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1-6 勅使との面会

 皇帝陛下からの使者、ゼーレマン卿とは翌日にも早々と面会した。

 用件を窺うためというよりは、情報収集のためである。

 最初の面会は、作法に則った非常に当たり障りのないものとして行なった。

 徒労をねぎらい、ついでに叔父の無礼を侘び、まどろっこしいやり取りの後で切り出された本題も叔父から聞いていた話と大差なく、『皇帝陛下は特に鍾愛しておられる御皇孫殿下のご結婚にご関心がおありです』という世間話だった。


「家と家の関係に振り回されること無く、その願いを叶えて差し上げたいと……恐れ多くもそのご叡旨をお伝えに参った次第です」


 ゼーレマン卿は、あたかもリディアーヌが本当にアルトゥールと既成事実があるかの如く、皇帝陛下の意としてそうリディアーヌを口説(くど)いた。

 もし先日の叔父とアセルマンとの密談がなければ、一体今更何事だろうかとさぞかし混乱したことだろう。いや、今改めて聞いても、聞くたびにびっくりするものである。

 よくもまぁ皇帝もぬけぬけとそんなでっち上げをしてくれたものだ。

 なので、「光栄ですわー」「そうなんですのー」「恐れ多いですわー」と当たり(さわ)りなく相槌(あいづち)だけ打っていたら、リディアーヌの様子に何かを察したのか、ゼーレマンもすぐに食い下がり退席した。

 あちらもまずは情報収集に打って出た、と言ったところか。生憎とこちらも碌な情報は得られなかったが、ひとまず目的は分かった。



 その数日後、二度目の面会があった。

 今度は立派な贈り物など携えてやって来たかと思うと、「皇帝陛下は殿下が不本意な妥協をするのではと、ことのほか憂えております。アルトゥール殿下のお心が公女殿下におありであることをご存知なのです」と、恭しく差し出された。

 なんだかもっともらしく口説かれているが、リディアーヌとアルトゥールの間では“口説く”だなんてことは慣れたもので、そのたびに国と国とのメリットについての議論を交わしていたせいか、全然ときめかなかった。

 まぁアルトゥール本人に口説かれているわけでもないし、ときめかねばならない理由もない。ゼーレマン卿は随分と弁が立つようで、世の淑女がきけばうっとりとするような美辞麗句を並べ立てていたけれど、それはそれ、これはこれである。

 悪い気はしなかったけれど。


「ゼーレマン卿。皇帝陛下のお心は分かりました。けれど陛下は私とアルトゥール殿下がどのような友人関係であるのかをご存知ないようだわ」

「……お心には響きませんでしたでしょうか?」

「響いてはおりますよ。この西側と違い東側の殿方はまるで庭園の薔薇を褒めるがごとく、当たり前に女性を褒めそやし、喜ばせるでしょう? カレッジで初めて東側の殿方と知り合った私はそのことに随分とたじろいでしまったものです。それは今も変わりませんわ」


 明らかに社交的なマクシミリアンはともかく、どちらかというと淡泊で仏頂面なアルトゥールには良く不意打ちを食らい、ドキドキとさせられたものである。

 この西大陸ではパートナー以外の女性をエスコートしようものならば不貞だの不純だの目をしかめられるというのに、二人はいつでもどこでも自然にエスコートをしてくれたし、接する距離感がものすごく近かった。“そういうものだ”と理解できるまで、日々心臓が大変だった。

 生まれ故郷のベルテセーヌでも女性は大事に扱われるが、異性の友人などあり得ないと言える程に窮屈でお堅い気風だ。大方ゼーレマンは西大陸の女性なら言葉で言いくるめられると思ったのだろう。実際、耐性がなければころりといってしまいそうなくらい恥ずかしい口説き文句の数々だった。


「私はベレッティーノ寄宿学校の出身ですから、卿がお言葉を尽くすまでもなく、東の殿方が言葉巧みでいらっしゃるのは良く存じていますよ」

「私は言葉を繕っているつもりなど毛頭ないのですが」

「まぁっ。有難う」


 これは素なのだろうか? それとも社交辞令なのだろうか? 細かい発言にまで気分の良くなる間の手を入れるとは、よくできた交渉人である。


「でも今更卿に何を言われる必要もなく、私はカレッジ時代からこの方、友人達にはもう充分なほど口説かれておりますの。無論、アルトゥール殿下はただヴァレンティン選帝候家の支持を得たいとのご本心なのでしょうけれど、そういう所も含め、合理的で政略的な殿下のことを、私は好ましく思っております」

「それは……あの。なんと答えたら良いのか」


 思わずたじろいだゼーレマンに、苦笑を返してやった。

 ゼーレマンは今しがた必死に、政略なのではなく真心なのだと訴えていたはずなので、逆に政略的であることを好ましく思うなどと言われてはたじろぐのも無理はないだろう。

 だがお生憎とリディアーヌとアルトゥールの間にある信頼は、そうしたお互いの合理性に基づいて培われたものなのだ。無論、その上で“好意”も伴っているわけだが、前提が違う。どんなにか甘い言葉で口説かれたところで少しも心に響かないのはそのせいだ。


「けれど知っての通り、ヴァレンティン家は成人している直系が大公当人と私しかなく、少なくとも弟が成人するまで、私にはこの家の後継者としての義務と責務を担っております。それに私は大公の留守を任せられるだけの信頼を臣下達から得ていることを自負しており、それを矜持にも思っております。なのに貴方には私が色恋でふらふらとこの立場を投げ出せるような、無責任なお姫様のように見えていらっしゃるのかしら」

「とんでもございません。ご在学中の名声もさることながら、お若くしてただ一人で帝国議会中の留守居役を担われおられるほどの公女殿下のご高名を知らぬ者はございません」

「でも皇帝陛下はそのような私の矜持と立場を踏みにじり、お養父様に縁談をお勧めになり、私を厄介者のようにこの国から追い出さんとなさっていらっしゃるではありませんか。それはあんまりでございます」

「いえっ、陛下にそのようなおつもりは決してッ」

「あらそうなの? ではこれ以上、言葉を尽くす必要はありませんわね。私をどこぞに娶らせ国外に追いやることが、むしろヴァレンティン選帝候家の心証を悪くすることになると、貴方方はすでにご存知なのですから」

「っ」

「だからゼーレマン卿。貴殿がどんなに言葉を尽くしたとしても、私にはなんら意味がないのです。私を得ないことこそが、私がアルトゥールを好ましく思う理由であり、アルトゥール殿下もそうとご存知だから、私をこの家の跡取りとして尊重し、変わる事無い“友人関係”であることを選んで下さっているのよ」


 しばし困惑した顔で沈黙したゼーレマンは、やがて、ふぅ……と短く息を吐くと、深く頷き、先程までの形作られた笑顔ではない硬い面差しを浮かべた。

 第二戦目の敗北を。そしてこれ以上何を言い繕ったところで無駄であることを悟ったようだ。


「公女殿下に、伏して謝罪を申し上げます。私は殿下を“お可愛らしい姫君”と侮っていたようです」

「それはきっと、褒め言葉ね」


 勿論ですと頷くゼーレマンに、ようやくリディアーヌも笑みを浮かべて差し上げた。

 この様子だと、もう少し探りを入れられるか。


「上っ面なやり取りはこの辺に致しましょう。陛下とて、本気で私がこんなやり取りで頷くはずがないことはご存じでしょうに、今更強引にでも私を取り込もうとなさる真意は何なのかしら?」

「……」


 お可愛らしい姫君ではなかった、と言ったその口で、だがさすがに率直すぎたのか、ゼーレマンは顔を赤くして気まずそうに俯いた。

 察していながら、長々とゼーレマンの恥ずかしすぎる口説き文句をニコニコ聞いていたものだから、今更ながらゼーレマンも自分の言葉の滑稽さに羞恥がこみ上げてきたのだろう。ちょっと申し訳なかっただろうか。


「お人が悪い……」

「仮にも貴方方が、期待する皇子殿下の皇妃に欲しいと仰った女よ。ちやほやされてニコニコ満足するだけの空っぽなお姫様だとでも?」

「申し上げる言葉もございません。まったく、その通りでございます」


 ようやく顔をあげたゼーレマンも、何か一つ吹っ切れたのか。口説き文句を口にしていた時とは打って変わった面差しでリディアーヌを見据えた。こちらが本来の、皇帝陛下に仕える文官としての姿なのだろう。


「数々の非礼をお許しください、殿下。こうとなっては率直に申し上げます。殿下はこのたび、ベルテセーヌ王国において王太子殿下の起こした騒動をお聞き及びでしょうか」

「一通りは」


 やはり、ベルテセーヌ絡みだったか。ここまでは想定内だ。


「あぁ、ちょっとまって。ゼーレマン卿。貴方は私のことを“ご存じ”なのかしら?」

「はい。恐れながら以前“王女殿下”が大公殿下と共に初めて皇帝陛下にご謁見なされた際、そこで交わされたやり取りの場に立ち会っておりました。ゼーレマン家は代々書庫の鍵番を勤める家柄。私も当時は禁書庫の管理を担っておりましたので」

「あぁ、そういうことね。どうりで、見たことのある顔だと思ったのよ」


 つまりベルテセーヌの王女に死の偽装を施し、ヴァレンティンの公女の生い立ちを捏造(ねつぞう)した一件で、彼は王籍簿の管理者としてこの改竄(かいざん)に立ち会った人物なのだ。今の皇帝側近という立場に若くして選ばれたのも、あるいは今回の使者に選ばれたのもそれが原因なのだろう。

 であればまどろっこしい隠し事をして話をする必要はない。


「では率直にお話させていただくけれど。ベルテセーヌの名を持ち出すということは、皇帝陛下のご懸念は私の元の身分に関係しているのかしら」

「正しくは、“お立場”の方です」


 つまり元王女という身分ではなく、元聖女という立場の方か。なるほど、皇帝陛下の耳にも、新しい王太子の婚約者が聖痕を持っているらしいとの噂が届いているわけだ。

 どうりで、叔父が皇帝だけでなく“教皇”にも引き留められていたわけだ。そのあたりを叔父から探ろうとしていたのだろう。例えば、リディアーヌには今なお聖女の証があるのか、など。

 珍しく叔父の察しが悪すぎたせいで、逆に彼らには大公様が鉄壁の守りを発動しているかの如く見えたことであろう……。


「端的に申し上げます。皇帝陛下には、公女殿下がいまなお聖女であらせられるのか、確認してくるようにと仰せつかっております」

「隠すことでもないわ。変わりなくってよ」


 どうせ遅かれ早かれ教会側が確かめたがることだろう。面倒なことになる前に、自らドレスの胸元を引っ張って、聖痕を見せつけてやった。

 案の定ゼーレマンは慌てて目を背けて「もうご結構でございます!」と初心(うぶ)な反応をしてみせたけれど、それにクスクス笑っていたら、部屋で書記を務めているうちの筆頭文官に睨まれてしまった。

 ごっほん。ちょっとお遊びが過ぎたか。


「私も一代に二人の聖痕の持ち主という例は聞いたことがないわ。教会は何か仰っているのかしら?」

「いいえ。教会側は、“有り得ない”と懐疑(かいぎ)(てき)な様子です。ひいては正統なる聖女であらせられる公女殿下に、新たに現れたという聖女の検分に立ち会っていただきたいと思っておられるようです」


 皇帝の臣下であるはずが、嫌に教会の意向に詳しい。となると、すでに皇帝と教皇の間でこの手の話が上がり、共通の見解になっているということだろう。

 皇帝としては、皇帝戦において大きな意義を持つ聖女の存在をベルテセーヌ王室から引きはがしておきたいはず。リディアーヌがベルテセーヌ王女の肩書きを捨てるのに同意したのも、その理由が大きかった。であれば、ベルテセーヌに新たに聖女なんざ現れてしまっては困る立場だ。

 暗にリディアーヌに新たな聖女を否定するか、さもなくばリディアーヌが嫁いでクロイツェンに聖女を与えよ、と示唆しているわけだ。いや、もはや脅しだろうか?

 しかしお生憎と、見え透いた意図に踊らされるヴァレンティンではない。


「お話は分かりましたわ。私もこの度のことは気にかかっています。考えておきましょう」

「感謝いたします」

「とはいえ、皇帝陛下の思い通りの結果とは限りませんわよ? ベルテセーヌに代々聖女が生まれることは、私とて理由も知らぬ神秘です。本物である可能性だってあるわ」

「無論でござます。我々とて、神意を侵す気はございません」


 まぁ皇帝直轄の臣として、均衡を保たねばならない教会の威光にケチをつける物言いは出来ないだろう。本音はともかく、建て前としての言質(げんち)はとれた。


「それで、具体的な聖別の儀についての計画はもうあるのかしら?」

「いえ……まさか公女殿下とこのようなお話をすることになるとは想像しておりませんでしたので」


 さもありなん。

 困り顔のゼーレマンに一つ頷いて見せてから、フィリックに手記の用意を頼んだ。

 シンプルだが良質な紙に、品の有るブルーインキを吸わせたペン先を落とし、迷うことない文字を(つづ)ってゆく。ゼーレマンが興味深そうにこちらを見ているが、文面をのぞき込もうとはしない辺り、さすがは皇帝陛下の臣である。

 そのことに敬意を示して、書き終えた文面は封筒に入れず、そのままゼーレマンに渡してあげた。


「拝見いたします」


 まず皇帝に上申すべきは、まどろっこしいことしていないで、さっさと新しい聖女の真偽を確かめる聖別の儀を行って下さいという要望だ。

 その上で、もしリディアーヌの立会を求めるのならば、まず、リディアーヌは立場柄、故国ベルテセーヌに足を踏み入れることができないため、安全で、それでいて中立を守ることのできる場を用意すること。ことは教会に属する神事であるから、俗世の介入がないよう徹底すること。今回の一件はベルテセーヌ王室内の問題であるから、いかに皇帝陛下といえども、見聞役を遣わす程度の他には不干渉であるようにとのこと。

 少々眉をしかめられそうな内容も含んであるが、そこはそれ、王家間の均衡を“監視”する立場である選帝侯家が見ていますよ、という遠回しな文言を書き加えて置いた。

 リディアーヌの弱みを握っていると勘違いしている皇帝には、この程度の言い回しで十分であろう。


「拝受いたしました。皇帝陛下に奏上(そうじょう)させていただきます」


 ゼーレマンが返した手紙をフィリックに渡し、選帝侯家だけが用いうる紫紺の蝋で封筒に封を施した。



「ところでゼーレマン卿。今回の一件は私ばかりでなく、アルトゥール殿下にもとんでもない不貞の疑いがかけられたことになるのだけれど。殿下は何も否定なさらなかったの?」


 ふと気になって問うたのは、ただの好奇心か。それとも純然たる疑問だったのか。

 だが返ってきた反応はあまりにも思いがけないもので、しばし口ごもったゼーレマンは困ったように顔を歪めると、言葉もなく、ただ深々と頭を下げた。

 いまいち、意味が分からない。


「ゼーレマン卿?」

「……申し訳ございません、公女殿下。殿下にも……その。悪気は、ないのでございます」

「……」


 ちょっとまて。何やら悪気を感じるぞ。


「卿。どうせすぐにわかることです。一体、“私の悪友”は何をしでかしましたの?」

「……殿下はただ……ただ……」






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