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4-6 船旅の終わり

 そこからさらに南下して、サンチェス、ルビと属国になっている小王国群を抜けやがてエプトラ公国に入った。

 どの国もザクセオンとは縁が深いらしく歓待続きだったが、エプトラは群を抜いてその様子で、特に公王は愛娘の久しぶりの婿連れ帰国を待ち望んでいたようだった。だがまさかそこに、前妻の嫡男と、妙に大公や公子に大事にされている他所の国の公女がくっついてくるとは思っていなかっただろう。

 それにいつもなら数日滞在をしてから出立するらしいが、今回はリディアーヌもいるせいで滞在は短い。あからさまに困惑していた。


 今回大公がマクシミリアンがエプトラまで同行させた背景として、後妻の実家にマクシミリアンが後継者であることを明確にしておきたいといった意図があったのだろう。公国での大公は終始マクシミリアンを傍から離さず、エプトラを牽制しているようでもあった。

 ザクセオン大公はいつも自分を凡人だと卑下するが、こういう所を見ると流石は東大陸随一の選帝侯家の当主だ。当然だが、言動の端々はすべて考え抜かれたものだ。

 ただとうのマクシミリアンはそれに飽き飽きしているのか、隙を見てはリディアーヌの元に逃げて来る有様で、思わず「もう少し自分のためにも頑張っておきなさいよ」と突っ込んでしまったほどだ。

 だがマクシミリアンは心底それに興味がないらしい。よもや、継母の子である異母弟に大公位を譲るつもりなわけではないだろうが……。


 そんなエプトラでは、「船の準備がまだですから」と必死に引き止められ二日間滞在することになったが、三日目には立派な大型船へと乗船した。船はこの後、ヘイツブルグ、フォンクラークを経由してリンテンに向かう。

 船旅は陸路より楽なのでリディアーヌとしては嫌いではないのだが、生憎と船が駄目なうちのフィリックが乗る前からげっそりしているのだけは可哀想だった。ただし今回はクロイツェン滞在中にフィレンツィオがくれた薬がある。帰りの船旅の相談をした際に、本人が調合してくれたものだ。それで少しでも楽になればいいのだけれど。


「リディの文官、どうしたの? また徹夜?」

「船が駄目なのよ。行きの船の間は一度も船室を出てこなかったわ」

「あぁ……」


 なるほど、と同情するマクシミリアンの視線の先で、かいがいしく手を貸すうちの侍従マクスさんが主をも放り出してフィリックを船室に連れて行っている。まぁ、いいんだけどさ。マクスはちょっと、フィリックに甘すぎる気がする。

 だが幸い、薬は効いたらしい。今回は時折甲板にぼうっと座っている姿が目撃された。流石に仕事は出来なかったようだが。


  ***


 やがて船は三日半をかけてヘイツブルグを過ぎ、フォンクラークに一泊した。

 フォンクラークの港の賑わいは流石の規模で、船員たちはこぞって陸に下りて小休止していたようだがリディアーヌは下船はせずにおいた。先のグーデリックの一件もあったので、身を隠しておくべきだ。流石にフォンクラークもザクセオンの船にリディアーヌが乗っているだなんて考えはしないだろうけれど。

 フォンクラークを出ると、次はもうリンテンだ。

 今の季節はカレッジの前期が開校したばかりで、どうやらリディアーヌ達がエプトラに入るまではどの海路も学生の移動に慌ただしかったらしい。リディアーヌ達はエプトラに着くまでの陸路で時間を潰しているから、いつの間にかそんな時期になっていたのだ。

 クロイツェンで祝賀に参加していた人達ももうすっかり帰国の途についた後であろうし、むしろ数日早く出たリディアーヌの方が帰国が遅れているくらいだ。

 これがもう少し後になると今度は帝国議会に向かう船が混雑し始める。今はそれよりは早いはずだが、ただリンテンでは議会に向けた物の出入りとそれを狙ってやって来た行商船に、港はそれなりに混雑していた。いっそ、学生が移動する時期よりも慌ただしい様子だ。


「去年の聖別の頃とは比べ物にならない賑わいですね」


 思わずフランカがそう感想を漏らすほどの賑わいも、港にザクセオンの青い旗を掲げた船がやってくれば一目散に道を開け、人が散った。ただ誰もかれも興味深そうに遠巻きに見ているのは実におかしな光景で、あるいはいつもより少し早いザクセオン大公の到着に、警備隊や役人やらが慌ただしく駆けつけてきている様子も見えた。

 ルゼノール家には前もって手紙を出していたから、情報は伝わっているはずだが。


「あ、姫様。ルゼノール家の旗の馬車です。姫様のお迎えでは?」


 人垣に紛れるように並んだ馬車を見つけたのはフランカだった。だがリディアーヌの迎えに来るべきはヴァレンティンの馬車だ。ルゼノール家の馬車が来ているということは、おそらく女伯が来ているのだろう。リディアーヌのためではなく、ザクセオンの大公の出迎えのために。


「私は、リンテンの女伯には会ったことがないんだよね。噂には聞くけど」


 つい先ほどまで大公に捉まっていたマクシミリアンが(かん)(ぱん)に出てきて、リディアーヌの隣に並んだ。逃げてきたのだろうか。


「美魔女よ」

「ぷっ……美魔女って……もっと、他の情報はないの?」

「まぁ、会えば分かるわ。そうね……あえて言うなら」


 チラリとみやった馬車から、この海よりも青いドレスの貴婦人が降りて来るのが見えた。やはりアレクサンドラ女伯だ。


「女伯は多分、ザクセオンの大公殿下より先に“私”に挨拶をするわよ。賭けてもいいわ」

「……なんか今、目があった気がした」

「私もしたわ」


 そんなことを言っている内に、がたんごとんと下船準備が進み、桟橋がかけられた。

 本来ならある程度人が降りた後でゆっくりと降りるべきなのだろうが、船に近づいてきた青いドレスの貴婦人が明らかにこちらを見ながらニコニコしているのが分かる。あれを無視はできないだろう。


「どうする? リディ。下りる?」

「大公様に何も言わず勝手をするわけにはいかないけれど」


 チラリと振り返ってみれば、その大公様が船室から出てきた。マクシミリアンが出ていったせいで出てきただけな気がしないでもないが、「父上、女伯がいらしてますよ」なんてマクシミリアンが声を掛けたものだから、早めに下船しようということになった。

 そんな大公が妃殿下を呼びにやらせている間に、だったらと先に下船する。

 それでも本来は大公夫妻が下りて来るのを待ってから挨拶をするべきなのだろうが、案の定、リディアーヌがマクシミリアンのエスコートで陸に下りるや否や、「リディアーヌ公女様」と、女伯がやって来た。ほらね。


「長旅、ご苦労様でございました。まぁまぁ、日よけもなさらずに。この季節の海上は日差しが強かったでしょうに」

「港に入るまではきちんと日をよけていましたわよ。うちの侍女は口うるさいので」


 そう軽口を叩きながら、伸ばされた腕のままにハグを交わす。


「そちらがザクセオンの公子殿下でいらっしゃいますね。本当は大公殿下へのご挨拶を先にすべきですけれど」

「父は気にしませんよ。それより、噂に名高いルゼノール女伯にお会い出来て光栄です」


 マクシミリアンはサラリと女伯の手を取り額まで掲げる西大陸風のレディへの挨拶をした。公子様にそんな風に扱われては女伯も流石に面を食らったようだったが、流石にすぐに笑顔を見せて、「恐れ多いですわ」と謙遜した。

 そこでようやく下りてきた大公様に、「それでは少し失礼します」とリディアーヌに丁寧に会釈をしてから向かう様子は相変わらずだ。もれなくマクシミリアンが、「なるほど」と苦笑した。


「賭けにもならなかったね」

「とても良くしていただいているわ。ただ……」


 大公と挨拶を交わす女伯が、一通り挨拶を終えてからようやく隅にいたフィリックに目を止めると、ニコリと微笑んで見せた。フィリックはそれに会釈を返す。そんな冷めた関係には、流石に小さなため息がこぼれた。


「あの二人、それなりの近親なのよ」

「え。アレで?」

「フィリックの父と女伯が従姉弟同士。見えないでしょう?」

「公私がはっきりと……いや、でもそれだとリディに対しての説明がつかないか」


 実に不思議なことである。


「公女様」


 その内、再びアレクサンドラはリディアーヌの元へとやって来た。


「ヴァレンティン大公殿下から当家宛てにお手紙を預かっておりますよ。もしこちらのお屋敷に御用が無いようでしたら、このままルゼノール家にお招きしたいのですが、如何(いかが)ですか?」


 ふむ……まぁ学生時代の慣例だとそれが普通だったので、申し出自体は何ら不思議ではないのだけれど。だがここで招きを受けるとなると、ザクセオンとの道連れはここまでだ。いや、招きを受けなくてもここまでではあるのだけれど。

 ちらりと隣を見やると、「遠慮はいらないよ」と、マクシミリアンが背を押してくれた。


「クロイツェン旅行はあまりいい旅ではなかったけれど、帰路は楽しく過ごせたわ。貴方のおかげね、ミリム」

「光栄だよ。もっとも、私はこのままヴァレンティンに行ってしまいたいくらいなんだけど」


 すかさずジロリとこちらを睨んだ大公様に、マクシミリアンが肩をすくめた。どこまで本気かは知らないが、まぁ冗談だろう。リディアーヌも苦笑して答えた。

 とはいえ……やはり少しだけ、名残惜しい。


「議会中は直轄領にいるだろうから、リディへの手紙も早く着く。またすぐに書くよ」

「ええ、私も。あぁ……うちのお養父様にはくれぐれも気を付けて」

「……頑張るよ」


 クスクスと笑っている内にも、ロベルトが「積み荷を下ろし終えました」と報告に来た。

 いよいよ、お別れだ。


「それでは……またね、ミリム」

「あぁ、また……またすぐに」


 別れの挨拶のために差し出した手を握る指先が、いつもより少しだけ力強い。甲に触れた唇がいつもより少しだけ長くて、惜しむように離れていったその人が、少しだけもどかしい。

 別れがたい。


「姫様」


 そんな様子を見て取ったのか、フィリックが声を掛けてきた。

 いつまでもこうしていられないのは分かっているのだ。だから仕方なく手を解き、仕方なく笑みを浮かべ、仕方なく一歩後ろに歩を進めた。

 あとは昔と同じ。子供みたいに手を振って、振り返してくれたのを見てすぐきゅっと踵を返した。

 それからザクセオンの大公様にここまでのお礼と別れの挨拶をして、お世話になった人たちに声を掛けながら女伯の馬車に向かう。

 馬車に乗る前に少しだけ振り返ってみたけれど、マクシミリアンは人垣の中で、生憎ともう一度姿を見ることはできなかった。

 こうして昔懐かしい友人との短い時間は、再び過ぎ去るのだ。


「国外の友人というのは、もどかしいものね」

「姫様も議会に参加されてはいかがですか?」


 ただそんなことを言ったフランカには、「何言ってるのよ」と笑い飛ばした。

 そんなことは有り得ない。ヴァレンティンには留守を任せられる人が他にいないのだから。それに議会は議会で、面倒だと……えぇ。えぇ……そう思っていたのだけれど。


『そのまま、リンテンにて待機――』


 なんてことが養父からの手紙に書かれているだなんて、どうして想像できただろう。






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