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3-39 そして王女は死んだ(2)

side マクシミリアン

 それに追い打ちをかけるようにして、リディアーヌは自ら“喜劇”と称する王女の死の真相を語った。

 兄の遺児を守るための、死の偽装。

 今なお、皇帝に命を狙われているのだという、その危機感。

 リディアーヌは一体今の今まで、どんな気持ちでアルトゥールと付き合ってきたのだろうか。それを思えば、到底言葉にすることができなかった。


「でも恨みばかりではないのよ。そのおかげで、私は貴方達に出会った」

「それこそ、不幸だとは思わないのか? だってリディ……君にとっては、クロイツェンもザクセオンも……」

「正直、ザクセオンのことについてはそんなに複雑な気持ちではなかったわ。私はね、ミリム……貴方のお祖父様が皇帝戦の直後、人里離れて一人孤独に亡くなられたことを知っているの。お養父様が教えてくださったから」

「……あぁ……」


 だからといって、どうして許されようか。だがそんなマクシミリアンの絞り出すような呟きに、彼女は逆にマクシミリアンを気遣うように微笑んで見せるのだ。


「でも……ええ、そうね。両親の死に関与している皇帝の孫。今また、次の皇帝の座を望んでいる皇子。それについては当然……複雑な感情だったわ。でも」


 そっと顔をほころばせたリディアーヌが、マクシミリアンの掴んでいた手を掴み返した。

 少し遠慮がちで。でもきゅっと握りしめた指先の強さが、“それだけじゃなかった”という言葉の代わりだった。


「誇っていいのよ、ミリム。貴方達は私にとって、とても大きな存在だったのだから」


 でもそれが一体、何の慰めになるというのだろうか。


「本心なのよ。私はね……トゥーリの言葉に、不覚にも、敗北を感じたことがあるの」

「敗北?」


『一戦のために、何百、何千が命をかけて、ただ一人を玉座に据えるために血を流しているんだ。どうしてそれに(こた)えないでいられる――』


「傲慢で、身勝手で、あまりにも“皇子様”で。でも大した言葉じゃない。私だって、そういうものだと思っていた。でも多分この人は“違う”んだと分かったわ。私の覚悟なんて、お父様が死んで苦しい。お母様が死んで悲しい。そんな幼子の(かん)(しゃく)と、ただのこじつけだったのよ。でもトゥーリは違ったわ。彼は本気で、そう思ってた。自分のせいで誰かが()()の命を落としたとして、決して後悔はしない。そうでなければ申し訳ないのだと……」


 だがそれは、そうして卑劣な手段で両親を殺されたリディアーヌにとって、どれほど残酷な言葉でもあったことか。なのに彼女はそれに、感嘆したのだ。

 あぁ、そうだ。彼女は“公女”ではない。“王女”だったのだ。


「私はその言葉を聞いた時、自分がどれほど王女として甘ったれた覚悟しか持っていなかったのかを突き付けられた気がしたの。その瞬間、私ははじめて、父と母が無残な死を遂げたことを受け入れられた。彼らは何もできなかった憐れな王じゃない。白刃を抜き合い、斬り合った結果、ただそこに到れなかった。ずる賢さが足りなかった、敗者だったのだと。両親を殺した男の孫に、教えられた」


 多分アルトゥールは自分がそうやって死に追い詰められたとして、相対していた者に対する恨み言など残さない。自分を支持してくれたすべての人への申し訳なさと、不甲斐なかった己への叱責と。なんて無様なんだという己の未熟さへの恨みを叫んで死ぬのだろう。


「死んでいった両親を“憐れ”だと貶めていたのは、自分の方なのだわ――」

「リディ……」

「勿論、憎しみは変わらないわ。暗殺などという卑怯な手で玉座を手に入れようとしたやり方も軽蔑する。永劫、そんなもので玉座に登った者を認めることは無いわ。でも少なくとも彼らは、泥にまみれて手に血をしたたらせようとも勝つことに執着した。そうせねばならないのだという責任を知っていた。少なくともトゥーリは、少しも手心なくどんな手を使ってでも挑んでくる強い人なのだと思ったわ。だから私は失って、彼は失わなかった。そういうことなんだって、理解した」


 でもそれは失意とともにしか得ることのなかった理解だろう。

 そんな心の折り合いをつけてきた彼女に、どうして生半可な覚悟が通じようか。


「憎しみも、後悔も、憤りも、あの頃と何も変わらない。それでもこの人とは、いつかその時が来たなら、きっと真正面から向き合おう。憎い人の孫ではなく、アルトゥールという玉座を渇望する王として、ちゃんとやりあおう、って。そう、思った。そして……それでいいのだと教えてくれたのは、きっと貴方よ。ミリム」

「そんなものを、教えたかったわけじゃない」

「ええ。でも笑っているのに笑っていなくて、友達なのに友達ではない。まだ選帝侯家というものを知らなかった“元王女”に、“これが選帝侯家だ”と教えてくれたのが貴方だった」

「リディ……」

「平気よ、ミリム。何も悲しく、寂しくなんてないわ。私はトゥーリの真心も親切心も信じていないけれど、でも彼は皇子としての自分は裏切らない。それは知っているから」


 だからいい。友達でいられなくなったって。もう二度と、かつてのように笑い合える日が来なくたって。たとえ二度と私達の線が、交じり合わなくたって――。


「私はトゥーリと、“戦い合うもの”でいられるから」


 なのにそんなことを言いながら、今にも泣きだしそうに唇を嚙む君の言葉を、どうして信じられようか。


「ねぇ、リディ……リディアーヌ。本当は、知っているんだ」

「何を?」

「……君が、アルトゥールを好きだったことを」

「ッ……?」


 あぁ……困惑している。困惑しているな。

 そりゃあそうだろう。多分彼女はそれを知っていて……でもずっと、知らぬふりをして来たんだから。


「どう、したの? 突然。本当も何も、ええ、好きよ。トゥーリも、それにミリムのことも。ずっと」

「いいや、そうじゃない。僕は、君がトゥーリに恋心を抱いていたことを知っているんだ」

「……おかしなミリムね。私がそんな素振りを見せたことがあった?」

「いいや、ちっとも。ただその代わり、君はトゥーリと親しくなればなるほどに、時折苦悩の顔を見せていたよ」

「……ッ。それは……」

「ずっと、どうしてだか分らなかったんだ。振られるのは辛いけど、トゥーリなら仕方がない、って。そう思っていたのに」

「……有り得ないわ」

「そうだね……そうだったんだと、ようやく知ったよ」


 そう。どうしてリディアーヌがそこまで自分の心に素直になれないのか。どうしてそれを認めずにいたのか。

 当たり前だ。たとえどれほどその人が好きであっても、それが絶対に心を許してなどやれない相手なのだから。


『私が貴方に嫁ぐことは絶対にない』


 あまりにもはっきりとそう断言していたリディアーヌの言葉の意味が、ようやく分かった。そう。絶対に、ないのだ。

 彼女は、クロイツェンの皇譜に名を連ねることは決してない。それは彼女にとって最大の(ぼう)(とく)であり、身を引き裂かれるほどの苦痛であるはずだ。きっとヴィオレットというベルテセーヌの、しかもオリオールの娘がそれに躊躇わなかったことも、リディアーヌにとっては許しがたい侮蔑であっただろう。それを今更ながらに痛感する。

 だが、だからこそ分かる。まるで自分に言い聞かせるかのように頑なにアルトゥールを拒絶し、そして少し異様なまでに“恋心”なんてものに無頓着だったそのことが。それはおそらく、彼女なりの、無意識のうちの自己防衛だったのだ。


「だから……やっぱり君は、トゥーリが好きだったんだ」


 思わず溢れ出しそうになった涙を、ぎゅっと歯を食いしばって堪えるのを見た。それはまるで、絶対にそんなことは認められないと、必死に己を偽っているかのようでもあった。


「リディ。君は今、到底アルトゥールのことを許す気にはならないだろうけれど、それでも昔の(よしみ)で、君に一つだけ酷いことを言うよ」

「……」


 本当は、言いたくない。気が付かせたくなんてなかった。

 でも多分、このまま私の大切な人が、愛おしんだ人を恨み続けなくていいように。どうか少しでも……この友人が、自分に素直になって。楽になってもらいたくて。


「トゥーリも、君のことが好きだったんだ。言葉ではそう言っていなくても、心から、地位と君を天秤にかけるくらい、君に恋していた。本当に……本当に。そのせいで、私は本音を口にできずにきたほどに。気が付かない君が、もどかしすぎるほどに」

「……」

「うん。きっと君は、それにも気が付いていたんだよね。リディ」


「……馬鹿よ、貴方達。本当に。本当に……」

「言ったでしょう? 君はもっと、自分が私達にとってどれほど大事な存在なのかを理解すべきなんだ。そしてそれを知っていたなら……もう少し、違う未来もあったかもしれない」

「じゃあ、こんなことになったのは私が原因だと? でも分かっていたとして、真心で答えていたとして、この状況にならなかったかと言えば、それは違うわ。だって分かっていたとしても、私がアルトゥールに贈る言葉は変わらなかった。だから私のせいだなんて、心外よ」

「うん。だから今のは、アルトゥールの親友としてのマクシミリアンの苦言だ。そしてリディアーヌの親友である私もまた、私達のリディアーヌを傷つける彼に苦言を言うし、それに多分……もう、昔のままの関係ではいられないだろうね」


 だがそれは仕方がない。いずれはそうなる間柄だったのだ。


 そんなことを淡々と口にする自分の醜さに、嫌気がさしそうだった。

 何がリディアーヌのため。何がアルトゥールのためだ。馬鹿馬鹿しい。

 自分の醜い本心は、自分が一番よく知っている。今自分は何一つとして憐れんでもいなければ、悲しんでもいないのだ。ただ悲しむ彼女に寄り添うふりをしながら、彼女が信じているアルトゥールとのか細い糸を引きちぎろうとしているだけだ。

 君達は想い合っていたのだと過去形で語り、そして“もう昔のままではいられないのだ”と断定する。リディアーヌが自分の言葉にどれほど強く心を揺さぶられるのかを知っていて、それを利用して――その心を、奪おうとしている。

 友人だなんて、よくも言えたものだ。

 自分はこれほどまでに彼らに対して、薄情なのに。


「……あの頃に戻りたいわ。ミリム」

「あぁ。でも戻れはしないよ」


 とげとげしい声色に、リディアーヌが泣いてしまわないかだなんて。

 あぁ……でも結局彼女は、そんなもの。すべてお見通しで。


「相変わらず、貴方は優しいふりをして、トゥーリよりも厳しいのね」


 その何もかも見透かしたような声色に、マクシミリアンの方が泣かされそうだった。


「そういうところ、好きでしょう?」


 そんなはずがないじゃないか。

 そう思う一方で……。


「えぇ。そういう貴方が好き」


 君がそう言ってくれることを、私は最初から知っているんだ。


「っ……」


 そしてその言葉に自ら傷つき。

 いつも虚勢を張っているはずの心が、もうこれ以上ないほどに張りつめて。

 これほどまでに追い詰められて初めて、彼女は弱みを見せてくれる。



 他の誰にも見せないであろう、自分だけが知っているリディアーヌ――。

 その拒絶するようで、しかし追いすがるような不安に、“あぁ、やっと――”と、浅ましい思いを抱きながら手を伸ばした。

 日頃は触れる事すら恐ろしく、この醜い心が暴かれてしまうのではと躊躇してしまう手だ。だが今ばかりは、たまらずきつく、この腕に抱きすくめた。

 怖いのだ。彼女を失ってしまう事が。彼女がこの腕からすり抜け、他の……もっと優しい、心から彼女を想ってくれる誰かに奪われてしまうのが。

 それほどまでに、自分が醜悪であることを知っているが為に。


「リディ、私は変わらないよ。今も昔も。たとえ君がどんな態度を取ろうとも、私は永遠に君を大切にしたいと思うし、君のことを愛おしみ続けるよ。私は君の味方であり続けるし、君と永遠を過ごす夢を見続けるよ。私の愛は、トゥーリなんかよりもよほど深いから」

「……でも、ミリム。私は……もう」

「私の言葉は、ただの真実だ。もう、知ってるよね?」

「っ……」


 そしてこうして、甘い言葉を重ねて。

 少しずつ、えぐった傷口に自分を埋めて行く。

 ずぶずぶ、ずぶずぶと。深く、もっと深くまで。

 その傷のすべてに、自分を溶かし込んでしまいたい。


「覚えておいて。君は今も昔もずっと、私の最愛の人だ。君にはいつも私がいる。だから安心して。私の存在を忘れないで――頼ってほしいんだ。君に」


 そしてどうか……どうか、それが少しでも君の慰めになったなら――。

 そう。この思いだけは、嘘じゃない。

 自分のこの身勝手が、それでも彼女の涙を拭ってあげられる。絶対にその役目を手放したりはしないのだという本心は、ちゃんとここにある。


「私……貴方だけは、失いたくない」


 あぁ、知っている。

 知っているとも。


「失わないよ。絶対に。だから安心して、泣いたらいい」


 そしてそれがどれほど身勝手であるのかを、知らないリディアーヌじゃない。


「ミリム……相変わらず貴方は、なんて(こう)(かつ)で、なんて冷酷なのかしら……」


 自らきつく腕をまわして私を求めてくれる君が、愛おしくて……そして申し訳なさで、いっぱいだ。

 私はこんなにも酷い、友人なのに。


「でも、いいわ。それでいい。それでいいから……貴方だけは、どこにもいかないで」


 その言葉はずっと待ち望んでいた言葉で。どうしようもなく歓喜していい言葉であったはずなのに。

 なのにどうしてだろう。この胸はぎゅうぎゅうと押しつぶされるほどに苦しくて。

 もう、泣かないでほしい、だなんて。


 今宵ばかりは、ただただひたすらに――。

 彼女に降りかかるすべての悲しみを呪った。






第三章 完

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