の中かな」
「それはどうしようもない」
いや、フィリック。諦めないで。
「くくっ」
こんなことでマクシミリアンが気を悪くするとは思っていなかったけれど、笑い声をこぼす様子を見ると流石に肩をすくめざるを得なかった。
「クロレンス姉様。“私の大切なお客様”です」
だからそう言いなおしてやると、クロレンスは口をとがらせてみせた。だがそれもフィリックが後ろから背中を叩くと、仕方がなさそうに胸に手を当てて、レディというよりは騎士らしい挨拶をした。
「お初にお目かかります、公子殿下。ルゼノール伯爵が長女クロレンスでございます。そちらの姫様の従姉で、いえ、むしろ姉……いや、もう……母?」
「クロレンス」
折角の挨拶も段々とグダグダになり始めたので一つぴりっと声を掛けると、「従姉です」と表向きの関係を口にした。もっとも、マクシミリアンはもうそれが偽りであることは知っているのだけれど。
というか、いくらなんでも娘はないんじゃないか?
「この数分で十分に小伯爵という人が分かったよ。宜しく、小伯爵。ザクセオンのマクシミリアンだ。リディとはこの通り、親しくさせていただいているから……そんなリディが姉と呼ぶほど慕う方と知り合えたのは光栄だよ」
「へぇっ。噂と違って見どころの有る公子様じゃないか」
「……クロレンス……」
噂って何だろう。
そんな疑問はマクシミリアンも同じだったようで、「その噂とやらについて詳しく聞きたいんだけど」なんて同席を勧めるものだから、怖いもの知らずのクロレンスは当たり前のように椅子に座った。うちの文官の方は座る気がないらしく、机にお茶菓子を置くとため息交じりにリディアーヌの後ろに控えた。まったく、無粋な側近である。
「一番有名な噂はやっぱりあれかな。甘い顔で数多の令嬢達を虜にする一方、微塵でも直に触れようものなら即座に指を切り落とされる、とかいう」
「ちょ、何それ……」
こわっ!
「くくっ。どこの誰がそんな噂を? 指を切り落とすって。トゥーリじゃないんだから」
「いや、トゥーリでも駄目でしょう」
気持ちは分からないでもないが。
「まぁ、不用意に触らせはしないよう気を付けてはいるよ。リディでもない限り、勘違いさせかねないから」
「なんですって?」
じゃあ私への過度な接触は何なの? と問いたい。
「それから、令嬢達には悉く肌を許さない代わりに娼館街ではよく見かけるなんて噂も」
「ぐふんっごふんっ」
「はい?」
珍しく耳まで赤くして咳き込んだマクシミリアンに、思わずリディアーヌの疑問符も冷ややかになった。
まさか友人のそんな噂を聞く日が来るだなんて。
「ちょっと待って。それはやめて。リディに軽蔑されたら一生立ち直れない」
「ん? 否定はしないんですか? 公子様」
「確かに一時期、町の整備でザクセオン南部のその界隈に通い詰めていた時期がある。でも誓って不埒な目的じゃない。仕事だ。リディ、誤解しないで」
「ふぅん」
「お願いだから誤解しないでッ」
いや、してないんだけど。でもあまりにも必死な様子がちょっと可愛く思えたものだから、ニコニコと笑顔でスルーした。
しかしクロレンス姉様……一体どこでそんな噂を聞きつけてきたのか。ヴァレンティンでは耳に入らなかった話だ。
「はぁ……噂なんて気にもしてこなかったけど。一体どうしてリンテンにそんな噂が届いているのか。それとも小伯爵の情報収集能力なのかな?」
「うちの可愛いお姫様との噂がある男なんて、そりゃあ徹底的に調べるでしょう。まぁ公子様はもう一人の皇子様ほどひどい噂は少なかったんだけど、それはそれで怪しいというか」
「それはよかった……」
いや、安心するところなのだろうか? 徹底的に調べられたことに対しては何も言わないのだろうか? というかこの二人、打ち解けるの早すぎじゃないか?
「それで、姫様。どうなの? 仲良くお茶までしちゃって、やっぱり本命はこっちの公子様?」
「クロレンス、そろそろ口を噤んだ方がよさそうね。そんな話をしていたと聞いたら、もう間もなくこちらにいらっしゃるうちのお養父様が何をしでかすか分からないわよ」
「……よし、止めよう」
実に素直で宜しい。
「でも公子様、気を付けなよ。この西大陸には姫様を狙う輩は多い。でしょう? 姫様」
「何を言っているのよ。そんなことを言いだしたらキリがないわ。同じほど、こちらの公子様も東大陸中の令嬢に狙われているわよ」
「もっと直近的な話だよ」
そう言われた瞬間、思わずピクリとティーカップを持つ指先が揺らいでしまった。それを見逃してくれるマクシミリアンではない。
「あぁ……また、ベルテセーヌ?」
その上こうも察しがいいというのは……。
「ちょっと姉様。何故ここでその話を持ち出したのかしら?」
「他でもない、うちの母からこんなものを預かって来たからだよ」
そうヒラリと目の前に置かれた封筒に、思わずパッとその書面の上を手で覆った。が、遅すぎた。
「ふぅん、セザール王子か。先日は人畜無害そうな挨拶を交わした仲だけど……」
「……話し合うべきことが沢山あるだけよ」
「だったら隠す必要はないんじゃないかな?」
「条件反射って知ってる?」
「ねぇねぇ、フィリック卿。やっぱりこの二人、そういう仲?」
しまった。クロレンスがいるんだった。
ハァと一つため息を吐いてから、改めて手をどけ、封筒に書かれた文字を見やる。間違いなくセザールからの手紙だ。そんなに分厚いものではないから、おそらく面会を求める類のものだろう。
「まったく。クロレンス姉様は何を確かめたかったの?」
「そりゃあ、二人の関係を。前にリンテンに来た時はフィリック卿を寝室に出入りさせて着替えまで手伝わせていたのに、どっちが本命なのかなって」
「……」
「なんだって? リディ」
あぁだからどうしてこのお姉様はっ!
「ちょっと詳しく、話を聞こうじゃないか」
「フィリック!」
貴方が何とかしなさいと振り返って見せたら、黙り込んでいたフィリックがようやく重たいため息を吐きながら会話に加わってくれた。
「姫様は相変わらず、公子殿下と皇子殿下のことになると冷静さをお失いになる」
「ぐっ」
「揶揄われているだけですよ。姫様が意味もなくそんなフリをするわけがないことは公子殿下も承知の上でしょう。ついでに言えば、姫様が臣下を弄ぶのに恋情なんてものとはかけ離れた酷薄な感情しかお持ちにならないことなどとうにご存じかと」
「否定はしないけれど、言い方!」
あぁ、確かに。ニコニコと笑っているようで笑っていない顔をして、でも心のどこかでほくそえんでいるような見慣れたマクシミリアンの顔。完全に遊ばれている。
「大体この帰国の途、私がどれほど公子殿下にご協力申し上げていたと?」
「それは聞いてない!」
どうりで! この道中、妙にフィリックが傍にいないことが多いと思ったよ!
「リディの文官は本当に優秀だよね」
「恐れ入ります」
「でも寝室に出入り云々というのは、いくら腹心でも宜しくないんじゃないかな」
「善処はいたしますが、ご心配いただかずとも、崇拝する主に邪まな感情など抱いたことは微塵もございません。というか、この方のことは一桁の年齢の頃から存じていますので、今更でございます」
「それはそれで羨ましい」
なんで勝手に仲良くなってるんだろう、この人達。
あと人前で崇拝とか言わないで欲しい。真剣に。
「はぁ、もういいわ。姉様も揶揄うのはほどほどにしてちょうだい。あの時は色々と見せつけておくのも自己防衛の手段だったって、分かっているでしょう?」
「分かっていても衝撃的なものは衝撃的だったんだよ。この機にちょっととっちめてもらおうと思ってたんだけど……流石に、公子様は私なんかに転がされてはくれないか」
「お望みなら転がされてあげてもいいんだけど、その場合、そんな状況を看過していたルゼノール家とリンテンにも手が下るかな」
「……姫様、本当にこんな人と友達で大丈夫?」
「この人の場合、本気でそれができる人なのだから。精々言葉には気を付けた方がいいわよ」
「承知したよ、姫様」
「それを知っているのに、どうして私の最愛の人は私を煽るような行動が多いんだろうね」
「くっ……」
何分、否定はできない。
アルトゥールとはこういうやり取りは何度もあったけれど……実際の所、マクシミリアンの手腕というのはどうなのだろうか? いつもこういう駆け引きには傍観的だから、良く存じていない。でも卒業試験で首席を奪い去るくらい知略のまわる人だ。ポロリとこぼれた本音に嘘がないのは確かだろう。やはり、敵に回さないでいる方がいいはずだ。
大体、フィリックが大人しく言う事を聞いている時点でおかしいのだ。やはり、さすがはマクシミリアンといったところなのか。
まったく……相変わらず、私の友人達は一筋縄ではいかない。